明石康の交渉術

聞き手の木村元彦への興味で借りてみた。

「独裁者」との交渉術 (集英社新書)

「独裁者」との交渉術 (集英社新書)

文民統制

[「戦争をやりたがるのは文民」という田母神発言、文民統制]
 そのことについていつも私はNATO南部方面軍の総司令官であったボーダ提督のことを思い出します。高校中退、水兵からのたたき上げで、アメリカ海軍の最高の地位まで上り詰めた人です。最後には自殺してしまうのですけれども、この人は本当の軍人であるがゆえに、武器の恐ろしさをよく知っていた。その使用については、慎重のうえにも慎重でした。(略)軍事的な圧力を加えていく場合も、態度を変えた相手の退路を決して遮断しない、ということまできちんと考えながら行動していた。驚くべき戦略家であり、柔軟で素晴らしい人でした。第二次大戦を経験した日本人は、我々の世代も含めて、軍人に対する大きな偏見を持っていますが、本当の軍人というのは、武器の怖さを知っているし、文民優位の体制のもとにおいても、きちんと傾聴すべき意見を吐く人たちだと、私は考えます。
(略)
しっかりした歴史観が育っていけば、田母神氏のような意見も、力を失っていくのではないかと思います。だからこそ自衛隊を日陰者にしておくことの危険性を感じます。(略)
民主主義的で平和的な体制のもとでも、限定された自衛が必要であるということを、我々はもっと正直に認めるべきです。また、憲法九条がまったくだめだ、と否定することもおかしいと私は思います。

ポル・ポト派

直接折衝した相手はキュー・サンファンというポル・ポト派の元大統領です。彼はフランス仕込みの経済学者でマルクス主義者だった。(略)スポークスマンに過ぎず、彼と交渉をしても、暖簾に腕押しという感じで、その場で決定ができない。(略)
[最高司令官ソン・セン]この人は、何百人も何千人も人を殺してきただろうと思わせる鋭い目をしてね、口を開くと、言うことに凄みがあったのです。ソン・センはキュー・サンファンのように、羊の皮で自分を包むようなことはしなかったし、もっとストレートな人でした。各派の間の闘争についても突き放した冷徹な言い方で話していました。

選挙と民主主義

ところがワシントンのアメリカ政府やニューヨークの国連本部は、民主主義についての一種の原理主義に陥っていて、連立をけしからんと言うわけです。シアヌークと明石が、選挙で勝った第一党による政権づくりを無視して連立政権を支持するのはけしからんと批判をしました。
(略)
[ブラヒミ報告書で]選挙と民主主義というのは違うのだ、民主主義が目的で、それを確立するための一つの手段が選挙なのだと言っているのですね。また、選挙によって事態が安定するためには、市民社会ができていないとダメだとも。市民社会というのは、見方次第では中産階級とも言えるし、知識階級とも言えるでしょう。とにかく政府でもないし野党でもない、社会を安定させる重石みたいなもの。公平なアンパイアとして常識を持った人たちの一群が存在しないと、民主主義が定着したとはいえないし、それが定着するためには相当の時間がいる。選挙を一回や二回やったところで、そこまではいかないだろうというのです。

マスコミ不信

カンボジア選挙の前夜に最も懸念したのは、実はポル・ポト派による総攻撃ではなくて、ごく小規模な攻撃であってもポル・ポト派の攻撃があったことを世界中のマスコミがかなり潤色、脚色して報道するに違いないということでした。それによって世論が動揺し、各国政府が国連PKOから自国の軍隊を次々と撤退して、PKOが空中分解するかもしれないという惧れを持っていました。

ミロシェヴィッチ

カラジッチは、体は大きいけれどもやんちゃな子供のようなところがあり(略)にわか作りのセルビア人勢力の親分といった感じ(略)
ミロシェヴィッチはカラジッチとは距離を置いて(略)私に対しては、セルビアの利害を考えつつ行動する物わかりのいい良識派である、という印象を与えていましたね。彼は、カラジッチやムラジッチのような頭の固いナショナリストは困ったものだな、という口調で話していました。そして事実、NATO軍による空爆を回避させた。カラジッチなどより、もっと老練で、一回り大きい政治家だったのでしょうね。(略)
[ミロシェヴィッチが操っていたと言われているが]カラジッチがまったくの木偶の坊であったかといえば、そうではなく、ボスニアにおけるローカルなセルビア人指導者としては、それなりの影響力を持っていました。カラジッチが国連にNOと言えば、やはりミロシェヴィッチも無視できない面があったと思います。しかし、ミロシェヴィッチが本気で迫れば、カラジッチも最終的には従わざるを得なかった。(略)ミロシェヴィッチは、あくまで冷徹な現実主義者でした。心情的な民族主義者というよりは、むしろセルビア民族主義を利用してのし上がってきた人物です。大局的に物を見ることができました。ただ、致命的な欠陥は、人を見る目がなかった(略)
ムラジッチが軍を100%仕切っていたと思います。セルビア人勢力軍はムラジッチ将車に全面的な忠誠心を抱いていました。それこそ、この人のためなら死んでもいいというくらいの。ムラジッチは、戦争で亡くなったセルビア兵の数まで総人口に含めてカウントしていたのです。それほど盲目的に自民族を愛していた。(略)
セルビア側に対しては、国連の要員が攻撃を受けた場合には、人命を守るために最小限の反撃はせざるを得ない、と説明しました。カラジッチには、限定空爆(近接航空支援)と本格的な空爆とは峻別されるべきであると、口を酸っぱくして言ってきたし、書簡でも何度も説明したのです。(略)[限定空爆は]地上からも監視員によって確認したうえで、国連側の要員に現に攻撃を加えている武器、例えば戦車や大砲だけを狙いました。
 おそらくカラジッチは、ああそうなのかと、少しずつ理解していったと思います。けれども、ムラジッチはNATO空爆を、どんな形でも受け入れようとはしなかった。

国際的なプレゼンス

このごろの日本人は、国際的なプレゼンスが弱いから、もっと発言力を高めるべきだと異口同音にいいます。けれども、相手が何を考え何を心配し何を夢見ているのかを無視して、一方的にこちらの思いだけをぶちまけたって、素直に聞き入れられるはずもありません。文脈を無視したことを言ったら失笑を買うだけです。(略)相手が聞きたいことをきちんと答えられるようになれば、相手も一生懸命こちらに耳を傾けてくれるのです。

人権

 スリランカミャンマーをめぐって、欧米諸国の人権や民主主義思想を、どの程度、普遍的なものと考えるか、あるいは各地域に適応させ変化させるべきものとして考えるのかという議論が交わされています。(略)
人権は普遍的なものですが、山の頂上のようなもので、そこに至る登山道は一つではありません。各国、各地域、各文化によって違ってくる。それを心得ずに、ヨーロッパの地域外交の担い手などは、バサーッと横切りにやってしまうわけです。これでは、相手の反発を買うだけになってしまうことが多い。

援助

[国際的寄与は軍事面より]平和がこれだけ進めば、日本や、その他の先進国からの援助も増えるし、その結果、生活水準は高くなっていくのだ、という希望を持たせるようにする。「平和に対する配当」という考え方に立つことですね。(略)
[スリランカ和平が停滞して欧米諸国は]
平和が進めば援助を増やすという約束だったが、進まないなら援助を減らすべきだろう、と彼ららしい理屈でそう言ってきた。それに対し、我々はこう答えました。
 援助を減らしても、困るのは碌でもない指導者ではなく、一般民衆である。民衆には平和について何の罪もないし、懲らしめる理由もない。だから援助を減らしてはいけない。(略)
[欧米と日本の援助の違い]
欧米は、ベンチマークをきちんと立てて援助をしましょうと言う。日本はその点、ODA憲章に盛り込んだ明確な考え方に基づいた協力ではありますが、一方的な条件をスリランカに高圧的に呑ませるようなことはしない。(略)インフレ率を何パーセント以下にしろ等々。そういう形で途上国の成長産業がバタバタ倒れてしまうような誤りについては、IMFもその後、反省しているようですね。