ビートルズシークレット・ヒストリー・その3

 前回の続き。

『マジカル・ミステリー・ツアー』

「ちょっとした計画を思いついたんだけどさ。今でもミステリー・バス・ツアーってやってるのかな」とポールは言った。
 僕は即答できなかったけれど、調べてみると約束した。ポールは子どものころ、どこだったか忘れたけれど、5シリング払って行き先のわからない観光バスに乗ったことが最高に楽しかったという。ポールに頼まれて、そんなバスがまだ存在するのかどうか調べるために、僕はレスリーを連れて1週間ほど海辺の町に行くことにした。(略)
[数日過ごし]
 その日は日曜日で、幸か不幸か、土砂降りの雨だった。窓の外に目をやり、がらがらの駐車場をぼんやり眺めていたときだ。派手な色の観光バスが入ってきたんだ。座席は満員で活気にあふれていたけれど、時代遅れの昔っぽい雰囲気が漂っていた。まさにポールが僕に話してくれたとおりなんだ。艶やかなイエローと不気味なブルー。「見つけたぞ」。僕は思わずナイフとフォークを落とし、大声をはりあげた。(略)
 「このバス、借りることってできますか?」。びっくりしている運転手に向かって、僕はいきなり聞いた。(略)運転手はまるで頭のおかしな男の相手でもするように僕を見て、「できますよお」と答えた。あんまりうれしかったから、運転手のバカにしたような態度は無視して、僕はバスを所有している会社の名前と住所と電話番号が記入されているカードをもらった。バス会社はフォックスズ・オブ・ヘイズという名前だった。
(略)
[出発前]車体全部に貼り付けたサイケデリックなパネルは、旅が進むにつれて歯抜けのようになった。どうしてかって?田舎道を猛スピードで走ったものだから、はがれ落ちたんだよ。
(略)
 大掛かりな撮影をしたのはウェスト・モーリー空軍基地だ。「ユア・マザー・シュッド・ノウ」のフィナーレのシーンは実に豪華絢爛だったよ。ビートルズは真っ白な燕尾服にシルクハットという衣装で颯爽と登場。白くて長い螺旋階段に並ぶダンサーたち。みんなをびっくりさせたいからって、ビートルズは自分たちの衣装のことを内緒にしていたんだ。この作戦は大成功だったよ。本当に息を呑むほど感動的だった。当時、バズビー・バークリー(注:アメリカの映画監督でブロードウェイ・ミュージカルの振付師)にぞっこんだったポールは、ペギー・スペンサー・フォーメーション・ダンス・チームを総出演させたんだ。遠方から何千人もの招待客がやってきた。ビートルズの4人が最後にもう一度だけマジカル・ミステリー・ツアーのバスに登場するっていう設定だった。しかも、ハーメルンの笛吹きみたいに大勢の群集を引き運れてね。おばあちゃん、赤ちゃんを抱いたママ、テディボーイの非行少年たち、ありとあらゆる人たちが集まってきた。ところが壮大なフィナーレの準備をしていると、突然、停電になったんだ。撮影現場の照明が一斉に消えて、真っ暗になった。日曜の午後だった。興味をなくした人々がにわかに帰り始めたとき、ようやく別の発電機を調達できたんだ。すべての照明がぱっと点灯したとき、僕たちはほぼ準備を終えていた。それでも、だんだん人が減ってきたので、最後は25人ほどのスタッフがスタジアムの観客みたいなふりをして群集にまぎれた。よく見ると、僕もシンシアも、ちっちゃいジュリアンも、マルも、ニールも、ひたすら群集のふりをしているのがわかるはずだ。
(略)
BBCはこれを白黒で放映したんだ。カラフルなところがいちばんの魅力だったから、なんだか拍子抜けしたよ。カラーで再放映されなかったのが不思議なくらいだ。

マジカル・ミステリー・ツアー [DVD]

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  • 発売日: 2012/10/10
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「ハロー・グッドバイ」「ブラックバード

 ビートルズと一緒に過ごした日々のなかで、僕がいちばん誇りに思っていることを教えよう。レノン=マッカートニーの大ヒット曲「ハロー・グッドバイ」は、僕の作品でもあるってことなんだ。もちろん、クレジットに名前は載らなかったけれどね。
 ポールがジェーンと別れてまもないころだった。ある晩、僕はポールの家でポールとふたりきりで過ごしていた。ポールがちょっと話がしたいからって電話してきたんだ。僕たちは一緒にスコッチ・アンド・コークを飲んだ。といっても酔っぱらうほどではなく、少しばかり気分をリラックスさせるためだった。そう、ほろ酔い気分ってところだ。君の作曲の才能って本当に天才的だと思う、僕がなにげなくそう言うと、ポールは否定した。「ねえ、曲を作ろうと思ったことあるかい? 別に特別なことじゃないんだ。ものすごく簡単だし、誰にだってできるさ。そうだ、これから一緒に曲を作ってみないか?」。ポールはそう言うと、僕をダイニング・ルームに連れて行った。そこには手彫りの模様のついた木製のすてきなハーモニウムが置いてあった。小さなオルガンなんだけど、大きなペダルを踏んで空気を送り込まないと音が出ないんだ。ポールは年代ものの楽器のふたを開けると、僕に言った。
(略)
 「そっちの端に座って、何でもいいから好きな鍵盤を叩いてよ。両手で、感じたままに鍵盤を叩けばいいんだ。僕も同じことをする。僕が何か言葉を言うから、君はその反対の言葉を言うんだ。それだけでいい。それで僕が曲を作るよ。見ててごらん、ちゃんと音楽になるから」(略)
 「ブラック」とポールが最初の言葉を叫んだ。
 「ホワイト」と僕が応えた。
 「イエス
 「ノー」 
 「グッド」
 「バッド」
 「ハロー」
 「グッドバイ」
 こんな調子で5分ほど続けると、もう反対語が浮かんでこなくなったので、僕たちは新しいスコッチ・アンド・コークを飲むことにした。ポールが「ハロー・グッドバイ」のデモテープを持ってオフィスにやってきたのは、それから1日か2日後のことだ。「ほら、僕らの新曲ができたよ」とポールは言った。
(略)
 もうひとつ印象的な夜のことを話そう。午前3時ごろ、長いセッションを終えたポールと一緒にアビイ・ロードから帰る途中だった。(略)ふたりのファンの女の子が、一定の距離を保ちながら僕たちのあとをつけてくるのはわかっていた。(略)
ふいにポールが立ち止まり、擦り切れたストラップで肩にかけていたアコースティック・ギターをかまえた。「新しい曲を作ったんだけど、聴いてくれるかい?」。ポールはそう言うと、ギターを抱えてランプの真下の小さなスポットライトのなかに立ち、翼の傷ついた印象的なブラックバードの歌を弾き語りし始めた。夜更けの静寂のなかに、天才的な僕の友人がかもしだす感動的なメロディが響きわたる。僕はそのとき、生きていて本当によかったと思った。うしろでファンの女の子たちが立ちすくんでいた。こんなにすてきなご褒美をもらえるなら、彼女たちも長い時間ずっと待ち続けた甲斐があったというものだろう。何日かして、ポールの「ブラックバード」のデモテープを聴いた僕は、なんだかひどくがっかりした。技巧的なサウンド・エフェクトが多すぎて、すっかり印象が違っていたからだ。あの晩、ポールが歌ってくれた曲そのものの素朴さが失われてしまったような気がしたんだ。2回目のデモには小鳥のさえずりまで入っていた。ポールは歌のあいだにある沈黙をどうしても埋めずにはいられなかったんだろう。

傷心のポール

 ビートルズのロマンスのなかで、ポールとジェーン・アッシャーの恋だけは永遠に続くだろうと僕は思っていた。ふたりは心から愛し合っているように見えたし、互いに互いを必要としていたからだ。ジェーンはまぎれもなく最高に魅力的な女性だった。頭がよくて、ユーモアがあって、惚れ惚れするくらいかわいらしかった。ポールにはぴったりのすばらしい恋人だったよ。ポールもそう思っていたはずだ。学歴もあって、女優として自立していたしね。
 彼らの別れは悲惨だった。家に帰ってきたジェーンが、ニューヨークから来たグルーピーのフランシー・シュワルツとポールが[ベッドの中で]一緒にいるところを目撃してしまったんだ。
(略)
やがて、ジェーンの母親がやってきて、ジェーンの持ち物をきれいさっぱり持ち帰った。家具も日用品もジェーンのものはすべてだ。ジェーンが愛用していた鍋のセットまでね。ポールは何も言わずにそれを眺めていたよ。
 ポールは完全に打ちのめされていた。ジェーンがいなくなって身も心もボロボロの状態だった。ジェーンを深く愛していたからなのか、それともジェーンがポールとの別れを決めたことがショックだったのか、そのあたりのことは僕にはどうしてもわからなかった。でも、ふたりは当時すでに婚約していた。つまりジェーンは単なる恋人ではなくて、確実にポールの妻になることが決まっていたんだ。その後、ポールは何人かの女性とつきあったけれど、長続きする関係には至らなかった。
 ポールがあれほど落ち込んで自暴自棄になったのを見たのは、僕が知るかぎり、あのときだけだ。普段のポールは楽観的で、冷静で、自信に満ちあふれていたからね。僕とポールがすごく親しい間柄なんだと実感したのも、あのときだ。ポールは僕の肩でさめざめと泣いたよ。ジェーンとの恋愛が破綻してから数週間、僕はポールと一緒に過ごした。ポールはひたすら後悔して、ジェーンに許してほしいって懇願したけれど、ジェーンの決心は変わらなかった。ポールの言いわけに耳を貨そうともしなかったよ。ジェーンは意志の強い高潔な女性だった。彼女はポールのことを心から愛していたと思う。ビートルズだからという理由じゃない。彼女は名声にも金にも興味はなく、ポールという人間を愛していたんだ。ポールの明るさと情熱を愛し、ポールを純粋に信じていたんだよ。
(略)
ポールがジェーンにひと目惚れし、夢中になり、やがて深い情熱的な愛に変わってゆくのを僕はずっと見守ってきたんだ。
 ポールは、ジェーンと才能豊かなジェーンの家族からたくさんのことを教わったと僕に言った。ジェーンに会う前のポールが田舎者だったとは言わない。でも、どちらかといえば都会的ではなかった。高価なワイン、洗練された絵画や映画、都会的なあらゆる文化をポールに教えたのはジェーンだ。ジェーンの母親は、ロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックでオーボエを教えていた。ポールにとってはまったく新しい世界だったけれど、ポールはすぐに気に入った。スポンジのように何でも吸収した。
(略)
 ジェーンにふられたとき、ポールは失ったものの大きさに気づいて愕然としたんだろう。ポールは完全に自分自身を見失っていた。
(略)
ポールはあまりにも愚かだったと嘆いた。「すべて手に入れていたのに、僕は自分でそれを台無しにしてしまったんだ」とポールは言った。「ジェーンは恋人だったけど、親友でもあったんだよ。ジェーンには胸のうちを洗いざらい打ち明けていたからね。子どものころ、僕がどんなことで落ち込んだとか、母親が死んだときどんなにつらかったかとか、それをどうやって克服したかとか、いろいろさ。ジェーンと一緒にいると気持ちがとても落ち着いて、本来の自分に戻れたんだよ。彼女もそれを望んでいたしね。ほかの女といるときの僕は、水溜りみたいに浅はかで鼻持ちならない金持ちのロック・スターでしかないのさ」
 ときには夜遅く、僕の家を訪ねてくることもあった。午前0時か1時、僕とレスリーがぐっすり眠り込んだころに、玄関のベルが鳴った。ドアを開けるとポールが立っていて、にっこり笑いながら言うんだよ。
 「まだポットにお湯あるかな?」って。
(略)
[ポールの家で明け方になり愛犬のマーサと散歩に]
ロンドン動物園の外に車を停めると、僕たちはフェンスを乗り越えて丘をのぼった。(略)
 夜明けの太陽が昇ってくる壮大な眺めは、本当に美しかった。すがすがしい朝の空気のなかで、マーサは羊を追いかけているつもりなのか、それとも骨を探しているのか、縦横無尽に走りまわった。僕とポールは、ロンドンの街が目覚める前のひっそりとした時間を心から楽しんだ。朝の5時、走っている車はほとんどなく、時折、動物園のなかから早朝のざわめきが聞こえるだけだった。(略)
 「夜明けの景色ってすごいよな」。ポールがささやくようにつぶやいた。「あれを見たら誰だって神様とか、人類を超越した偉大な力の存在を信じるんじゃないかな。あの空を眺めていると、この世界には僕らの想像を絶するような何かがあるに違いないって気がするよ」。僕たちは目の前に広がっている宇宙の景色と音の中に完全に吸い込まれていた。まるで廃墟となった都市で僕たちだけが生き残ったような気分だった。
 背後に突然、見知らぬ男が現れたのはそのときだ。レインコートのベルトをきゅっと結んだ中年の紳士が、いつのまにか僕たちのうしろに立っていた。ほんの数秒前まで、そこにいるのは僕とポールだけだった。(略)
男は礼儀正しい口調で言った。「おはようございます。私はジョンといいます」
 「おはよう。僕はポールです。彼はアリステア。あれは僕の犬でマーサといいます」。(略)
 「あなたたちに会えてとてもうれしいですよ。実にすばらしい」。ジョンはそう言うと、僕たちの前から去って行った。
 僕とポールは互いの顔をじっと見た。「驚いたよ。なんか奇妙じゃないか」。僕は言った。あたりを見まわすと、すでに男の姿はなかった。見知らぬ男は丘の上から完全に消え去っていた。まるで、朝の空気のなかに溶け込んでしまったかのように、見晴らしのよいその場所からどこかに蒸発してしまったんだ。僕もポールも驚いて声も出なかった。何か特別なことが起きたことはわかっていた。僕たちはぶるぶる震えながら地面にしゃがみ込んだ。
(略)
僕もポールもやばいものはいっさい服用していなかった。その晩、僕たちが飲んだのは、スコッチ・アンド・コークだけなんだ。神秘的な体験をしたことはふたりともわかっていたけれど、僕たちはそれ以来、互いのあいだでさえ、丘の上でいったい何が起きたのか、僕たちは誰に会ったのか、あえて話題にしようとはしなかった。

シンシア、ヨーコ

 シンシア・レノンは、昔からずっとビートルズの犠牲になった女性の筆頭とされてきたけれど、僕にしてみれば、彼女は全然、犠牲者には見えなかった。シンシアはおもしろくて魅力的な女性だった。ジョンには精神的にも物理的にも不当に扱われ、それに耐えてきたというのは事実だけれど、彼女は決して軽くあしらわれるような女性じゃなかったよ。シンシアは美人だったし、ひとりの女性として教養も備えていたんだ。
 1968年5月、シンシアの旅行中に結婚生活は悲惨な終わり方をした。(略)シンシアが帰宅したとき、夫はヨーコと一緒にいた。しかもヨーコはシンシアのバスローブを羽織っていたという。
(略)
シンシアはしつこくジョンにまとわりつくような妻ではなかったし、ふたりに会ったことのない人たちが想像しているイメージとはまったく違っていた。ジョンにしても、女癖が悪く、思いやりがなくて頼りにならない夫というイメージとはかけ離れていたよ。実は、ジョンはシンシアが浮気をしてるんじゃないかって疑い始めていたんだ。(略)ジョンは半狂乱になっていた。(略)
[シンシアのイタリア旅行の手配をした著者を詰問]
マジック・アレックスに妻を尾行させるほどの嫉妬心と強迫観念が、突発的にヨーコを家に呼び、シンシアを追い出す結果になったのだと僕は思う。
 ヨーコがことごとく非難の的にされたのは、彼女がビートルズの暗黙のルールを破ったからだった。それまで、ビートルズアビイ・ロードでセッションをするときは、誰もスタジオに立ち入らなかった。ブライアンもニールも、もちろんジェーンもモーリーンもパティも、みんなスタジオの外で待っていた。ときには、この楽器を叩いてとか、これを鳴らしてとか、手伝いを頼まれてスタジオに入ることもあったけれど、それ以外はいっさいスタジオの中には入らなかった。ところが突然、ちっちゃな日本人の女性がスタジオにいるジョンの足元にちょこんと座っていたんだよ。ほかの3人の女性たちが目を見張って、私たちは絶対にあんなことはしないのにって怖気づいたのは当然のことだ。
 そのことがビートルズ解散のきっかけになったのも事実だ。その前から解散を導くような要因はたくさんあったけれど、4人が分裂するには最後のひと押しが必要だった。それを与えたのがヨーコだったんだ。4人の内輪のなかにヨーコを参加させたとき、ジョンは自分が何をしているかよくわかっていたはずだ。これまでに築いてきた秩序を、あえて乱そうとしたんだ。
(略)
 ジョンとヨーコが結婚を決めたとき、飛行機を手配したのは僕だった。僕は自家用機でパリの空港に飛び、主要ターミナルからかなり離れた場所に着陸した。霧のたちこめた美しい朝だった。ジョンとヨーコは真っ白な衣服をまとい、僕の飛行機に向かって走ってきた。僕はいつものようにシャンパンを用意しておいた。ふたりとも子どもみたいに無邪気で、互いにあふれんばかりの愛情を抱いているように見えた。機内でシャンパンをあけながら、僕は人生って案外いいものだなって思ったことを覚えている。魔法にかかったような気持ちになったのは、ふたりがあまりにも深く愛し合っていたからだろうか。

ポールの作詞講座

 ポールのソングライターとしての才能を目の当たりにすると、僕はいつも魔法にかかったような気持ちになった。ジョンはどうやって曲を作るのか熱心に僕に説明してくれたことは一度もなかった。大抵「たまたまできた!」とか何とか言ってごまかしたよ。自分の才能は繊細すぎて、あまり説明しすぎると消えてなくなってしまうとでも思っているみたいだった。
 その点、ポールは自分の才能を惜しげもなく披露してくれた。忘れもしない。メリー・ホプキンとアン・ナイチンゲールと一緒にアビイ・ロードのスタジオ2にいたときのことだ。(略)
ポールが聞いたんだ。「君も曲を作るの?」
 「ええ、まあ」。メリーは緊張した様子で答えた。「音楽はできるんですけど、歌詞を作るのが難しくって」 「そんなことないよ。作詞なんて、いたって簡単さ。題材はそこらじゅうにあるんだから」とポールは言った。「いいかい、見ててごらん」(略)
[ピアノに向かい、隣にメリーを座らせると]
ポールは自分が初めて作ったという曲を弾いた。コードは3つだけだった。それから、その曲のコードをどうやって5つに増やすのか、さらにどんなふうに発展させればいいかを、ピアノを弾きながら説明してくれた。「これでよし」。ポールは言った。「さあ、この曲の歌詞を作ろう。ストーリーを考えるんだ。何でもいいのさ。たとえば、ある男の子が毎朝バス停でバスを待っているとする。彼の隣には、毎朝決まってかわいらしい女の子が並ぶ。でも男の子はものすごくシャイだから、彼女に話しかけることができない。彼の彼女への想いはいっそう強くなる」
 ポールはメロディを弾きながら、この話を歌詞にして歌い姶めた。僕たちはじっと黙っていた。何か口をはさんだら、目の前の魔法が解けてしまいそうだった。「さて、ある晩のことだ」とポールは続けた。「男の子は街角のポストに手紙を出しに行く。手紙を投函しようとしたとき、反対側からいつもの女の子がやってきて、同じように手紙を投函しようとするんだ」。ポールの歌詞はどんどんふくらんで、メロディも盛りあがっていく。「ふたりは驚いて飛び跳ねるんだけど、やがて互いに話をしていることに気づいて、もっとびっくりするのさ。彼女も彼と同じくらいシャイだったんだよ。ふたりは恋に落ち、それからずっと幸せに暮らすんだ」。ここまでくると、曲はほぼ完成していた。ちゃんとストーリーがあって、メロディがあって、しかも口ずさむことができる。ポールは何くわぬ顔でピアノから離れると、ビートルズのメンバーたちのところへ戻って行った。メリーとアンと僕は、ひたすら驚いてポールのうしろ姿を見つめていたよ。
 ビートルズのメンバーは4人ともメリーに興味を持った。ある日、マル・エバンズがピカピカに輝いている新しいギターケースをさげてきた。メリーには新しいギターが必要だって考えたジョージが、彼女のために400ポンドのマルチネスのギターを買って送ってきたんだ。

リンダ

ポールはジェーンとの情けない結末によって、人間的に変わったと僕は思う。それまでの何年間か、ポールは欲しいものは何でも手に入れてきた。ジェーンはポールを拒否した初めての女性だった。そして、ポールにとっては屈辱的な苦い経験になった。それ以来、ポールはちょっと頑固になり、皮肉っぽくなった。
 やがて、もうひとりの運命的な女性がポールの前に現れる。リンダ・イーストマンだ。
(略)
正直なところ、最初はまさか真剣なつきあいになるとは思っていなかった。きれいな長い指をした女性カメラマンに惚れ込んだ、とポールが言ったことは覚えている。リンダは先夫との娘、ヘザーを連れていた。とてもかわいらしい女の子で、ふたりがつきあい始めたころ、僕はよくヘザーを膝の上に乗せて遊んだものだ。でもリンダは、ポールと親しかった人間を毛嫌いした。とくに、ジェーンのことを知っている人間をね。当時、僕とポールはかなり親しい関係だったし、リンダがそれを快く思っていなかったことは確かだった。彼女はいつもにこやかに笑っていたけれど、時折、はっとするような鋭い視線を僕に向けることがあった。僕とポールはあまりにも多くの体験を共有していたから、リンダが疎外感を持ったとしても無理はない。僕はなるべくポールと会わないようにした。
(略)
[ポールの無理をきいてやりとげた内装の請求書をリンダが横から取り上げ、ボッタクリだとケチをつけ、あげく「いくら仲介料をもらうの?」と失礼な言葉]
僕は愕然とした。驚いて口もきけなかった。(略)
[部屋を出るとポールが追ってきて]
 「リンダは僕がだまされないように気を遣っただけなんだよ、アル」。ポールは言った。「彼女はアメリカ人だし、僕らのつきあいがどれほど長いかってことも知らないんだ。悪かったよ。機嫌を直して戻ってくれないかな」
 僕は歩き続けた。ポールの家とはサヨナラだ。この仕事ともサヨナラだ。心の中でそう思っていた。この期におよんで、スターを追いかけまわしている厚かましアメリカ女に詐欺呼ばわりされたことがショックだった。玄関を出てからもポールは僕の横で説得し続けたけれど、僕はどうしても立ち止まる気になれなかった。あれ以上あの家にいたら、僕はポールを殴っていたかもしれない。もしかしたらリンダも。ともかく僕とポールの親しいつきあいは、これで終わったのだった。
(略)
 翌日、ポールはオフィスに顔を出し、僕をなだめて、ことを丸くおさめようとした。「もう忘れたよ」。僕はそう言ったけれど、絶対に忘れられないことは自分がいちばんよく知っていた。(略)
[それでもポールからアストン・マーチンDB6の化粧直しを頼まれつい引き受けてしまう]
(略)
本当にすばらしい仕上がりだったよ。14層のコーティングでペイントされたブリティッシュ・レーシング・グリーンは完璧な色合いだったし、灰皿には埃ひとつなかった。ポールは感嘆のあまり放心したように車のまわりを何度も何度もぐるぐる歩きまわり、それから、ものすごくうれしそうに運転席に腰をおろした。クリスマス・プレゼントをもらった子どもみたいに大はしゃぎするポールの横で、僕は久しぶりに自分の仕事に誇りを感じていた。
 修理代もきわめて妥当な金額で、ポールはにっこり笑って承諾した。ところが、そのときリンダが家から出てきて、僕たちのほうに歩いてきたんだ。僕は急に気が重くなった。リンダに傷つけられた悔しさが鮮烈に脳裏によみがえった。リンダは案の定、ポールから請求書をひったくると、僕の顔をまっすぐ見ながら言った。「それで、あなたのポケットにはいくら入るの?」。このときはポールはもう何も言わず、ただ肩をすくめて、そっぽを向いた。「じゃあまたな、ポール」。そう声をかけて、僕はその場を去った。