五味流女遍歴

師匠のシステムでもよくなければキッパリ否定する著者。歯に衣着せぬオーディオ談義の合間にさらりと披露された女性遍歴の方が気になって。

オーディオ巡礼 (SS選書)

オーディオ巡礼 (SS選書)

人妻

芥川賞をもらい私は京都へ行った。そこで或る女性にめぐり逢った。妻と結婚する以前、私の愛しつづけたひとである。しかし彼女は私を拒みつづけ、その頃もう人妻になっていた。私たちは奇遇に驚きあい、私自身は内心狂喜し、二人で銀閣寺のほとりを歩いた。いろいろ昔の思い出を話し合った。私が受賞したのを彼女は知ってくれていた。彼女の結婚がうまくいっていないらしいことを、言葉のはしばしで私は想像した。しかし彼女自身はそれに就いては何も語らなかった。淋しいわ、と言っただけだ。(略)
結婚して四年、ようやくこうもり傘を買ってやれる窮乏生活に、妻を耐えさせて来た。裏切ることは私にはできなかった。しかし妻を知る以前から、京都のその女性を私は愛しつづけた。終戦後の魂の荒廃の中で復員兵の私を支えてくれたのは、その人への憧憬である。すさんだ私の心は、どれほど、彼女の美しさで洗われたろう。(略)
[立ち寄った茶房で“二羽の鳩”を聴き、二人の視線が合った]
私たちが“二羽の鳩”になった。(略)この夜、私は彼女と結ばれることになった。これは運命だろう。(略)私は人妻である彼女の体を抱いた。
 なにも小説を書いているのではない。(略)
[送らせてもくれない女、住所もわからず連絡もなく、一年、ようやく訪ねると、女は自分の子供を産んでいた]
これが人生なのか。鳩は血みどろになった。そして別々になってしまった。

21歳の女子大生

ある女子大生と親しくなり、急速にこの親交は深まって、妻への背信に悩む日がつづいた。あの京都の女性は子供が生まれて以来、どうしてか、私を避けようとし、こちらが《責任》を口にするとかえって私を嗤った。本当は責めたかったのかも知れないが、この女性心理が私には分らず、まさか妻に相談もならず、女子大生に話したのが接近する機縁になったように思う。(略)
彼女への責任を取ろうとし、妻を実家へ帰した。(略)むろん彼女の両親にも会った。今から想うと私は一人角力を取っていたようだ。彼女はまるで《遊び》で私との関係を考えていたらしいから。(略)
今はこれ以上くわしいことには触れないが、要するに最後には私は旧の妻をえらび、彼女の両親は慰籍料を請求した。それを知って彼女は山中湖に投身して死んだ。

ピアニストの卵

 翌月の歌会に、あきらかに彼女との再会をねがって私は出席した。彼女はこの日はスーツを着ていて、バストのふくらみが隆く、別人みたいに成熟した“女”の感じがあった。大阪の実家に妻をかえし、孤独な流浪生活をつづけていたこの頃の私に、彼女のバストの強烈な印象を責めるのは、酷だろう。(略)
[なんだかんだで夜の公園]
時間がたち、彼女が腕時計を見たときに、暗い公園の樹影に私たちはいたが、突然、背広の前ボタンを私ははずし、あなたもスーツの胸をひらいてほしい、と私は言った。(略)
 胸をひらく、というこちらの希望の意味がわからないのだろう、彼女は自分にまだそういう経験――男女の交際の経験がないと言った。私は肯かなかった。彼女のスーツの衿をおし開けるようにして、白いブラウスの上から、こちらもYシャツの胸を押っつけた。彼女はにげようとしなかった。(略)
私はけっして彼女を抱くことはしなかった。ただ豊満な乳房に、こちらの胸板をあてがい、豊満さに随喜したのだ。彼女は小きざみにふるえていたとおもう。十月末ごろだったとおもう。牟礼の近くで、たしか、武者小路実篤氏の邸の付近だったとおもう。

ヒトハネタ

 私は七年前、大変なことをしでかした。場所は名古屋市内で、夜十一時前であった。時速五十kmで私の車は走っていた。こうしたことは、誰にも体験してもらいたくないし、加害者も亦どんな悲惨な状態におかれるかは当事者だけが知っていればいいことだ。――ただ、事故のあと、失なわれた生命への痛哭と、慟愧と、悔いと絶望に居たたまれぬ私が、ヘンデルの“メシア”でどんなに救われたかを、言っておきたい。

オーディオで散財した著者の結論

 オーディオの世界は、アンプやスピーカーシステムをアテにして語られるべきものではない。生活するあなた自身が、日常生きているその場で論じるべきものだ。音色を支配するのはパーツではなく、あなたの生活だ。部屋だ。
(略)
私は断言するが、高城家のオールホーンの音より、私の家のタンノイオートグラフより、あなたの部屋の音楽がつまらないなどということは、絶対にあるわけがない。アンプは国産だろうと単体スピーカーであろうと、あなたがその装置で音楽を聴き込んでいる限り、他人のどんな装置よりもあなたには、大切なはずだ。その大切さがあなたの内面に音楽を生む。

あまり再生音に神経質にならず、いい音楽を先ず聴くことだ。とりわけ若い人に私はこのことをすすめる。経済的に余裕ができれば将来、装置はいくらでもグレード・アップできる。だが青春は二度とかえらない。感性のもっとも鋭敏で、繊細な若いうちにいい音楽を聴くことがどれほど大切かを、自らに省みて言うのである。

英国製のスピーカーを買いたくて私は時計を質に入れたことがあった。発売されたレコードならいつだって買えると、そのくせ私は思っていた。白状するがそんな時の私は結局ろくなレコードしか持っていなかった。つまり音がよくなったところで享受できる音楽性は高が知れていたのだ。そういう自らを省みて言うのである。どんなレコードを所持しているかは、どんな装置を持っているかより、はるかに恐しいことを銘記してほしい。きみの部屋で鳴っているのは装置の音ではなく、きみの全人生――音楽的教養そのものの音だといつも私の言う由縁がここにある。

いつも言うことだが、鳴っているのはその人の人生の結集している音だ。金がないために、より優秀なスピーカーやアンプを購入できぬ憾みが、ここに生じる。金さえあれば……いくらそう思ったって無駄だ。キミがいま鳴らしている音の貧しさはキミの今の生活の答にほかならない。むろん誰にだって、未来はある。私にもあった。私はその未来に希望を見出し働いて来た。五十の齢を過ぎて今、私の家で鳴っている音に或る不満を見出すとき、五十年の生涯をかけて私にはこれだけの音しか自分のものに出来なかったのかと天を仰いで私は哭くのだ。この淋しさは、筆舌に尽し難い。

山口瞳

コンクリートホーンの裏側に本を積んで、空間を埋めてごらんになったらどうかと高城氏は言われた。五畳ぶんの部屋一杯に本を積む、そうすれば低音がしまって、今より良くなるだろうとおっしゃるのである。いいとなればやらざるを得ない。新潮社に頼んで月おくれの『小説新潮』をトラック一台分わけてもらい、仰せの通りこいつをホーンのうしろ側に積み重ねた。(略)
実にしんどい労働である(たまたまこの時来あわせていて、この古雑誌運びを手伝わされたのが、山口瞳ちゃんだった)。