おとこの自虐史観

『「おたく」の精神史』(ISBN:4061497030
岡崎京子の雑文に「ひっ・ばーじん倶楽部」という題名をつけて
「非処女でも、同時に女の子なのだから、失礼だ」と
批難された大塚英志は心ないことをしたと反省するのだが、
おたくの自虐史観なんですよおぉぉ(えーと、冗談ですから)。
別に岡崎が女の子の複雑な気持ちを主張するのは構わないが
何故大塚がスマナンダアと反省しなきゃならんのだろう。
童貞のロリコン編集長が非処女を前にして
「もう負けてるし、いや、そもそも負けてすらないし」といった
鬱屈した気持ちで「ひっ・ばーじん」と付けてるわけで
そういう複雑な童貞心を主張しても構わないはずだが
それすらもできないのは「とてもつらいこと」なのだな。
わかりますかね、繊細で複雑な女性の皆さん。
セックスと「かわいいもの」が少女まんがには共生しているのに
それを「女」と「少女」に分断したのは「大人の男」の勝手な視点だ、
という荷宮和子の主張にこれまた大塚はナットクなのだが、
「男」と「少年」を分断してるのは、誰だあああ。
おとこの自虐史観はもう、まっぴらだあぁぁ(えーと、冗談ですから)。
昨日までは「少年」として自由に出入り出来ていた女性空間から
「男」として無残に拒絶される場面を描いた橋本治の「源氏物語」を
男の源氏物語だと評したバカフェミがいたな。

  • 元禄女大名(1960)

https://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23199/
勝新太郎が悪漢の目を誤魔化すためブラインド按摩のふりをする場面が。
「不知火検校」は同じ1960年製作で、「座頭市物語」は1962年。
中田康子のHPを見たら、永田雅一との愛人関係を熱く語ってました。
こっちが浜口庫之助 で、「飛び出した女大名」の方は中村八大。