グループ・サウンズ 1965~1970

『近代映画』『スクリーン』『世界のグループ・サウンド』に掲載されたGS関連のグラビアと記事を集めた本。

GS グループ・サウンズ 1965~1970

GS グループ・サウンズ 1965~1970

 

ジュリー、無理解な大人に怒る

「日本の人口の半分の人たちが、ぼくたちグループ・サウンズに対して反対意見を持ったら、ぼくたちタイガースは即座に解散します!」
 紅潮した顔のジュリーは叫んだ。
 池袋のジャズ喫茶、ドラムに集まったファンの人たちは、真剣な表情でジュリーの言葉を聞いて、声をあげて泣いていた。
 このジュリーの言葉は(略)『木島則夫ハプニング・ショー』が生放送された直後に、ステージに立っていたジュリーから公開番組に集まったファンに投げかけられた言葉だった。
 居合わせたファンはもちろんのことだが、この番組に特別出演した人や、取材につめかけた多くの報道関係者も、彼の言葉を聞いて、ビックリした。
 と同時に、この意外な情景が電波にのらなかったことを、残念がっていたのだ。
グループ・サウンズが音楽的にデタラメだとか、ぼくたちを支持してくれるファンが低級だとか、出演した高校教師の言葉は、まったく無理解そのものだし、自分こそ最低級の教師ですよ。あんなことで、本当に若い世代の人たちを指導していけるんですかね。ぼくたちは、そんなオトナには絶対なりたくありませんよ。もっともっと説得力のある言葉で、ぼくたちグループ・サウンズに対して問題を投げかけてほしかったと思いますね……」
 リーダーのサリーは、怒りに似た気持ちをぶちまけていた。
 たしかにサリーが言うように、無理解な大人たちの発言で、若い人たちの気持ちがどれだけ傷つくことだろうか……。
「もうガマンできませんね。ぼくたちは、これから、もっともっと素晴らしい音楽のために一生懸命に勉強して、きっと見返してやりますよ。そのためにぼくたちは、最大のエネルギーを燃やし続けますよ――」
 トッポもピーもタローも、猛然と立ち上がったのだ。
『ハプニング・ショー』の夜、タイガースの住む目黒のマンションの周辺は、若いファンの人たちでいっぱいだった。
 そしてメンバーが帰ってくると、口々に“タイガースをやめないで!”と泣き叫んでいたのだ。
(略)
「はじめからダマシうちみたいに演出しておいて、なにがハプニングよ。本番がはじまって、すぐにテレビ局に電話したわ」
 など……若いファンの子ばかりではない。理解のある大人にとっても、問題の『ハプニング・ショー』は、少しもハプニングにならなかった。
 むしろ計画的に仕組まれた、グループ・サウンズの批判大会みたいな雰囲気を感じとっていた。
 テンプターズのリーダー、松崎由治くんも、ちょうどこの夜、小田原市民会館の公演だったが、公演地で全員テレビの前に座っていた。
「悔しくてじっとしていられない気持ちでしたね。ぼくたちが社会悪的に批判されるなんて、完全な大人の謀略ですよ。
(略)
[サード・アルバム]
「ぼくたちのねらいは、やっぱり本当のリズム&ブルースなんです。なかなか冒険をともなうことだからやらせてくれないかもしれないけど、秋には一発やりたいですよ」
 ドラムのピーは話す。
「絶対やりますよ。それをやらなければならない使命は、ぼくたちタイガースにあると思っています。いつまでも甘い考え方でいると、外国のグループ・サウンズに人気を奪われちゃいますよ」
 サイド・ギターのタローも、現在の人気に安住してはいられない気持ちを話す。
 いつまでも“ハナノ クビカザリ……”では若いファンは満足していられなくなるのだ。
 たしかに商業的な見方をすれば、リズム&ブルースは、危険かもしれない。でも実験的にやれるグループ・サウンドはたくさんあっても、完全に商業ベースに乗せられるのは、いまのタイガース以外にはないといってもいいのではないか。

セカオワ先取りw

 タイガースが共同生活を営んでいる東京世田谷烏山附近の主婦のあいだで、最近こんな話題が盛んだということです。
「近ごろ、よく眠れないんですよ、あんまりうるさくて」
「どうでしょう!女の子がいつまでもうろうろしていて、夜になっても帰らないのがいるんですって。家じゃ心配してないのかしら?」
 なにしろ京都から上京してきて、わき目もふらずに練習に励んでいるタイガースです。
 もう少し同情的であってもいいと思うのですが、そこは口うるさい世間のこと。こうした非難が起きるのも仕方ないことかもしれません。

タイガース作戦会議

沢田 今度電気ハーモニカを使ったりエレクトーンを入れるとなったら、なおさらだね。
森本 いいのかい、そんなことしゃべって。エレクトーンと電気ハーモニカは秘密兵器だから、当分絶対内緒にしておこうという約束だったじゃないか。(笑い)
岸部 構わないさ、どうせ、もうすぐどこかの雑誌にスッパ抜かれちゃうよ。
加橋 でも、ファンは驚くだろうね 一度に二つも新しい楽器が加わるんだから。

恩師、橋本淳とすぎやまこういちが語るタイガース

橋本 (略)[グラモフォンのオーディションで]テイク・ファイブとかボサノヴァのようなスタンダードっぽい曲をやってたんです。とにかくルックスがいいので、すぎやまさんと電話で相談して、ぼくらが担当することになったわけです。
すぎやま (略)ルックスもさることながら、リズム感のよさを感じたね。
橋本 ぼくはリズム感というより、すごくメロディックだと思った。そのときも沢田クンがソロで歌ったんだけど、スローのものでもいけると思った。
(略)
[『シーサイド・バウンド』について]
本誌 バウンドという新リズムもおおいに成功したと思いますが?
橋本 あれはエミー・ジャクソンで『天使のいたずら』を去年の夏にやっているので、タイガースが二番目なんです。まさかエミーが引退するとは思わなかったな。
すぎやま ぼくはバウンドは絶対いける、と思っていた。『天使……』だって、もしエミーが引退しなかったら、かなりヒットしたろうと思ってます。
橋本 そうなったら、タイガースでバウンドをやっていたかどうかはギモンだね。(笑い)

寺内タケシとバニーズ

昨春、健康上の理由から、引退。ファンをがっかりさせたところへ、新グループをひき連れての再デビューと、マスコミをおおいに沸せたのは、ファンならずともよくご存知の話。
 このへんの事情は、諸説ふんぷんとして、本当は元気なのに渡辺プロ飛び出しのための仮病説まで持ち上がりましたが、まずはさておいて
(略)
[黒沢年男実弟・黒沢博はそのマスク]ギターのテクニックと声のよさの三拍子そろったところは、バニーズのホープ中のホープ。寺内さんがアマ・バンドからスカウトし、ものにしようと、愛のしごき“竹刀の洗礼”も、いちばんうける回数が多いそうです。
 寺内さんは、
前近代的体罰なんぞと、軽蔑する人もいるでしょう。しかし音楽なんていうものは、いくら本を読んでも、口でいっても上達しないんですよ。身体でおぼえることしかないんですから……」
(略)
「うぬぼれと聞こえてもいいですが、ぼくのエレキ演奏を、百パーセント、カバーリングできるバンドは日本にないといえます。しかし、バニーズは百パーセントといかないまでも、日本中のどのバンドよりも、ぼくをより良くカバーリング出来るバンドです」

美空ひばりの『真っ赤な太陽』、

「このブームは音楽革命だ!」

[満三十歳の記念で発売された]ひばりの『真っ赤な太陽』が若いファンの間でなぜこんなに人気があるのか? それはグループ・サウンズの「ブルー・コメッツ」が共演しているからだといえる。(略)
 ひばりにとってはここ十年来、大ヒットした曲がない。日本レコード大賞受賞の『柔』にしても『悲しい酒』にしても、話題にはなったが、レコード・セールスの面でめざましい大ヒットにはならなかった。(略)そのひばりが期待もせずになんとなく吹き込んだ『真っ赤な太陽』が急激に大ヒットをはじめたのは皮肉な話である。
(略)
[GSブームを分析するには]
日本の若いファンをゆさぶり続けてきたポピュラー音楽の歴史を振り返ってみる必要がある。ポピュラー音楽が日本の若いファンに解放されたのはもちろん戦後だが、若いエネルギーを燃え上がらせ、若者の心をつかんだ最初の音楽はマンボだった。強烈なリズムは若者の踊りのスタイルから服装までを変えてしまった。マンボ・ズボン、マンボ刈りという髪の型まで、マンボは若いファンの生活のすみずみにまで入り込んでしまった。いや、それだけ若いファンが新しい音楽に対して敏感で、吸収力が速かったといえる。
 一方、オトナたちは若いファンの速いテンポに追い付いて行けなかった。むしろ若者がリズムに熱狂するさまに批判を加え、若者を社会から疎外しようとすら計ったのだ。
「マンボにイカレるようなやつにロクなのはいない。少年少女の非行化のきっかけを作る」などと猛烈な反対の矢を放ったものだ。少年犯罪が起こるとオトナたちはマンボに結び付ける。「少年A(16)はマンボ・ズボンで遊び歩き、ジャズ喫茶に入りびたっていた……」などという新聞記事は珍しくなかったものだ。
 こういったオトナたちの批判は、その後に続いたロカビリー、ツイスト、ビートルズ、フォーク・ソングなどにも同じように浴びせられた。ロカビリーに熱狂する少女を気狂いあつかいし、ビートルズの日本公演に行くのをある県の教育委員会が禁止したのは記憶に新しい。
(略)
 若者たちはオトナから白眼視されながら、新しい音楽を吸収して行った。そして、いまグループ・サウンズのブームを呼び、日本の流行歌の本流だといわれる歌謡曲にまで進出している。
(略)
グループ・サウンズのブームを支えるのは若者の血なのだ。
「このブームは音楽革命だ!」
 ある評論家がこう語ったことがある。(略)

近代映画67年12月号

千葉真一とザ・サタンズ誕生』

 東映スター、千葉真一くんをリーダーとして生れたザ・サタンズのメンバーは(略)ほとんど千葉くんの高校の後輩――。
 まず、潮健児くんがドラムと司会(略)
「練習場がないのがぼくたちの悩みです。一応新宿東映を借りて、映画がはねてから練習することにしていますが、それではやはりロスがありますから……」
 と語る千葉くんだが、そのうち、全員で一緒に暮らせて、練習が出来る場所を探すそうだ。
「映画俳優が、何か作ると、俳優の余技のように見られるが、ぼくたちはそんなつもりじゃない。デビューしたからには、プロ精神に徹したいと思います」
 と千葉くん。もうすでに九州方面に巡業して腕だめしをしたが、これからは、東京のジャズ喫茶にもどんどん出て、ほかのグループにない個性を生み出していきたい、と意気盛ん。

GSニュース専科

新生アウト・キャストにトニー谷の次男坊、谷かつみ(16歳)が参加!

世界のブループ・サウンド 68年8月号

ローリング・ストーンズのまきかえし作戦」

 ミックは、刑務所に入っていたころのことを、こう語っています。
「たいへんていねいに扱ってもらったし、食べ物も悪くなかった」
 キースにいたってはこうです。
「刑務所の最初の晩は、ちょうどジェームズ・キャグニーみたいな気がしたよ」
 ふたりとも、なんでもなかったように言ってはいますが、もちろん、彼らは囚人服を着なければなりませんでした。刑務所での生活は、おそらく彼らにいろいろなことを考えさせたに違いないのです。キースは、何日かの獄舎生活が、彼の人生観を変えたとはっきり言っています。もう麻薬は使用するまいと思ったそうです。
 ストーンズの三人が事件のウズの中にあったころ、ライバルのビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表して話題を呼んでいたわけですが
(略)
[釈放後、ミックはマリアンヌ・フェイスフルとパーティーへ]
カップルにいやなことを言う人もいませんでしたが、そのかわり、彼らに完全に無視されてしまったというのです。神経質なミックは30分ぐらいでパーティーの席上から辞したくらいです。
 ロンドンに帰ってからも、ミックはいくつかのタクシーに乗車拒否をされましたし、九月のキースとのアメリカ行きのときは、ケネディ空港に降り立ったふたりに、イギリスの麻薬事件についての質問に答えなければ入国させないというきつい注文があったほどです。彼らにとっては、まったく不運続きでした。
 十月になってようやく、ストーンズはロンドンに“マザー・アース”という新しいレーベルのレコード会社を設立し、ビートルズにも共同出資の声をかけたりして、一時はストーンズビートルズが合併するというウワサまで流れました。
(略)
インタビューもことわって、LPの制作に熱中しました。こうして、制作費に九百万円もかけたという異色LP、『サタニック・マジェスティーズ』が誕生したのです。
(略)
この二つのグループは、ライバル同士でありながら、ミックとポール・マッカートニーの友情を糸口に、堅く手を握りあっています
(略)
ビートルズには、ポール・マッカートニーとかジョージ・ハリスンのような美ぼうの持ち主がいるのに対し、ローリング・ストーンズの中のハンサムな男といえば、おそらくインタビューぎらいのキース・リチャードくらいでしょう。もっとも当のご本人はそれを知ってか知らずか、その美ぼうをふちなしメガネや古くさい帽子などで隠してしまっています。
 五人の中でもとりわけ男くさいミックが、美ぼうの持ち主であるポール・マッカートニーと大の仲良しというのも、ちょっと意外な気がしますが、ポールの恋人、ジェーン・アッシャーとミックのウワサの人、マリアンヌ・フェイスフルが、どこか似かよったところのある美少女ということから考えれば、ふたりの気の合う原因もわかりそうな気がしますね。
 そのマリアンヌ・フェイスフルはいま、映画『あの胸にもういちど』でアラン・ドロンと共演中で、ジュネーブの撮影現場にはときおりミックの姿が見えるということです。彼女がアラン・ドロンと親しくなったというウワサが流れて、ミックをしょげさせたこともありましたが、そんな心配はいらないでしょう。なぜなら、彼女の名前は“フェイスフル”(貞節な、という意味)なのですから……。
『サタニック・マジェスティーズ』でふたたび大活躍を始めたローリング・ストーンズは、これからどんな方向へ“ころがって”いこうとしているのでしょうか。
(略)
 ふたりの野心のほどを聞いてみることにしましょう。
 ミックは言います。
「どんなふうにして、大衆より一歩進むかが重要だと思う。……レコードを一枚出すたびに、一歩前進のつもりでやっているんだ。その歌に時代を反映するものがなかったらダメだと思うからね」
 いっぽう、キースはこうです。
「ぼくらの音楽は、オペラやジャズを土台に出発したものではなく、ロックの土壌の中から生まれたものだから、若者を対象にしている進歩的態度をできるだけ曲の中に織り込もうと思っている」
(略)
[シングル発売の矢先に]またしてもブライアン・ジョーンズが麻薬不法所持のかどで、ロンドンの法廷で裁判されたという暗いニュースが入ってきました……。