イラン石油を求めて・その2

前日のつづき。

日章丸船長の淡々とした航海報告

そこで水先案内人を乗船せしめて河口に向かった。海図面では本船の吃水ではとうてい通過できそうに見えないルーカ・チャネル約4カイリを抜け、(砂漠の)泥水で黄泥色に混濁したシャットル・アラブ河を遡航すること約45カイリ、河は羊腸の如く屈曲し、濁流はとうとうとして流れ、その右岸はイラン国、左岸はイラク国で、両岸ともヤシの木々が青々と一面に繁り、その間に現地住民の土造の家が点々と散在し、河岸にベールをすっぽりかぶった婦人や子供がちらほら見えて、異国情緒豊かであった。
アバダンに近くなるにつれて、まず最初に数十本の製油所の煙突がシンキロウの如く浮かび上ってきた。ついで多数の銀色、茶色のタンクが見え、街が肉眼で認められるころには桟橋が見えはじめてきた。

英国51%出資のアングロ・イラニアンに裁判を起こされた出光側の弁護士は勝訴を確信していた。それは「ルーテル・サゴール事件」の国際判例があったから。
1918年革命により製材工場等をソビエト政府に没収された企業家ルーテル。二年後ソ連から木材を購入した英国のサゴールに対してそれは俺のものだと訴えた。

サゴール側ではこれを受けて、国有化法は主権を有する政府の法律であり、その法によって実施された没収行為は有効である、したがってその没収物をソ連政府から購入したことも有効であると主張した。
しかし当時は、イギリス政府はまだソ連政府を承認しておらず、このため第一審判決は原告のルーテル側を勝訴とした。

サゴールはこれを不服として提訴し判決が覆った。判決のポイントは「自主独立の国家が制定した法律については、外国の国内裁判所がその有効、無効を審理することは出来ない」という国際法の原則を踏まえたものだった。
こうして日章丸は二回目のイラン到着。

″国際石油裁判″の勝訴という大きな事実を背景にして、六月七日午後一時にアバダン港に入った第二次航の日章丸を迎えたのは、イランの官民を挙げての熱狂的な歓声であった。
(略)日章丸がルーカ・チャネルをさかのぼりはじめると、大きな白いシーツを旗になぞらえて打ち振るもの、口笛と喚声と拍手がイラン側の河岸にこだまし、アバダン製油所が近くなるにつれ、小蒸汽船がなん隻も日章丸にまつわるように集まってきて、盛んに汽笛、サイレンを鳴らす。
石油桟橋には軍楽隊も演奏の出迎え、空からは超低空で飛ぶ小型機より赤い花、黄色い花がばらまかれる。ゲート付近には鈴なりの人、人。上陸した乗組員には「日本人、英雄」「ジャポン、イデミツ」の声が高まった。さながら日章丸は、経済苦境にあえぐイランにとっての救世主の雄雄しい姿だった

失敗しかけたアメリカ主導のクーデターだが暴動扇動でどうにか成功、王政が復活。出光テヘラン駐在員も騒動に遭遇。

で、次の街角へ行くと、また民衆がたかっていて車を止める。ボンネットにのっかる。それを『どけっ』といって走り出す。そのうちに運転手が要領を覚えて、街角へ来ると『イデミツ、イデミツ』と大声をあげるんです。すると群衆は『おお、そうか』というわけで車を通してくれる。出光の一般大衆に対する信用というのは、あのクーデター騒ぎのなかでも絶対のものでした」
アイゼンハワー大統領の『回顧録』も、このくだりは熱っぽい。
「軍はすべての親モサデクのデモ隊を街頭から駆り立てる一方、反モサデクの暴徒たちをなすがままにさせた。彼らは政府の建物にあばれ込み、モサデク邸を荒らし回って放火した。
ザヘディ将軍はタンクに乗ってテヘランの大通りを地ひびきを立ててかけまわり、イラン放送局の占領を指揮した。当時ローマにいたシャーも帰国するとのうわさが流れていた。
翌日モサデクはパジャマ姿で降伏した。彼は拘禁された。ザヘディ軍はツデー党指導者を一斉検挙し、投獄した。
この危機のあいだ中、アメリカ政府はシャーをもり立てるため、できる限りの手を打った。実際危機の日々、テヘランにいた″現地観察者″からの報告には、歴史的事実というより三文小説のようなドラマがあったくらいである」

結局国有化をはさんで石油の支配権はイギリスからアメリカに移った。日章丸第二次航以来与えられてきた国際価格の半値という特恵待遇も打ち切られることに。
八大石油会社によるコンソーシアムが米政府石油顧問フーバーJr主導で設立されイラン政府と協定を結んだ。出光社員が解読したその内容とは。

このアグリーメントはイランの石油国有化を認めたうえでできたものであるはず。それにしては、所有権の移転だとかの問題になると、どうしてもわけのわからない妙な論理になっている。どう読んでみても理解できない。(略)
[イラン国営石油会社の法律顧問ファド・ルーハニーに教えを請うと]
『実は、われわれはもう負けたんだ。イランの石油の実質は、国有化以前の形に戻っているんだ。われわれとしては、名前だけを取って実を捨てた。これが現状なんです』と言い出した。(略)
イラン側が自由に処分できる原油量は、全生産量の12.5%だけであり、しかも公示価格を守るように義務付けられている。