ウォール・ストリートと極東

明治天皇と外債

[1879年来日した前米大統領グラント将軍は天皇に外債について忠告]
南北戦争に際して(略)英国が南軍を支持し、そのために北軍側が戦費を外債によってでなく内国債によって調達せざるを得なかったということから、グラントは外債を供与国による内政干渉と不可分なものとしてとらえていたのではないかと思われるのである。(略)南北戦争の切実な体験を反映したグラントの外債観は、これを直接に聴取した明治天皇に非常に深い印象を与えた。そしてそれは明治天皇のほぼ生涯を通しての政治的外交的信条の一つとなったと言ってよい。
[外債に依存しない緊縮財政は、日清戦争中の朝鮮への借款供与を契機に外債積極政策に転じる]

[1894年12月付伊藤首相宛の書簡で井上馨は]
日本が自国に対して適用されることを最も警戒した英国のエジプト政策を朝鮮に対して適用しようとしたのが、井上の朝鮮に対する借款供与計画であった。

軍事コストを熟知した勝海舟は財政を考慮し一貫して非戦派。一方幕臣としてフランス借款を主張した福沢諭吉は、維新後、「外債は我国の経済にからみ付いたる肺病」と180度転換。ところがその後再転換

[1897年]金本位制公布の三ヵ月後に実現したロンドン市場における日清戦争の軍事公債の売出しであります。福沢諭吉は、本来内国債である軍事公債の外国市場における売出しを、単に経済的な意味をもつだけではなくて政治的な意味をもつものとして、つまり日英関係を密接化するものとして、強い期待を表明したのであります。

1913年誕生したウィルソン民主党政権の方針で米資本の極東進出は一旦停滞。しかし個別資本では国際借款団の壁に阻まれると、

1916年借款団復帰を検討。

米国政府は、日本の満蒙除外要求に対しては強硬な反対の態度をとり、一度は日本を除く三国借款団の可能性をさえ考慮したが、英仏両国が日本を除くことに消極的であったため、ついに満蒙に関して日本とある程度の妥協を行うことによって日本を含めた新国際借款団を成立させることを決意するにいたる。(略)
[1920年来日したモルガン商会のラモントは]
満蒙がたとえ名目上国際借款団の活動領域に入れられたとしても、国際借款団は事実上満蒙において日本の意思に反して直接に投資活動を行うことはありえない。(略)ビジネスの観点からみれば、満蒙は日本以外の国にとっては必ずしも魅力のある対象ではないのであり(略)日本の既得権益への投資を通して満蒙にアプローチすることに利点があった。つまりラモントは満蒙において日本の政治的特殊利益はこれを認めることはできないが、経済的特殊利益および朝鮮半島の戦略的位置に関係をもつ南満州諸鉄道敷設についての日本の優先権については、これに暗黙の承認を与え、他国がこれに挑戦することは避けるべきだという立場をとったのである。(略)
もちろん満蒙問題を経済問題として処理する方式は、日本と米英仏三国間においてのみ成立しえた方式にすぎない。日中間においては、当時においても満蒙問題は本質的に政治問題であった。したがって歴史のパースペクティブでみた場合、そうした方式がやがて現実との対応関係を失って崩壊すべき仮構にすぎなかったことは冷厳な事実である。しかしそれにもかかわらず、この仮構は少くとも10年の歴史的現実との緊張にたえたということもまた事実である。そしてこの10年の歴史的現実がすなわちワシントン体制といわれるものにほかならなかった。

満鉄米貨社債発行

[中国に対する敵対行為として米国世論は反対]
モルガン商会と深い提携関係をもっていたスタンダード石油会社は、中国における米貨排斥をおそれて満鉄外債引受を断念するようモルガン商会に対して申し入れた。スタンダード石油会社は中国との関係が強く、中国各地に市場をもっていたことから中国世論の動向にはきわめて敏感であったのである。こうして満鉄米貨社債はラモント―井上日銀総裁ルートを通過したにもかかわらず、米国世論の圧力によって四たび挫折したのである。

満州事変

満州事変はそれ自体としては、経済関係を基軸とする日米関係あるいは日英関係に対して必ずしも致命的な打撃を与えたとはいえない。少なくともウォール・ストリートは四国借款団交渉によって形成された日本と米英仏三国との間の満蒙についての基本的了解を日本が破ったものとは受けとらなかった。[ラモントは反国民革命の中国通ジャーナリストに日本側の見解を紹介させようとしたり、米国財界に信望のある井上蔵相の満州事変観を新聞掲載](略)
[しかし]上海事変は前年の満州事変よりはるるかに深刻な国際協調主義の原則に対する公然たる挑戦として受けとられ、二月の井上準之肋の暗殺、および三月の団琢磨の暗殺は、日米関係を支える日本側のもっとも信頼すべき代表者の抹殺として受けとられた。
(略)
ラモントは中国の日本に対する抵抗には悲観的であり、日本の軍事力は長期にわたって戦線を維持しうるものであると評価する一方で、中国の防衛が内陸部においてゲリラ化し、沿岸都市が日本によって抑えられ、エ業と貿易とが日本の支配下に入る可能性をおそれた。

駐中米国大使の予言

[駐中米国大使ネルソン・ジョンソンの1938年10月付のラモント宛書簡]
「有産者はその財産が平野部および沿岸部の都市に集中しているので、もてるすべてを失ってしまうだろう。知識人は試練の時においてリーダーシップをとることに失敗してしまうだろう。そして知識人や有産者によって無視されてきた農民、軍隊の基礎である農民が、日本の支配下の奴隷状態か、彼ら自身の指導者の下における自由かの選択の前に立つであろう。(略)中国共産党指導者を彼らの指導者として選ぶであろう。

明日につづく。