宇宙猿人ゴリ対手塚治虫

読者が求めるのは著者しか知らない手塚の姿であって、取材に基づく史実などではないわけで、そこらへんのバランスがなんとも歯痒い、などとエラソーな感想を頭から書くのは、弟・鷺巣政安の7ページ程のあとがきが実にバランスの取れた簡明な文章で、兄のネタを元に弟が書いていたらもっと面白くなった気がしてならないから。定年退職者がはりきって書いちゃった焦点のあってない文章というと貶し過ぎで、著者の意欲というか意図は手塚だけでなく漫画史にもあったのだろうけど、なんとも。

そういうわけで先に鷺巣政安の文章から。

福井英一との確執のワケ

手塚さんを芦田巌さんに紹介したのは、兄ではあるまい。(略)今井義章さんの紹介で、芦田漫画を訪ねたのではないかと思う。
 ところで、『イガグリ君』の福井英一さんも、どちらかといえば漫画よりもアニメの世界の人だ。うちの兄も漫画家よりはアニメの人。だから、福井さんも兄同様、いかに漫画でブレイクしたとはいえ、どこか漫画で喰っていることにうしろめたさがあったのではなかろうか。また、漫画を描きながらアニメの制作に野望を抱いていた手塚さんは、福井さんがアニメーター出身であったことを当然、知っていたはずである。二人の確執の背後にはこうしたこともあったのだと思う。

エイケン・プロデューサー鷺巣政安

 手塚さんの『鉄腕アトム』は、セルの枚数を一枚、二枚、三枚と省いて作ったパートアニメーションであった。しかし、その「一枚、二枚、三枚」のアトムには不思議な迫力があった。テレビ版の『アトム』はなるほど正道ではないし、基本から外れてはいたが、そこにはなにか突出したものがあったのである。

鷺巣詩郎の貯金箱でスペクトルマン

ピープロはなんとも浮き沈みが激しかった。当初は五十人もの社員を雇い、セルアニメも特撮も手がけと、そうとうの勢いだったのだが、『0戦はやと』も『マグマ大使』も終わり、フジテレビから仕事がこなくなると、たちまち給与の支払いにも困るようになってしまう。
(略)[解雇宣告すれば組合を作られ、あげく火事で全てを失う](略)
 それでも当時の兄には意欲と気力があった。住まいは焼けなかったので、そこにスタジオを継ぎ足し、次の計画を練った。そしてアイディアマンだった兄は『宇宙猿人ゴリ』の企画をひねり出す。だが、文字どおりの一文無しで、テレビ局まで行く交通費すらなかった。そこで、まだ小さかった息子、詩郎の貯金箱を叩き割り、それをバス代にしてフジテレビに企画書を持ち込んだ。幸か不幸かこの企画が通り、『宇宙猿人ゴリ』を製作することができ、つづいて『怪傑ライオン丸』をヒットさせ、ピープロは再び浮上するのである。

余談ですが、追放された失意の天才科学者ゴリって、うしおそうじ本人を投影してるのだろうか。「この悔しさは、忘れはしない」w

結局、手塚さんも兄も経営者ではなかったのである。(略)本書のなかで、兄が手塚さんにアニメプロの経営で説教するくだりがあるが、あれは兄自身のことに他ならない。

というわけでようやく本編に。

突然の手塚訪問。

 手塚のリズミカルな話しぶりを聞きながら、ひとつ気がついたことがあった。彼の声量と艶のある発声はあたかもオペラのバリトン歌手を連想させるのだ。彼がその気になって演劇をめざせば、きっとひとかどの俳優かオペラ歌手になったであろうと思った。後に知ったことだが、宝塚歌劇春日野八千代や関西落語の大物師匠から勧められたそうである。

 ボクは、彼の話術の才にも感心した。そして「そうだ、手塚治虫は、関西生まれの関西人なのだ」とあらためて認識した。
 それにしても、彼のこの快活な話しぶりは彼の天性か演技か、計りかねていた。初対面のボクにまったく無防備で接するはずがないと見るのが普通だし、決して下衆の勘ぐりとは言えまい。しかし、演技にしては彼はどこまでも自然体であった。いずれにしても、彼のこの天真さは天性と育ちのよさからくるものだろう。

どこでも仕事ができたわけ

いつどこでも描けるということが大きかった。
(略)道具材料にうるさい者がいるが、手塚はいっさい頓着しなかった。(略)全国どこにいても文房具屋に駆け込めば間に合う(略)
 そのかわり印刷効果はきびしくチェックした。それは手塚が大阪の赤本時代に、費用のかかる写真製版を嫌い描版屋に任せる赤本屋の主人に、さんざん口惜しい思いをしたからだ。(略)
「描き版」で仕上げる場合は、別人格の職人が原画をなぞって描くので、どうしても絵のタッチが変わってしまう。

二人で自主カンヅメ合宿

先ほど見たとき、そのコマには、簡単なお供え餅のような鉛筆描きがしてあるだけだった。
 ボクが声をかけたとき、彼はスミ入れのペンを停止させずに返答した。しかも、彼は原稿に一瞥もくれず、そのお供え餅をアトムのクローズアップに仕上げてしまう。その速さとリズム感のもとは彼の貧乏ゆすりのせいかなと思ったほど、ひっきりなしにあぐらの片足をゆすっている。(略)
 彼はよく貧乏ゆすりをしながら、大声で笑った。その笑いが半端じゃないのだ。鼻のつけ根に皺を寄せ大笑する。いや、あれはもっとスケールの大きい哄笑というべきか。

手塚、弟子入り志願

 ボクは、手塚を先導して芦田漫画製作所へ案内した。(略)
 挨拶が終わると、緊張気味の手塚は「実は……」と切り出した。自分は本気でアニメプロダクションを興して漫画映画を本業としてスタートするつもりであること、ついてはいまや同族会社システムのアニメプロで成功しているのは芦田漫画しかないので、本日いろいろと経営のコツをご教授いただきたいこと、併せて自分は本格的なアニメーションの動きの勉強がまだ完全ではないので、もし可能であれば、門下生としてこちらまで通うので、手をとって教えてもらえないかということ等々、約三十分間、礼をつくして縷々と述べつづけた。
 ボクは傍らで聞いていて、手塚の真摯な態度にあらためて胸を打たれた。
 それに対して芦田の対応はかなりいい加減であった。(略)
[アニメはそんなに甘くないという説教が延々](略)
「勘ちがいして、プロダクションを興そうなんて甘いよ、なあ……」と、芦田はボクに振ってきたのでボクは狼狽した。
(略)
 「私の考えが甘かったので、これで失礼いたします」
 そうきっぱりと言った語気には、それでも自分はやるという覚悟の決意が込められていた。
 表へ出ると三軒茶屋通り商店街には夕方の買物客が往来して、雑踏がはじまっていた。ボクは手塚の厳しい表情を見て、彼はかならずやるだろうと思い、無言で手を差し出すと、彼も無言で手を固く握り締めてきた。そして二人は無言で別れた。

何故手塚はアニメを(うしお流解釈)

[児童漫画は]まず相手は小学生が中心の読者層であること。そのため、なまじインテリジェンスは邪魔になる。そしてもっと困るのは、読者は真贋の見分けに疎く、ズバリ感情に訴える直截的表現に人気が集まってしまうことだ。手塚治虫の人気が上がるほどに手塚のエピゴーネンが横行するが、亜流だろうが真似だろうがかまわない。それもこれも十把ひとからげの人気投票でランクづけして良しとする出版社の売らんかなの論理からだ。大人漫画界では通用しないものが、子供漫画では同日に扱われて当たり前なのだ。手塚はその悩みに翻弄された。
 その悩みから脱出する手段としても、アニメーションプロダクションの新天地は画期的である。(略)
大勢の人間がプロダクション・システムで一糸乱れずに生産活動するという難事業である。もう個々の漫画家では真似できない。

制作費問題

さて、問題の制作費。
kingfish.hatenablog.com
上記本では「手塚が55万、さすがに無理なので裏で155万、最終的に300万」となっていて、通説とは違ってちゃんと制作費を貰っていたと書かれている。
一方うしおは、相場500万なのに手塚が350万だと言ったから、と書いている。うしおの数字が正確なら、結局、通説通りということになる。
無論『0戦はやと』も契約時から350万。経費節約のため

プロペラは三枚セルのエアブラシの回転で、長い引きセルと背景の移動用遠景雲のセットで何十秒でも撮れたし、三層にセットして、爆音の効果音を入れるといかにも編隊飛行のシーンとして観る者を飽きさせない。また対空砲火も背景画を三枚で描き、撮影時にコマ撮りに変化をつけた。(略)
 また急降下爆撃シーンなど、大サイズの海面に真俯瞰の敵空母を描いておき、アニメスタンドカメラのレンズ前に割箸を四本支柱に取りつけ、その四本支柱の底にキャビネ版ぐらいのガラスを設置してそのガラス枠の上に空母めがける0戦を載せ、そのままカメラをトラックアップさせる。つまり、アニメで描くとたいへんな手数がかかるところを、カメラワークで処理すると動画枚数はナシ、しかもリアルに仕上がるのである。

3000万支度金付で『ビッグX』の依頼、しかし社員に無理と言われ断念。TBSは藤岡豊を立てて「東京ムービー」を創立。

手塚からアトムを依頼される

 「いやあ、うしおさんだからざっくばらんに話しますが、目下、うちの連中は、アトムを作るのは嫌だと言い出したのです。飽きて、もううんざりだと言い、『ジャングル大帝』をカラーで製作したいと言う。体のいいサボタージュ気分が職場に蔓延してボクは困ってるんです。そりやあ彼らの気持ちもわかるし……」
 と語り出した。
 「ちょ、ちょっと待ってください。手塚さんはいま彼らの気持ちもわかるし……とおっしゃいましたが、その言葉はちょっとおかしくないですか。ボクは他所ながら聞いてますが、虫プロの社員は会社に対して十時と三時にコーヒーブレイクをもうけ、就業時間中は有線でムーディなBGMを流せと要求して、会社はその要求を呑んだというもっぱらの噂ですよ。それは本当ですか?」
 「ええ、その噂は一部本当です」
(略)
従業員たちの要求をなんでも受け入れてやる、その考え方は行きすぎではないですか。なにも、ボクは職場は神聖だからなどと言うつもりはありませんが、虫プロは営利を追求する法人事業でしょ。かつてのようにアマチュアとして『ある街角の物語』を作っていたころの、いわば道楽感覚で経営してはダメなのですよ」
(略)
[噂では]彼らはトレース台の下に東映動画の仕事を隠しておき、管理職の姿が見えなくなると、机の上の『鉄腕アトム』をどけて、それを取り出し、アルバイトに精を出しているというのだ。