孤独な帝国

孤独な帝国 日本の1920年代―ポール・クローデル外交書簡1921‐27

孤独な帝国 日本の1920年代―ポール・クローデル外交書簡1921‐27

日英同盟廃棄、米での排日移民法可決(1924)、二つのアングロサクソン大国にふられてロンリネスな日本を落とすなら今じゃないと祖国に提案する外交官はカミーユ・クローデルの弟。1922年の日本の全輸出量46%、全輸入量の32%はアメリカが占めていた。そんな時代。
1924/04/23の書簡

それは日本に対するアメリカの経済的、文化的支配の深化です。日本はますます<新世界の大きな共和国>の配下となりつつあります。今やそれ以外の世界との均衡は崩れています。国が買わねばならない主要な消費物資、売らねばならない主要な消費物資の点で、ある国がこれほどまでにひとつの国に依存するとき、その国が政治的な独立を保つのは困難であり、また精神的自主性をもちつづけることもできません。日本には、アメリカの広告が、宗教、習慣、教育、建築が、またアメリカ式の生き方が、徐々に侵人してきています。日本の都市はますます極西*1の都市に似てきています。そして若者たちは、典型的なヤンキーの生き方を外聞もなく真似ています。

排日移民法が可決された時の日本雰囲気
1924/06/04の書簡

日本人の性格の根底にある自尊心、過度の感受性、根にもつ傾向を知っている者にとっては、一般国民や新聞がこの件についてさほど意見を表明することなく、手ひどい仕打ちを受け入れていることは驚くにあたりません。とりわけ怨念が深いのは軍隊です。戦争という言葉が多くの人々の口の端にのぼっています。誰しもが心中、それを考えているのは言うまでもありません。一人の男性はアメリカ大使館の前で、古いしきたりにしたがって切腹しました。しかし、同盟国もなく他国を頼りにできない日本は、ひじょうに無力だと感じているのです。それに誰が絹を買ってくれるのでしょうか。

フランス人による日本の心情解説。逆に言うとフランスの孤立感もなかなかだ。

譲歩の時代は終わったのです。ワシントン会議ののち日本は、協調の道を歩むうえでできるかぎりのことをしました。ウラジオストク山東、漢口、満州北部を放棄し、艦隊の一部を解体し、陸軍の人員を削減しました。にもかかわらず、その代償が、イギリスのシンガポール軍港化計画やワシントンの侮辱だったのです。

日本はアングロサクソンから露骨に除け者にされつづけてきましたから、完全な孤立か、あるいは私たちが日本にもたらしたいと望んでいる友好的で偏見のない協調を受け入れるか、そのいずれかを選択せざるをえません。

我々は日本と協調し、日本にとってたいへん重要なこの満州という地域において日本に大きな手助けをし、フランスもそこに満鉄という重要な機構を有するのです。手助けをする見返りとして、我々は日本から約束をとりつけることができるでしょう。今はその大半がアメリカ一国に集中している発注のうち、かなりの部分をフランスに振り分けるという約束です。

*1:欧州地図では米は極西になる