民主主義を救え! その2

前回の続き。

民主主義を救え!

民主主義を救え!

 

 「独立行政機関」

[イギリス総務省の無駄遣いについて庶民院で追求されたる同省事務次官ハンフリー卿]

ハンフリー卿:「政府の政策にコメントする立場にはありません。大臣に尋ねるべきことです」

議 員:「よろしいですか、ハンフリー卿。大臣に何を尋ねても、行政に関する質問はあなたにするようにと答えます。そして、私たちがあなたに何を尋ねても、政策に関する質問は大臣にするようにと答えます。ならばいったい真相は何なのか、どうしたら知ることができるというのでしょう」

ハンフリー卿:「まったくもっておっしゃる通りです。完全なジレンマです。大臣と行政、官僚の責任に関わる政策に関する政府の政策である限り、行政の政策に関する質問は、行政の政策と政策の行政との間の混乱を招きますし、とくに政策行政についての政策責任が、政策行政との対立や重複が起きる時に問題が生じることになるかと思います」

議 員:「そのような発言は無意味な虚言としか受け取ることしかできません」

ハンフリー卿:「私は政府の政策についてお答えする立場にありません。大臣に尋ねるべきことです」

(略)

これは一九八〇年代に高視聴率を記録したテレビドラマ「イエス・ミニスター」の一シーン(略)

確かにハンフリー卿の抗弁と官僚答弁は荒唐無稽に過ぎるかもしれないが、核心的な真実を含んでいる。ドラマを評して、マーガレット・サッチャー首相は「権力の裏側で何が起きているのかをよく描写しており」、「心から楽しめる時間をもらった」とかつて述べているし(略)

デーヴィッド・キャメロンは「学生時代に『イエス・ミニスターはいかに真実ではないか』というレポートを書いたが、首相となったいま、本当のことを描いていることがわかった」と吐露している。

(略)

学界でも、政治家が官僚制を統御するのは非常に難しく、官僚機構が下している決定の重要性は、過去一貫して増加していることが指摘されている。

(略)

マックス・ウェーバーは裁判官や官僚は単なる「上から順に積みあがる法的書類や予算書を最後の一枚まで判断を下すような機械」ではなかったことに気づく。法の執行はむしろ、常に秘密裡かつ創造的になされるものだった。いくら入念に書かれた法案でも、細部については予期されず、重要な行政プロセスについても定められていない。その結果、現代官僚制において役人は重要な政治的役割を果たすことになる。政治の世界が私たちに教えるように、官僚が単なる使い走りであることは一度たりともなかったのだ。

 とくに最近の役人の数の増加とその役割の拡大には目を見張るものがある。(略)

イギリスの国家公務員の数は一九三〇年に一〇万人だったのが二〇一五年には四〇万人にまで膨れ上がっている(この間、人口は約三割しか増えていない)。

(略)

さらに質的な変化も二つ指摘しておかなければならない。一つは、議会で通る法案の起草に当たって、政府機関の影響力が強くなったことだ。次に、これらは議員たちとほぼ類似の働きをするようになり、金融や環境といった重要な政策領域で法案の策定と実行主体となった。この二つの発展が意味するのは、一般市民が主人であるはずの多くのルールが、選挙を経ない官僚たちによって書かれ、実行され、場合によっては主導されているということだ。

 伝統的な官僚機構は、立法府の定めた法令を執行する役割を負っており、大統領や首相が任命した──議会に議席を持つ議員の権能として──政治家によって主導される。しかし、こうした仕事は、ますます増える政策領域において、立法府や政府の長の目の届かない政策を自らの手で策定する、いわゆる「独立行政機関」によって補完されている。これらが立法府によって設立されると、こうした協議体や委員会は「法的に困難で、技術的に複雑で、政治的にセンシティブな決定」を任されるようになる。規制の権限を有して「規制を決定し、自らの法的地位と規制を強化する行政的活動を行い、行政決定を通じて判断を下す」ことになるのである。

(略)

 誤解しないでもらいたい。独立機関は、その名に恥じない働きをしている。総体としてみれば(略)[それらは]アメリカをより良い国にしたことは間違いない。(略)

他の機関によっては容易に達せられない問題解決を可能にする一方で、その重要な決定が政治的争議の場から隔離された場所で行われていることは事実なのだ。

 「ライバルの政治が、敵の政治に置き換えられていく」

民主主義が安定しているのだとすれば、原則として主要な政治アクターによって民主主義というゲームのルールが基本的に是認されていなくてはならない。

 ルールのいくつかは公式的なものだ。たとえば、一国の大統領や首相は、政権メンバーに間違った行いがあれば、検事を罷免するのではなく、司法の調査を受け入れなければならない。報道機関からの批判があれば、新聞社を閉鎖したりジャーナリストを告訴したりするのではなく、それを受けて立たなければならない。選挙で負ければ、権力の座にしがみつくのではなく、つつがなく退任しなければならない。

 しかし、多くのルールは非公式的なものであるため、それが破られてもグレーゾーンに留まることになる。たとえば、選挙で勝とうとして、その数カ月前に選挙法を改正したりしてはならない。政治運動は、過去の権威主義政治を称えたり、敵対者を監禁したり、民族的、宗教的マイノリティの権利を侵したりしてはならない。選挙で敗北しても、政権末期になって野党の行動を制約したりしてはならない。(略)

自らの党利党略には自制的でなければならず、主たる選挙で勝ったり、緊急の法律を可決させたりするよりも、システム維持を優先させるよう、自覚的でなければならない。何よりも、民主政治は全面戦争の様相を呈してはならないのだ。

 政治理論家でカナダ自由党党首だったマイケル・イグナティエフは「民主主義が機能するためには敵とライバルとの違いをわきまえないといけない。ライバルを前にすれば勝つことが目標となるが、敵を前にした場合には殲滅が目標となるからだ」と、少し前に書いている。

 アメリカ、そしてその他の国でも、こうした民主政治はもはや成り立たなくなっている。イグナティエフが言うように、私たちは「ライバルの政治が、敵の政治に置き換えられていく」のをますます目撃するようになった。そしてその責は、ここ数十年で目にするようになった政治を荒らしているポピュリスト政治家にこそ、問われなければならない。

(略)

 最も初期に現れたポピュリストは(略)イェルク・ハイダーだった。一九八六年に自由党党首に選出されてから、彼は党を極右政党へと変転させていった。ハイダーの強固な移民を争点とする姿勢は、それまで主流派政党が政治的課題として扱うことを避けてきたものであり、有権者の歓心を買ったという意味では、擁護されて然るべきものかもしれない。しかし、リベラル・デモクラシーの基本的な規範を捨象しようとしていたことは、彼がオーストリアのナチ時代を狡猾にも再評価しようとしたことからも明らかだ。

 ハイダーは、ナチ親衛隊出身者を含む聴衆を前に、「我々の兵隊は犯罪者ではなく、むしろ被害者だった」と述べ、第三帝国への惜しみのない賛辞を表明し、ヒトラーの親衛隊の中には「多くの抑圧にもかかわらず、信念を持ち続け、善意に溢れた尊厳ある人々」がいると持ち 上げた。

(略)

ベッペ・グリッロは、最初──真っ当なことに──シルヴィオ・ベルルスコーニ首相の汚職に対する激烈な批判でもって政界に殴り込みをかけた。彼が五つ星運動を立ち上げた際に約束したのは、自己利益に進進し長老支配が慣行となった「政治階級」から権力を奪い返し、より近代的で寛容なイタリアを取り戻すことだった。

 ところが、人気を博すにつれ、この運動は反システム的な様相を呈することになる。政治家個人の汚職に対する批判よりも、議会を含む政治システムのラディカルな否定へと変容していった。政治家支配に対する怒りは、陰謀論や敵対者に対する根も葉もない嘘の喧伝となって表れることになった。

 民主主義の基本的価値に対してポピュリストや政界の新参者が攻撃を仕掛けるのは、幾分、戦術的な側面もあるだろう。この種の攻撃は、既成政治家から総スカンを喰らうが、それはまた、ポピュリストが現状変更を本当に望んでいることの証明ともなるからだ。彼らの挑発的な言動も論評者の不評をかこつが、注目を浴びることはアピールにもつながる。しかし、真の問題はこうした無謀さではない。政治システムの構成員の一人がルールを破れば、他の者もそれに続く可能性が出てくる。そして、それが現実のものとなりつつあることなのだ。

(略)

二〇〇八年の大統領選で、共和党候補者ジョン・マケインは(略)ある有権者が、オバマが大統領になるのは恐ろしいことだと述べた際、彼はライバルを擁護してみせた。「彼は立派な人間だということをわからないといけない。だから彼が合衆国大統領になることは恐れなくてもいい」と述べた。この集会で、ある老女がオバマ大統領は「アラブだから」信用できないと発言した時も同様だった。「奥様、それは違います。彼は立派な家族人かつ市民の一人で、たまたま大事な点で私と立場を異にしているから、この選挙があるのです」と反論した。

 党派を超えて対立候補の正当性を認めたマケインのような道徳的明瞭さは、彼が舞台から去ってからというもの、共和党から失われていった。オバマ大統領が初めての所信表明演説をした際、ある共和党議員が「嘘つき!」と叫んだことで、長く保たれていた儀礼的雰囲気はもはや失われてしまった。

(略)

オバマ政権との正面からの対決は、共和党が例外状況を想定して作られた議会規則の乱用や、自らの責務を放棄する誘因となった。こうした事態が顕著だったのは、上院だ。同院の規則や過程は、必要とあらば、上院議員は自らの党派性を乗り越えて議会機能を優先させることを目的に作られている。しかし今日、上院議員憲法上すれすれのことを日常的に行うようになった。

(略)

 たとえばフィリバスター[議事妨害]は、歴史的には稀にしか用いられないものだった。リンドン・B・ジョンソンが大統領だった時、上院の野党がこれを用いたのは一六回だったのに対し、オバマ大統領になってからは、実に五〇六回も行われている。

(略)

さらに、全国的な注目を浴びることのない基本的な民主的価値の侵食がアメリカの各州で徐々に進んでいる。過去数十年で、次選挙で共和党が有利になるよう、党派的な委員会の手による選挙区割りが進んだ。過去数十年で、共和党の州議員は不必要な身元確認を求めたり、民主党の選挙区での投票所を閉鎖したりすることで、マイノリティを投票所から遠ざけてきた。ノースカロライナ州などでは、公正な選挙を実施することよりも、選挙に勝つことが長らく目的となってしまっている。

なぜミシガンの田舎でポピュリスト支持が高まるのか 

 こうした指摘は、多くの市民の日常生活が根本的な変容を被るのは、移民と定期的に遭遇する場合であって、出会う移民の数が増える場合ではないことを示唆している。多くの移民を抱える地域に住む人々は、彼らのコミュニティはもはや「純粋」でないことに慣れており、自分たちの言語や文化、民族性を共有しない人々との付き合い方を知っているのである。彼らの中には外国出身者を好まず、福祉国家による再分配に反対する者もいるだろうが、移民の増加が彼らの世界を変えてしまうわけではない。

(略)

 ニューヨークのクイーンズ地区やロサンゼルス郊外ではなく、なぜミシガンの田舎のような場所でポピュリスト支持が高まるのかについては、ここ数年、多くの調査が明らかにしている。

(略)

一九八〇年の段階で、これらコミュニティは、白人が九〇%以上を占める同質的な場所だった。その後三〇年間で移民の数が拡大したため、こうした場所も多様性が増すようになった。二〇一〇年には、白人が九〇%を占めるコミュニティは三分の一にまで減っている。

(略)

ある報道は、こうした人口構成の変化を被ったウィスコンシン州にあるアルカディア市の小学校教頭の「津波に襲われているようだ」との証言を紹介している。別の住民は「この街のすごい変化に対してどうにかしないといけない」と述べた。

 この「何か」はドナルド・トランプ支持となって表れた。

 多くの選挙分析はトランプの勝利を、伝統的に民主党支持だった白人労働者層が寝返ったためだとした。なかでも、こうした有権者は、かつては高度の同質性を有していたものの、その後多様性を抱え込むに至った北西部に位置していたことが重要だ。(略)

「北西部の各州──アイオワインディアナウィスコンシンイリノイミネソタ──は二〇〇〇年から二〇一五年にかけて、他のアメリカの地域でみられなかったほどの非白人住民が流入した地域である。白人層が主たる住民だった数百もの都市には、中米諸国やカリフォルニア、テキサスから北上してきた非白人が住み着くようになった」。この人口構成上の変異は、投票行動の明確な変化となって表れた。たとえば、共和党予備選でトランプは全米七一%の票を得ている。しかし、二〇〇〇~二〇一五年に「多様性指数」が倍となった郡部で、その割合は七三%にのぼり、同指数が一五〇%増となったところでは八〇%も得票するに至ったのだ。