友川カズキ独白録: 生きてるって言ってみろ

友川カズキ独白録: 生きてるって言ってみろ

友川カズキ独白録: 生きてるって言ってみろ

  • 作者:友川 カズキ
  • 発売日: 2015/01/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

夜へ急ぐ人

 デビューした頃は正直、野望はあったんですよ。「歌で一発当てて小金持ちになりたい」って本気で思ってたから。
(略)
 そういう意味では「ここが勝負だ!」と思ったのが、ちあきなおみさんに依頼されて作った「夜へ急ぐ人」ですよね。よーし、これで当ててやろうと思ってね。紅白でちあきさんが「夜へ急ぐ人」を歌った時は、アパートの部屋でテレビ見ててね、思わずブラウン管の中の映像を写真に撮りましたから。司会の人には「気持ち悪い歌ですねえ」なんて言われちゃってさ。(略)私も確かにあのちあきさんの振り付けにはびっくりしたなあ。完全に異界に入っちゃってて。
 これは実際にちあきさんから聞いた話なんだけど、ある精神科医の会合の余興にちあきさんが呼ばれて何曲か歌ったそうなんです。それで曲目を決める打ち合わせの時に、主催者側から「あの曲だけは歌ってくれるな」と。他はどんな曲を歌ってもいいけど、「夜へ急ぐ人」にだけはNGが出たらしいのよ。あの「おいでおいで……」っていうのが、ダメなんでしょうね。たぶん、神経やられちゃうんだろうなあ。ふだんマイナスエネルギーばっかり吸ってるはずの精神科医も、あの曲には太刀打ちできなかったっていう……。
(略)
 デビューアルバムの『やっと一枚目』っていうタイトルは私が付けたんですけどね。実は続くアルバムも、『そっと二枚目』とか『とりあえず三枚目』、『やれやれ四枚目』とかってね。自分で念入りにタイトル考えて準備してたんですけどね、全部不採用でした。
(略)
 一時期、蒲田のイタリアンレストランでバイトをしていたことがあって、そこで歌ってた私を宇崎竜童さんがたまたま見ていらして。まだダウン・タウン・ブギウギ・バンドで有名になる前のサラリーマン時代で、髪を七三に分けてパリッとした背広着ててさ。その当時から知り合いだったんだけど、最初のシングルを出してから少しして、すでにデビューしていた宇崎さんが「友川、アルバム出そうよ」って言ってくれてね、大手のレコード会社――徳間音工のロック畑のディレクターの方に私を紹介してくれたんです。その後、アルバムが出る前にシングル「生きてるって言ってみろ」のプロデュースもしてくれました。だから、宇崎さんは数少ない音楽業界の恩人のひとりですよね。

やっと1枚目(紙ジャケット仕様)

やっと1枚目(紙ジャケット仕様)

 

多作で千曲以上は作ってる

 当時から多作でね。アルバムデビューした時点で数百曲、自分で書いた文章によると、27歳ぐらいの時ですでに六百曲くらい作ってるんですよ。昔から作るのだけは全然苦じゃないんだ。そう、産みの苦しみって、ほとんど経験ないんですよね。結果、現在までに人前で歌ってないものも含めて千曲以上は作ってるでしょうね。
(略)
「生きてるって言ってみろ」は21歳くらいで作った曲ですよね。秋田のアマチュアコンサートに向かう車中で作ったんですよ。車の窓を開けて、田園風景に向かって大声でがなりながら作ったの。「家出青年」とか「トドを殺すな」なんかが、23歳か24歳くらいの作品か。そう考えると、耐用年数だけはなかなかなもんだなと。今も違和感なく歌えるしね。
(略)
 自分のレコードは完成した時に少し聴くだけで、あとはもう全然聴く気が起きないというのが常なんですけどね。
(略)
 逆に今でもステージで歌う曲もありますけどね。単なる懐かしさだけじゃなくて、「あ、これは歌える」って、咄嵯に曲の世界に入って行けるというか。作った時の状況だとか気分だとかが、まだ自分の中で現在形のものとして生きてるんですよね。あまりに久し振りすぎて、歌ってみたら全然違う曲になってしまってたりもするんですけど。よくスタッフに、「あんな曲でしたっけ?」なんて突っ込まれるけど、あくまで自分の歌だしね、他人に文句言われる筋合いないでしょ。
(略)
 ちあきさんに曲を提供してアルバムにしていただいた時も、ちょっとアレンジがキツくてねえ。レコーディングも見に行ったんだけど、正直「参ったなあ」って感じでした。「夜へ急ぐ人」だけはシングルカットするときにアレンジし直してくれて、まあ、ホッとしましたよ。最近、自分でも歌ってますけどね、あくまで、ちあきさんが歌うように書いたものですから。自分で作曲しておいてアレですけど、私が歌うには非常に難しい歌なんです。

歌の強度、声

 生意気を言うようだけど、歌手は「ノド」で歌うわけじゃないんだよ。(略)
それ以外の色んなモノが、歌を歌たらしめているはずなんです。歌の強度っていうのかな。
[デビューした時、ボイトレやらされたけど、すぐ飛び出した]
(略)
 だからまあ、一番大事なのはその声の後ろにいるはずの「人」の問題なんだよね。私はそっちの「内面」の方が問題なんだと思うのよ。人にとって一番面白いのは「人」なんだな。(略)
ノドを鍛えて声量が増えたとか、声域が広がったとか、それでいっぱしの歌手になれたとか、そんなのウソですよ。だってその歌がいいかどうかって、声の問題だけじゃないもの。
 声そのものが「存在」であることは確かなんですよ。声が説得力の最大の源泉になることも、確かにある。例えば、忌野清志郎さん。森田童子三橋美智也。あの声じゃなかったら、なんか締まらないし、あの情感は出てこないわけで。(略)「この人、歌上手いなあ」って感嘆したのは、やっぱり三上寛桑田佳祐だよね。三上寛の演歌なんか、凄くてねえ。
 清志郎さんにはね、渋谷の「青い森」ってライブハウスでRCサクセションの前座やらせてもらった時にね、楽屋でギターのチューニングをしてもらいましたよ。「すいません、私チューニングができないもんで……」っておろおろしてたら、あの伏し目がちな微笑みと声でね、「やりましょう」って言ってくれて。いやぁ、恐縮しました。なんにせよ、あの声だけはね。実にすばらしいんですよね。
 自分の声は……うーん、「友川さんは声が凄いんですよね」なんて言われちゃうと、非常にこそばゆくてねえ。自分の声は、正直好きではないですね。もっと低音でね、凄みがあったらいいんだけど。
(略)
 ホラ、私って感情を込めに込めて、いつも青筋立てて叫んでいるように思われがちじゃないですか。でもね、自分自身が歌う時に一番気をつけているのは、感情的にならないことなんです。どうも人間は放っておくと感情を込めるように出来ちゃってるんだな。
 で、それって表現する時には案外つまらないんですよ。頭に来たから怒鳴るとか、悲しいから囁くようにとか、そんな短絡的なことではあり得ないんですよね。そういうところは、実は凄く気を遣っているわけです、私なりに。
(略)
本当に言いたいこと、本当に歌いたい「詞」があるとすれば、そこに感情を込めれば込めるほど嘘っぽくなる。ムダに力を込めちゃうと、お客さん以前に自分が冷めてしまうんですよ。さらっと流したほうが、より深く残ることがある。「ここだ!」っていう時こそ、意識して低ーく歌ったりするんです。逆に一見なんでもない言葉、平明な歌詞にこそ力を込めて歌ってみたりね。
(略)
よくステージでお客さんに「てめぇら!」なんて一発かます歌手もいるじゃないですか。あれって、一種の「媚び」なんですよ。彼らのスタイルだからね、それはそれでいいんでしょうけど。
 私はさ、ふだんは決して腰の低い人間ではないんでしょうけど、「どうもこんばんわぁ。友川ですぅ」なんてね、わざと丁重にね、入って行くの。それこそが私なりの「つかみ」なんですよ。虚を突くというか、「あれ、友川ってこんなヤツだっけ?」って思わせたらもう、こっちのもんなんです。「媚び」はさ、安心感しか生まないの。もちろん、そういう芸風、スタイルがあるのもわかるんですが、私はあえて逆にね、ちょっと慇懃に振る舞ったりするんだよ。裏をかくことでお客さんに不安を与えたいわけ。「えぇ!?一体これから何が起こるんだ?」っていうね。

歌は誰のものでもない

 気をつけているのは、不特定多数がすんなり理解できるような言葉をあえて使わないということです。みんながわかってるんだったら、もはや歌う必要ないでしょ?(略)
 つまり、十人中一人がわかって、あとの九人が悩んでる方が清々しいんです。それでね、「みんながわかる」っていうのは「みんながわかっていない」というのとある意味同じなんですよ。で、最終的にわかっていてもわからなくても、どっちでもいいんですよ。だって、「わからせる」のが表現することの目的ではないから――。
(略)
 そもそも「歌」っていうのは、歌ってしまった以上、すでの私のものではないんです。聴いた人のものでもない。「歌」は「歌」のものなんだ。人と人のあいだに「歌」が浮かんでるだけなんだ。
(略)
「この絵は俺のものだ」「この歌は私のものだ」って思ったらその人のものでもあるし、その絵や歌は彼や彼女の裡に元々存在した「何か」なんですよ。受け止める「何か」があったからそう思うんだし、その「何か」に対象が触れ合うかどうかがすべてなんです。

頭脳警察

 私、二十代の頃、「頭脳警察」の追っかけやってたの。「ふざけるんじゃねえよ」って曲が好きでね。トシも今は頭ツルツルになっちゃったけどさ、当時は長髪振り乱してね。狂ったようにコンガを叩いてるあの姿に完全に持って行かれちゃった。ナマの狂気を見に行ってたんだな。頭脳警察の解散コンサートの時もね、客席で「ふざけるんじゃねえ!やめんじゃねえ!」って興奮して叫んでましたよ。頻繁にライブに出入りしてるうちに知り合いになってね、ファーストアルバム以来、ずっとトシにドラムを叩いてもらってるの。(略)
 別にパンタから寝取ったつもりもないんだけど、私のドラマーは彼以外にはいないと思ってる。

ふざけるんじゃねえよ

ふざけるんじゃねえよ

  • provided courtesy of iTunes

大島渚から「戦メリ」出演依頼

「友川さん、その訛り、直せないよね?」って聞かれてね、「ええ」って即答しました。私からすればチャンスではあったんだろうけど、「すいません、ムリです」って。
 監督にはそれまで何度も御馳走になっていたし、二度も私のアパートまで車で送ってもらってたしね。(略)
[あるパーティで「生きてるって言ってみろ」を歌ったらある青年が「何をそんなに叫ぶ必要があるんだ」と詰問調に絡んで来た]
たまたま側にいた大島さんが突然割って入ってきてね。青年をキッとにらみつけて、あの口調でさ、「人間叫ばなきゃならない時があるんだよ、叫びつづけることがどれだけ大事かおまえにわかるか!」って烈火の如く怒った。その後、私が当時入り浸ってた神楽坂の「もきち」って居酒屋に行って、そこでもしこたま御馳走になったんですけど。(略)[一度]私がお金を払おうとしたら「百年早いよ!」って。結局一度もおごらせてくれなかったな。
 そんな風に大島さんにはさんざん迷惑かけてましたし、何たって相手がデビッド・ボウイだしね。映画に出て有名になればもう土方にも出なくて済むようになるだろうし、私自身出たい気持ちも少しはあったんだけど、無理なものは無理なのでやっぱりお断りしました。だってそんなの体中の血を全部取っ替えるようなもんですからね。それはちょっと、できない相談だったんだよなあ。

俺の裡で鳴り止まない詩~中原中也作品集

俺の裡で鳴り止まない詩~中原中也作品集

 

たこ八郎

 私のことを「トモカズ!」って呼ぶんだ。「いや、トモカワだよ」って何回も説明したんですけどね、「あ、そうだな、トモカズ」って言ってね。あれはわざとそう呼んでたのかなあ。オレより十歳年上。どっちが兄貴で弟なのかよくわからないけど、それこそバカ兄弟みたいにね、四六時中一緒にいましたよ。ずっと百人町のアパートに住んでてね、ゴールデン街で飲むといつも泊めてもらってた。一緒に帰って来ても、朝起きるともういないのよ。朝からやってる近所の店でひとりで飲んでるの。「彼が居た――そうだ! たこ八郎がいた」っていう曲も、たこさんのアパートで書いたんですよ。
 私のコンサートにもいつも付いて来てましたね。「おはよぉござあいまぁーす」ってね、毎日電話来るんだ。朝の五時とかに。「今日は歌の仕事だよ」って言うと、かならず付いて来てね、私がステージで歌ってる間は、楽屋でひとりで飲んでるの。こっちが青筋立てて叫んでるとね、突然楽屋から怒鳴り声で「トモカズ! もうわかったから、いい加減にしろ!」って、茶々入れて来るんだな。歌なんかやめて、早く飲みに行こうって言うのよ。
(略)
 たこさんと楽屋でウダウダしてると由利徹さんがのぞきに来てね、「たこ!今日もトモカズと飲みに行くのか!」ってね、叱りつけるみたいに言うの。たこさんとオレは膝折ってね、「ハイ……」って言って下向いてるんだけど、「そうか。あんまり飲み過ぎるんじゃねえぞー」って、一万円くれるわけ。神様みたいな人だと思ったね。一万といったら当時は大金だから。それも毎日だよ。こっちは「すいませんっ」って声そろえてね、由利さんが楽屋を出て行くや否や、「ヨシ、行くか」って。
 打ち上げで由利さんと飲ませてもらった時ね、「ヒロポンやって長生きしたのは俺だけだよ」ってポソッとおっしゃってたんだけど、実に懐の深い方でしたね。たこさんはいつも怒られてたけど、由利さんのこと「オヤジ」って呼んでね、慕ってたんだな。たこさん、パンチドランカーだったでしょ?由利さんのところに入った時、毎晩おねしょしてたんだって。布団の下にブルーシート敷いてね、それ、黙って由利さんが片付けてたらしいんだな。ふたりとも宮城出身だし、由利さんも元ボクサーだから何か通じるものがあったんだろうけど、ちょっとそれだけじゃあ説明つかないよ、あの関係。はたから見ても、由利さんもたこさんに一目置いててね、単なる「師弟」ではなかったんだな。
(略)
『たこ語録』を出版しようって案をだしたんだけどね。「迷惑かけてありがとう」もそうだけど、「人間は歩く宇宙である」とかね。どこで拾って来た言葉か知らないけど、名言がいっぱいあるんだよなあ、ヴェルレーヌの詩を丸々暗記しててね、よく酒場でも披露してましたよ。ネタになりそうなことあるとね、隠れてメモ取ってね、そっとポケットに隠したりしてるのも見たことあるよ。「たこさん、そんなことするんだ」と思ってね、おかしかったけど。
(略)
[亡くなって30年]
時々ね、夢に見るんだよなあ。たこさん、いつでも山高帽に詰襟着ててね。ポケットに手を突っ込んで。赤塚さんは「たこちゃんは天使だったよ」ってよくおっしゃってましたけどね、なぜか夢の中ではいつも中原中也と同一人物として現れるんですよ。「あ、たこさんだ!」と思うとね、いつの間にか中也に入れ替わってるの。不思議だな。

テレビで売れてきた頃に、「これでたこさんももっと大きな部屋に住めるね」って、言ってみたんだよね。(略)
そしたらたこさん、「ダメだよ。これ以上大きい部屋に住んだら、どこに座ったらいいかわからないじゃないか」って言うんだ。至言だと思いますね。金持ってるとさ、青空見てても落ち着かないんだよ。

ふだん聴くのはジャズかクラシック

 音楽の場合は、歌っていうよりも「音」そのものの場合が多いね。ふだんいわゆる歌唱入りのCDって、ほぼ聴かないのよ。あんまり他人の歌に興味がないんだろうな。だから、部屋で聴くのはほとんどジャズかクラシックだね。
(略)
 レコードの溝が擦り切れるぐらい聴いたのは、デューク・ジョーダンの『フライト・トゥ・デンマーク』。キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』。まあ、どちらも名盤ですね。マイルスはたまに聴くけど、コルトレーンはそんなでもないね。ビリー・コブハムのドラムも好きだったなあ。フリー・ジャズっていうのもあまり興味がないし、ただ、アルバート・アイラー阿部薫だけは一時期よく聴いてましたね。
(略)
ペンギン・カフェ・オーケストラなんかにも一時期ハマッてね。わざわざコンサートも聴きに行きましたよ。基本的に現代音楽や環境音楽は苦手なんですが、ああいうシンプルでサラッとしたのは好き。
 一番ダメなのはノイズ・ミュージックってやつね。そっち方面の知り合いもいるんですけど、あれだけは申し訳ないけど生理的にダメだ。どうしても「うるせえ!」としか思えないのよ。自分を棚に上げて言うのもなんですが。
 ヒップホップとレゲエはあの終わらないリズムがどうにもダメ。生意気言うようですけどね、終わらないリズムってさ、大地とか水とか空気のものだと思うんですよ。人間のものじゃない気がするんですよ。ま、好みなんですけど。

フライト・トゥ・デンマークFlight To Denmark

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Music from the Penguin Cafe

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