結局わかりませんでした

自由には必ず責任伴う  山形浩生
https://www.be.asahi.com/20040515/W12/0025.html
この文章のタカトウがオソマツのくだりで何故あないに
シツコクからむ輩が続出するのかわからない。
逆に言えばあの箇所がなくても主張は成立するから
書かずに済ませた方が波風立たなかったのかもしれないが、
いじりたくもなるキャラではあった。
普通に論旨を読み取るとボクの場合は「言うことはわかるが、
じゃあ自衛隊派遣してる方は日本社会のプールを浪費してないのか」
という釈然としない気持ちが湧いてくるのでありまして、
「国を挙げての無責任システム、横行する自己責任論」という
キャッチコピーが書かれた『〈自己責任〉とは何か』
ASIN:4061494031)を借りてみたくもなるのです。
   
1998年の発行時、金融破綻全盛これからは自己責任が求められる
という論調に対して桜井哲夫が怒りの鉄槌のはずが、どうも散漫。
著者もそこは自覚しているらしく、結びで「読者も、やや混乱されている
かもしれませんので」といきなり箇条書きで論点整理。いやーん。
しかも結局言ってるのは、自分の失政棚に上げた権力者の押し付ける
自己責任論なんて聞くことないって。戻ってるやん。
計画経済を呑み込んでいた戦後日本は成功した。アメリカの影が
ちらつく規制緩和はよろしくない。家族は世知辛い世の中の避難所。
市民の強制のない自由な協調で行政さえ振り回す「権力」を。だって。
にゃんだかな。でも話しのタネになりそなネタは色々あったので、
トリビア気分で読むには良いかもしれない。

ここで、大事なことは、ヨーロッパ諸語での「責任」という
言葉の語源が、「ある約束に対する応答、保証」という、
人と人との約束事を意味する言葉だということです。
社会の中での人間関係を互いに規定する意味なのです。
漢字文化圏の「権力者から一方的に重荷を背負わされる」という
語源である「責任」とは、だいぶ異なった語源である