ブローティガン、談志

前回の流れでブローティガンの初期未発表作、なんつうかタイトルがええね。

  • なにゆえに無名の詩人たちはいつになっても無名なのか
  • ぼくは眺めていた 世界が苦もなく滑るように通りすぎてゆくのを
  • ヘミングウェイ的世界から来ていた誰か
  • いつもいるんだ、惑わされているやつが
  • もしかしたら、こんなふうにして世界の終わりがくるのかも
  • いうまでもないね、ぼくらはその先ずっと幸福に暮らしはしないさ

中身の方はなかなか引用が難しいので、スルー。代わりに下の詩集から

ボート

悪の森に住む
狼男の
なんと美しかったこと。
ぼくらは彼を
カーニバルに連れていった
そこで彼は
観覧車を見て
泣きはじめた。
電気火花のような
緑と赤の涙が
毛深い彼の頬を
流れおちた。
彼はまるで
暗い水の上の
一雙のボートのように
見えた。

茶店

茶店でぼくが見ているとある男が一切れのパンを出生証明書を折りたたむように折り、死んだ愛人の写真を見るように見ていた。

Listening to Richard Brautigan

Listening to Richard Brautigan

 

(●)´`・)

昭和の東京 記憶のかげから

昭和の東京 記憶のかげから

立川談志を悼む

(略)久里洋二のメガホンで、談志が草加次郎を思わせる爆弾マニアに扮した、モノクロ、サイレントの十六ミリ映画を製作したのは一九六四年だった。(略)
珍しいビデオを見せてもらうべく、しばしば色川武大を訪ねていたが、ビデオは口実で、色川のスケール大きな人柄と、根に潜ませた優しさに憧れていたのだ。兄貴と呼んでいたが、心底畏敬していたほとんど唯一の人だったように思う。
 最後に話したのは二年ほど前、あるパーティの席だったが、
 「威勢のよくない立川談志なんてこれっぽっちの魅力もない」
 と言ってやったら、ちょっぴり照れて、素敵な笑顔を浮かべた。

志ん生伝説

(略)
 酒に関する逸話には事欠かず、ときにあびるようにのんでみせた志ん生だったが、いわゆる酒席、宴席はあまり好きでなかったのではあるまいか。なによりも盃をやったりとったり、他人に気をつかい、落語家らしくお愛想のひとつも言わなければならないのは、気がねだったにちがいない。好きなときに、好きなようにのむのが志ん生流で、ひとり黙然とコップ酒などやるのが、いちばん好みにあっていたようだ。酒は好きだが、わずらわしい酒ならのまないほうがいいとする性根がつねにあって、そのバランスの崩れたことの結果が、数数の酒にまつわる志ん生伝説を生んでいく。
 だから酒豪というのが、大酒をのんでなお泰然としているひとをさすならば、志ん生は酒豪というのとは少しばかしちがっていたような気がする。大方の資料にあらわれた志ん生の酒豪伝説は伝説として、その裏側にある酒のみ特有の心理を忖度すると、大酒をのんだのはこころならずものときが少なくない。だいいちしばしばにわたって酔態をさらしたというのは、このひとがけっして酒に強くなかったことの証でもあって、ただ酒が好きであることをもって大酒のみのレッテルをはられ、当人もそう認じていたように見えたのは、本意にかかわりのない方便の意味あいが強かったようにも思われる。
(略)
盟友桂文楽の逝ったすぐあとで、その文楽志ん生家を訪れた際に置いていったというウィスキーのボトルを、長男の金原亭馬生が持ち出して、「供養だからいっしょにやりましょう」と言うと、突然びっくりするくらいの大声で、
 「俺ものむよッ」
 と志ん生が叫んだ。その「のむよッ」というのが、元気なときの高座そっくりで、久し振りに志ん生を聴いた気分になった。