三島×内戦×共産革命

 

前日のつづき。

三島由紀夫映画論集成

三島由紀夫映画論集成

[「映画芸術」昭和43年1月]

大島  ぼくはセックスに関しては、一種の不信論でしてつまりセックスが何かの媒介になることはむしろないんじゃないか、むしろある行為があったときに逆にセックスが可能になるのであると思う。

錦旗革命なら共産革命さえ認めるのが天皇制の本質

三島 (略)だからぼくはいまごろ二・二六を持ち出すわけです。二・二六のころの天皇はあくまで立憲君主制度を守りたいというあっぱれな態度ですね。
(略)
あらゆる忠義によるラジカルな行動を認めなければ、天皇制の本質を逸するとぼくは言っているわけです。場合によっては共産革命だって、もし錦旗革命だったら天皇は認めなければならないでしょうね。天皇制の本質なのかもしれませんよ。
(略)[だから共産党天皇批判ではなく](略)
なんで赤旗をもって宮場前で天皇陛下万才をやらなかったかと言いたい。あそこで陛下の帽子をふっているあとを追いかけていって革命を成功させなかったか、それをやらなかったからこそいまこういう目にあっている。

内戦!日本人を殺せ!

(戦争をしないからヒヨワになったというチキンホークの皆さんへ)

三島 (略)治安出動のときも非常に彼ら[自衛隊]は心配している。
(略)
明治維新まではね、日本人がみんな日本人殺してた。君らは日本人を殺すのをそんなにこわがることないじゃないか。とにかく明治維新から以後に、日本人を殺してはいけない、外国人なら殺していい、そういう思想が生まれたのがそもそも、まちがいの元だろ?それだからこそ侵略主義がおこったんだろ? だから、外国人は殺してはいけない、日本人は殺してもいいというのが正義じゃないか、君たちの考えでゆけば。それだったらね、それを覚悟して入ってくるのはあたり前で、治安出動で何をもたもたしてるんだ、日本人を、おまえさんの親兄弟でも殺せないなら、こんなとこいないでどっか行きなさいって言ったんだね。
大島  まあその点で日本では明治維新以来、こりゃまあ幸せだったんだけれども、やっぱり内戦がないということで思想はひ弱になってますよね。

たるみとしがらみと正義の戦争

[中年になって鶴田浩二がよくなってきた]
 このことは、鶴田の戦中派的情念と、その辛抱立役への転身と、目の下のたるみとが、すべて私自身の問題になって来たところに理由があるのかもしれない。おそらく全映画俳優で、鶴田ほど、私にとって感情移入の容易な対象はないのである。
(略)
 「しがらみ」からの解放ということが、一体男性的なことであるか大いに疑わしい。自由が人を男性的にするかどうかは甚だ疑わしい。スクリーン上の鶴田の行動は、すべて幾重にも相矛盾してのしかかる「しがらみ」の快刀乱麻の解決としてではなく、つねに、各種のしがらみの中に彼が発見した「純粋しがらみ」、各種のしがらみから彼が抽出した共通の基本原理たる「しがらみ」に則って起されるのである。
 それがどんなものであるかは言いがたい。しかし殺人は、いつも悲しみであり、必然性と不可避性は、いつも、「人にわかりやすい正義」に反することになる。彼は正義の戦争ができないようになっている。その基本的情念は困惑であり、彼が演するのは困惑の男性美なのだ。
[「映画芸術」昭和44年3月号]

(言葉遣いが、実になんとも。これ紹介してたの関川さんの本だったろうか、思い出せない。三島のホウレン草を食べてしまうとか色々あるのだがキリがないので)

三島  (略)でも高峰さんって、とてもニヒリストでね、面白くなりっこないんだよ。
高峰  (開き直って)ちょっと、その論聞こう。
三島  とってもニヒリストなんだ。男がみんな馬鹿に見えちゃうんだ。
高峰  どうして、そういうこときめるの。本人がいるんだから、本人に聞いてよ。じゃあんたは、どうして結婚しないのよ。(笑)
三島  必要がないもの。君、用もないのに、渋谷から築地まで電車に乗るバカがいる?
高峰  困っちゃうね、こういう皮肉屋は……箸にも棒にもかかりゃしない。
[「主婦の友」昭和29年12月号]

昭和44年『人斬り』出演

  何といっても五社監督の本領は立ち回りで、立ち回りのシーンの撮影になると、もう監督の目の色がちがう。現場全体の空気が躍動してきて、スタッフの目も血走り、役者はもとより張り切って、無上の興奮から全員子供に返り、血みどろの運動会がはじまる校庭のようになってしまう。私も大よろこびで十数人を斬りまくったが、大映京都撮影所が一年間で使う分量の血ノリを、その日一日で使ってしまったそうだ。フィクションとはいいながら、殺意が、そこにいる人すべてを有頂天にするというのは、思えばおかしな人間的真実である。

 しかも相手は、必ず斬られて倒れてくれるのである。血しぶき血煙の大乱闘場面の撮影がおわると、疲労どころか、心身爽快、もう数十人斬りたい気分になっており、東京へかえってからも、小説の仕事が大いに捗った。