18世紀パリ市民の私生活

カタイ本を読む気がおこらないので、当時のオモロ訴訟事件を紹介という本で下世話に。

子供の認知を迫られた男のマヌケコメント。

ド・メルイユ嬢が、デザートのときになって気分が悪くなったのである。優しく駆け寄った女友達が、とっさの機転でド・メルイユ嬢の胴着の紐をゆるめたため、優美な胸元があられもなくさらされる結果となった。食事の席が乱されたとはいえ、その目を奪うばかりの艶姿に、それがしの視線が釘付けにならなかったと言えば嘘になる。

職業差別問題。騒乱罪

控訴人らを含む数名の木炭人足が気晴らしに寄りあった席で、目先の変わった仮装行列をしようという話が持ち上がった。案を練るうち古靴屋に扮することに衆議一決。思いついたのは、元古靴屋組合の組合員で現在は木炭人足をしている男である。古靴屋の一人はこの行列の来訪をおおいに歓迎したが、これに不興を覚えたもう一人の靴屋が、憤激のあまり、行列を見物していた行きずりの男と殴り合いの喧嘩騒ぎを起こし、これが控訴人らの収監を誘発した。
(略)
控訴人らの行動は、すべて公衆の面前で展開されていたのであり、これが騒乱罪と呼ばれる類のものでないのは明白である。落ちあったのは誰もが出入りする酒場だ。河岸洽いの街路で、控訴人らは祝砲を受け、冷やかし混じりの賛辞を受けた。彼らの行進が秩序正しいものであったことは、すべての見物人が目撃し、証言している。不穏な意図を危惧させ得るような武器は一切携帯していなかった(略)

オレらの仮装が駄目なら演劇はどうなのよと

それにしても、「古革の金銀細工師」と自称し、みずからの権威をかくまで誇っている彼らが、我が国の劇場で古靴屋を演じるのは禁止されるべきだという旨の要望書を、いまだに提出していないのは驚きである。古靴屋をあれほどおおっぴらに取り上げた劇団に対してさえ、いかにそれがやんごとなき劇団であるとはいえ、なぜ、訴訟一つ起こしていないのだろう? あの舞台では、靴屋がふんぞりかえって踏み台に腰かけ、太い糸を引っぱりながら大酒を飲むさまが、バレエ仕立てで演じられていたではないか?

自分で自分を侮辱していることが、彼らにはわからないのだろうか?

靴職人らは、「手甲に誉れあれ!」という群衆の喝采を、組合全体に関わる問題とみなそうとしているものと思われる。
人身攻撃とは本来個人的なものであるが、本件の場合、これが集団攻撃にすり替えられた。すなわち、受けた喝采を攻撃と曲解した一組合員の讒言を、組合の幹部の一人が悪用し、組合全体に対する攻撃であるかのようにみなすことで、組合の利益を図ろうとしているのである。
それにしても、なぜそんなことをしなければならないのか? 「手甲に誉れあれ!」という言葉が、彼らの職業を辱しめるものだと解釈しようとしているのだろうか?彼らはそこまで無分別ではないはずだ。この言葉にこめられているのは、彼らの職業に対する侮蔑でも悪意でもなく、「今日は古靴屋さん」という程度の、ごく日常的な挨拶以外のなにものでもない。この言い回しが気に入らないのなら、いったいどう呼んでほしいというのか? 自分で自分を侮辱していることが、彼らにはわからないのだろうか? 古靴屋が古靴屋と呼ばれるのを嫌うことこそ恥ずべきことであり、それはかえって彼らの社会的身分に辱めを与えることになるのがわからないのだろうか?
[両者の公訴は取り下げられ、訴訟費用は折半に]

ハムパイは菓子か肉加工品か

というモンティ・パイソンのような世界

他の職業集団の権益を侵害してはならない、という法律があるのを知らぬ者はない。この法律の裏をかくうまい手口を思いついたのが、人一倍想像力の豊かなある菓子職人、すなわち、本件の被告ノエルである。この男、ごく当たり前の調理法で火を通したハムを薄いパイ生地に包んで焼き、 これを〈ハムのパイ皮包み焼き〉の名で売り出すことにした。(略)
これはれっきとした菓子だぞ、なんたって菓子職人の俺さまが作ったんだからな。豚肉加工業者どもにつべこべ言われる筋合いはない、文句があるなら来やがれってんだ」
豚肉加工業者らはやって来た。それも、警視と執達吏を伴って。一行は、ノエルがパイに使ったハムの残部を差し押えると、箱に入れ、蝋で封印した。

「今後は、肉とパイ生地とを同時に加熱調理しないかぎり、〈ハムのパイ皮包み焼き〉を製造することはまかりならぬ」(略)
判決を不服としたパティシエらは、控訴に踏み切った。控訴理由は、以下の如く、きわめて明快である。
「パティシエにハムを売る権利がないという点については、われわれー同なんの異存もない(略)しかしながら、われわれには、〈ハムのパイ皮包み焼き〉という菓子を製造する権利はあり、これは組合の定款にもとるものではない」
要するに、ハムの販売はしないが、〈ハムのパイ皮包み焼き〉菓子の製造はすると主張しているのである。
(略)
すなわち、それは、「こね粉の衣を用いてハムをパイの形に仕上げたもの」であり、これはとりもなおさず、「こね粉の衣をまとわせてハムをパイの姿に変身させたもの」を意味するというのである。
[だが裁判官らは、この製品の製造を、「隠蔽工作をほどこした」詐欺行為と結論付けた]
むきだしにしようと、衣をかぶせて変装させようと、詐欺行為は詐欺行為だというわけである。
この判決にパティシエらは真っ向から反発し、長大な「弁駁書」を提出した。(略)
普通の肉とハムを一緒に刻んだら味が落ちる、むしろ、ペースト状にした普通の肉をパイ皮に塗り、その上に薄切りにしたハムを乗せ、これを何層にも重ねたほうが風味のよいパイができると主張している。
(略)
いや、ハムは製造の段階ですでにさまざまな材料が混ぜ込んであり調味もほどこされているのだから、それ以上別の材料を混ぜ込む余地はないのではないか、という者もいれば、別途調理しておいたハムをパイ皮で「補助的に」覆ったほうがずっと風味のよい製品ができると、言い張る者もいる。そんなにあれこれ手を加えたら、健康に害のある食べ物を消費者に提供することになるのではないか、と危惧する者もあった。
弁駁書には、かくの如き異論反論がとりとめもなく綴られているのみで、結論らしきものはなんら示されていなかった。このため、これに目を通した人々は一様に、パティシエがこの窮状から脱するすべを見失っていることを悟ったのである。(略)
[結局、パティシエ側が敗訴]

金持ちの子供がメクラだったら

金持ちのメクラが使用人を妻にしたけれどこれが悪妻で訴訟にという話はまあそんなものなので放置で、金持ちの子供がメクラだったらどうしていたのかという興味で

私は5歳のおりに失明いたしました。両親は、パリのポワソニエ街で、下着用品を手広く商っておりました。幼い頃から私を可愛がり、大切に庇護してくれておりましただけに、失明という災難が私にふりかかったときの両親の驚愕は一方ならぬものでありましたが、14歳のとき、私を〈カンズ=ヴァン盲人修道会〉に入れるための手続きをとってくれました。それまでパリ市庁に委託してあった私名義の定期金を同修道院に提供することにより、私はこの修道会における終身会員の資格を認定されたのであります。また、家族は私に複数の楽器の演奏法を学ばせ、暗記力を育み、商売の仕方を懇切丁寧に指導してくれました。おかげで私は触っただけで布地の種類が識別できるだけでなく、値段までわかるようになりましたし、布地をたたむこともオーヌ尺で計ることも製品の裁断や縫製も、まるで指先に目がついているように、できるようになったのであります。
28歳になったとき、家の者は私を結婚させようと考え、当時住み込みで働いていたブェルセ嬢に目をつけました。二親もなければ当面の財産もなく、将来相続する見込みの財産もない娘でしたが、商才があり、なかなか働き者のように見えましたので、嫁にしてもよいだろうと判断したのです。

座頭ランジェリー

いかに盲目とはいえ、私は役立たずではありませんでした。(略)反物をたたんだり広げたり、製品を裁断したり縫製したりするうえで、どの程度私が役に立つたかといぶかる向きもおありかと思いますが、私の器用さはつとに知れ渡っており、パリ中の人々が仕事ぶりを見に店に訪れ、感嘆の声をあげたほどでした。一般にこのような類の好奇心が枯渇することはありませんから、来客はあとをたたず、私どもの商売にも少なからず役立ちました。
妻は目が見えるけれど財産がなく、私は見えないけれど財産があり、彼女を経営者として一本立ちさせた。つまるところ、私どもは「破れ鍋に閉じ蓋」だったわけであります。

新参店子が部屋で薪割り、騒音、鉈で天井は傷だらけ、さらには室内でフェンシング、退去勧告に逆ギレ居座りで裁判とかいろいろ。