アメリカン・ニュー・シネマの息子たち デビッド・リンチ

ルーカスからゴダールまで11人のインタヴュー集 (1982年)

デビッド・リンチ

[『エレファントマン』公開後のインタビュー]

 デビッド・リンチという人は、外観をみると、ぜったいに、ニュー・イングランドの予備校の国語教師だ。つまり、言い方を換えれば、トーキング・ヘッズのメンバーだ。これだけさっぱりした実直そうな雰囲気は、この80年代においては、かえって、漫画チック、あるいは皮肉っぽくすらある。アーミー風のカーキ色のジャケット、編み上げ靴、無地のブルーのシャツ、1965年のポール・マッカートニーより長くないこざっぱりしたヘアー、学者みたいな眼鏡、薄青い、人を食ったような目。声も、身のこなしも、気まじめでアナーキーで、やはり、ぶっきらぼうなユーモアを感じさせる。しかし、気まじめに見えるのは、話を始めるまでである。話し始めたとたん明らかになるのは、彼が相当な奇人変人であって、とうてい、ハリウッドの偉大なる映画監督とは思えない、ということだ。とにかく、話している間、目の玉が上を向いたり横を向いたり、クスクス笑ったり、考えこんだり、その忙がしいこと。そして、友好的で率直で、かつ、なんとなくはにかみ屋さんである。
(略)
――あの映画のストーリーの、どんな点にあなたは惹かれたのですか。
★よくは、わからない。〈イレイザーヘッド〉につづくものとしては、うってつけと思えた。また、自分がメージャー路線に乗れて、かつ、妥協せずに済む作品と思えた。ぼくの、かねてからの気持は、芸術を大衆化したい、というものだ。つまり、自分が納得ができる。つくってて熱中できると同時に、人々も好きになってくれる映画、をつくりたい。この点で、いつも迷いのようなものがある。
(略)
――白黒で撮ろうと決心したのはなぜですか。
★最初から、これは白黒だ、と思っていた。モノクローム映画では、ごぞんじのように、モノクローム映画にしかない、どくとくの、非現実的な世界をつくれる。とくに、時代をさかのぼって、産業革命時代の、荒涼とした雰囲気を出すには、白黒が完璧だ。それに、ぼくの場合、好きな映画のほとんどが白黒作品だ。
(略)
――あなたが、奇型者とか、アウトサイダーとか、あるいは周縁的な人々に惹かれるのは、なぜでしょうか。
★わからないよ。たぶん、人間はだれでも、自分がアウトサイダーだと感じているのではないかな。ぼくが、ああいった人々に惹かれるのも、この観念が基底にあるからだろう。
――それから、荒廃した工業都市への執着は?
★そうだなあ、……もしだれかがぼくに、『これから、ディズニーランドか、廃工場に行こう』と言ったら、ぼくは、ためらいもなく、廃工場にしよう、と言うね。わけはよくわからないのだ。なにか一つのストーリーを展開させる場としては、最高の場所、という気がするのだ。あの、きめとながめに、ぼくはしびれてしまう。
――きめ(texture)?
★いろんな沢山の物が、細かく組み合っている、その、全体の感じだ。たとえば、ぼくは昔、ある獣医から、猫の死体を貰ったことがある。それから、地下室で、一大作業を開始した。まず、そいつを解剖したのだ。つぎに、そのバラバラ死体を瓶に入れようとした。しかし、瓶の口が小さいために、猫はまるでスリンキーみたいな格好で入っていって、瓶の中で死後硬直がはじまった。いや、ほんと、……
――なぜ猫を解剖したのですか。
★きめを勉強するためだ。〈イレイザーヘッド〉のための勉強だった。あひる、でもよかったな。あひるも好きだよ。だって、ここにくちばしがあるだろ、それから、頭があって、このへんに胴があって、それから脚がある、それから、なんといっても、あの目ね、目だよ。とても小さくてさ、しかも、宝石みたいにキラキラしてるだろ、つまり、あれだけ小さくて、しかも巨きな胴体と同じぐらいに、人の注意を引きつけるのだ。胴が目のようであってはいけないし、目が胴のようであってもだめだ。こういったことに、ぼくは、メタメタしびれてしまう。つまり、自然の中にある、一羽のあひるの中にある、均衡(プロポーション)には、なにか意味があるのだ。目の小ささと胴の大きさという均衡、それらを構成している物質、たった一羽のあひるの中にさえ、ものすごい“忙しさ”があること。ぼくは、絵画は、これらの法則に、無意識的に従っていると思う。そして、なにかを解剖すると、いろんな要素とか、それらの構成の具合とかが、すべて目の前に現われて来るのだ。もののきめとか、かたちとかは、すべて、アンビリーバブルなのだ。だから、猫を解剖したのだ。
――地下室に降りて行って、猫を解剖するときには、完全に冷静でしたか。
★冷静でしたよ。ぼくは、ハチャメチャな領域に入ることもできるし、その領域からずっと離れて、きめというもののもつ非感情的な領域に入ることもできる。自然というものには、なにかがあるのだ。とくに、それが解体を始めて、きめをあらわにしてくるときにはね。ずいぶん前から、ぼくは、それを見るのが好きだった。否定的な思想とか、死を愛好するとか、そんなんじゃ全然ない。でも、ぼくには、そんなレッテルが貼られそうだけれどね。工業が生み出している、いろんな物事やきめは、自然がなにかの上にほどこしためっきであり、これが、ぼくにとっては、ワクワクさせるのだ。ほかにもいくつか、ぼくをワクワクさせるものはあるがね。
――たとえば、どんな?
アメリカ中西部、ロサンゼルスのダウンタウン、エジプトのヒエログラフ、ドイツ表現主義の白黒映画、アール・デコ
(略)
――映画は何をなすべき、とお考えですか。
★映画にくらべれば、車もつまらない、飛行機や船の旅行もつまらない、という映画をぼくはつくりたい。キップを買って映画館に行くことが、ひとつの世界へ行くことでありひとつの体験であるような映画をつくりたい。多量のフィルムから選んで編集した、限られた時間の映画ではあるが、それを見ることによって、見る人が、別空間に連れて行かれるような映画だ。この、音と映像で構成される空間の中で、人は、なにかを知り、また、映画でしか味わえない感覚を味わうのでなければならない。ストーリーが大切なことは知っており、ぽくもストーリーに興味はあるが、むしろぼくは、映画がまさに映画であって、他のものではない、という考え方が好きだ。(略)
ぼくはとくにムードが好きだ。ものごとの表面の下にある、ものごとの中のどこかにある、ムードをしっかり出したい。ほとんどの映画が表面だけだ。ほとんどの映画が一行のジョークだ。(略)

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ジョージ・ルーカスアメリカン・グラフィティ

どこの映画会社からも断られた。雲行きは悪かった。その頃、〈THX1138〉が一部の尖鋭的な監督たちの関心を呼んだため、ぼくはカンヌ映画祭に招待されていた。ワーナーは旅費を出そうとしない。そこで、最後の2千ドルでヨーロッバ鉄道の切符を買い、リュックを背負ってカンヌヘ出かけた。(略)
ヨーロッパヘ行く途中、ニューヨークでユナイトの社長、デビッド・ピッカーに会って〈アメリカン……〉の構想を話した。彼が結局乗ってきて、カンヌの彼のホテルで、〈アメリカン……〉と〈スター・ウォーズ〉、計2本の契約を交わした。(略)
脚本を見たユナイトは“関心がない”と言った。そこでぼくは、脚本を抱えて映画会社回り。(略)全社から断られた。ユニバーサルだけが、スターを使えるなら乗ってもいい、と言った。ぼくはノーと言った。ユニバーサルは、大物プロデューサーでもいい、と言った。会社から渡されたプロデューサー・リストにはフランシスの名があった。[〈ゴッドファーザー〉封切り直前で話題沸騰](略)
ユニバーサルは前金を出そうとしないんだ。結局〈アメリカン・グラフフィティ〉はフランシスの金で出来たようなものだ。(略)[最初の試写で重役の]一人が“こんな映画をお客に見せるわけにいかない”と言った。はっきり、そう言ったんだ。フランシスはカッとなった。それは、ぼくの見る、フランシスの最も偉大な光景だった。彼はその重役に向かってわめいた。“おまえは、この文無し男に、なんということを言うんだ! この男は、無一文でこの映画をつくったんだそ。それを、なんたる物の言い方だ! 『ごくろうさま、ありがとう』ぐらい言ったらどうだ!”。フランシスは、わめいて、わめいて、わめきちらし、“いいとも、オレはこの映画が好きだ。オレがこれを買う。小切手はいますぐ書いてやる”と言った。
 結局、映画はユニバーサルが買ったが、そのあともケンカばかりだった。たとえば、5分削れ、5分ぐらい削ったって違いはない、と言うんだが、それも単に、権力者づらをしたいために言ってるだけなんだ。削らせる権利はある、と言うんだ。

ハリソン・フォード

「[〈アメリカン……〉の]ギャラは、同じ期間に大工として稼げる額の半分だった。でも、キャスティングがユニバーサルの頃から知ってるフレンド・ルースだったから、集まる人間も、仕事の雰囲気も、いいに違いないと思った。役は、たいした役ではなかったが、映画づくりに貢献できたという感じを持てたのは、これが初めてだった。(略)
 フレッド・ルースはフォードを、フランシス・コッポラの〈カンバセーション…盗聴…〉にも“若い男”の役でキャスティングした。「これも、すばらしい体験だった。その役を、どんな人物にするかを、自分で決められたんだからね。ぼくは、よし、ホモにしよう、と決めた。そこで、プロダクション・デザイナーのディーン・タヴラリスは、多量のレモンと、ルーサイトの木挽き台を用意した。それは効果をあげた。それから5年間はほとんど俳優としての仕事はしていない。(略)
 このあとが〈スター・ウォーズ〉だ。「冒険活劇に出る、という意識はなかった。SFということも意識しなかった。ジョージの仕事だから出ただけだ。くだらない映画のような気がしたけど、当たるか当たらないかなど、どうでもよかった。わりと、わかりやすい、人間の物語だ、とだけ思っていた。(略)
仕事に入ったときも、こいつはお上品なコメディだ、と思っていたね。(略)
 ハリソン・フォードは、スピルバーグとルーカスが彼を、インディアナ・ジョーンズの第一候補として考えていなかったことを知っている。[第一候補はトム・セレック]

ジャック・ニコルソン

 彼がいま抱えている構想の一つは、ジェームズ・M・ケインの1934年の小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の映画化だ。(略)「ケインが面白いのは、チャンドラーやハメット等と同じハードボイルド出身であるにもかかわらず、彼等みたいに探偵、すなわち善人を書かずに、犯罪者を書いた点だ。」(略)
 「みんな、〈シャイニング〉にはだまされたと思っているようだが、あれは、ワーナーの映画の中では史上10位の売上げだったはずだ。評論家からは無視されたがね。」(略)
「みんな、あそこのせりふ[“Here's Johnny!”]が好きなんだ。スタンリー(・キューブリック)が、あそこを、こっけい感のあるせりふにしたがったことを覚えている。あそこは、あの映画の中でいちばんこわいシーンだから、そのこわさを、ちょっと壊すようなことを監督は望んだんだ。それでぼくは、あのせりふを考えついた。あのせりふには、あのときのぼくの仕事の、エッセンスがいっぱいつまっている。」
 「つまり、原作の、スチーブン・キングの小説の、核心に迫ろうとは思っていたが、同時に、昔のEG・コミックスのことも考えていたのさ。覚えているかい?」
 私も、いまだに生々しく覚えている。あのテの漫画は、親に内緒で見るもんだった。なにしろ、どれもこれも、手足バラバラとか、内臓がとび出したり、血まみれの漫画で、そして必ず、なんらかの、こわいブラック・ジョークが含まれていた。ジャックと私は、しばらく、自分が覚えているぶんのストーリーを話し交した。(略)ジャックは、妻に暴力をふるう悪い肉屋の話を覚えていた。妻が、夫の商売道具で夫を殺し、近所の人とバーベキューにして食べちゃうのだ。そして、みんなが彼女に、だんなさんはどこにいるのか、とたずねるのだ。(略)
「批評家たちには、EG・コミックスのパロディーをやったことが、わからなかったんじゃといかな。それとも、いま思えば、彼等は、恐怖映画なんか、スタンリーにはもったいない、とでも思ったのかな。」
(略)
[品行方正じゃなかった高校時代]本ばかり読んでいた。「小説を読んでると役の形がつかめるし、人間、ものを考えるようになるよ」(略)
 成績優秀で、奨学金まで貰えるところだったが、彼は大学を蹴り、カリフォルニアヘ行って12年間みっちり、演劇学校へ通った。「賭け玉突きもよくやった。プロ級だったよ。なにしろ、その店で3番目のウデだったから、ずいぶん儲けたな。ダンスホールで稼いだこともある。その金で最初の車、49年型スチュードベーカーを買ったよ。」
 同級生には、ジェフ・コーリー、マーチン・ランダウ、ソー・ストラスバーグ等がいた。実存主義の本をよく読んだ。禅にも興味を持った。(略)MGMのアニメ部で、事務員の仕事をし、トムとジェリー宛のファン・レターをさばいたこともある。(略)
きわめつきのビート・ジェネレーションである。まさに、ジャック・ケラワックが小説を書かずに俳優になったら、ジャック・ニコルソンになったことだろう。
「ぼくは幸運だったよ。30歳代までは売れなかったが、その間もガス欠になったことはない。ちゃんと、俳優として食っていけた。」
 ジャックは、俳優として、初期には、殺人狂のティーンエイジャーの役ばかりあてがわれた。「いまでも、その頃の影響が顔に残ってるだろ。目なんて、まるで、雪の上のションベンの跡だ。メーキャップのとき、かならず、マユ毛を剃り落とされたんだ。」(略)ニコルソンは、その後、メーキャップを断るようになった。(略)
〈Hells Angels on Wheels〉、〈The Rebel Rousers〉といったバイク物で、彼はオートバイ乗りの役を、“現代の西部劇のつもりで”演じた。と言う。これはかなりロマンティックな見方ではあるが、バイクに乗る連中がいまでも彼のファンであることの理由でもある。
(略)
[名声を確立した「イージーライダー」]
当時ぼくは、いまからスターになるには長くやりすぎてるし、監督に転向しようか、と考えていた。
(略)
彼のファンの中には、〈カッコーの巣の上で〉、〈チャイナ・タウン〉、〈冬のカモメ〉などの役を、もう一度彼がやることを望んでいる人もいる。さらに、もっと昔に戻れ、と願っている人もいるのだ。アスペンで、ある晩、夕食のとき、革のジャケットを着た男が話しかけてきて、ジャックと1時間も、バイクの話をした。そして最後に、「あんたは、もう1本、バイク映画をやるべきだ。あと1本でいい。バイク映画の最高傑作をつくるんだ。みんなを夢中にさせたのはあんたなんだ。オレを夢中にさせたのはあんたなんだ。あんたの責任から言っても、バイク映画をつくるべきだ。オレ達は、あんたに貸しがある、という気がしているよ」、と言ったのである。
(略)
彼はとくに、アール・デコの画家、タマラ・ド・ラムピッカの絵がご自慢のようだった。彼女は、20年代から30年代にかけて活躍したが、いまでは殆ど忘れられている画家である。絵には、なにかの制服を着た、やせこけた男が描かれていた。(略)
 「タマラがヨーロッパでこれを描いていたころ、アメリカではフランク・テニー・ジョンソンがこいつを描いていた」そう言ってジャックは、壁にもたせかけてある絵のたばの中から、一枚のカンバスを引き出した。それは、夜明けの、焚き火がまだくすぶっている広い草原で、馬に乗っている二人のカウボーイの絵だ。「この二つの絵が、ほとんど同じ頃に描かれたという事実が、なんだかしらないがぼくにとっては、すごく魅力的なんだ」とジャックは言う。
 ジャックはこのほか、建築家フランク・ロイド・ライトの彫刻作品や、西部の現代画家ジェームズ・パーマの絵も、それぞれ数点、持っていた。さらに、シュガー・レイ・ロビンソンが写っているセシル・ビートンの写真がキッチンの近くにかかり、中国のプロパガンダ・ボスターのポップ・アート風みたいなのが数枚、パントリーにある。壁中、美術品だらけで、もうこれ以上は飾るスペースがない。(略)
自分の持っている美術品に関するジャックの知識はぼう大で、それを話し始めるととめどがない。吸血鬼のような歯をした男から、美術に関する高度な話を聞くのは、頭が混乱してくるような体験である。
(略)
 レイカーズの地元ゲームでニコルソンは、ビジター・チームのベンチのすぐ左に坐る。彼は、他の人が教会に行くように、熱心に定期的に試合を見に行く。彼は、他の猛烈バスケ・ファン同様、判定の間違いには大声で抗議し、超ファイン・プレーには立ち上って手をたたくが、ほとんどは、おとなしく坐ったまま、選手達の名前を、まるで聖人の名をとなえるように、呼んでいる。
 たとえば、ノーム・ニクソンがファウル・ラインから一つ沈めると、ジャックは、ささやくような声で「ノーマン」、と言う。ダンキング・ショットをしかけようとすると、「行けっ、ノーマン」になる。ジャバーのスカイ・フックが外れると、彼は、驚嘆して首を振り、「カリーム」、と言う。(略)

次回に続く。