柄谷行人 インタヴューズ 2002-2013

ロシア革命

ロシア革命というのは日本人一般に社会主義を知らしめたものですが、同時に、それはそれ以前の社会主義、他の社会主義の可能性を忘れさせるというか、葬ったものでもあるわけです。(略)ファシズムとは、それに対する反革命というよりも、対抗革命として、出てきたものです。ロシア革命がなかったら、ファシズムはなかったと思います。他の抑圧的な形態はあったでしょうが、革命的と称する運動はなかったでしょう。その意味では、二十世紀の思想はつまらない。ロシア革命がもたらしたものにどう対抗するか、どう批判するか、ということしかなかったからです。終ってみれば、つまらない苦労をしていただけじゃないか、ということになる。
(略)
ロシア革命を境にして、それまでマルクス主義と並んでいたさまざまな社会主義が滅ぼされたのです。まずロシアにおいてそうです。十九世紀ロシアにおいてナロードニキとして知られた人たちは、社会主義者です。彼らはまたアナーキストとも呼ばれていた。日本においてもそうです。実際、ロシアの影響を受けていた。明治における社会主義とは、まさにアナーキズムなのです。(略)ふつう、アナーキズムというと、幸徳秋水とか大杉栄、あるいは石川啄木というような線で語られます。しかし、それではわからないことがある。むしろ、アナーキズムは、いわゆる白樺派において見られるべきである、とぼくは思います。(略)日本の文学史で、白樺派アナーキスト社会主義者)だということが軽視されるのは、社会主義ロシア革命的なものだという観念があるからでしょう。ぼくの考えでは、ロシア革命はむしろ国家主義であって、社会主義とは無縁なのですが。
(略)
 ハンナ・アーレントが、ユートピアを考える者はそのユートピアにおける独裁者であるといっていますけど、まさに、その意味で、オーウェンであろうと、プルードンであろうと、独裁者になってしまいます。つまり、集権主義的になるのです。アナーキストなら集権主義を否定する、ということはできない。
(略)
 たんなる反集権主義、権力への芸術家的反撥などは、いつでも集権主義に転化します。そのことは、イタリアその他で、アナルコサンディカリストファシズムに転向したことからもいえることです。もう一つ大事なことは、国家とネーションを区別することです。国家権力に対しては本能的に反撥していても、共同体の相互扶助に共感するアナーキストたちは、ネーションにからめとられやすいのです。

なぜイスラム原理主義が出てきたか。

端的にいって、それは社会主義がなくなったからです。(略)[その]空洞を宗教的原理主義が埋めたということです。(略)
今のイスラム原理主義は昔からあったわけではなくて、イラン革命から出てきたものです。その前に、シャリアティという理論家がいましたが、彼はマルクス主義者で、フランスにずっといて、サルトルフランツ・ファノンなどとも知り合いであった。イランには長いマルクス主義運動の歴史があるのですが、大衆はみなイスラム教を信じているために、どうしても大衆に食い込めなかった。そこで、シャリアティは、コーランマルクス主義的に読みかえた。あるいは、マルクス主義イスラム化しようとした。彼はイラン革命の直前に死にましたが、むしろ、死後にイスラム圏全体に大きな影響を与えています。
 しかし、僕の考えでは、シャリアティの企画は失敗したと思います。ミイラ取りがミイラになったのです。イラン革命は国家と資本主義を倒すものとしてあったのですが、結局、実現されたのは、聖職者階級の独裁であり、まさに教会国家そのものです。シャリアティは途中で死んでしまったから幻滅を経験しなかったと思うけれど、生きていたらきっとこんなはずじゃなかったと嘆くと思いますよ。
 シャリアティの考えは、ある意味で、戦前の日本共産党で、佐野学や鍋山貞親が転向声明を出して、天皇制の下での社会主義を言い出したことに似ています。もちろんそんなものうまく行くわけがありません。当初はウソではなかったのでしょうが、次第に、社会主義が抜けて、天皇制だけになってしまう。イラン革命の結果も同じことです。

国家の揚棄

 マルクス主義が国家、ネーション、宗教につまずいたのは、それらを上部構造として見てきたからです。つまり、経済的下部構造が解決すれば、それらの問題は解消される、と考えた。しかし、そうではない。マルクス主義運動は各地でファシズムに敗れた。そこで、フランクフルト学派以後のマルクス主義者は、それらの上部構造は、経済的構造から相対的な自立性をもつということを強調するようになりました。また、精神分析や人類学、文化記号論を取り入れた。しかし、彼らの発想が根本的に変わったわけではないのです。たとえば、アンダーソンは、ネーションを「想像の共同体」だという。しかし、このような見方は、まるで表象を批判すればそれが消えてしまうかのような啓蒙主義になる。もちろん、実際にはそうはいかない。というのは、国家やネーション、宗教などは、哲学や文学と違って、それぞれ交換様式にもとづいているからです。いわば、それらはそれぞれ、広い意味で「経済的な下部構造」に根ざしているのです。
(略)
 ファシズムに敗北したのちのマルクス主義者は、旧来のマルクス主義者のつまずきを何とか越えようとしてきました。グラムシもその一人です。彼はファシズムに敗れて投獄されたあとに、その考えを発展させたのです。それまでマルクス主義者の間では国家はたんに支配階級の暴力装置として見られてきましたが、グラムシはそれを批判した。彼は、国家は暴力的強制によってだけではなく、被支配者を自発的にそれに服従するようにする「ヘゲモニー」にもとづく、と考えました。その場合、教会、学校、メディアなどが重視されるようになります。
 アルチュセールはそれを「イデオロギー装置」といいかえたのです。フーコーがいう「権力」もそのような考え方の系列の中にあります。さらに、フーコーは、国家のようなマクロな権力ではない、微視的な権力をとらえようとした。
(略)
 しかし私は、フーコーのみならず、アルチュセール、さらにさかのぼってグラムシも、国家をたんに国家の内部だけで考えていると思う。国家をその内側だけで考えていると、国家権力は社会的な権力と同じことになる。しかし、国家は他の国家に対して存在するのです。通常はそれを無視してよい。国家が露骨にあらわれるのは、戦争のときです。だから、「例外状況」(カール・シュミット)において、国家の本質が露呈するわけです。私はここから出発して、国家を考えるべきだと思う。それは国家を、交換つまり「恐怖による契約」から見るものです。国家はたんなるイデオロギー的上部構造ではない。それ自身の根拠をもっているのです。
(略)
ゆえに、国家の揚棄は一国の問題ではありえないのです。マルクスがその困難を知りつつ無視したのは、「世界同時革命」を考えていたからです。しかし、われわれは「世界同時革命」を当てにすることはできない。複数の国家の存在の上で、国家の揚棄を考えるべきです。私がカントを参照したのも、このためです。カントがいう「永遠平和」あるいは「世界共和国」は、資本=ネーション=ステートの揚棄を意味する、と私は考えています。
 ここから見ると、ネグリも国家を単一の国家としてしか考えていない。もちろん、彼は世界を考えているのですが、それを単一の「帝国」として見ている。しかるに、単一の世界帝国は存在しない。ネグリとハートは、アメリカにそのような世界帝国を見たのですが、それは事実に反している。複数の「帝国」があり、アメリカはその一つにすぎないのです。
(略)
 今後の世界はこのように多数の帝国がせめぎ合うものとなるだろう。ここから見ると、帝国とその中でのマルチチュードの反乱というような、ネグリとハートのヴィジョンは無効です。それは1848年にマルクス・エンゲルスが書いた『共産党宣言』の再版です。しかし、1848年に起こったプロレタリアの反乱は、各国によって分断され吸収されたことを想起すべきでしょう。それはむしろ、各地に資本=ネーション=ステートの確立をもたらしたのです。(略)
 各地のマルチチュードの反乱は、諸国家あるいは諸「帝国」によって分断されています。たとえば、アルカイダも定義上マルチチュードの反乱の一つであるはずですが、ネグリらは、イスラム教圏の運動だという理由で、それを認めない。しかし、これは、マルチチュードの運動が国家(帝国)、ネーション、宗教によって分断されてしまうことの一例にほかなりません。