ビートルズ世界証言集

前日のつづき。

主に「ジョンと反戦」ネタ。

ビートルズ世界証言集

ビートルズ世界証言集

憧れのエルビスを訪問

初対面同士の気まずい沈黙にいらだったキングが水を向ける。

「(略)座って音楽の話でもしたり、少しばかりジャムってみたりしてもいいかなって思っていたのに」
「それはすごいな」この状況をなんとかしようとして、ポールが感きわまったような声を上げた。
「誰かギターを持ってこいよ」エルビスが命じた。(略)
エルビスくん、君はきっと上手になるよ。しっかり練習を続けたら、僕とミスター・エプスタインとで君をスターにしてあげよう」とポールがふざけて言った。(略)
「何をやる?」とエルビスが聞いた。
「もうひとりのシラ*1のをやろう、シラ・ブラックの曲」とポールが言い、<ユー・アー・マイ・ワールド>を弾き始めた。(略)
エルビスの声はほかの誰よりも豊かに、深く、力強く舞い上がった。彼は左足をビートに合わせて上下に動かしていた。魔法が起こった。彼はそれをとても自然にやってのけた。ポールはピアノを弾きながら、ところどころでエルビスのボーカルとデュエットし、ジョージはちょっとしたしゃれたリフを入れた。ジョンは、たとえ適当に合わせていたのだとしても、少なくともぶち壊しにするような真似はしなかった。(略)
エルビスはその夜の気分に溶け込んでいた。「僕の三十回目の誕生日に君たちが贈ってくれた曲さ」と彼は言った。「これにはムカついたね」
彼は笑いながら、ベース・ギターで<アイ・フィール・ファイン>のイントロを弾き始めた。
「なぜ昔のスタイルを、ロックを捨ててしまったんですか」とジョンが唯一、本音の質問をした。「僕は昔のサン時代のレコードが好きだったんだけどな」
エルビスは座ったまま、決まり悪そうな素振りをした。これこそ彼が恐れていたたぐいの質問だったのだ。
「いいかい、僕が映画のサウンドトラックにかまけているからって、もうロックンロールができないってことにはならないよ」彼は怒ったように言った。「何曲かレコーディングする時間を作って、君たちをトップの座から引きずりおろしたっていいんだぜ」
ジョンはクルーゾー警部のアクセントに戻って、言った。
「こうでなくっちゃいけませんな……いくたりかの友人たちとすこーしばかり音楽のある、ささやかで家庭的な集まり」

ジョンが激怒

やや場がなごむも、ジョンソン大統領支持を謳った幌馬車の模型を見て、ジョンが激怒、さすがに表立って政治的議論はしなかったが

エルビスが「僕は一本につき百万ドルで映画を作っているんだ。どの作品かは言わないでおくけど、そのうちの一本は、たった十五日間で完成させたんだよ」と言うと、この言葉にジョンが反応した。
「そう、僕たち、あと一時間はいられるから」と、鮫のように獰猛な口をして、このビートルは言った。「ひとつ、その間に一緒に超大作を作りましょうや」

エルビス映画をおとしめることで“キング”のベトナム戦争支持を暗に批判。
音楽上での競争関係が政治的対立になり、ついにエルビスがキレてコワモテ側近フォータスを呼びつける。

「誰かあのクソ野郎のことをFBIに訴えてやれよ」エルビスは三年間のフラストレーションが一気に爆発したかのように怒って言った。「あいつはアタマがおかしいぞ」
「ヘイ、ビートル!」フォータスの声が部屋中にとどろいた。(略)
ジョンがまた毒舌からトラブルを起こしたことを知ったブライアンがやってきて、彼を守るように肩に腕を回し、部屋の静かな隅に連れて行った。だが、午前二時ごろにパーティーがお開きとなり、われわれが銘々玄関のドアを出て行くとき、ジョンは捨てぜりふまで吐いたのだった。
「音楽ありがとうでした、エルビス」と言ってから、皮肉たっぷりにこう付け加えた。「キングよ、永遠なれ!」

真実を伝えろよ

双方のマネージャー、パーカー大佐とエプスタインは友好的に事を収めようとするが

私たちが車に乗り込もうとしたとき、大佐が私に言った。「ファンにはすばらしい会見だったと伝えてくれたまえよ」
ジョンは笑って言った。「真実を伝えろよ。ゴミの山みたいにばかげていたって」

[公的な場では]「(略)アメリカで唯一会いたかったのはエルビス・プレスリーだった。どれほど感動したか、とても言い表せないね」私的な場では、のちにジョンは友人たちに向かってまったく違う意見を述べている。「まるでエンゲルベルト・フンパーディンクに会ったようなものさ」彼は苦々しげにそう語った。
コメントを求められたポールは、エルビスは「変わった人だった」と答えただけだった。だが、ビートルズのなかでもっとも外交にたけたポールから発せられただけに、その言葉には十分な重みがあった。

反戦発言

66年夏の全米ツアー中ベトナム戦争が拡大。エプスタインにずっと禁じられていた反戦発言を意を決して敢行。ところが、何気ないキリスト発言で大騒ぎしたくせに、反戦発言はスルー。

ビートルズ反戦陣営に仲間入りしたというニュースがマスコミで話題になることをジョンは期待した。ビートルズに関することなら何でも記事にすれば新聞は売れたのだ。実際のところ、エプスタインは心配しなくてもよかった。彼らの反戦発言はニューヨークの地元紙に載っただけで、それも大きく取り上げられたわけではなかった。『デイリー・ニュース』紙はビートルズの記事に六ページを割いたが、反戦宣言はそのなかの一行だけだった。『タイム』誌と『ニューズウィーク』誌には、ジョンの「キリスト発言」に焦点をあてたビートルズのツアーについての長い発言が掲載されたが、反戦発言は完璧に無視されていた。

ジョン ウィーナーの文章より。

67年、『サージェント・ペパー』の夏

はまた、アメリカではゲットーの反乱の夏でもあった。七月半ばにニューアークが爆発した。十平方マイル以上の範囲にわたって黒人たちが警官と闘いを繰り広げた。五夜ののち、24人の黒人が殺され、1500人以上が負傷。1397人が逮捕された。州知事によって設けられた委員会は、州兵と警察が「行き過ぎた不当な暴力」を行使し、黒人を無差別に狙い撃ちし、黒人の店を破壊した、と非難した。その一週間後には、デトロイトのゲットーが燃えた。銃を持った黒人たちが州兵を寄せつけず、役人たちは25年間で初めて連邦政府の軍隊を市民の騒乱鎮圧のために出動させた。(略)
『サージェント・ペパー』の夏を過ごす若者たちやフラワー・パワー、それに平和運動に参加する白人の若者たちと、「燃やせ、ベイビー、燃やせ」と叫ぶゲットーの若者たちとを隔てる計り知れないほど大きく深い断崖を暗示していた。

ユダヤ人組織からの圧力

中東における第三次中東戦争(六日戦争)も同じ年に起こった。(略)ピーター・ブラウンは、この戦争がいかにビートルズに影響したかを詳述している。「この戦争のあいだに、ロンドンのユダヤ人組織からイスラエル支援チャリティ・コンサートに出演するよう、大変な圧力がかかった。(略)
ユダヤ人のリーダーからの圧力は、本当にものすごくむかつくようなものだった。リュー・グレイドとその会社みたいな連中はブライアンにひどく脅しをかけていたよ。

<愛こそはすべて>の政治運動批判

世界に衛星中継されたテレビ番組で、七百万人がそれを耳にした。それはあの夏のフラワー・パワーの聖なる歌となった。そのことで過激派たちはジョンを、その人生の最後に至るまで非難し続けた。
(略)
愛が世界の問題を解決するだろうなどとは、ジョンは言っていない。彼は、世界の問題はそれ自体に任せろと提案しているのだ。そんなふうにすれば、問題を解決したり、はるかな目的を達成しようとするかわりに人生を愛に棒げることができる、というのである。この歌は、政治運動としてのフラワー・パワーに対する批判なのだ。他人にできないことで、君にできることは何もない。だから、ベトナムでの殺戮やアメリカの黒人虐待について何もする必要はない。誰もがリラックスして、今いる場所、そしてこの瞬間を楽しむべきなのだ。ジョンは、ブルジョア的禁欲と未来志向に反対するだけでなく、活動家の切迫感、不正や抑圧との闘いに対する強い個人的誓約にも反対の議論をしかけていたのである。

最後にプチ藁ネタ。
エスタデイに次いでカバーされてるのはジョージのサムシング。フランク・シナトラもカバー。あの二人には負けてないというジョージの心の叫びもむなしく、シナトラのステージでの曲紹介がw

ミスター・レノン、そしてミスター・マッカートニーに敬意を表して、この曲を演奏します。

「だぁー」
byインスタント・ジョンソン

十三歳になったころだったかな、姉のパティが“ホワイト・アルバム”を貸してくれたんだ。私が〈ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン〉を聴いていると知ると、母親はえらく腹を立てた。それはもうカンカンだったよ。
 ---ロナルド・レーガン・ジュニア