かまやつひろし、RO69年特集

意外にかまやつひろしの話が面白かった。

叱り叱られ

叱り叱られ

「ここに行けば数字が出るなと思っても、自分のプライドみたいなものが許さなくて、そっちに行けないんだよね」てな話もあって

かまやつ ヒット曲があるとないとでは、助かり方が違うね(笑)。例えば一時間のステージでも、はじめの50分は落ち込んでいても、最後にそれをやればなんとかなるみたいな、そういうものでもあるよね。それでなにがしかのおカネが入ってくるし、ないよりあったほうがいいと思うんですけど、どんどんくさくなっていくんだよね、ヒット曲というのは。ヒット曲を持っていると、どんどん腐っていくんだ。(略)
だからヒット曲とともに自分が腐るのを防ぐために、どういう防腐剤を使うかということは、とても難しい。あまりにも強いドラッグを使うと、ヒット曲狙いで来た人も去っていくし、「こいつ、すごく強い防腐剤を使って、新しく見せようとしている」っていうふうに見抜かれちゃって、新しい部分があるのかなって来たやつも引っ込んでいく。その辺のバランスというのが、なかなか難しいものがある。

こんな時代ですがと話を振られ

かまやつ 今の時代にね、アメリカの音楽とか聴いていても、大きな目で見ると、イラクヘ行って戦死した人の家族とか、下手するとそれがネタになっているみたいな音楽が多いのよ。ぼくは好きか嫌いかっていうと、そういうのはあまり好きじゃないの。出口のない悲しさみたいな音楽、あれはぼくにとってあまりエンターテインメントにならないから。
(略)
あくまでも俺たちはショー・ビジネスだと思っているわけ。つまり芸術家じゃないっていう。
(略)
ぼくは、ちょっとした希望を与えてあげるんじゃ、もう生易しいと思う。違う島を作っちゃったらいいんじゃない? なんて言ったらいいかな、とんちんかんなほうがいいの。普通の一般の人が感じている悲しみとか、そういうものをちょっとでも連想させないようなものって、どうやったら作れるんだろうと思うわけ。

  • RO7月号

有名雑誌の巻頭記事だから今更とも思うが、面白かったのでチョットだけ

ドラムを呼吸させる

「基本的に、マイクを楽器から遠ざけて音に呼吸するチャンスを与える、これに尽きるんだ」と、ペイジは説明する。(略)ドラムはアコースティック楽器であり、アコースティック楽器は呼吸をする必要がある、ということなんだ。だからツェッペリン、特にジョン・ボーナムのプレイをレコーディンクするときも、僕は単純にマイクを遠ざけて、周囲の音をいくらか拾うようにしたんだ。

ロバート・プラント

「俺たちにとって、ブルーズは哀調を帯びた、素晴らしい音楽でしかなかった、ってことさ。アメリカで黒人がどういう経験をしてきたかなんて、俺たちまったく知らなかったからね。俺たちが暮らしてたのは、非の打ち所のない清廉潔白なミドル〜アッパー・ワーキング・クラスが住む郊外で、そこじゃすべてが白くてこぎれいで、実際そんな話は知る必要もなかったわけ。
(略)
[礼儀正しくブルーズを理解した連中はZEPのようには]
ブルーズを理解できなかったし、本質をつかむこともできなかったのさ。俺たち何もわかっちゃいなくて良心も持ち合わせてなかったのが、逆によかったんだよ」

リヴァーブ

口カビリー界のイコンたちがサンでレコーディングした初期の作品は、若き日のジミー・ペイジに多大な影響を与えたのだった。
 「50年代のレコードをよく分析してたんだ。特にサム・フィリップスのやつをね」と、彼は言う。「そしてエコーに聴き入ってたんだ。(エルヴィス・プレスリーやリッキー・ネルソンのギタリスト)ジェイムス・バートンをよく聴いてたよ。その手の曲を暗記しながら、特定の音のリヴァーブをどこで引き上げてるかを聴いてたんだ。それって後に僕がツェッペリンで使ったのと、まったく同じテクニックなんだよ」

“ホンキー・トンク”とライ・クーダー

[ライ・クーダーは]キースに興味深いオープンGチューニングを教えてやっていた。クーダーは“ホンキー・トンク〜”が完成する前にアメリカに帰国したが、数ケ月後このシングルのギター・リフが「おれがやったのとそっくりなのを知って、背筋が凍った。キース・リチャーズはあっという間におれの手法を丸呑みしやがったに違いない」。キースはこれまでずっとクーダーから受けた影響を非常に控えめにしか語っていない。だが95年の『MOJO』誌では「あいつのできること、チューニングとかいろいろは全部いただいたよ。ま、かっぱらったと言ってもいいな」と言っている。

ピート・タウンゼントが、ウッドストックについて「あんなクソがアメリカン・ドリームなら、俺はごめんだ」とか、トミーについて「されなくていいとこを過大評価され、評価されるべきところは評価されなかった」と語ってたり。