ジハード・その2

前回のつづき。

ジハード―イスラム主義の発展と衰退

ジハード―イスラム主義の発展と衰退

アフガンで潤うパキスタン

1979年3月、アリー・ブットーを絞首刑に付して以来、欧米で評判が悪かったズィヤーウル・ハックのパキスタンにとって、アフガニスタンという不満のはけ口が出現したことは体制の強化にとって願ってもないことだった。(略)
パキスタンアメリカにとって戦略的にきわめて重要な足場となり、アメリカ議会が承認した海外援助額でも世界第四位となった。(略)[アメリカから年間六億ドル、湾岸諸国からも同額の資金がアフガニスタン・ゲリラに流れ、必須の中継点であるパキスタンの]経済活動を活発化させ、ズィヤーウル・ハック体制をささえる強力な基盤となった。同時に、資金援助を食い物にする犯罪も爆発的に多発したが、ロシア人がアフガニスタンにいるあいだは誰もがそれに目をつぶった。しかしそれは惨憺たる結果をもたらし、80年代の終わり頃にはあらゆる種類の逸脱行為が横行するようになった。(略)[カラチ港に陸揚げされた、CIAからの軽火器は陸送される前に横流しされ、復路のトラックはヘロインを積んでカラチに戻ってくる]

インティファーダ

レバノンパレスチナ・キャンプは1970年代にもっていた重要性をうしない、80年代のひとびとの想念のなかではペシャーワルの「ジハード主義者」のキャンプがそれにとってかわっていた。アラブの石油産油国の資金援助の優先順位にもそのことは反映されていた。PLOの指導者の一人はそれを嘆き、「アフガニスタンムジャーヒディーンに行く援助のたとえ10%でもいいからうけとりたいものだ」と述べていたほどである。しかし、インティファーダの勃発はこうした見方を一挙に変化させる。(略)
[同時にPLOは《ハマース》と主導権争い]
《ハマース》は、PLOは「ユダヤ人の二枚舌」に騙されているのだと主張して、外交交渉に反対し、それを自派の勢力拡大に利用しようとする。だからイスラエルとの対立の激化は《ハマース》の戦略にとって好都合になる。一方、PLOにとって、インティファーダの継続はイスラエルヘの圧力をつよめ、パレスチナ側に有利な条件で交渉をすすめられるという利点がある。
[3年目1990年にはPLO支配の職業組合に《ハマース》の影響が及び、クウェートからの資金提供は、PLO2700万ドルに対し《ハマース》6000万ドルとなる]

美徳にみちた国家など存在しない

イランもスーダンも社会を権威主義的にイスラム化しようとするが、整備された行政機関にささえられ、社会を合理的に管理している。だからかれらはイスラム的「意味の空間」や国際システムのアクターとなることができたのだ。それにたいしてターリバーンにおいてはそうしたことはまったくない。かれらは国家をとおして世界に自己を投企していくということはなく、援助国サウディアラビアと断交してからは保護者パキスタンと貿易の主要パートナーであるアラブ首長国連邦以外には外交関係もむすんでいない。(略)
《デーオバンド》のイデオロギーでは美徳にみちた国家など存在しない。かれらにとって共同体とは大量のファトワーにしばられた信者の集合体のことであり、そうした社会においてのみ各人はシャリーアの規則にのっとった生活が可能であり、そしてそうした社会だけが道徳的になるという目標をかかげることができるのである。国家や政治が正当性を欠くとかんがえられているから、同時に市民とか自由という概念もすべて否定され、その代わりに信仰と従属だけが強調される、

ボスニア戦争

[ボスニア戦争で]世界は、ヨーロッパの中央にイスラムを信仰するスラヴ民族が存在することをおもいだした。(略)
イスラム世界でも、おおくの人にとってボスニアの存在は意外な発見だったのだが、ヨーロッパの中心にイスラム国家が誕生したというニュースに熱狂したひとびとはおおかった。イスラム教徒は一般的にセルビア人の攻撃と民族浄化について宗教的な次元でそれを解釈して反応した。つまりそれは十字軍の一種で、宗教的な理由でおこなわれたホロコーストであるとかんがえられたのである。(略)
再発見されたばかりのこのあたらしいイスラムの地は、人権を重視すると主張する欧米諸国の共犯的な沈黙のなか、セルビア人による虐殺で消滅の危機に瀕しているようにみえる(略)
[イラクを攻撃するのにセルビアには軽微な制裁しかくわえない]
イスラム教徒の血は石油ほどの価値もないのだ、ということがこの当時よく言われた。「砂漠の嵐」作戦に参加したイスラム世界の国々では、ボスニアとの連帯はひとつの大義となった。
[しかし、複雑な国際的制約があり、拠点もないため、具体的な介入はなされなかった]

軍艦とゴムボート

[イエメンのアデン港で]2000年10月12日、アメリカの軍艦コールの船体めがけてゴムボートで果敢な自爆攻撃が敢行された。(略)乗組員に17名の死者がでた。第二次世界大戦以来、アメリカの軍用艦がこんなおおきな損害をうけたのは初めてのことだった。攻撃者と標的、ゴムボートと駆逐艦のスケールの違いがあまりにもおおきかったので、この攻撃は人目をひき、非常につよい象徴的な意味をもってしまった。大胆さと信仰さえあれば超大国アメリカの防衛力もつきやぶることができるのだ! おおくの手がかりがビンラーディンを指し示していた