アーバン・ブルース その2

前回の続き。

B・B・キング・インタビュー

八月のある暑い日の午後(略)ワシントンに二〇万人以上ものアメリカ黒人が集まり、長年にわたって待ち望んでいる自由を要求しているちょうどその時(略)

[B・B・キングの楽屋を訪問]

筆者は頭の中で、二人のキング――説教師とブルースマン――の比較をしはじめていた。(略)

マーティン・ルーサー・キングが演説を長々ともたせ、つよめるため(略)

フレーズを頑固なまでに反復し(略)黒人の目標を長々と列挙することによって、会衆を情動の頂点へ(略)デモにぴったりのクライマックスへ向けて、だんだんと動かし(略)

B・B・キングのほうは(略)何回も繰り返される標準的な一二小節のブルース形式を用い(略)感情の高まりを聴き手に与える

(略)

「さまざまに転がり落ちる旋律や下行音型と組み合わされた、似たような叫び声とクライ」(略)

それは、南部の田舎や都市ゲットーに住む黒人の子どもたちが、ふつうは教会という脈絡で、そらで覚えてしまうパターンであり

(略)

この定石が、タイミング感が確かで、想像力が枯渇することのない、誠実で経験を積んだアーティスト(あるいは聖職者)によって注意深く扱われた場合には、その累積効果は目を見張るものになる。(略)C・L・フランクリン師の説教(略)ジミー・スミスの神業、レイ・チャールズの天才、あるいはジョン・コルトレーンの催眠的な性質

(略)

人びとはB・Bを、友達や恋人、もしくは家族の一員だと思いたがる。

(略)

 B・Bというブルースマンは、時折、人びとに対して説教せずにはいられないのだが、彼の手段はあくまでも親族ふうである。彼は曲の途中で歌うのをやめ、このように言う。


 ちょっとした話をしたいんだ。まず女性のみなさん、あなたが男か亭主か、まあ好きなように呼んでくれていいんだけど、そういう相手を見つけたとしよう。その男は、あなたの望むとおりにふるまってはくれない。でもね、そこで奴を見放しちゃあいけない。一から改めて彼を立派にしてやることは、できないからねえ。奴を傷つけちゃいけないんだ。親切に扱ってやるんだよ。そしてこんどは男たち、聞いてくれ。もし女か奥さんか、まあ好きなように呼んでくれていいんだけど、そういう相手を見つけたとする。そしてその女は、望むとおりにふるまってはくれない。でも、そこで彼女の頭を殴ったりしちゃいけない。そんなことをしたら、彼女はちょっとばかり利口になって、次にはもう、お前さんなんかにつかまってたまるかってことになってしまうよ!もっとな、こう、優しく、とびっきり甘く語りかけて、言ってやるんだ。「今度はもっとうまくやってくれるよなあ」ってさ。(そして再び歌の詞に戻っていく)

 

(略)

 B・B・キングの歩んできた道のり(略)

 一九四九年、当時「ビール・ストリート・ブルース・ボーイ」という名で呼ばれていたライリー・B・キングが、メンフィスでディスク・ジョッキーとしてレコード盤を回すことに見切りをつけ、代わりにレコードの吹き込みをはじめた頃(略)三種類のブルースの聴衆が出現しはじめていた。(略)

一九三〇年代に、レイス・レーベルが廃止されて以来、大人の黒人の聴衆は、ゆっくりと、しかし確実に、規模の縮小をみせていっていた。(略)一つは、レコード業界における競争の激化により、各会社がポップのマーケットを重んじるようになって、限られたファン層にしかうけないアーティストを締め出すようになったことである。そしてもう一つ、黒人たち[の](略)階級意識が強まりつつあり(略)「奴隷制時代からの」「汚い」、「田舎黒人ふうの」「底辺の」、「裏通りの」音楽を自分たちのアイデンティティの核に置くのを、彼らがいやがるようになったことがあげられる。しかしながら、一九四〇年代後半に、ブルース・ルネサンスが三つの場所で同時に起こった。

(略)

ブルースマンは、リズム・アンド・ブルース・アーティストという肩書きで世に出されることになり、彼らのレコード売上げが伸びはじめた。チェス・レコードの元A&Rマンであったラルフ・バスは、この時期に様々なブルース・ショウに同行してアメリカ南部を巡業したが、行く先々でひじょうに多くの若い客がいて(略)ショウを重ねるごとに白人の数が増えたのに気づいたことを覚えている(略)

まもなく、ダンスフロアの一部は、白人ティーンエイジャーへの対応策としてロープで仕切られなければならないほどになった。白人若年層がみせた、ブルースに対するこのような新しい渇望は、すぐに北部や西部にも広まった。こうしてエルヴィス・プレスリーがレコードを出すに至り、その後のロックン・ロールにかんする物語は、ここで改めて記す必要もないだろう。ロックン・ロールの手本となったのは、ワイノニー・ハリスやジョー・ターナーなどのシャウターたちであったが、これら白人と黒人の初期ロックン・ロール歌手たちの多くが、戦後テキサスのブルースの、ブルース歌唱をよりきれいなものにしてゆく動きとでも呼べるであろうものにもまた影響を受けたということは、あまり認識されてはいない。この動きは、Tボーン・ウォーカーや、エイモス・ミルバーン、チャールズ・ブラウン、ローウェル・フルスンらのスタイル形成者たちによって道をつけられた。彼らはより明るい、リラックスしたフィーリングで歌うとともに、サックス・セクションをもち、事前に編曲されたパートを演奏するような、より大きな編成のバンドの形態で活動した。ロックン・ローラーだと自他共に認める者たちが、ティーンエイジャーの要求に合わせるために、この初期ロックン・ロールのスタイルをゆがめたり変形させたりしてゆくいっぽうで、ミシシッピ出身のB・B・キングは、テキサスのバンドあるいはテリトリー・バンドがもつ、よりすっきりしたスタイルを取り入れ、これをさらに洗練させていったのである。

 ロックン・ロールの一過性の熱狂が広がりはじめてからまもなくの頃、白人知識人層、大学生、リベラリスト、目ききの人たちが(略)ブルースを再発見することになる。長いあいだ、半分現役から退いていた者たち(略)が、探し出され、後代のためにレコードを吹き込んだ。(略)

子どもの頃から都市で暮らしてきていた多くのミュージシャンが、自分たちに要求された新しい役割に合わせるためには、カントリー・ブルースの歌い手とか、初期のスタイルの担い手とか、フォーク歌手とかいうレッテルを貼らせるようにすることが便利だと考え、ギターのアンプを使わないようにして、歌詞の口調を少しばかりきれいにしたことは、むしろ皮肉である。サミュエル・チャーターズの著書『ザ・カントリー・ブルース』は、このブルース・リヴァイヴァルの炎に燃料をつぎ足す役割を果たし、そして今日なお、その炎はつよく燃え続けている。

 三番目の新しい聴衆は、ヨーロッパのブルース・ファンである。(略)[二番目に紹介した聴衆より]嗜好がきわめて幅広いという長所が付け加わっている(略)

シェイキー・ジェイク、サニー・ボーイ・ウィリアムスン、リトル・ブラザー・モンゴメリー、ロニー・ジョンスンが、海外では熱狂的に受容されることになる。

(略)

ジョン・リー・フッカーの場合、ひと月の間に、まずデトロイトのあちこちの酒場や他の演奏場所に出演(略)ニューヨークの「フォーク」・ナイトクラブに移動し(略)大学生たちを楽しませ(略)その後、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルか、ヨーロッパのツアーに出かけてゆく(略)ツアーの合間を縫って、彼の大ヒット曲《ブーン・ブーン》のような、ティーンエイジャーのあいだでロックン・ロールものとしてヒットする歌をときどきレコーディングしたりもする。

(略)

B・B・キングはどうかといえば、驚くことに、彼はこれまでヨーロッパに演奏旅行に出かけたこともなければ、大学でのコンサートもおこなったことがないし、またフォーク・クラブに顔を出したこともない。彼は、ジャズ・フェスティヴァルのステージに立ったこともないし(略)ポップ・マーケットあるいはテーンエイジ・マーケットで売れようと努力したこともない。言いかえれば、彼はいまだに、これまでずっと彼の聴衆であり続けてきた(略)ブルースがどんなものであるかということを良く知っている人たちに向けて歌っているのである。さらに彼は、レイ・チャールズやボビー・ブランドとは違って、ゴスペルの和音進行や、その他の教会音楽的な効果を使うことによって、この聴衆を拡大しようと試みたこともない。

(略)

 B・B・キングアメリカで、幅広い、大人の、全国規模の、そしてほとんど全てが黒人の聴衆をもっている、ただ一人の根っからのブルース歌手だ、ということである。もしも、「独特な」「純粋な」「正統的な」といった形容が、こんにち存命であるブルース歌手に適用されるなら、それらの語は確実に、B・B・キングに適用されるといえる。

 狭くてぎゅうぎゅう詰めの楽屋に案内され(略)

キングはその日の午後遅くまで、ブルースと、それに関連した話題について語り合った。話はいつも、およそ三分に一回の割合で中断された(略)

メンフィスにいた頃の古い女友達の妹が、挨拶のために立ち寄る。同郷の五、六人のファンや身うちが、(略)ジーン・チャンドラーやチャック・ジャクスン、ディスク・ジョッキーのパーヴィス・スパンやE・ロドニー・ジョーンズ、そしてその他のバンド仲間たち(略)

剃刀やラジオを貸してくれと頼む者もいる。アンプをいつ、どこで、どのように据え付ければよいかを尋ねにくる者もいる。氷や紙コップ、コカ・コーラを取りにくる者もいる。(略)

途絶えることのない流れのように、人々が「やってくる」(略)

B・B自身の見積もりによると、彼は六日前にシカゴに到着してから、合計で一二時間足らずの睡眠しかとっていないのである。

(略)

B (略)この商売は、どんな人であれ鼻であしらうようなことをしては駄目ですからねえ。特に、しばらく故郷へ帰ってない時なんかは、みんなが挨拶しにやってきますしね。友達に背を向けるようなことをしたら、たちまち、あいつは冷たい奴だ、なんていう噂が広がってしまいますよ。(略)

自分の音楽を愛し、自分を慕って、挨拶に来てくれるんですから(略)疲れ切っていて、小一時間眠れば回復できる、というようなとき以外は、僕の楽屋のドアはいつも開けっ放しにしてあるんです。

K(筆者) そんな少しの睡眠時間で、よくやっていけますね。

B 自分でも不思議なくらいでね。ショウの合間や、バスの中で暇をみつけては一、二時間くらい寝るようにしてます。

(略)

K (略)以前は、大物のブルース歌手といえば女性だと相場が決まっていて――ベッシー・スミスと(略)マ・レイニーとかアルバータ・ハンターとか――、なのになぜ、今は全員男性なのでしょうかね?

B これは難問ですねえ。どう答えたらいいのかな……。(略)

僕が思うには、クワイアで歌っている女性で、何か特徴のある声を出せるようなひとなら、ブルースの世界に入らなくても、ポップ・シンガーとして歌ったり、一流のクラブで歌ったりしてもっと稼ぐことができますよ。なんなら自分のことをジャズ・シンガーだとふれこんだっていいんだし。言ってみれば経済学の問題かな。そういう声の女性だったら、ブルース以外の畑のほうがずっと金になるんです。というのは、ブルース歌手は、大きなクラブからは締め出されてますから。あのレイ・チャールズでさえ、一流のクラブとかラス・ヴェガス、それからホテルとかで歌ってるナット・キング・コールの稼ぎには、とうてい及びませんよ。

K それはなぜなんですか?レイ・チャールズのレコードのほうが、ずっと売れているじゃないですか。

B そうだけど、レイはずっと、ロックン・ロール歌手というレッテルをはられたままですからね。

(略)

僕は、ブルース歌手と呼ばれるよりは、単に歌手と呼ばれるか、あるいはミュージシャンとか、アーティストとか呼ばれたいんです。そして、シナトラがシナトラのスタイルで尊敬されているように、僕も僕自身のスタイルで、同じ類の尊敬をうけたいんですよ。僕がジャズ・クラブに出かけていったりすると、ときどき、司会者が言うんです。「今夜は、あの有名なブルース歌手、B・B・キングがお客さんの中にいます」ってね。彼が「ブルース」と言うそのときの口調が、いかにも「汚ない nasty」って感じなんですよねえ。(略)「ブルース」というときの口調がちゃんとしてさえいれば、ブルース歌手と呼ばれることを気にしたりしません。だけど、かなり多くの人は、「ブルース歌手」ということばを口にする時には、どこかのドブ板で飲んだくれて呻いている無学のアル中のことを思い描いてますよねえ。もしもブルースマンが真面目な生活をして、ちゃんといろいろ勉強したら――僕の言ってるのは、音楽の勉強のことですけど――、みんなの尊敬を得られると思うんです。サニーやフロイドみたいに、自分のやりたいことを守り通して、根気よく続けていけば、尊敬されると思いますよ。

(略)

K ルー・ロウルズについてはどう思いますか?彼はブルースも歌うし、ジャズ・プレイヤーとしても尊敬を集めてますよね。

B う~ん……分かりませんねえ。僕は、自分自身に対してもですが、誰に対しても、ちょっとばかり厳しいんだと思います。最近聴くレコードの多くは、自分のも含めてですが、そんなに感動しないんですよ。彼に関しては、聴きこんでいるとはいえないんですが、聴いたかぎりでは《スターダスト》があまりにも速いテンポで歌われてるのを聴くのと同じような感じをうけたんです。言ってること、分かります?僕から見ると、彼はちょっといじくりすぎるような感じなんです。まあ、こんなふうに意見を言う前に、もっと彼の音楽を聴いてみたいと思います。

(略)

K (略)あなたはどうやって自分のスタイルを確立していったのですか?(略)レイ・チャールズナット・キング・コールの真似から始めたようにです。(略)

ボビー・ブランドにインタヴューした時は、彼はあなたのコピーをしすぎて声がガラガラになり、そこから今の彼独自のサウンドを見つけたと言っていましたよ。あなたが最初にコピーしたのは、誰なのでしょうか?

B 昔はドクター・クレイトンを崇拝してました。彼のやることをそっくり真似ては、何時間も歌ったものでした。スピリチュアルのアーティストとしては、サミー・マックレアリーですね。フェアフィールド・フォーのサミュエル・H・マックレアリーのことです。(略)それから、ブラインド・レモン・ジェファスンもそうですね。叔母の蓄音機で、よく彼の歌を聴いたものです。彼の歌い方は、本当に好きでした。この三人がみんな同じくらい、僕のスタイルをつくっていますけど、でも僕は、自分がこれまで、このうちの誰か一人を真似しているふうだったことはないと思っています。彼ら三人の影響の混じり合いプラス僕自身のもの、それ以上でしょうね。

K 影響を受けたのは、この三人だけですか?

B 好きな歌手だったら、いくらでも挙げることができますよ。(略)リロイ・カーもそうだし、バンブル・ビー・スリム、ジーン・オートリー、ジミー・ロジャース、ピーティー・ホウィートストロウ、それからトミー・マクレナン、タンパ・レッド、あとはロニー・ジョンスンもです。(略)さっき挙げた三人は、最初に僕が真似したいと思ったアーティストだったんです。

K ギター演奏についてはどうですか?(略)

B Tボーン(ウォーカー)と、エルモア・ジェイムズ、それからフランスのジャンゴ・ラインハルトですね。この三つを一つに結びつけたのが、僕のギター演奏の基礎です。あと、チャーリー・クリスチャンの影響もちょっとありますね。彼のことはとても好きですが、わざわざコピーするには至りませんでした。

K ジャンゴをはじめて聴いたのは、いつごろですか?

B (略)彼の最後のレコードで――たぶん亡くなる直前のだと思いますが――、ジャンゴはアメリカのスタイルのリズム・セクション、これが全員フランス人なのにまるっきりアメリカの音にきこえるんですが、それをバックにエレキ・ギターを弾いているんですよ。で、ジャンゴのやってることが、じつにみごとでね。

K (略)あなたがこれだけ多くの人からコピーされているという事実については、どう思っていますか?(略)迷惑なんでしょうか?

B ああ、リトル・B・BとかB・B・キング・ジュニアとか名乗ってあちこちに出没している人が、少なくとも四人はいますよ。(略)もし、僕の名前が彼らがスタートをきるのに役立つというなら、目くじらたてて反対しようとは思いません。そこからはやく抜けだしてほしいと思うだけですね。それにしても、コピーされるっていうのはいい気分ですよ。このしごとを続けてきた一四年間は無駄ではなかったんだな、と思わせてくれますからね。誰かに影響を与えるというのは、幸せなことだし、同時にうかうかしてはいられない気持ちにもなります。僕は常に、彼らよりちょっとは前に出ていなくてはなりません。(略)

昔と同じことを無難にやっているブルースマン達も何人かいます。でも僕は自分の演奏のやりかたを、つねに向上させ、いいものにしていって、ステージに上がるたびに、自分の演奏について、なにかちがったことを出せればと思ってるんです。

(略)

バンドの奴らがよく言ったものです。「B、ただ歌うだけでいい。そうすればうまくやれるさ。いまの自分の歌い方と弾き方でやればいいんだ。何も心配しなくていいぞ」。で、僕は決まってこう答えてました。「よし、分かった」って。だけど(略)

ほんもののギター弾きがいて、彼が僕の心を変えたんです。その男はバーニー・ケッセルといったんですが、僕は自分が恥ずかしくていたたまれなくなりましたよ。それをきっかけに、また勉強したくなりました。一生懸命勉強して、一人の人間として、一人のミュージシャンとして、自分を高めたくなったんです。

(略)

DJの仕事について以来ずっと、僕は教育が足りないことを痛感して、学校をやめたことを後悔してきました。それからは、あちこちの通信教育を受けて今も続けてますし、暇をみつけては本を読んでますし、パイロットの資格の勉強もやってるんです。(略)

ブルース歌手っていうのは、みんなに馬鹿だと思われてますけど、僕はそういう考えを彼らの頭の中から追っ払って、ものごとをきちんとしたいんです。ひとがブルースを卑しめているのを耳にすると、本当にまいってしまいます。ブルースは、僕たちにとって大きなもの――誇るべきものですよ。中には、ブルースを聴くことで自分の品格を卑しくするのはいやだ(略)考える人もいます。そういう人たちは、まわりのひとがなんていうかがこわいんですよ(略)中には、自分より上の階層のひとたちをあからさまに真似しようとする人たちもいますが、彼らも、ブルースを聴こうとはしない部類ですね。(略)僕が歌いに出て全力投球でやってるのに、みんなただじっと座って頬杖をついて宙をみつめているだけ(略)そういうことがあると(略)泣くんです。ほんとです――ほんとに泣きますよ。僕の音楽を好きになってくれるはずの人たちが、僕の音楽を嫌っているのを見ると、気もちがとても乱れるんです。

K あなたは、聴衆をどのようにして盛り上げていくのですか?(略)特別な仕掛けとかテクニックとかがあるのですか?

(略)

B (略)催眠術のようなもんです。催眠術にかけられる本人がそんなものにかかるもんかと思ったら、たとえフーディーニでもその相手を眠らせることなどできないでしょう。

(略)

僕はたいてい、始めの方で一曲また一曲と盛り上げていって、最後にクライマックスをもってくるようにしています。でも場合によっては、反応がかえってくるとわかっている特定の箇所で、聴衆を一気に盛り上げようとすることもあります(略)

そういうふうにやる曲の一つでは、途中に「おれはおまえに七人の子どもを産ませた  それをいまになっておれに引き取らせようとしてる」という箇所があります。ここのところを、ほんとに力を込めてやるんですが、そうすると必ずすごい反応がかえってきますよ。

(略)

K ブルースの他には、どんな音楽が好きですか?

B (略)何でも聴くべきです。家にあるレコードのコレクションは一万五千枚くらいで、シリンダー・レコードもありますし、古い歌手の七八回転レコードも多いですよ。ブルースのほかにもたくさんあって、どんな音楽でもほんの少しずつ揃ってるって感じですかね。僕はスペイン音楽が好きだし、日本の、ギターみたいな音のする楽器には、とっても衝撃をうけました。

K それはきっと、琴の音楽のことじゃないでしょうか。

B (略)可動式のひと揃いの駒がついていて、同時に複数の弦で同じ音を弾いたり、ゆっくり弾いたり激しく弾いたりするんです。はじめはただ何となく聴いていたんですが、二、三回と聴くうちに心に響いてきました。あれには正真正銘のソウルがありますね。

K 将来、なにか特に計画していることはありますか?

B (略)商業的な方向に進もうとは思わない、というのが答です。僕は、シリンガーの教則本を読んで、アレンジの勉強をしているところです。どうしてかというと、僕の理想のバンドは、僕のギターを響きわたらせてくれるようなバンドなんです――レイ(・チャールズ)のバンドが、レイのピアノの音を引き立たせているようにね。(略)

僕は、僕のギターと僕の声の次にくる三番目のパートを、ほんとうの意味で付け加えて、すべてがぴったりとおさまるようなものにするまでは、アーティストという感じを心からもつことはできないんです――いけるところまでいく、ということですが。これは、僕にしかできないことだと思うんです。なぜならほかの誰も、僕ではないんですから。

 

(略)

 筆者が最後にB・B・キングに会った時(略)彼はその日の朝取得したばかりのパイロットの資格証明書を誇らしげに指さして、言った。「もう、一人でも飛べますよ」。一人の女性が訪ねてきて――友達の友達の友達だということだ――、バンドの次の巡業先であるロサンジェルスまでバスに乗せていってくれとB・Bに頼み込んだ。(略)すでに定員オーバーであるにもかかわらず、彼女の願いにおとなしく従った。

(略)

彼は、いまだに、人びとのB・B、また人びとのためのB・Bであり続けている。

(略)

数か月前、彼はABCパラマウント・レコードと契約を交わした(略)ジャケットに記されている解説から判断すると、パラマウント社は、レイ・チャールズと同じようなやりかたで、B・Bが今後数年間でいっそう広範な聴衆を獲得することを期待しているようである。

(略)

彼は二つの小さなレコード会社の株の一部を所有しており、テネシーには農場を持ち、そこに小さなモーテルを建てることを望んでいる。巡業に出る日々が終わった暁には、彼は自分でナイトクラブを経営し、小規模ながら何らかのプロモーション活動を行い、地方局で昔のようにレコードを回し、同時にモーテルと、ガソリンスタンドも経営するように思える(略)

ボビー・ブルー・ブランド

 ボビー・ブルー・ブランドは、ファン(大半は女性)から「可愛い大男」、「愛すべき不精者」、「ハンサムな荒くれ男」など、いろいろな愛称で呼ばれ(略)

アルバムの解説には、次のようにある。「ボビーは、物静かでおおらかで謙虚な青年であり、趣味は映画鑑賞と野球観戦である。彼はまた、心をうつゴスペル・ミュージックの熱烈な崇拝者でもあり(略)女の子に囲まれるとはにかみ屋である」。

(略)

ボビー・ブランドの背景には、黒幕として彼を操るジョー・スコットと、ビジネス・マネージャーのジョン・グリーンがいる。ボビーの前に出てくるのが、分身でアルターエゴのアル・"T・N・T"・ブラッグスと、パブリシティ担当のブラザー・デイヴ・クラークである。

 ジョー・スコットは(略)全ての曲を編曲し、またいくつかの曲にかんしてはボビーのヴォーカルを補完するみごとなトランペットを奏してもいる。ある部内者の話によれば、ボビー・ブランドなる人物はジョー・スコットがつくりあげたものであるという。

(略)

ブラッグスは痩身で、神経質で、たえず歌ったり演じたりしている。(略)

ボビーのサウンドとフレージングを真似ながら、歌詞を口ずさむ。その真似はそっくり(略)

流行りのダンス(モンキー、ツイスト、フリー、あるいはどんなダンスであれ)をこなす。(略)精力的に踊るさまは、まるで機械人形のようである。

(略)

バンドが最初のツイスト曲をやりはじめると、カップルがフロアに出てくる。(略)

曲が進むにつれ、いっそう多くの客が(略)フロアに出てくる。(略)

 バンドが小休止し、MC――たいてい地元のディスク・ジョッキー――が登場する。彼はマイクに向かって、「みんなハッピーかい?」といった類の問いかけを大声で叫ぶ。聴衆はそのたびに、長い「イェー」で答える。MCがさまざまな形容詞を並べたててアル・ブラッグスを紹介すると、ブラッグスが、軽やかなスキップでステージの中央に登場し、MCと抱き合い、手を打ち合わせ、そしてすぐさまブラッグスのいつものやりくちに突入してゆく。たいてい、彼の一曲目はテンポの速い、活気にあふれた、コール・アンド・レスポンスを基軸にした曲である。(略)

「さあ、バンドがマジに吹きはじめたぞ。カモン、エヴリバディ、レッツ・ゴー」とか、「バンドが演りはじめたら、みんなヘイ・イェイって叫ぶんだ」「フリーを踊ろう、俺とぴったり一緒にできるかい?」(略)

(略)

フリー(蚤)というダンスでは(略)彼の身体のいたるところを、狂ったように掻いてみせ、すると聴衆は、もっとやれとばかりに叫び声をあげる。モンキーというダンスでは、彼が椰子の木を見立ててそれによじ登る動作をしたり、キングコングの真似をしたり、バナナの皮をむく動作をしたりする(略)それを合図にステージちかくのカップルが、彼といっしょにモンキーを踊り出す。ドッグというダンスでは、彼が交尾中の犬の真似をする。すると、聴衆は大笑いし、バンド・メンバーの何人かは見ていられないといった様子で眼を覆うといった具合である。状況によっては、彼は、聴衆のなかから二、三人の女性をステージに上げて、いっしょに踊るように誘うこともある。さいごに彼が、ツイストの彼独自の変形版をいくつか踊って、曲は終わる。

(略)

若い娘たちに向かって「こんなふうに歩いて、彼氏を喜ばせてやりな」と言い、大げさに腰を前に突き出したり、ゆっくり回したりしながら歩いてみせる。すると娘たちはきゃあきゃあと歓声をあげる。とつぜんバンドが演奏をやめ、ブラッグスが、バプティストの説教師と競売人とが相半ばした調子で言う。「具がいっぱいのホットドッグはいかがかな」。「イェー」と聴衆。「だったら、ここにあるぜ(テナー・サックス奏者を指さしながら)。ケチャップとたまねぎをたっぷりはさんだ、でっかいハンバーガーはいかがかな?ほら、ここにあるぜ(ギタリストを指さして)。(略)

トロンボーン奏者(略)ソロをやるかわりに楽器を股にはさみ、スライドをまさに性行為を感じさせるようなやりかたで動かしてみせる。

(略)

 たいていブラッグスは、ジェイムズ・ブラウンやリトル・リチャードがよくやるようなおきまりのクライの手口をつかって、歌の休止部や振り付けがとまる箇所のすべてを長引かせることによって、ショウでの自分のうけもち部分を締めくくる。

(略)

まず絶叫する。うなる。マイクを引きずりながら、腹ばいになってステージをリズムに合わせて這いまわる。マイクのコードの下をくぐったり、飛び越えたり、体にからめたりする。仰向けになって足を上げ、ばたばたする。(略)ステージの縁から半分身をのりだして、最前列の観客と握手する。洗練されていないダンス・ステップをいくつか踏みはじめたかと思うと、リンボーダンスをする。(略)体をぴくぴくさせたりシャウトしたりしたまま、だんだんと巧みに自分を操っていって、ほんのまたたく間にステージから消える。大喝采がわきおこり、MCが登場して言う。「みなさん、アル・ブラッグスでした」。ブラッグスがカーテンコールに応えて、やはり体をくねくね動かしながら登場する。そしてふたたび、たえず体を動かしながらステージから消えていくのである。

(略)

 ボビー・ブランドの登場(略)大きな音のドラムのリム・ショット。サックス陣が和音を奏で、トランペットがファンファーレを奏する。そしてMCが言う。「みなさん、いよいよあの男の登場です(トランペットのファンファーレ)。そう、あの・お・と・こ・のことです(ファンファーレ)。すばらしくて(バンド全体で和音を保つ)、誰もかなわない(和音)、精力的な、ボビー(バンドはいったん鳴らすのを止め、聴衆から絶叫や歓呼がおこる)、ボビー・ブランド!」

(略)

ブランドがゆったりとステージに歩み出る。仕立てのよい白いスーツが、ブラッグスの黒いぴったりした服装と対照的である。彼はマイクを手に、ゆっくりと歩き回る。何か物思いにふけっているようなしぐさをするが、それは(略)女のことであろう。

(略)

まずオープニング曲を、ゆったりと状況を分析するような詞のものではじめ、二曲目はがらっと変わって、熱く助けを求める曲を演ることが多い。最初の曲を歌っているあいだ、彼は聴衆に向かって「そこに、俺が歌うことの証をたててくれる奴はいるかい?」と語りかける。聴衆はいつも、教会でよく使われるのと同じフレーズを口々に言いながら、肯定的に応答する。「ありのままを話せばいい」、「主よ、お恵みを」、「大丈夫だ、ブラザー」というふうにである。そして今度は彼は、同じ種類の懇願を(略)歌う。

(略)

ああ、だれか そう、だれか

どうかおれが狂ってしまう前に

だれか

おれに救いの手をさしのべてくれないか

(略)

二曲目以降、ブランドはいろいろなやりかたで、プログラムの曲目に変化をつけてゆく。(略)四つのはっきり区別されるジャンルから、曲を選んでおりまぜていくのである。すなわち、賞賛の歌、ごきげんな気分を歌った歌、復讐や絶望の歌、「おれにまかせろ」的な内容の歌、の四つである。

(略)

 ステージの上でのボビーは、自分が頼りがいのある男であることを強調し、それからブランド・ドールズを呼んで、一、二曲ほど手助けしてもらう。体の線が出るくらいぴったりとしたドレスに身を包んだ三人の女の子が、きどった歩き方で登場し(略)男性の目をも楽しませるのである。ブランドとドールズがいっしょに歌う曲でもっとも有名なのは、《誘惑に負けるな》である(略)扱われているのは、夫婦間の結びつきの不安定さである。《誘惑に負けるな》は教会音楽であり(略)ボビーは説教師の役を演じ、ドールズがクワイアを表わし、聴衆は礼拝に出席した会衆というわけである。(略)

旅まわりをするブルース歌手は、誰もが一年の大半を妻や恋人から離れてすごす。彼女は彼がいないときも、誠実でいられるだろうか?そしてまた、彼は、街から街へと旅するあいだに出会う多くの女性崇拝者の誘惑に屈することなくもちこたえられるのか?

(略)

負けちゃいけない

誘惑に

(略)

わかるかい(ウーー[女性コーラス])

強い心をもつんだぞ(ウーー)

他の男なんか相手にするな(ウーー)

いつか晴れた日に(ウーー)

ああ、おまえのところに戻るから(ウーー)

(略)

 ボビーは、どこか高みから見おろすのではなく、対等な位置にある者の感情移入という観点から、「教化」と説教をおこなっている。(略)この歌には、これまでは関係が何度も壊れてきたがこんどはそうならないように、という懇願や要望、さらには希望や祈りさえも、こめられている。ブランドが最後に繰り返す「教えてほしい」や「知りたいんだ」のシャウトには、抑えようのない絶望の感情がふくまれている。

(略)

ボビーはショウを、黒人生活の一週間の移りゆきをつづった二曲で締めくくる。(略)

ストーミー・マンディ》と《恋とはそんなもの》

(略)

月曜日は荒れる日だと人が言う
だけど火曜日もひどいまま
(略)

金曜日には鷲が舞う
土曜になったら遊びに出かける
(略)

 アル・ブラッグスとブランド・ドールズが、ショウの終わりの部分で再び登場すると、この団結はさらに強められる。

(略)

《恋とはそんなもの》の歌詞は《ストーミー・マンディ》とよく似ているので、一公演で、そのクライマックスとして二曲がともに使われることはあまりない。たいてい、どちらか一方を歌って、ショウは幕をおろす。

 

素敵な月曜日
残酷な火曜日
すごーくハッピーな日があっても
次の日には涙にくれる
(略)

いつだって万事そんなもの
恋だってそんなもの
(略)

バンド演奏中に、ブランド・ドールズのうちの二人とアル・ブラッグスが、ステージの袖から小刻みにダンス・ステップを踏みながら入場する。彼らはダンスをしながら、マイクを囲む。彼らは、ブランドが詞の一行一行を歌い終えるごとに、「そんなもの!」とシャウトしては、思い思いの向きにくるりと弧を描くステップをふむ。

(略)

ブランドは歌い続ける。「近づいてるぞ」、「その調子だ」、「立ち止まるんじゃない、ベイビー」、「すばらしいぞ」。その度に女性コーラスが、「そんなもの!」という合いの手を入れていく。最終的には、ブラッグスは手を伸ばし、目標を達成し、力尽きてボビーの両腕のなかに倒れこみ、それとともに幕は下りる。ブランドは歌いつづける。

(略)

ブルースと説教の狭間

 ブルースと説教の役割のあいだの相互関係を示す証拠はたくさんある。いく人かの非常に有名な盲目のストリート歌手、たとえば故ブラインド・ウィリー・ジョンスンや、現在人気のある(略)ゲイリー・デイヴィス師は、スタイルの点からしばしばブルースマンとして分類されるが、彼らは機会が与えられたならいつでもすすんで説教してきたし、いまだにその宗教歌によってもっともよく知られている。ビッグ・ビル・ブルーンジーは若い頃、ある週はブルースマンとして稼ぎ、次の週は説教するという暮らしをしていたために、父親から「塀の上にまたがるのは(どっちつかずは)よせ」と強く言われたという。「自分らしくあればいい」と父親が言うので、息子はこの塀のブルース側のほうで、よりたやすく現金と興奮が得られるとみて、説教を行わないことに決めたのだった。いっぽうジョージア・トムは、重病から奇跡的に回復したのち、将来を嘱望されていたブルースのしごとをあきらめてゴスペル音楽の普及に身を捧げるようになった。

(略)

J・B・ルノアが言うには(略)彼の父と兄は、「昔はブルースだけを演奏していた」が、今ではもっぱら説教と教会の仕事に携わっているそうである。J・B自身もすさんだ世界を捨てて、「主につき従う」ことになったが、時折チェス・レコードで曲をレコーディングすることで、腕が鈍らないようにしている。

(略)

リトル・リチャードは最初の有名なクライ・シンガーの一人であり、その先駆的な曲は巨額の富を彼にもたらした。彼もまたステージを捨てて宗教的指導者となったが、自身が予期していたほどには成功しなかった。スピリチュアルを吹き込みはしたもののあまり売れず、実際に教会を建てる前に資産を使い果たしてしまった。そこで彼は、エンターテインメントの世界に返り咲こうとしたのである。ブルースマンたちとブルース愛好者一般の共通了解によれば、いったん信仰に復帰したエンターテイナーは、そこにとどまるべきだとされる。ある有名なブルース歌手が言うには、「もし金がありさえしたら、彼は気持ちのいい小さな教会とレクリエーション・センターを建てなきゃならなかったし、じっさいそうしていただろうさ。もっとも大学で教育を受けた牧師たちがやってきて、彼らといっしょに、ということだったろうけどね。最近じゃ、店頭教会のほかは、つくるのが難しいからね」。

 同様に、リトル・ジュニア・パーカーは、ブルースから説教への転向について次のように語っている。「なんでみんながブルースを歌うのをやめちまうか、おれは知ってる。良心に苦しむってことなんだ。でも、なんでもう一回歌いはじめるのかは、おれにはわからないな。おれ自身は、あと八年のうちに、人気があろうとなかろうと、神さまに感謝の念を表し、奉仕するために身を捧げることを誓ったんだ。だって神さまのおかげで、他のみんながおれのことを分かってくれるようになったんだからね」。ブルースの役割から説教師の立場への移行は、そういうわけで、ふつう一度しか行われないのである。

(略)

ブルースやリズム・アンド・ブルースの分野では、すぐに裕福になることができる。(略)とは言っても、経済的見返りがもはやブルースを歌うのに費やされる莫大な時間やエネルギーに見合わなくなるときが、必ず訪れる。そして(たぶん)今より少ないがより安定している献金皿の収入が、非常に魅力的に見えてくる。ブルースマンのうちの何人かは、放蕩生活にこだわり――「おれは、今おれが生きているこの生活が好きだし、おれの好きな生活を生きているんだよ」と――飲酒か、ちょっとした暴力、あるいは年齢からくる衰えによって自らの音楽活動歴が終わりを迎えるまで、そうした生活を続ける。しかしほとんどの者は、経済的な理由と同様、しばしば家族のために信仰に復帰して、身を落ち着け、何らかの種類の日々のしごとを行う。

(略)
こんにちのアーバン・ブルースの奏者が、利益を得るために、また多くの愛好者をつなぎとめておくために、遠くへ、速く、そして絶えず旅をしなくてはならない

(略)

 過去三年間、B・B・キングのドラマーをつとめたサニー・フリーマンによれば、通常のツアーは東から西へ、西から東へと交互に行われ、そこに各旅行の大部分を成す南部での一夜興行の連続が付け加わる。時折シカゴ区域に顔を出したり、三大劇場――ワシントンのハワード・シアター、ニューヨークのアポロ・シアター、シカゴのリーガル・シアター――で一週間公演することを除けば、バンドのほとんどの時間は巡業に費やされ、その半分を南部で過ごすことになる。南部が、基礎になる生計[パン]を与えてくれ、大都会のクラブ、ボール・ルーム、劇場での出演が、上乗せ[バター]をつけ加えるのである。

(略)

[ブルースマンに]よく見られるやりかたは、帰る一日か二日前に電話をすることであって、それによって厄介なできごとは避けられることになる。「そう、おれはいつだって真っ先に電話を入れるよ。ジョニー(仮名)は女房がよろしくやってるところに出くわしちまって、そのごたごたはまだすっきりしてないんだ。(略)数カ月も家を空けてるのに、いきなり現れて何もかも落ち着いてることを期待するなんて、どだい無理な話さ」

(略)

[平均的なブルースファンに質問]

インタヴュアー「B・B・キングやボビー・ブルー・ブランドに関しては、とりわけ何が気に入っているのですか?」ファン「彼らはメロウなんだよ、なあ。あのきたならしい田舎酒場ふうの音楽の中身を、ぜんぜん持ってないんだよな」。インタヴュアー「『メロウ』というのは、どういう意味ですか?」ファン「そうだね、B・Bはブルースをきれいにした。あかぬけさせたのさ。だから耳に心地いいし、無理がない――
ハープもモーン[うめき声]も、そういうくだらないものは、何もない。あの男たちは、ブルースを、いまふうに仕立て上げたんだ――モダンにしたのさ」。

(略)

ソウル-ソウルがない、クリーン-ダーティーの二分法を越えて先へ進むよう強要されたとき、ミュージシャンたちはしばしば(略)商業主義を指摘するであろう。チャック・ベリーファッツ・ドミノ、ボー・ディドリーのような歌手は、ブルース歌手と呼ぶことはできるが、まずは実にショウマンであって、ついでブルースマンであるとみなされる。彼らの魅力は主に、新しい歌、覚えやすい歌詞、視覚的な訴えかけに基づいている。

(略)

 ファンたちとミュージシャンたちは一様に、サム・クックやブルック・ベントン、チャック・ジャクスンといった、ブルースのフィーリングとゴスペルのフィーリングをもって歌いはするが滅多にブルースバンドを伴わない男性たちを、どこに位置づけたらよいか判断するのは難しい、といつも思っている。(略)

 じっさい、これらの「区分」すべては不正確であり、相対的であり、しかも含蓄的である。(略)

もしサム・クックがクリーンならば、B・B・キングはダーティーかもしれない。キングがモダンとみなされるならば、ハウリン・ウルフは古かろう。そしてウルフが「エレキを使った、力強い、新式の」ブルースの鑑とされるならば、郷里にいるいとこの某は、じつにダーティーに歌うことになる。

(略)

「ソウル」はある面では、民族的な本質、純粋さ、誠実さ、確信、信頼性、そしてただただ地道な努力、といったものの混ざり合いとして定義できるだろう。

(略)

 多くの黒人たちにとって、人生とは一つの長い供儀的な儀礼である。ブルース・アーティストは自らの物語をかたることで、彼自身の経験だけではなく、彼の聴き手の経験をも結晶化させ、総合する。あるブルースマンが他のブルースマンよりも良い、というとき、それは、彼がかたる物語そのものよりも、物語がかたられる際の強さと説得力、そして継ぎ合わされた経験の断片によっている。リーダー的存在の連中(レイ・チャールズB・B・キング、ボビー・ブルー・ブランド、ジュニア・パーカー)や、もっと年長の「野郎たち」(マディ・ウォーターズジョン・リー・フッカー、ライトニン・ホプキンズ)は、身ぶりの上での、つまり演劇性をもった演出を、肝心のところで、しかし微妙に用いて、自らの素材を直接的に届かせる。

(略)

ソウルと団結

誰でもいいからブルースマンやファンに、ブルースとはいったい何のことなのかと尋ねてみるなら、その答えはほとんどいつでも「ソウル」という言葉を軸にしてその周りをめぐっている。

(略)

 ソウルというイデオロギーは、アイデンティティと団結の要求を満足させるものである。たとえば、リトル・ジュニア・パーカーへの質問を紹介しよう。「あなたの歌を聴く聴衆は、あなたに何を期待しているのでしょう?」答、「自分のありのままの姿を期待しているんだよ」。問、「バンドがダンスのために演奏しているときには、誰もあまり踊らないのに、あなたがステージに現われるとみんなフロアに出てくるのはどうしてなんでしょうか?」答、「ブルースは誰かの人生に基づいてる。それが心をうって、愛が出てくるんだ。最近恋したこととか、一緒に住んでる娘のこととか、かつて経験したいざこざとかを思い出す。それで、誰でもいいから、同じ場所にいる人を身近に感じたくて、だから踊るんだ」。

(略)

多くの人びとは、ジュニア・パーカーがボビー・ブランドと一緒にパッケージ・ショウのツアーをするのをやめ、彼自身の道をすすみはじめたすぐあとで、ブランドが《馬鹿はかわいそう》という曲で大きな成功をおさめたことに気づいた。彼らによるこのタイトルの解釈は、そのすぐあとでリトル・ジュニアが、彼の看板になった歌《ドライヴィン・ホウィール》の最初の一行のところで、「おれのあの娘ははたらかなくっていい 盗みだってはたらかなくっていい」と、財政的な独立を宣言したことによって「確認」されたのであった。

(略)

「オールナイト・ブルース・マン」のパーヴィス・スパンは、自分の番組の開始部分で(略)次のようにしゃべった。


 みんなソウルが何だか知りたいって?じゃ、これから一時間、おれの番組に耳を傾けてみなよ。おれが教えてやるよ。(略)だっておれは、みんなにあげるソウルしか持ってないんだから。……まずはこれからだ。[レイ・チャールズのレコードをかける]聴いてごらんよソウルだ。純粋だ。みんなが純粋なものを思ってるとき、それはものごとのソウルを思ってるんだ。おれは純粋なブルースのことを思ってる。(マディ・ウォーターズの《ザット・セイム・シング》をかけ、ところどころにコメントを散りばめる)水で薄めたようなやつじゃない(略)本物のニッティ・グリッティだ。俺が言ってるのは、純粋なソウルのことだぜ。

(略)

新版あとがき

[私は]ドイツ系で、アメリカ合州国北東部出身で、青い目の白人[だが](略)

かなりの数の人が、わたしを黒人だと思いこんでいたようだ。その主たる理由は、思うに、わたしの論調がところどころで腹立たしげであり、義憤にかられて、有無を言わさぬふうだったからであろう。わたしは読者をあざむこうとしたわけではなかった。[序文や、カヴァーの経歴にはアーリア人と明らかにしてあった]

(略)

一九六〇年、大学三年生だったわたしは、思想と感じかたと行動にかんして自分を黒くしようと、春には西インド諸島に、夏には独立直前のナイジェリアに旅行して、黒くて美しいあらゆるもの(略)を見つけだそうとした。その一連の過程は、おそらく『アーバン・ブルース』を執筆しているときに頂点に達し、一九六六年のナイジェリアで終わりをむかえた。イボの市民の大虐殺と、道端で腐ってゆく死体の臭いが、黒人のやり方のほうが白人よりもすばらしいし美しいという、また、アフリカは道徳と美の点で本質的に西欧よりまさっているという、わたしの信条をとつぜん無効にしてしまったのである。

(略)

 だが、一九六〇年から一九六六年までの期間、わたしはまちがいなく、アフリカ的なヒューマニズムの信奉者であった。ヤンハインツ・ヤーンの『アフリカの魂を求めて』は、啓示に満ちたバイブルだった。一九六一年に大学を卒業すると、わたしはジャマイカのラスタファリアンを「研究」するためにフルブライト奨学金に応募したが、選考に落ちた。その一年ほどのちには、わたしはブラック・ムスリムの機関誌である『ムハンマドは語る』に定期的にエッセイを寄稿する最初の白人になっていた。わたしは、黒人になりたかったわけではないのだ。わたしの動機はただ(略)複数の黒い選択肢を世に知らせることによって、アメリカの人種主義の誤りをただすために、明確で確固とした役割を果たしたかったということに尽きる。

(略)

ブラック・ムスリムズが模範としていたのはシオニストのモデル――すなわち、自分たち自身の土地、自給自足経済、ポグロム(ユダヤ人大虐殺)の脅威にさらされたときの避難先――であった。それは、マイノリティであることに疲れている世界中の人びとにとって、いまでもよいモデルだといえる。

(略)

継続可能な経済基盤に基づいて、最低に見積もっても二、三の散在した黒人のシオンをうちたてるならば、それは、スイスの連邦方式の路線に沿って合州国を最終的に州制にしてゆくさいのすばらしい部分をなすであろう、ということである。

(略)

合州国を根源的に脱中心化してゆくならば、州や郡の大多数は、スイスの場合と同じように、疑いもなく多文化的でありつづけてゆくことであろう。しかし、トラウマ的な歴史経験――ネイティヴ・アメリカンの人びとに対する集団虐殺、ユダヤ人がヨーロッパで経験したホロコースト、アフリカから新世界へ向かうすし詰めの奴隷船が経験した耐え難い「中間航路」、動産としての奴隷という「特別制度」、そして、多くのアフロ=アメリカンにとってさらに抑圧的であるところの「分離されても不平等」であるという経験を考えるなら(略)「自分のためにやっていくgoing for self」ことが目標であるようなコミュニティが、おそらく一部のアフロ=アメリカンにとっては必要な出発点であり(略)今日、ディアスポラの境遇にあるユダヤ人は、イスラエルイスラエルの政策に不満ではあるものの、イスラエルなしの世界を想像することはできない。それと同じように、ディアスポラの境遇にある多くのアフロ=アメリカンもまた(略)アイデンティティの源として(略)複数のシオンを必要とすることであろう。アフリカの諸国家は、アフロ=アメリカンにとってのこうした機能をじゅうぶんに果たすことはできない。その理由は、中間航路をつくるために、買い取りや荷積み、また戦闘や売りさばきが二世紀半の期間にわたっておこなわれてきたから、ということもあるが、しかしそれだけではない。四世紀以上にわたって、権利の獲得のために苦闘がかさねられてきたことと、新世界のいたるところで、この地に属する複数の文化がつくりだされてきたこともその理由である。

(略)
わたしは、新しく二、三のインディアン居留地をつくろうとか、南アフリカのバンツースタンを増やそうとか、単一の大きな、黒人の民族国家を北アメリカにつくろうとかいう話をしているのではない(それは古いナショナリズムである)。そうしたものをつくったところで、じっさいには、いっぽうで敵意ある近隣諸国から身を守り、他方でその境界領域内のマイノリティを抑圧する武装キャンプといったものになってしまうだろう。わたしが求めているのは、相対的に平和であるような文化の多様性を、そしてまた、人びとが共に発展してゆくというありかたを、回復することにほかならない。

(略)

 そのような緑の世界では、ブルースはどうなるのだろう?人びとの関係や分離といったことは、まだときどき、心やからだに痛みを与えるのだろうか?わたしたちは緑いろの世界でもまだ、死への直面を予期する唯一の種であるのだろうか?さまざまなスタイルやさまざまな歌は、わたしたちに、ひどかった時代のことを思い出させたり、それまで堪え忍んできつづけたものを少しは気分良く感じさせたりしてくれるのだろうか?

(略)

ブルースの書き手に対して、わたしが「モルディ・フィグ」というレッテルを貼りつけたことを、心から詫びなくてはならない。そうしてしまったのは、彼らがブルースを民俗伝承化してとりあつかっていたことと、彼らがブルースの純粋性にかんする誤った基準をつくりだしていたことにたいして、我慢できなかったからであった。徹底的に彼らを酷評してから、わたしは先に進んだが、じつはそこでわたしは、まさに同じ過ちをおかしたのである。B・B・キング、ボビー・ブランド、ジュニア・パーカー、フレディ・キングを囲むように円をえがいて彼らを他とは区別し、レイ・チャールズアレサ・フランクリンのほうを向いてはただ暗黙の了解を示し、わたしは「真にブルーな/筋金入りの」ものを定義することへと進んだが、その一方でわたしは、ジェイムズ・ブラウンを括弧に入れ、「(偉大な芸人がいるとすれば、彼こそまさにその一人である)」と書いて格下げし、ジャッキー・ウィルスンやオーティス・レディングのようなスタイル形成者のことを無視し、モータウンをティーンエイジャー向けの現象だとして退ける、等々のことをおこなってしまった。

(略)

 アミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)の『ブルースの魂』は、いまも試金石であり、おそらくはただ一冊だけブルースの本を手に入れるのであれば、そうすべき一冊がこの本である。

(略)

 商品形態でのブルースという問題にかんして言えば、数ある出版物の中で、ネルソン・ジョージの『我々の愛はどこへ行った?』と『リズム・アンド・ブルースの死』は、『ビルボード』誌のライター兼編集者として「音楽業界」の中にいた広い経験から書かれたものであり、金がどこへ流れていったのかということについての、こんにちまでのもっとも明晰な見方を提供している。ジョージは、ブラック・ミュージックと黒人の経済力がともに一九六〇年代と七〇年代の一時期に成長したものの、それが一九八〇年代にはふたたび巨大資本にむさぼられる結果に終ったことを、不満とともに観察し、聞きとっている。(略)黒人のインディペンデントのレコード会社のオーナーが一か八かの冒険に失敗して破産したり、あるいは大会社に身売りをしたりするとき、また黒人のスターが鼻に白い粉をつけて人に幸運をもたらすとき、地方の黒人ラジオ局が「より広い聴取者層」のための番組構成を受け入れるとき、サウンドの中の黒人イメージが容赦なく商品として売られ、その過程で得られる利益のごくごくわずかしか人びとに還元されないとき、何が失われるのかをジョージは知っている。

(略)

レゲエ・カルチャーは「バビロン」という語をしばしば口にはするが、バビロンに対して何もしはしない。ラップの韻は、欲求不満をぶちまけて何人かの検閲官の顔を紅潮させたが、人びとにたいして、政治的・宗教的に結束するようにとか、生きてゆくための経済的基盤をうちたてるようにとか、説くことはない。「文化的生産」「文化にかんする自発的な活動」「サブカルチュアのスタイル」そして「カルチュラル・スタディーズ」は、じっさいの社会変動からますます遠く離れ、注目すべき社会運動とのつながりをますますなくしていくように思える。結局、人は抵抗のシンボルを食べて生きることはできず、また、文化の転倒は雨を防いでくれることはない。ジョージの本の大きな美徳は、彼の心が決して本音から遠く隔たることはないということと、どの一日の終わりをとってみても、ブラック・ミュージックがもたらすお金の九五パーセント以上が、白人の(あるいはもしかしたら日本の)銀行の倉庫におさまっている、と彼が知っていることにある。きわめて少数の黒人スターが、ある程度大きな額の印税を集め、王族のように振舞っているが、他の誰もが今なお、蛇に食わせるために蛙を肥え太らせているのである。

(略)

二五年たっても、わたしには『アーバン・ブルース』の最後の段落に、次のようにつけ加える以上のことはできない。すなわち――個人個人それぞれによって、また小さなコミュニティのなかで、鍛えられてゆくべきたくさんのそれぞれ異なったアイデンティティがある。その小さなコミュニティでは、張り上げられたどの声もが、わたしたちに過去の痛みを分かち合わさせてくれ、互いの希望を支えあうようにさせてくれ、そして、先へと進みつづけさせてくれるのである。

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