- 作者: 小谷野敦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/08/26
- メディア: 単行本
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例えば岸田の精神分析をバカにしているくせに、いざ自分の喫煙癖を分析しだすと、「神経症の人がたばこをやめるのは難しい」なんて言葉にあっさり飛びついてみたり、柄谷は認められたから禁煙できただの、ぐだぐだである。小谷野的に書くなら「若い頃は酒と煙草と女をやれば大人になれると思っている頭の悪い奴等をバカにしていたため、未経験なままで歳を重ねてきたが、最近のファナティックな禁煙運動に怒りを感じて、四十を前にあえて喫煙することにした」と書くべきで、そう書けないのは小谷野も頭の悪いバカだったんじゃねえの?
序文では「愚民」どもハリポタ図書館で予約すんなとか書いてたのに、あとがきでは「愚民」とは中途半端な知識で物が見えなくなっている知識人のことで、地道に働く大衆は美しいよねとか言っちゃたりして。それじゃ呉智英に根拠がねえじゃんと言われてる「大衆の原像」と一緒じゃない。いいの?
9.11におけるサヨクの対応で考えを変えたそうだが、結局言ってることは無教養な保守厨房と変わらないのだが。小谷野の誇る知識はどこに生かされているのだ。右も左も知識人という存在がもう意味がないというならそれでもいいけどさ。
最近古典芸能をやってる人の日常にふれたのだが、特別精進せずとも無形文化財としてそれなりの収入は保証され、休みにはパチンコ麻雀、美人の弟子にセクハラ。一般大衆から必要とされていないが、当人達はそれなりに幸せなのである。早いところ大学も縮小して伝統芸能化して進歩や努力など求められることなく人知れぬところで幸せに「すばらしき愚民社会」つくるのがよいのではないでしょうか。まあそのときは小谷野も路頭に迷うわけだけど。