最終兵器の夢 戦争の神エジソン

前回のつづき。

トルーマンの愛読誌

[『地球をゆるがした男』(1915)]
自らをPAX(平和)と呼ぶアメリカ科学界の魔術師(略)は最終兵器を作り上げていた。山脈や軍隊を消し去ることのできる放射能光線だ。(略)
PAXは交戦中の国々への穏やかなメッセージとしてアトラス山脈を爆撃するが、不幸にもそれを目撃した人々は放射能による疾患で死ぬことになる。爆撃から数日経つと、彼らは「内臓の火傷による激痛に苦しむようになり、頭や体の皮膚が剥がれ始めた。そして一週間のうちに悶え死んだ」。(略)
自らを「人類の運命を定める独裁者」と称する「平和の担い手」の核兵器に脅される形で、各国は兵器を破壊して軍隊を廃止、世界政府を組織する。そして軍備を禁止し、未来永劫の平和を保障する国際警察を立ち上げる。「戦争の恐怖と影」から解放され、「国々は人類の想像を超える豊かさを手にした」。
(略)
 こうした小説こそ、現在ではミドル・アメリカ〔中西部に住む保守的な中産階級〕と呼ばれる人々の文化的食卓におけるメインディッシュであった。本として出版される以前に、多くのものが新聞や人気雑誌で連載されていた。
(略)
『マクルアーズ』誌はジャック・ロンドンの「比類なき侵略」を1910年に掲載し、1915年には『アメリカ征服』を連載した。誰がこのような雑誌を読んでいたのか?典型的な読者の一人が、ミズーリの若き農夫で実業家のハリー・S・トルーマンである。この時期、彼はずっと貪るように『サタデー・イヴニング・ポスト』や『マクルアーズ』に掲載された小説を読み耽っていた。1913年、ベス・ウォレスという求愛中の若い女性に宛てた手紙にこう書いている。「『マクルアーズ』の購読契約をまた更新しなくてはいけない。一号たりとも見逃せないからね」

戦争の神エジソン

エディソンは、アメリカが危機に陥れば、電気兵器を駆使してアメリカを救う、神のような発明家という役割を演じながら
[自身の直流電流システムのライバルであるテスラの交流システムへの猛烈なネガティヴキャンペーンを行った](略)
エディソンとその部下たちは記事やパンフレット、噂などに加え、大衆向けの実演も行った。交流電流によって猫や大型犬、時には馬でさえも感電死させたのだ。(略)エディソンの部下たちは1889年、ウェスティングハウス社の発電機を三台購入し、それをニューヨーク州刑務所に販売、死刑に使われるように工作した。1890年8月6日、「電気椅子」による初めての処刑は、交流電流が恐ろしく危険であり、一瞬のうちに人を殺せるということを示すためのものだったが、死刑囚ウィリアム・ケンプラーが電気ショックに何度ものたうちまわるという、陰惨な結果に終わった。
 二年後、エディソンは交流電流がさらに恐ろしい力をもつというイメージを喚起した。戦場に無敵の電場を作り出す大量殺戮兵器として交流電流を想像したのだ。この超強力兵器の案は空想にすぎないが、エディソンが大衆の想像力の中で戦争の神として祀り上げられたのは、このイメージのせいだった。

エジソンが産んだ軍産複合体

[H・G・ウェルズは『宇宙戦争』で、ワシントン・アーヴィング同様、人類を上回るエイリアンに侵略される悪夢を描くことで]進歩と帝国主義の高慢さ、大英帝国の領土拡張信仰などを批判した(略)
[第二のテーマ]兵器テクノロジーの急速な進歩と「絶滅戦争」の恐れという問題に至る。ウェルズは、ヨーロッパ人が非白人に対して行ってきた集団虐殺戦争のイデオロギーと兵器の進歩が運動すれば、ヨーロッパ人が他のヨーロッパ人に対して同様の「絶滅戦争」を行いかねないと指摘する。
(略)
[『宇宙戦争』連載終了一ヵ月後、ギャレット・P・サーヴィスによる、続編『エディソンの火星征服』が登場。火星人の力にうちひしがれる人類の前にエディソン登場。エディソンの宇宙船は火星人のよりも高速で、分解光線も火星人のよりも強力]
ウェルズが自民族中心主義と人間中心主義の限界について陰鬱な考察をしたのに対し、『エディソンの火星征服』はアメリ国粋主義を高らかに歌い上げた。ウェルズの工業社会への警告は、進歩と帝国、個人主義とテクノロジーヘの狂信を無思慮に賛美することに変形されてしまった。世界が軍拡競争に進みつつあり、それは絶滅戦争につながりかねないという感覚は、超強力兵器への声高の支持、他種の知的生物の絶滅を求める声に入れ替わったのである。
(略)
第一次世界大戦の大虐殺の目撃者や戦闘員の証言が新聞や雑誌をにぎわした。彼らは、近代の工業化した戦争がいかに機械的で、非人間的で、冷酷かを語った。(略)
 アメリカ国民は――少なくとも、アメリカの新聞は――テクノロジーの権威として、エディソンに解説を求めた。聴衆を失望させることのない魔術師は、アメリカの防衛、軍事理論、そして戦争の原因と未来について、謎めいた声明を出し続けた。
(略)
 それまでの数十年、エディソンは今日なら「メディアイベント」と呼ばれる存在であり続けた。
(略)
1914年、彼がドレッドノート型戦艦と潜水艦の視察に来たときのことは、『ニューヨーク・タイムズ』紙の「魔術師、海軍造船所を訪問」という見出しの記事で報告されている。その二週間後、『ニューヨーク・タイムズ』はエディソンのことを「アメリカの平和精神の体現」と紹介。この記事の中で彼は、戦争が起こるのは「ヨーロッパの軍事ギャングたち」のせいだとし、「彼らは何かが起こらざるを得なくなるまで軍備を膨らまそうとしている」と非難する。そして、驚異的な兵器が作れると主張した過去は忘れた様子で、「人を殺す物を作ることは私の気質に反する」と主張している。
 1915年初頭、エディソンは徐々に方向転換し、工業と戦争遂行との合体に関してより積極的な役割を果たすようになった。(略)
戦争遂行の「新しい方法は、これまでにないような民主化への機会を与えてくれた」。「新しい方法によって要塞は不要になり、大軍をこっそり移動させる必要もなくなって、塹壕戦が最も効果的な戦法となった。
(略)
[五月『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌インタビュー記事]
見出しは「エディソンの軍備計画――いかに我々は戦争で無敵になれるか」。この中でエディソンは、ヨーロッパの戦争がすでに「疑いの影もなく、大きな常備軍が不必要であることを証明した」と言う。(略)大きな常備軍を置くよりも、予備役将校と下士官を訓練し、州市民軍を拡大して中央集中管理し、近代的な銃を何百万と製造する。そして、飛行機の大編成部隊を作り、水上艦と潜水艦の巨大な艦隊を作る(略)
 無敵な国家を作るためのエディソンの方策は、初期共和国の市民兵士という考え方と、近代のテクノロジーと工業とを組み合わせたものだ。この組み合わせの基盤には、塹壕戦がなぜかアメリカのような民主工業社会に有利に働くという、彼の奇妙な考え方があった。
(略)
 このインタビューで、後に最も影響を与えたのは、エディソンが次の提案をしている部分である。「政府は大規模な研究所を持ち、陸軍と海軍と文民が共同でそれを管理しなければならない。これによって、新しい兵器開発の可能性を継続的に高めていくことができる。大砲や高性能爆弾など、陸軍と海軍のあらゆる技術革新を、大きなコストをかけずに成し遂げられるのだ。そして時が来れば、我々はこの研究で得られた知識を利用し、最も効果的な最新兵器を大量に迅速に製造することができ(略)
[これを読んだ海軍大臣は海軍諮問委員会主任アドバイザー就任を要請]
(略)
 1915年10月13日、ドイツのツェッペリン飛行船隊がロンドンを空襲(略)[空襲記事の翌日『ニューヨーク・タイムズ』紙インタビュー]
見出しは「機械戦争はエディソンのアイデア」と「ビジネスに基づく戦争」。(略)
「未来の戦争は、その戦争にアメリカが参戦するのなら、兵士ではなく機械が戦う戦争になるでしょう」。こう言って、彼は新聞記者たちにこの教義を大衆に広めるよう要請する。「戦争への準備とは、軍事的な仕事ではないということを伝えてください。それは、賢明なビジネスマンによって、経済的な方策を通してなされるべきことなのです。機械を発明することで、人間の浪費を防がなければなりません」
 「実際の戦闘では、私は人間より機械を使いたいと思います」とエディソンは続ける。「一台の機械は優に人間二十人分に相当するでしょう。
(略)「未来の兵士は機械運転者です。サーベルを帯び、血に飢えた野蛮人ではありません。彼は自分の血を流すことなく、戦線の死の工場で汗を流すのです」(略)
[結局エディソンの発明で実用化されたものはなかったが、軍産複合体誕生の助産婦的役割を果たした]
(略)
[1921年の]インタビューのタイトルは「いかに戦争を不可能にするか」。彼自身が提案した1914年の国家計画を暗に否定する形で、エディソンは「平和時における戦争兵器の大量生産」すべてに反対している。科学技術の急速な進歩により、兵器はあっという間に旧式になってしまうので、戦争兵器を大量に作っても無駄になるからだ。その代わり、政府は「殺戮兵器の実験を絶え間なく、断固として続けるべきである」と彼は主張する。それによって「世界が殺戮兵器で溢れるようになれば、戦争は完全に不可能になる」からだ。
(略)
[数週間後]「もう数回実験をすれば、大都市の全人口を五分で殺せるようになります」と、彼は『スプリングフィールド・ニュース』紙のインタビューで回答している。(略)「アメリカが危機に陥ったら、私は政府に恐ろしい破壊力を持つ兵器を提供します。あまりに恐ろしい破壊力なので、国の危機が迫っている時以外、その秘密を明かすことは絶対にしません」
(略)
彼は、テクノロジーが作り出した新しい世界の大哲学者として尊敬されていた(略)[1922年『ストランド・マガジン』誌が彼をインタビューした理由は]「たった一人の知性が地球から戦争を駆逐できるとしたら、エディソンの知性である」
(略)
[1927年頃には]新たな戦争の英雄が現れ、エディソンの映画の技術を使って、最新の超強力兵器の福音を国中のスクリーンに投影していた。第一次世界大戦後の軍縮会議のさなか、航空戦の英雄であるビリー・ミッチェルが、空からの全面戦争の時代の到来を告げていたのである。「ためらうことなく、ありとあらゆる殺傷方法を試していかなければなりません」――エディソンのこの助言がフルに実行されていくことを、世界はじきに目撃することになる。

第三部からは核兵器がリアルになってくる時代の話、時間がないので簡略に。
 

フランケンシュタインの怪物

アメリカが原子力兵器を独占していながら、アメリカ人は自己を核戦争の加害者というより犠牲者として想像したのだ。(略)フランケンシュタインの怪物というメタファーは、早くも原爆投下の夜、ラジオキャスターの長老であるH・V・カルテンボーンのコメントに現われている。「おそらく我々はフランケンシュタインの怪物を作ってしまったのだ?この新兵器の改良されたものがすぐに現われ、我々に対して使われるかもしれない」。
(略)
「しかも、安く大量に作れるようになり、広島に与えた被害をアメリカ全土に及ぼせるようになるだろう」。(略)原子爆弾を使ってしまったことで、「アメリカの諸都市も突然消滅するかもしれないという危機に常に晒されている」のだ。「アメリカ人は、自国が原爆で攻撃されるというイメージに取り憑かれるようになった」とイギリスの評論家は述べている。

アメリカ殺害事件』(1946)

[突如核攻撃を受け壊滅したアメリカ、犯人「殺人国家」は誰だ。]
「ある一国が核戦争を始めた場合、他のすべての国が、その国を破壊することを誓う」[という条約があったため、犯人が判明した場合、どうするのかということに]
(略)
ある国の政府が、その国民が知ることも同意することもないまま、核攻撃を秘密裏に始めたとする。その場合、報復としてその国民を大量に殺戮することは正当化されうるだろうか?小説は次のように正当化する。主権在民の政府なら、こうした奇襲攻撃は始めない。「自由国家の指導者は、正当な手続きを経て、意見の異なる人間によって取って代わられる」ため、核兵器による先制攻撃を準備できるはずがないのだ。先制攻撃を準備できるのは、不正な手段か暴力を使って自国民による政権転覆を防いでいる独裁者だけである。このような隷属させられている国民であっても、政府の行動には責任があので、その殺戮は正当化できる。「隷属を許してしまい、そのために支配者が戦争を準備したとすれば、その国民は人間に対する大罪を犯したことになる」。この理論を適用すれば、第二次世界大戦時のドイツ人と日本人はすべて戦争犯罪者ということになり、皆殺しが許されることになる。アメリカが両国の諸都市を爆撃し、広島と長崎に原爆を投下した裏には、この理論が潜んでいたのだろうか?(略)
信じがたいほどの皮肉だが、この小説は重要な事実を忘れているようだ。この小説が定義する「人間に対する大罪」を歴史上犯した唯一の国はとこか?
(略)
 主人公は全世界の国々に対して、国際的な義務を果たすように要求する。「敵国のすべての都市、町、道路を破壊し、敵国を爆弾穴だらけの廃墟にしなさい」。そうすれば、「戦争を起こそうと考えている人間はそれを見て、血が凍りつくはず」だからである。現代の読者なら、アメリカがベトナムに教訓として二千百万個もの爆弾穴を残したことを思い出すかもしれない。

『炉辺の影』(1950)

書評家はこれを「あなたの義理の母や独身のおばさん向けの小説」と、あざ笑うように揶揄したが、メリルはまさにそういう人たちのために書いたと答えている。
(略)
[NYに原爆が落とされ、政府は民間防衛隊を組織]
主婦グラディスの隣人が権力に飢えた分隊長となって玄関に現われた時、彼女は気づく。「この人、こういうのが好きなんだわ?楽しくてたまらないのよ!」アメリカの都市はすべて廃墟と化したのに、政府は依然として突破不可能なレーダーシールドに守られていると主張する。
(略)
 スピネリ医師はグラディスに歴史的現実を突きつける。彼女が思わず「私、まさか、原爆をこんなふうに使う国が出るとは思わなかったわ」と言うと、彼はこう返答するのだ。「私たちは使いましたよ。1945年に、日本に対してね。だから、他の国が私たちに対してそれを使わない理由がありますか?」

「ミサイル・ギャップ」最終兵器の夢

冷戦のエートスが最高潮に達した時期、核戦争の小説には飽きたと不平を言うSFファンも多くなった。『ギャラクシー』誌の1952年1月号で、編集長のホレス・ゴールドは「陰鬱と運命」という編集方針を発表し、今後は核による破局を扱う小説は一切掲載しないと宣言した。(略)
[ソ連スプートニクICBM実験成功で]
アメリカ中にショックと、ほとんどパニックが沸き起こる中、かつて「爆撃機ギャップ」を煽り立てた軍事産業が、これを好機と捉えた。同じように胡散臭く、しかしはるかに恐ろしい「ミサイル・ギャップ」なるものを1957年から60年にかけて言い立てるようになったのだ。