プーチンの思考

これらの演説を聞いていると、欧米の内政干渉からロシアを守る、という主張が票を集めるためのレトリックというだけではなく、政治家としてのプーチンの発想の根幹をなしているように思われる。プーチンは本気でそう考えているのである。

二つの戦争

故郷のレニングラードと家族を突然襲った独ソ戦争の悲劇と東西冷戦の敗北、この二つの戦争がプーチンに決定的な影響を与えた

[「ベルリンの壁」崩壊時]プーチンが勤務していたKGBドレスデン支部にも市民が押しかけた。プーチンは同僚らとともに機密書類を焼却し、それまでに築いた情報網をすべて破壊しなければならなかった。(略)
当時の同僚の一人は、この時、プーチン自動小銃を手に支部の前に集まった東ドイツ市民らの前に進み出、「塀を乗り越えようとする者は撃つ」と警告したと証言している。
 群集の怒りに脅威を感じたプーチンは駐留ソ連軍の出動を要請したが「モスクワの命令がない限り何もできない。モスクワは沈黙している」と言われて「国はもう終わりだ、ソ連は病んでいる」と実感した。ようやく駐留ソ連軍が来たのは数時間後だった。プーチンは「ソ連は権力の麻痺という、死の病に冒されていると感じた」と回想している。プーチンの味わった敗北感は大きかった。
 ソ連にも、KGBにも未来はないと悟ったプーチンはモスクワ本部への異動を断って1990年1月、故郷のレニングラードに戻った。

タンデムでリベラル支持拡大

政治的仕組みとしてのタンデムの妙味は、保守層を支特基盤とするプーチンとリベラル層の期待を集めるメドベージェフとの「顔の使い分け」にあった。KGB出身で安定と秩序を最優先するプーチンと、基本的人権の尊重や民主主義の意義を強調するメドベージェフが権力の中枢を占めることで、政権は保守層のみならずリベラル層にも支持のウイングを広げた。(略)
[あからさまなスターリン批判を避けたプーチンに対し]
メドベージェフは2009年、「政治的弾圧の犠牲者追悼の日」に当たる10月30日に声明を発表し、「大粛清」を「スターリンの犯罪」と指摘

タンデムに亀裂

メドベージェフの再選戦略に決定的な影を落としたのはリビア問題である。(略)
世界中のテレビに映された血まみれのカダフィの死が何よりも、ロシアの外交、国防政策上の観点からはプーチンの主張が正しかったことを裏付けた。安保理決議採択でのロシアの棄権は、欧米の軍事介入によるリビアの「政権転覆」を黙認する結果となった。ロシアはソ連時代以来、ロシアとの友好関係を維持してきたカダフィを「見殺し」にした。大統領再選を目指すメドベージェフにとって、決定的な外交上の失策だった。(略)
[もうひとつの重大な過ちが]
ウラジーミル・チャモフ駐リビア大使の更迭である。(略)チャモフが国連安保理決議採決でのロシアの棄権に反対し、この決定は(略)ロシアの国益に対する裏切りだとする公電をモスクワに送ったことがメドベージェフの怒りに触れたとされている。

国防外交をまかせておけないと大統領復帰

[大統領選中の]「テレビ国民対話」でプーチンは「彼(カダフィ大佐)が血の中で殺された様子は世界中が見た。これは何だ。これが民主主義なのか? 米国を含む無人飛行機が車列を攻撃し、そこにいるはずのない特殊部隊の無線を通じて反体制勢力の武装グループが集められ、裁判も取り調べもなしに殺したのだ」とまくしたてた。プーチンにとって、リビアヘのNATOによる軍事介入は国家主権の否定であり国際法違反だった。これを許せば、欧米が「非民主的」とみなした世界の指導者は「独裁者」のレッテルを貼られて米国の手で排除され、殺害されても構わないということになる。プーチンが最も重視する「祖国防衛」「国家主権の保持」の観点からは絶対に容認できないやり方だった。NATOの軍事介入を黙認したメドベージェフに、これ以上ロシアの外交と国防を任せておくことはできなかった。

リビアが民主的体制でないことはわかっているが、外国による武力介入は国際法に反する」というのがプーチンの批判の根拠だった。
 「リビアの二の舞いは許さない」というプーチンの決意は、「アラブの春」の余波で内戦状態に陥ったシリア問題での強硬姿勢となって現れた。
(略)
 軍事介入をちらつかせてアサドに退陣を迫る欧米の対応を、プーチンが「空爆民主主義」と揶揄して一切の妥協をしないのは、軍事介入の容認は「外国の侵略から国土と主権を守る」というプーチンの原点の放棄につながるからだ。

中国

 中国側の要人が見たら気を悪くするのではないかと思われるほど、プーチンの言い方は率直だ。「高度技術を売り、安い中国製品を買えばいい」という発想に中国に対する特別な「思い入れ」は感じられない。
(略)
 中国との巨大な人口の差も懸念材料だ。ロシア極東・シベリアの人口密度が極めて低いのに対し、国境を接する中国の東北部には巨大な人口がひしめき合っている。(略)ロシアの現政権が極東・シベリア開発に力を入れたがるのは、そこにある豊富な天然資源をロシア経済の発展のために利用する必要性からでもあるが、極東・シベリアを人口密度と生産性が低い状態のままにしておけばやがて中国人が浸透してくるという安全保障上の危機意識の表れでもある。

北方領土訪問

にメドベージェフが踏み切った動機については、当時はまだはっきりしていなかった「次の大統領選にタンデムのうちどちらが出馬するか」の問題が絡んでいたとの見方が強い。メドベージェフは、ロシア国内で首都モスクワから最も遠く、生活インフラ整備が遅れている北方領土を訪問して政府の支援を約束することで、貧しい地方にも目配りする「強い指導者」のイメージづくりを狙った、という見方だ。(略)
ロシアの政権内部では、メドベージェフの北方領土訪問は「選挙対策」であり、プーチン復帰を抑えて再選出馬を勝ち取るためのメドベージェフ周辺のデモンストレーションの色彩が強かった。外交を担当するラブロフが「日ロ関係に影響は出ない」と述べて苦り切った様子を見せたのも無理はなかった。