作家はどうやって小説を書くのか ガルシア=マルケス

前回の続き。

――テープレコーダーをつかうことについて

どう思われますか?

問題は、インタヴューがテープに録音されているとわかると、とたんに態度が変わることだ。わたしの場合は、たちまち守りの姿勢になる。ジャーナリストとしてわれわれはまだインタヴューにテープレコーダーをつかうのに慣れてないような気がするな。わたしのかんじでは、いちばんいいのは、ジャーナリストはメモはいっさいとらずに長時間会話をすることだよ。そして、あとでその会話を思いだして、自分のかんじた印象を書く、出てきたとおりの言葉をかならずしもつかわなくていい。
 もうひとつのいい方法は、メモをとり、それを、インタヴューした相手の立場にたって解釈していくことだ。なんでもかんでも録音しちまうテープがイライラさせられるのは、インタヴューされている人物の立場にたってないことだからね。だって、自嘲的にしゃべったりしたところなどもぜんぶ録音して記憶しちゃうんだから。そういうわけで、テープレコーダーがまわってると、インタヴューされてるんだなってわたしは意識する。テープレコーダーがなければ、無意識に、完全に自然に話すんだが。
――なんか、つかうのがすこし後ろめたくなってきましたけど、でも、このてのインタヴューには必要だと思いますので。
まあね、きみにプレッシャーをかけるのが目的で言っただけさ。
――では、インタヴューでテープをつかったことはこれまでないんですか?
ジャーナリストとしては、一度もない。(略)
――難破船から帰還した船乗りへの有名なインタヴューのことを聞いたことがありますけど。
あれは質疑応答じゃないよ。船乗りが自分の冒険をわたしに話し、それをわたしがリライトした、なるたけかれの言葉をつかって、一人称で。いかにもかれが書いたかのようにさ。新聞に連載されたときは、一日一話で二週間つづいたが、筆者名は船乗りで、わたしではなかった。二十年たって、ふたたび活字になったときにはじめて、書いたのはわたしだとわかったんだ。あれを評価してる編集者なんていなかったよ、『百年の孤独』を書いてからだ、見方が変わったのは。
[インタビュー時期がノンフィクションのようでもある『予告された殺人の記録』刊行直後]
――(略)ふたたびジャーナリストになった気分はいかがですか(略)
自分のほんとうの職業はジャーナリストだ、といつも思ってる。以前、ジャーナリズムの気に入らないところは労働条件だった。また、自分の考え方を新聞の方針に合わせなくちゃいけないというところもあった。でも、いまは、小説を書いてきて、小説家として経済的な独立もできたから、自分が興味のある、自分の考えに合ったテーマを選べるようになった。ともかく、すばらしいジャーナリズムの記事が書けるかも、とおもうといつもうれしくなるんだよ。
――すばらしいジャーナリズムの記事って、たとえばどんな?
ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』は傑作中の傑作だね。(略)
――小説にはジャーナリズムにできないなにかがあると思いますか?
ないね。ちがいがあるとは思わない。話の出どころもおなじ、素材もおなじ、技量も言語もおなじだ。ダニエル・デフォーの『疫病流行記』はすばらしい小説だし、『ヒロシマ』はすばらしいジャーナリズムだ。

影響を受けた作家

わたしの最初の短編小説については、ジョイスの影響をうけていると言われた。(略)
ぜんぜん読んだことがなかった、だから『ユリシーズ』を読みはじめた。唯一手に入ったスペイン語訳で。そのあとずいぶんたってから、『ユリシーズ』は英語でも、また、とてもいいフランス語訳でも読んだが、最初に読んだスペイン語訳はかなりひどいものなのだとわかったよ。でも、将来ものを書いていくうえで役に立ちそうなことは学んだね――内的独白とか。それについては、もっとあとになってからヴァージニア・ウルフの作品でも知り、わたしとしては、彼女のそれの使い方のほうがジョイスのより気に入ったけど。もっとも、さらにあとになってからのことだが、内的独白を発明したのは『ラサリーリョ・デ・トルメス』を書いた無名の作家だって知ったがね。
――初期の頃はどんなところから影響をうけていたか、いくつかあげていただけますか。
短編小説にたいするわたしの頭でっかちな姿勢をしっかり取り除いてくれたのは、アメリカのロスト・ジェネレーションの作家たちだ。かれらの文学には、わたしの短編小説にはない、人生とつながっているというかんじがあった。
(略)
一九五〇年か五一年の頃、もうひとつ、わたしの文学観に影響をおよぼすことがあった。母親に頼まれ、生まれ故郷のアラカタカにいっしょに行いったんだよ。(略)着いてショックをうけた、わたしは二十二歳になっていて、そこに来たのは八歳以来だったからね。なにひとつほとんど変わっていないんだが、村を見ているというかんじがしなくて、まるで本でも読んでるみたいに、村を味わっている。目に入るものすべてがすでに文字で書かれているので、こっちにできることといったら、ただそこにすわって、目の前に書いてあるものを、自分が読んでいるものをコピーするだけってかんじなんだ。(略)
フォークナーのようなテクニックでしか、あのとき見ていたものは書けなかっただろう、といまは思うね。村の雰囲気といい、退廃ぶりといい、暑さといい、フォークナーにかんじていたものとほとんどおなじだったんだから。そこはバナナのプランテーションがあった地域で、かつてはいくつものフルーツ会社のアメリカ人たちがたくさん住んでいたんだが、その雰囲気は、まさに、アメリカ深南部の作家たちの作品にかんじていたのとおなじものだったよ。批評家はフォークナーからの文学的な影響を口にするけど、わたしに言わせれば、偶然の一致さ。わたしが見つけた素材をあつかうには、フォークナーが似たような素材をあつかったのとおなじようなやりかたでやるしかなかったってことだ。
 その村への旅から帰ってから『落葉』を書いた、最初の長編小説だ。アラカタカヘの旅でなにがあったのかというと、要するに、子ども時代のことにはすべて文学的な価値があるって気がついたことだね、それをありがたく思えって。『落葉』を書いたら、とたんに、自分は作家になりたいのだ、だれにも邪魔はさせない、あとはひたすら世界一の作家になるべくがんばるだけだ、と自分に言い聞かせていた。一九五三年のことだ、もっとも、初めて印税をもらったのは、一九六七年、わたしの八冊の本のうちの五冊を書いてからのことだがね。

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 

スタイルの探求

――『落葉』を書いてから『百年の孤独』が書けるようになるまで、どのようにスタイルの探求をおこなっていたのか、教えていただけますか?
『落葉』を書いてしまうと、村や自分の子ども時代について書いているのは、国の政治的な現実と向き合って書くということから逃げていることだ、と考えるようになった。まちがった考えではあったんだが、進行中の政治的な事柄に面と向かわず、ノスタルジアのなかに身を隠している、と思ったんだよ。なにしろ、文学と政治の関係がおおいに議論されていた時代だったから。わたしもそのふたつのあいだの溝を埋めようとしていた。それまで影響をうけていたのはフォークナーだったが、今度はヘミングウェイになった。そして『大佐に手紙は来ない』や『悪い時』や『ママ・グランデの葬儀』を書いた。(略)
『悪い時』を書き終えると、またしても、どうも自分の考えはまちがってるな、と思った。そして、自分の子ども時代について書くのはかなり政治的なことで、自分が考えている以上に国の現実と密接につながっている、と考えるようになった。『悪い時』の後は、五年間、なにも書かなかった。どういうことをしたいのかというアイデアはあるんだが、なにかが足りないんだ。それがなんなのか、ずっとわからなかったんだが、ある日、とうとうピタリとしたトーンが見つかった――そのトーンを最終的には『百年の孤独』でつかうことになった。もとになったのは、わたしの祖母が話をするときの話し方さ。彼女が話すと、すべてが超自然的になる、ファンタスティックになる、そのくせ、完璧に自然に話してる。つかえるトーンがいよいよ見つかるや、あとは十八ヶ月間、毎日、座りっぱなしで書いた。(略)
なにより大事なところは、話していたときの表情だ。話している間、ぜんぜん表情を変えない。これにはみんながおどろいていた。最初、『百年の孤独』を書こうとしたときは、自分には信じられない話でも、ともかくどんどん書いていこうとした。しかし、そのうち気がついた、しなければいけないことは、自分も話を信じること、そしてそれを祖母が話していたのとおなじ表情、すなわち、レンガのような顔で書くことだということに。
(略)
美女のレメディオスが天に昇っていくエピソードを書いていたときは、信じてもらえるようなものにするのにかなりに苦労した。ある日、庭に出ていったら、家に洗濯をしにやってくる女性がいて、シーツを干していた。風のつよい日でね、彼女は風にむかって、シーツを吹き飛ばさないでよ、と怒ってた。それで、シーツをレメディオスにつかえば、彼女は天に昇れるな、と気づいたんだ。そうやってるんだよ、そうやって信じてもらえるようなものにしている。どんな作家にとっても、大きな問題は、どうやって信じさせるかなんだよ。信じさせることができたら、あとはなんでも好きに書ける。

独裁者のモデル

――『族長の秋』の登場人物たち、たとえば独裁者たちはじっさいの人物をモデルにしているのですか?(略)
どの小説でも、登場人物はコラージュだよ、自分が知っている、ないしは、聞いたり読んだりしたことのあるいろんな人物のコラージュだ。わたしは、前世紀の、また今世紀初めのラテンアメリカの独裁者たちについては、見つけられるものはぜんぶ読んだ。また、独裁者のもとで生きた多くのひとたちから話も聞いた。そういうことを、最低十年はやった。そして、どんな人物像になるかがはっきりしてくると、こんどは、読んだこと、聞いたことをぜんぶなんとか忘れるようにした。じっさいにあった状況を使わずに自分で作り出せるようにするためにね。そして、あるときは、自分は独裁体制のもとで生きていたことがないのにふっと気がついて、スペインについての本を書けば、独裁政治の下で生きるかんじがつかめるんではないかと思ったりした。しかし、よくよく考えていくと、フランコ下のスペインとカリブ海地域の独裁とでは雰囲気はだいぶちがう。それで、本はまた一年近く中断だ。なにかが足りないんだが、それがなんだかわからない。で、とつぜん決心した、いちばんいいのはカリブ海に戻ることだ、とね。(略)
カリブ海を旅行したよ。島から島へまわるうち、わたしの小説にずっと欠けていたいろんな要素を発見した。
――あなたは権力の孤独というテーマをよくつかいますね。
大きな権力をもてばもつほど、だれが嘘をついていてだれがついていないのか、知るのはむずかしくなる。絶対的権力をもってしまうと、現実とのつながりはなくなってしまうんだよ。最悪の孤独のかたちだ。すごい権力のある人間、つまり独裁者というのは、かれを最終的には現実から孤立させてしまおうと狙っている連中に取り囲まれている、かれを孤立させるべく、すべてが一致協力している。

最初のパラグラフ

――どういうふうにして書き始めるのですか?『族長の秋』に繰り返し出てくるイメージは宮殿のなかにいる牛たちです。これがそもそも最初にあったイメージですか?
一冊、写真集を持ってるんで、あとで見せてあげよう。(略)最初のイメージは、すごい年の老人がすごい豪勢な宮殿にいて、そこには牛たちが入りこんできてカーテンを食べているというものだった。しかし、それが具体化したのは、ある写真を見たときだ。ローマで本屋に入って、写真集を見てたんだ(略)そしたら、その写真があったんだよ、まさにパーフェクトな一枚。こういうかんじだな、とわかった。
(略)
 なによりいちばんむずかしいのは、最初のパラグラフだよ。最初のパラグラフには数ヶ月かかるが、いったんそれが書けると、あとはとても楽に出てくる。最初のパラグラフで、その本がもっている問題のほとんどを解決してしまっているんだ。テーマ、スタイル、トーンはそこで決まる。少なくとも、わたしの場合、最初のパラグラフは、本がそのあとどういうふうになっていくかのサンプルみたいなものだね。だから、短編小説を書くのは長編よりもはるかに厄介だ。短編小説は、書くたびに、はじめからぜんぶやらなきゃいけないんだから。

――翻訳家たちのことはどう思われます?

翻訳家たちには敬意を抱いてるが、ただ、注釈をつけたがる連中は困るね。作家が意図してもいなかったことを読者に説明しようとしたりするから。そこにあるもので、読者はがまんしなくちゃいけないんだ。翻訳はとてもたいへんな仕事だよ、まったく酬われないし、ろくにお金にもならないし。すぐれた翻訳は、つねに、べつな言語での再創造だよ。だからわたしは、グレゴリー・ラバッサにはほんと感服してる。わたしの本は二十一の言語に翻訳されてるが、ラバッサだけだ、注釈をつけるために細々と説明を求めてこなかったのは。わたしの作品は英語では完璧に再創造されてると思うね。本というものには、ところどころ、文字通りにはよくわからない箇所があるものだ。だから印象としては、翻訳家は当の本を読み、しかる後、その記憶から再創造しているんだろうな。翻訳家はたいしたものだと思う。かれらは知識よりも直観をつかってる。出版社はまったく悲惨な額しか払わないだけじゃない、翻訳家の仕事を文学の創造と見てないんだから、ひどい話だよ。わたしにも、何冊か、スペイン語に翻訳してみたいものはあるんだ、ただ、自分で本を書くのとおなじくらいの労働になるんだろうし、とても食っていけない
――翻訳したいものってなんですか?
アンドレ・マルローの全作品。コンラッドサン=テグジュペリも訳したいな。

印税

残念なことだが、いま、若い作家たちは、自分の仕事そのものより、有名になることに気をとられている。(略)
マルケスのことばかり書くな、マルケスにそういうものはもう必要ない[と若い作家たちは言う](略)
かれらは忘れてるが、わたしがかれらの年齢のとき、批評家たちはわたしのことなんか書こうとしなかった(略)
わたしは四十歳になるまで印税というものをもらったことがなかった。その時点ですでに五冊も本を出していたのにね、でも、これはわたしの文学キャリアにおいてとても大事なことだったと思ってる。

――愛読書は別にして、

最近はなにを読んでらっしゃいますか?

とんでもないのを読んでるよ。こないだ読んだのはムハメッド・アリの回想録だ。それと、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』、これはすごい本だ。昔だったら読まなかったろうな、時間の無駄遣いだと思って。(略)
フィクションはもうぜんぜん読まないな。回想録やドキュメントを多く読むね、でっちあげのドキュメントもふくめて。それと、好きな本を再読してる。再読のいいところは、どのページを開いても、ほんとうに好きなパートがあることだ。それから、「文学」しか読まないという神聖な考え方が、最近はすっかりなくなった。なんでも読む。時流に乗り遅れないように努めてる。毎週、世界中のほんとうに主要な雑誌をぜんぶ読んでるよ。テレタイプで読んでいた癖が残っているんで、ニュースにはいつも目を光らせている。

――『百年の孤独』がこんなに大成功すると思ってましたか?

わたしのほかの本より友人たちは気に入ってくれるだろうとは思っていた。でも、わたしのスペインの出版社が、八千部刷る、と言ってきたときは仰天したね。だって、わたしのほかの本は七百部以上売れたことがないんだから。どうして穏やかに行かないの、と出版社に訊いたら、いい本だから八千部は五月から十二月までのあいだにぜったい売りつくせる、と言うんだ。ふたをあけてみたら、ブエノスアイレスで一週間でぜんぶ売れた。

次回に続く。