壁の向こうの住人たち・その3

前回の続き。

壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き

壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き

 

不安を作り出すメディア、構造的忘却

 わたしが知り合いになった人たちの考え方に強い影響力を持つ存在として、FOXニュースは、産業、州政府、教会、通常メディアと肩を並べ、独自の政治文化を支えるもう一本の柱として機能している。マドンナはラジオ、テレビ、インターネットで始終FOXの情報をチェックする。マイク・トリティコの話によると、ロングヴィルではケーブル局の利用者がきわめて少ない(略)ので、屋根に取り付けられたアンテナの傾き具合から、誰がFOXニュースを視聴しているのかがわかるという。「ほぼ全員がFOXだよ」と彼は言う。

(略)

一日の終わりには、夫とふたりでやわらかいソファに並んで座り、大型画面のテレビで、五時のFOXニュースを観る。「FOXニュースの司会者はわたしにとっては家族のようなものよ」と彼女は言う。「ビル・オライリーは、恋人か、頼りになるパパ。ショーン・ハニティは怒りっぽくて気むずかしいおじさん。メーガン・ケリーは頭のいい妹。

(略)

FOXニュースは、グラウンドゼロの近くに「テロリストのモスク」[実際は穏健派イスラム教徒の施設]が建設されると言ってみたり(略)オバマ大統領が過激派組織ISの指導者、アブー・バクル・アル = バグダーディーを解放したとか(略)言いがかりをつけて人々の恐怖を煽るのだ。しかもその恐怖は、FOXニュースの大半のリスナー──白人中間層と白人労働者層──の恐怖を反映しているようなのだ。

(略)

 マイク・シャフも(略)“FOXファミリー”の番組を観て、主要な情報を得るが、とくに興味のあるテーマについては、CNNゃMSNBCCBSなども観て(略)リベラル派のコメンテーターの意見も聴いている。「リベラル派のコメンテーターは、わたしのような人間を見下している。われわれは"N"ではじまる言葉[ニガーなど、黒人を侮辱する言葉]を言っちゃいけないことになっている。言いたいとも思わないよ。自分を貶めることになるからね。なのに、なぜリベラル派のコメンテーターは、“R”のつく言葉[レッドネック。貧しい白人に対する蔑称]を平気で口にするんだ?」

(略)

ある教養の高い熱心なティーパーティー支持者は(略)時折、「芸術のページを読むだけ」の目的で、ニューヨークタイムズ紙の日曜版を買い求める。ほかのページは「捨ててしまう」のだそうだ。「あまりにリベラルで読む気になれない」からだという。(略)

「CNNは客観性がまったくないのね」と、彼女は不満を漏らす。「ニュースを観たくてチャンネルを合わせるのに、意見しか聞けないんだもの」

 「純粋なニュースと意見の見分け方は?」と、わたしが尋ねると、「声の調子でわかるわ」という答えが返ってきた。「クリスティアン・アーマンプールがいい例よ。あの人はアフリカの病気の子や、薄汚い服を着たインド人のそばにひざまずいて、カメラをのぞき込む。その声はこう言うの。「こんなことはまちがっています。わたしたちは手を打つ必要があります」って。もっとひどいときには、わたしたちがこの問題を引き起こしたのですって言うわね。その子供を利用して「何かしなさい、アメリカ」と訴えてるんだわ。でもその子の問題は、わたしたちのせいじゃないのよ」

(略)

「リベラル派はそれが政治的に正しいんだって、わたしのようなリスナーに感じさせたいの。そこが好きじゃないのよ。それに、その子をかわいそうだと思わないのなら、あなたは悪い人だなんて言われたくない」

(略)

わたしが話を聞いている人たちはみんな、深刻な環境汚染に耐えている。企業も政治家も州政府高官も沈黙しているが、ほとんど誰もがそのことを知っている。

(略)

多くの住民たちは、そうした問題を直視することを拒んだ。ルイジアナの美しさが目に入らないのですか。レイクチャールズのマルディグラに参加しましたか。なぜそんな陰気なことばかり考えるの?でもわたしはそうした問題をでっちあげようとしていたわけではない。そこにあったのだ。環境汚染が。健康問題が。そして教育問題と貧困が。

(略)

誰が環境問題を解決してくれるのだろう。企業がそうしようと申し出るはずがない。社会的支援に関しても、教会にはそんな使命も資金もない。驚いたことに、誰もが、問題を解決するとなれば、連邦政府が関わるべきだと思っている。しかし連邦政府が関われば、必ず右派が旗を立てて反発することだろう。連邦政府は大きすぎる、無能すぎる、悪意の塊だと主張して。

 つまるところ、すべての根っこは、構造的忘却にあるのかもしれない。なぜ騒ぐ?大問題とはなんだ?もっと重要なことがほかにもあるだろう。ISとか、移民とか、生活保護を受けるに値しない受給者とか。

ディープストーリー

「クレージーレッドネック」「ホワイト・トラッシュ」「南部の聖書ばか」。そんな言葉を耳にすると、あなたは自分のことを言われていると思う。

(略)

「労働者階級の白人はいまでも決まって頭の悪い人間のように描かれるが、黒人は、はっきり自己主張をし、都会で生き抜く術も心得ていて(略)」

 あなたは“自国に暮らす異邦人”なのだ。(略)

 あなたはこう叫びたい衝動に駆られている。「わたしだって社会的少数派だ!」と。(略)[でも]「かわいそうな自分」を哀れむ人々のパレードには加わりたくない。あなたはふたつの思いの狭間で身動きできなくなっている。(略)あなたと同じディープストーリーを共有する人々が政治運動を進めている。それはティーパーティーと呼ばれている。

 わたしはルイジアナの新たな友人や知人に、このディープストーリーを聞いてもらい、共感できるかどうか、尋ねてみた。マイク・シャフは、わたしの話を聞いたあと、メールをくれた。「わたしはまさにそのストーリーどおりの人生を送っている。州の環境基準局や国の環境保護庁の役人に仕事をしてもらうため、こっちは何億ドルもの血税を納めたのに、やつらは何もしていない。おまけに、あの怠け者連中は、自分たちの給料を払ってくれた労働者がまだ引退できずにいるうちに、さっさと列の前に割り込んでいって退職する。こっちは傷口に塩でもすり込まれた心境だ。ようやく納税者が退職にこぎ着けたころには、すでにワシントンの官僚が基金を使い込んだあとだ。われわれは列に並んで待ってるんだ」(略)

[リー・シャーマンは]こう言った。「きみはおれの心を読んだな」(略)ジャニース・アレノは、「そのとおりだわ。でもあなたはひとつ、言い忘れてる。列に割り込む人に使われてる税金は、割り込まれている人が払ったものだっていう事実をね」別の人はこうコメントした。「話はそこで終わっちゃいない。しばらくすると、待っていた人たちがしびれを切らして、自分も列に割り込もうとするんだよ」

(略)

 多くが“同情疲れ”を口にする。「リベラルはわたしたちに、黒人や女性や貧しい人に同情してもらいたがります。もちろん、わたしも気の毒だと思いますよ、ある程度はね」ある温厚そうなレストラン経営者は、わたしにそう言った。

(略)

右派のディープストーリーは、真の構造的圧迫と符号する。誰もがアメリカンドリームを実現したいと思っているが、いろいろな理由が重なり合って、足を引っ張られているような気がしてくる。そうなると、右派の人々は不満や怒りを感じ、政府に裏切られたと思うのだ。このストーリーでは、人種が何より重要なポイントである。興味深いことに、わたしが知り合った右派の人々は、なんの屈託もなく、メキシコ人(二〇一一年には州の人口の四%を占めていた)やイスラム教徒(一%)のことを話していたが、二六%を構成する州内最大のマイノリティ集団、黒人については、たいていが何も言わなかった。黒人のことが話題にのぼると、多くの人は、「北部」から人種差別主義者だと非難されているような気持ちになるのだと説明した

 右派にとっての主戦場

工業界の職場の多くはメキシコや中国、ベトナムなど、海外に移転してしまった。その結果、これまでとは異なる形の社会的闘争が、さまざまな場で生まれるようになった。(略)

上位一%の最富裕層と残り九九%との闘いに焦点を置く“オキュパイ・ウォールストリート”(略)

 今日の右派にとって、主たる戦場は、工場のフロアでも、オキュパイの抗議活動でもない。ディープストーリーの中では、地元の社会福祉事務所や、受け取るに値しない者に障害年金フードスタンプが届けられる郵便受けがそうした闘いの場なのだ。やる気のない怠け者に政府が給付金を支給している。これほど不当なことはないと思う。

(略)

左派の怒りの発火点は、社会階層の上部(最富裕層とその他の層とのあいだ)にあるが、右派の場合はもっと下の、中間層と貧困層のあいだにあるわけだ。左派の怒りの矛先は民間セクターに向けられるが、右派の場合は公共セクターである。皮肉なことに、双方とも、まじめに働いたぶんの報酬をきちんともらいたい、と訴えている。

(略)

 連邦政府に裏切られたと感じて、自由市場に全幅の信頼を寄せることにした右派はいま、ディープストーリーのせいで見えなくなったり、焦点がぼやけたりしていた現実に直面している。大企業がとてつもなく巨大化し、オートメーション化やグローバル化を進めて、力をつけていたのだ。(略)企業が力をつけたことで、労働組合や政府の抵抗も少なくなった。そこで彼らは、誰はばかることなく、最高幹部や大株主に利益を多く還元し、労働者に少なく配分することができるようになったのだ。しかし(略)右派をのみ込んだ闘争の場はそこではない。そこに着目するのは“まちがっている”のだ。

 だから右派の多くは、大企業と中小企業の利益が連動していないことに無頓着なのかもしれない。(略)

皮肉なことに、大手独占企業のために苦境に陥る可能性が最も高い経済セクターは、中小企業なのだ。しかもその多くは、ティーパーティーを支持する人々によって経営されている。

(略)

[だが]右派の人々は、自由市場を自分たちの同盟軍と考え、ともに強大な敵──連邦政府と“奪う者” との連合軍──に立ち向かうのだと思っている。

取り残された白人男性

 一九六〇年代から一九七〇年代へ移行すると、社会制度と法律制度に的を絞っていた運動が、個人のアイデンティティに焦点を当てた活動へと変化した。世間の同情を引くには、ネイティブ・アメリカンか女性かゲイでありさえすればよくなったのだ。右派、左派、双方の多くが忍耐力を試された。これらの社会運動は、列に並んでいたあるひとつのグループには目もくれなかった。それは、年配の白人男性だ。とりわけ、地球を救う役に立たない領域で働いてきた男性は置き去りにされた。こうした人々もマイノリティだったのに。あるいは近い将来そうなるはずだったのに。公民権運動や女性解放運動の非難の矛先が、特権を持つ白人男性に向けられていたとすれば、そろそろ、白人男性も犠牲者と見なされるべき時期が来たのではないか。声を聞き、尊重し、列の前方に入れるか、後方に押しやらないようにしてあげてもいいのじゃないか。しかしそれには、身震いするような矛盾がともなう。

(略)

われわれが(略)わたしは白人ですと言ったなら、人種差別主義の組織、アーリアン・ネイションのメンバーだと思われてしまうかもしれない。立ち上がって、男であることを誇りに思うと宣言したなら(略)男性優位主義者とみられるリスクを冒すことになる。

(略)

[年配の白人男性たち]もまた、ほかの多くの人々のように、立ち上がって一歩前に出て、アイデンティティを主張したかったのだ。そうしてもよかったのではないかと思っている。しかし他方では、彼らは右派の人々のように、原則として列に割り込むことには反対だったし、過剰に使われる「犠牲者」という言葉が好きではなかった。(略)

現実には、賃金カットやアメリカンドリームの行き詰まりに苦しんできたし、世間からは不当なまでに列の前方に居座っているように見られるという、隠れた屈辱にも苦しめられていた。

(略)

白人男性としては、原則として割り込みに反対しているのだから、おおっぴらに自分も列に割り込みたいとは言えない。葛藤に悩んだ彼らは、別の方法で名誉を回復しようと考えた。まずは、仕事にプライドを持っていると宣言してみようか。だが、雇用はだんだん不安定になっていて、いまだに働き手の九割は、賃金が据え置かれたままだ。

(略)

 ティーパーティー支持者は、仕事の代わりに、地域や州に誇りを見出そうとしてみたが、そこでも困難にぶつかった。(略)

その地位の低さに気づいていたのだ。「ああ、ここは“上空通過”の州ですよ」ティーパーティー支持派の教師は、わたしにそう言った。「進歩についていけず、貧しいと思われている」とこぼす人もいた。

(略)

 それから教会。ジャニース・アレノのような人の多くが「教会に所属している」ことと十一献金をすることのたいせつさを口にする。しかし、彼らが教会で学んだ教義──七日間で大地が創造されたとか、天国は巨大な立方体だとか、イブはアダムの肋骨から生まれたとか、進化は起こらなかったとか──の中には、文字どおりに受け取れば、広い世俗世界では、教育程度が低い証拠と見なされるものがある。

(略)

[コスモポリタンなグローバル・エリートは]自分のルーツから遠く離れた場所でもうまくやっていける。チャンスありとみれば、すぐにどこへでも飛んでいく。そして、人権や人種間の平等、地球温暖化との闘いなど、リベラルな大義に誇りを持つ。(略)

[一方で]ブルーカラー層の仕事や生き方、地域に根をおろして耐え忍んできた彼らの、自分自身──ディープストーリーそのもの──に対する誇りが、時流に合わないものになりつつあるのだ。リベラルな上部中間層は、地域のコミュニティを孤立と狭量の象徴と見なし、絆と誇りの生まれる場所だとは考えない。(略)

 アメリカンドリームを手にする道徳的資格が変化したことで、全国のティーパーティー支持者は、自国にいながら異邦人になったような立場に追い込まれた。(略)宣戦布告のない階級闘争が、これまでとは異なる舞台で異なる役者によって演じられ、これまでとは異なる不公平感を掻き立てた。だから彼らは、このような詐欺師を次から次へと「差し向ける者」──つまり、連邦政府──を非難するにいたったのだ。 

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