アメリカン・ニュー・シネマの息子たち・その2

前回の続き。

マイケル・チミノ

[「天国の門」初試写会]
[クリス・クリストファーソンは]〈天国の門〉が自分の最高傑作だという自覚はあったが、それでもなぜか落ち着かなかった。(略)
[イザベル・ユッペールは]ヨーロッパでは知られていたが、この映画は彼女がアメリカでも名を成すための、大きなチャンスだった。
[ジェフ・ブリッジス]はチミノの監督第一作〈サンダーボルト〉に出演し、今回は、彼と再び仕事が出来るという理由だけのために、脇役であるにもかかわらず参加した。ニューヨークでもブリッジスはそわそわしていた。〈天国の門〉の制作中から、彼は、なにかどえらいものに参加しているのだと感じていた。
(略)
1時間後、会場の最後部に立っていたチミノは、「これは、まずい!」と感じていた。(略)
[翌朝]たたきのめされたチミノからの電話が終わったあと、クリストファーソンはルームサービスに新聞を持ってこさせた。彼はついさっきまで、チミノは気にし過ぎだよ、と思っていたが、違った。キャンビーはチミノをコテンパンにやっつけていた。どうにも救いようのない、百%の否定だった。
 “〈天国の門〉は、あまりにも完全な失敗作であるため、チミノ氏が、〈ディア・ハンター〉の成功を再び得るために、魂を悪魔に売り渡したものと疑われる。(略)〈ディア・ハンター〉の初めの結婚式シーンが長すぎると感じた方、〈天国の門〉となると、とてもあんなもんじゃないですゾ。”
 キャンビーのクソミソ批評がハリウッドにも伝わったとき、町中の映画会社の重役室は歓声で沸きかえり、ユナイテッド・アーチスツ社の廊下は、シーンと静まりかえった。
 翌日の昼、トロントヘ向かうアメリカン航空のファースト・クラスは、予期されたお祭り騒ぎとはうってかわって、まるで葬送列車であった。クリストファーソンとユッペールが並んで坐り、お天気のことだの、この前会ってから今日までどうしてただの、なんとか話をしようと努力している。しかし、二人とも、心ここにあらず。話は途切れ、本を読んだり、窓から外を見つめたり。ジェフ・ブリッジスはタイム誌に鼻をうずめている。(略)
チミノは幽霊みたいだ。「批評家達が、ぼくのやり方、ストーリーや監督の仕方に、ひょっとしたら異和感を覚えるのでは、とは思っていた。でも、クリスを初め出演者達、ヴィルモのカメラワーク、それに音楽等は、気に入ってくれると思っていた。」チミノは遠くを見つめた。「ぼくは、そんなにも、間違っていたのだろうか?」彼は俳優達の方をふり向いた。「みんな、ぼくを信頼してくれたんだ。」
(略)
なにがまずかったのでしょうか?プロデューサーのジョーン・キャレリは肩をすくめて答えた「いろんなことが結びついているわね。モンタナではマイケルはちょっとクレージーだったわ。アカデミー賞を二つ取ったことでテングになっていたのね。あのときの彼には抑制が欠けていたわ。――だれにもこういうことは起きるものだけど、映画は自分だけのためにつくるもんじゃないってことを、彼はもっと意識すべきだったわね。何百人もスタッフがいて、みんな彼を信頼してるのに、彼の方はだれの意見も聞かずに独走してしまったのよ。」
 「撮影が始まって1ヵ月後ぐらいから、ユナイテッドからは『なんとか中止にできないか』という電話ばかりかかってきたわ。私は、会社が私の側についてくれるなら、中止させてみせる、と言ったけど、……だめね。だれもかれも、マイケルの言いなりで、彼に忠告してやることなんかできないの。会社もよ。セットの規模も、エキストラの数も、無限にふくらんで行くんだけど、こわくてだれもマイケルにノーと言えないの。異常な状況だったわね。」
(略)
 チミノは、当時を思い出して、もっとキャレリの言うことを聞くべきだった、と言う。「聞こえない声がいちばん理性的な声、ってことがときどきあるもんなのだな。」
 「まるで陰謀みたいね。」ユッペールが各紙の記事を比較しながら言った。キャンビーの批評は始まりにすぎなかった。しかもそれは、その後のあらゆる論調の調子を決定していた。タイム、ニューズウィーク、ヴィレッジ・ボイスにつづき、ニューヨーク・デイリー・ニューズも、この映画を粉砕した。
 批評が一巡すると、次は内幕物、その次が解説の記事。絶え間なき記事の洪水である。
(略)
「みんなはぼくに何を望んでいるのか」、チミノはたずねた。「ぼくが二度と仕事をしないことをか?」
(略)
 ある映画作家は非難がましく言う。「彼は自分以外の人間を完全に無視している。」この意見は、記者が取材したほとんどの人が持っていた。(略)
 あるエージェントは、「自業自得だね。チミノは高慢で、冷酷で、ムカつく野郎だ。」
 あるプロデューサーは、「チミノは、ハリウッドで最も嫌われている男である。」と言った。このほか、チミノに関する話は山ほどある。彼は、自分にその資格のない事に関してもクレジットをまっさきに要求する。彼は自分の過去をいつわっている。彼は〈天国の門〉のセットで馬を爆死させた。彼は――効果をねらって――エキストラ達をわざと馬車で轢いた。彼は尺数が〈地獄の黙示録〉を超えたときのシャンペン・パーティーをすっぽかした。あるスチール・カメラマンが麻痺したのは彼のせいだ。……こんな話が、とめどなく出てくるのである。
 「まったく、バカげてるよ」、とチミノはためいきをつく。
 「もし、これがほんとなら、いまごろ彼は牢屋にいるわよ」、とキャレリも言う。
(略)
 ああ。問題は〈ディア・ハンター〉なのだ。(略)批評家達は〈ディア・ハンター〉を再批評するために〈天国の門〉を用いたように思える。彼等はあらためて、[成功した]〈ディア・ハンター〉はきらいだった、と言いたかったのだ。
(略)
 「マスコミなんかのマイケルのイメージは相当、歪曲されてるよ」、とブリッジスは言った。「たとえば、巨大なエゴとか書いてあるけど、ぼくは、仕事の面でも、個人的な面でも、それを感じたことはない。彼は自分のエゴをズボンの尻ポケットにしまっておける人だし、良い映画をつくることしか関心のない人だ。マイケルは、いろんなアイデアには十分に耳を傾ける。俳優の話をよく聞き、勇気づけてくれるし、スタッフ全員が参加意識を持てるよう気をつかう。他人を踏み台にしたりする人ではない。」
  「マイケルとの仕事はとっても好きでした」、イザベル・ユッペはこう言う。「彼の仕事ぶりは、心理的な面でも、肉体的な面でも、深みがあり、そして、手ぎわよいの。私は、ちっちゃなヨーロッパ映画に出てるような感じがしていました。超大作でたいへんだわ、なんて思ったことは一度もなかったわ。だから、なぜ、あんな騒ぎになるのか不思議です。
(略)
アメリカって国は、エンタテイメントなら4千万ドルでもOKなのね。そして、見る人を考えさせるような映画にこんなにお金を使うと、とたんにみんな、身構えてしまうのだわ。〈天国の門〉に関する批評や否定的な記事なんか、私が読んだのはどれも、あの映画の中身が何なのか理解しようとする、最小限の努力さえしてないのばっかりだったわ。長すぎるとか、金をかけすぎてるとかばっかしで、一人も、内容を分析していない。ヨーロッパだったら、内容を理解しようとしない批評家なんて、考えられもしないわ。」(略)

ゴールディー・ホーンとケイト・ハドソン

「私、完全なるペチャパイだったわ。(略)まるで、一本の棒よ。ひどい劣等感を持たなかったのが不思議なくらいよ。だって、どんな踊りでも、私がいちばんすみっこだったんだもの。踊り以外の、ほかのことでもよ。(略)
「胸当てパットでもなんでも着けたわ。それでもバカにされるの。男の子が『おい。その下にはせめて何かあるのかい?』、なんて言うの。
(略)
 「ニューヨークでは、踊りの勉強をしながらゴーゴー・ガールをやってたの。(略)
トップレスまではやんなかったけど、いかがわしい店で踊ってはいたの。少なくとも、自分が踊りがうまい、ってことは確認できたわね、そんな仕事でも。」
 ゴーゴー・ガール及びコーラス・ガールとして、彼女は、ニュージャージーに、また再びニューヨークに、そしてアナハイムに、ラスヴェガスに、と回った。
[1時間半の黙狂的レビューを一晩に4回]
 これじゃ、どうかなってしまうに決まっている。――そして、どうかなった。
 彼女は神経衰弱になった。(略)
「7年間、検査と治療よ。(略)7年間も隔離されていたのだから、家族はたいへんだったと思うわ。
[76年に二度目の結婚をしたあたりからキャリアが向上、しかし結婚は崩壊](略)
 「ママ!見てよ!イモ虫だよ!ママにあげるよ!お部屋で飼いなさいよ!」金髪の、喜色満面のオリヴァー・ラトレッジ・ハドソンが、ドアをバタンとあけ、ドドドッと入ってきて、カウチのところまでちょこちょこ走り寄った。手には、雑草のいっぱい入った瓶を握りしめている。(略)
 ([前夫の]ハドソンはマリブ・ビーチの家を取り、共同保護なので、この週は、子供達はホーンの家にいる。)(略)
ケイティーは、部屋のあっちこっちを動き回りながらオモチャと遊んでいる。(略)
 「女が出世することが、男にとってはとてもつらいこと、とうてい冷静に対処できないことであること。生きてるといろんなことがわかるけど、これがわかったときが、いちばん悲しかった。
(略)
 子供部屋にいくと、ケイトとオリヴァーが床の上に坐って、楽しそうに塗り絵を塗ったりしながら、有線テレビのインタビュー番組にゴルディーが出てくるのを待っている。
 ゴールディーがケイトを、大きく両手をまわして抱き、キスをする、と、そのとき、画面に、無表情な銀髪のホスト、映画評論家のチャールズ・チャンプリンが現れ、魅惑的なゴールディーを紹介し、彼女のことを、〈プライベート・ベンジャミン〉で“大勝利を収めた”と言い表した。
 「ママ・プライベート・ベンジャミン、なのにィ……」、と、オリヴァーが、映画の断片が写ったとき、困った風で訂正する。(略)

ロマン・ポランスキー

母親は彼の目の前で拉致され、アウシュヴィッツで死んだ。7歳、金を払って、あちこちの非ユダヤ人にかくまって貰い、最後には、ある農家に送られた。話はさらに暗くなる。何度も、死ぬほどなぐられ(彼の頭には、いま、金属板がある)、飢え、夜には何度も脱走して、凍えるようなポーランドの山河を歩いた。これらがすべて、12歳までのことである。(略)
「〈テス〉の日没シーン、あれはぼくが昔見た風景なんだ。蕪を掘るところも、ぼくが昔、自分でやったことなんだ。あれはいやな体験だよ。ほんとに。」
 「結局、自分で自分を育ててきたようなものさ。」彼は考え込む。「戦争さえなければ、両親からしつけや教育も受けられたろうけどね。でも、いちばん最初の段階は、してもらったと思うよ。ぼくの家はブルジョワで、ぜいたくな生活だったから、ナチが来るまでの、ぼくの人生の最初の6年間で、ものごとはちゃんと立派に出来てなくちゃいけない、という感覚が身についたと思う。いまでもそうだが、ぼくは、なにかを始めたら、完璧に仕上げないと気が済まないのだ。手紙でもね、ぼくが手紙をあまり書かないのは、書き出すとすごく長くかかっちゃうからなのだ。自分が納得するまで、何回もなんかいも破り捨てるのさ。これが才能と天才の違いだ。才能は、人が持って生まれるもので、とても自然に、楽に、そなわっているものだ。そして、この才能を基礎にして、努力に努力を重ね、限界ギリギリまで自分を磨いていくと、それが天才になるのだ。」
 すでに午後も遅く、アパートは影に浸蝕されている。「実に奇妙な子供時代だったよ」、と彼は最後に言う。「生まれて初めての、しかも本物の危機感なんだ、ゲットーから脱走するとかいうのはね。いまでも、あのこわさは、ぼくの中にある。そして、なにかから脱出することが、人生において、最も価値あることだ、という感じをずっと持ち続けているね。」彼はあかりをつけ、やわらかく付け加える。「事実、ぼくは、ドライブではトンネルが好きなんだ。トンネルを出る時が気持良くてね。」(略)
 「今日、話をしてわかったけれど、ぼくは、子供の頃も、まわりに起こるいろんなおそろしいことを、とても自然なこととして感じていたんだ。ぼくは、それらを生きていたんだ。」彼の目はゆっくりと開く。「でも、最近はときどき、夜中に目が覚めることがある。いま、また、ぼくのまわりには、いまわしいことがいろいろあるからだね。ぼくは、一歩さがったところに立って、アウトサイダーみたいに、それらを見ているような気がする。まあ、波風多き人生だったけれども、人生の波乱なんてものには、ぼくは、価値をみとめないね、正直言って。」

ブライアン・デ・パルマ

 「私のスタイルは、ヒッチコックとは非常に違っている。シュールでエロティックな映像を追求している。ヒッチコックは、この領域には、あまり深入りしてはいない。たとえば、〈サイコ〉は、女が、ボーイフレンドと結婚するために金を盗むという、泥棒物映画だ。〈殺しのドレス〉は、一人の女の、ひそかな、性的生活に関する映画だ。だから、あえて、過去の巨匠になぞらえるのなら、ヒッチコックよりむしろ、ブニュエルの感覚に近いものだ。」
(略)
「ポップ・アートに似たとこもあるね。ポップ・アートも、最初は、権威筋からは完全に無視された。洗剤の箱のデザインが美術品になるなんて、だれも理解できなかった。ロック評論だってそうだ。ロック&ロールをまじめに考えるなんて、バカだ、と言われたものだ。ところが、ある日突然、ロック&ロールもポップ・アートも、意味あるものだ、ということになった。私の映画も同じことだ。私の映画なんて、一見、汚くて、血まみれで、ダイムストアで売ってるような安物だ。まじめにとられなくて当然だ。」彼は深呼吸する。「でも、がんばらねばならない。年くった批評家達にとっては、20年も30年も前の名画しか映画じゃないんだ。新しいもの、コンテンポラリーなものは、わかろうとしない。しかし、こんなことは、映画ファンには関係のない話さ。」
(略)
「人間だれしも、自分について間違ったイメージを持っているだろ。ある分野で成功すると、“オレは恐怖映画の監督なんかじゃないぞ、オレはほんとは……」デ・パルマは言葉を探し「……詩人なんだ”、とかね。」彼はニッと笑う。「それから突然、自分の詩を映画化するとか称して、馬が野原を駆け回るシーンなんか撮り始める。」
 「私がトリュフォーで”〈Home Movies〉をつくったのだったら、はるかに成功していただろう。なぜなら、批評家達は、トリュフォーがこういう映画――自分の青春期をテーマにした、甘く、個人的で、センチな、ひねった、皮肉っぽい、おかしみのある映画をつくることには、慣れているからだ。私がそういうのをつくったら、彼等は異和感を感じるのだ。」デ・パルマはためいきをつく。「結局は、自分のいちばんの得手というものをよくわきまえて、たとえそれが巨万の富や成功をもたらそうとも、動じないことが肝心だね。」彼は微笑みながらこう言う。
(略)
「関心が、政治や倫理の方へ向いてきてると思う。(略)〈Greeting〉をつくったあと、テレビのおしゃべり番組に出たことがある。革命について話したりしたが、感じたのは単に、自分もまた、アスピリンや脱臭剤同様、テレビに登場する商品の一つになったな、ということだった。しゃべる内容はどうでもいいんだ。アメリカの衰退についてしゃべったが、それだって、どうってことはないのさ。私の感じでは、いま革命に起こっているのは、それが商品になってしまっていることだ。それは、アメリカでは、すべてのものが辿る宿命だ。どんなものでも、フルイにかけられたり、中和されたりして、最終的には、商品に変身してしまうのだ。」(略)
 「最近はますます、自分個人と関連のある題材を採り上げるようになっている。〈Home Movies〉は、自分の若い頃や、家族がテーマだった。そして、あの映画の主人公は、そのまま、〈殺しのドレス〉にも持ち込まれている。自分本人にとても似た人物なのだ。

次回に続く。

メカスの映画日記―ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971

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American film 1967-72―「アメリカン・ニューシネマ」の神話 (Neko cinema book―Academic series)

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