プリファブ・スプラウトの音楽 渡辺亨

 

プリファブ・スプラウトの音楽 永遠のポップ・ミュージックを求めて

プリファブ・スプラウトの音楽 永遠のポップ・ミュージックを求めて

  • 作者:渡辺亨
  • 出版社/メーカー: DU BOOKS
  • 発売日: 2017/03/17
  • メディア: 単行本
 
スウーン

スウーン

 

 90年にロンドンで初めてパディ・マクアルーンにインタビューしたとき、彼は『スウーン』についてこんなことを語ってくれた。

「これが最初で最後のチャンスだと思ったので、あえて風変わりな曲をたくさんレコーディングした。今から振り返ってみると、アレンジはもっと簡潔にするべきだったと思う」

 また、99年にインタビューした際には、「あのとき、僕たちはまったく違う曲を選ぶことも可能だった。『スティーヴ・マックイーン』に収められている曲のような、もっとシンプルな曲を。そうした曲がすでにアルバム1枚分あったので、そっちの方を出せば良かった、と後から思ったこともある」

 これらの発言からわかるように、パディ・マクアルーンには、84年の時点ですでにたくさんの曲のストックがあった。たとえば、〈I Never Play Basketball〉や次のアルバム『スティーヴ・マックイーン』に収録されている〈Bonny〉、〈Goodbye Lucille #1〉などは、プリファブ・スプラウトを結成した当時から作ってあった曲だという。

 パンクから遠く離れて

[57年生まれのパディ。プリンス、MJ、マドンナ、ポール・ウェラーが58年]

ダラムで暮らしていたパディ・マクアルーンにとってパンク・ムーヴメントは、いうなれば、対岸の火事のようなものだった。現にパディは、パンクにもニュー・ウェイヴにも、音楽的にはほとんど興味を引かれなかったと語っている。

(略)

 パディが77年頃にパンクの代わりに聴いていたのは、スティーリー・ダンデヴィッド・ボウイなどだった。(略)

スティーリー・ダンのレコードを聴きながら、ギターでそれっぽい音をひとつずつ探り、まったく自己流でコードを編み出していたという。『スウーン』の曲が風変わり、つまりどこか不自然な理由のひとつは、この点に起因している。

 パディ・マクアルーンがテープレコーダーを使って、プリファプ・スプラウトという架空のバンドのための曲を作り始めたのは、70年代初期のこと。

「僕とマーティンは、常にトップ10番組をエアチェックし、録音したテープを繰り返し聴いていた。(略)

僕たちがレコードを作ろうと考え始めたのは71~2年頃で、その頃はデヴィッド・ボウイスティーリー・ダンが登場してきた時期にあたるけど、僕たちは彼らの音楽からビーチ・ボーイズボブ・ディランなどのポップ・クラシックスまで、何でも受け入れ、吸収していた」

パディとマーティンは、キャプテン・ビーフハートの、まったく風変わりなアルバム『トラウト・マスク・レプリカ』も聴いていた。その一方で、ラジオから流れてくるジミー・ウェッブやバート・バカラック&ハル・デイヴィッドが作曲したヒット曲を好んでいた

(略)

[パディの]最初の音楽的ヒーローはT・レックスのマークボラン。(略)

惹かれたいちばんの理由は、その音楽が醸し出すミステリアスな雰囲気、謎めいたところだという。

トーマス・ドルビー

 トーマス・ドルビーは、ジョニ・ミッチェルの『夏草の誘い』に収録されている〈ジャングル・ライン〉もカヴァーしている。

(略)

ちなみパディ・マクアルーンがいちばん好きなジョニ・ミッチェルのアルバムは、『夏草の誘い』。プリンスも、このアルバムを称えていた。そしてトーマス・ドルビーは、ジョニの『逃避行』をもっとも偉大なロック・アルバムとして高く評価している。

 トーマス・ドルビーとプリファブ・スプラウトの接点は、トーマスがゲスト出演したBBC1のラジオ番組「Round Table」をきっかけに生まれた。このラジオ番組には、ゲストが番組中に当時イギリスでリリースされた何枚かのシングルを聴かされ(略)批評を求められるコーナーがあった。(略)

マリ・ウィルソンが、スティーヴ・ライトと一緒にDJを務めていたという。この日は、トイ・ドールズの〈Nellie the Elephant〉やアルヴィン・スターダストの〈So Near to Christmas〉などが紹介されたが、トーマスにとってこれらのシングルはまったく退屈な代物だったので、肯定的なコメントを述べることはできなかった。ところが、ある1曲だけは、トーマスの心を捉えた。それは、キッチンウェアからリリースされたプリファブ・スプラウトの〈Don't Sing〉。スティーヴ・ライトは「こんな曲はヒットしない」と切り捨て、マリ・ウィルソンは「私の好みじゃない」と述べたそうだが、トーマスだけがこの風変わりなポップ・ソングを気に入り、称賛した。このラジオ番組を、たまたまキッチンウェアの複数の関係者が聞いていて(パディ・マクアルーン本人も含むという説もある)、後日マネージャーの キース・アームストロングがトーマスにコンタクトを取ってきたそうだ。

[ダラムのマクアルーン兄弟の実家を訪ねたトーマスにパディは76年にまで遡るオリジナル40曲を弾き語りしてみせた。それをウォークマンに録音しつつ、トーマスは気付いたことをノートにメモし、ロンドンに持ち帰り]

40曲のなかから『スティーヴ・マックイーン』のためにレコーディングする曲を選んだ。その結果、彼が選んだ曲のほとんどは、『スウーン』よりだいぶ前の70年代後半に作ってあった曲だった。

(略)

後年、彼は、「『スティーヴ・マックイーン』を初めて聴いたときは、まるで他人のレコードを聴いているような気分がした」と僕に語ってくれたが、それほどまでにトーマスが果たした役割は大きかった。 

スティーヴ・マックイーン〜レガシー・エディション

スティーヴ・マックイーン〜レガシー・エディション

 

“プラスチック・カントリー&ウエスタン” 

[77年頃のパディはT・レックスと]デヴィッド・ボウイの熱心なリスナーでもあった。それだけに当時パディは、『ヤング・アメリカン』でソウル・ミュージックにアプローチしたデヴィッド・ボウイが、次にカントリー・ミュージックにアプローチするのではないかと想定して〈Faron Young〉を作ったという。すなわち〈Faron Young〉は、意図的な“プラスチック・カントリー&ウエスタン”というわけだ。

〈Hey Manhattan!〉

〈Hey Manhattan!〉の大胆かつ華麗な曲想やオーケストレーションには、パディが大好きなアルバムの1枚として挙げている『ウエスト・サイド物語』のオリジナル・サウンドトラックの影響も見受けられる。

(略)

〈Hey Manhattan!〉は、端的にいうと、『黒いシャフト』と『ウエスト・サイド物語』のサントラをかけ合わせたような作風の曲だが、「NME」のインタビューによると、パディはこの曲をアイザック・ヘイズに歌って欲しくてレコード会社に提案し[却下された]

〈Nightingales〉

〈Nightingales〉は、バーブラ・ストライアンドに歌ってもらうということを想定して作られた曲だ(略)

この当時のパディは、彼女の『追憶のブロードウェィ』にかなりのめり込み、ブロードウェイ・ミュージカルの音楽の素晴らしさを再発見していた。

(略)

キース・アームストロングは、スティーヴィー・ワンダーのマネージャーと知り合いだった。そこでマネージャーを通じて依頼したところ、たまたまスティーヴィー・ワンダーがこの年の9月にロンドンに潜在する予定だったことから、スティーヴィーの参加が実現したとのこと。スティーヴィーは、ウエスト・ロンドンにあるスタジオの現場で〈Nightingales〉を初めて聴き、わずかな時間で曲を覚え、ハーモニカを計4テイク録音してくれたそうだ。パディにとってスティーヴィー・ワンダーは、子供の頃からの音楽的ヒーローのひとりで、好きなアルバムの1枚として、『シークレット・ライフ』を挙げている。

 パディ・マクアルーンは、この〈Nightingales〉のように曲を作るときに歌ってもらいたい歌手を思い浮かべたり、カヴァーして欲しい歌手を考えることがあるという。「Time Out」誌のインタビュー記事では、A面3曲目の〈Remember That〉はレイ・チャールズ、B面4曲目の〈Nancy (Let Your Hair Down for Me)〉はグレン・キャンベルに歌ってもらえたらいいなと語っている。

 グレン・キャンベルは、〈恋はフェニックス〉や〈ウィチタ・ラインマン(略)といったジミー・ウェッブの一連の名曲の歌い手だから、ソングライターのパディ・マクアルーンにとっては憧れの存在だろう。 

Wichita Lineman

Wichita Lineman

  • provided courtesy of iTunes

 

クリムゾン/レッド

クリムゾン/レッド

 

〈Wichita Lineman〉 

〈Wichita Lineman〉は、グレン・キャンベルによって1968年に全米チャートで最高3位を記録した曲。カンザス州のウィチタで、見知らぬ誰かの会話を耳にしながら、野外の電話線の維持補修作業に従事している男性のやりきれない心情が描かれた名曲

(略)

しかも〈The Songs of Danny Galway〉の曲調は、ジミー・ウェッブの〈Wichita Lineman〉や〈Galveston〉に通じている。つまり、この曲はジミー・ウェッブへのオマージュ、別ないい方をするなら、パディからジミー・ウェッブへのファンレターのような曲である。

 パディは、ソングライターとしてのジミー・ウェッブのことを心の底から敬愛していて、しかも〈Wichita Lineman〉をフェイヴァリット・ソングのひとつとして挙げている。(略)

「子供の頃にグレン・キャンベルの〈Wichita Lineman〉をたまたま耳にしたんだ。僕が音楽を意識して聴くようになる前のことだったんだけど、何かが僕の心を打った。だから僕のなかでは、ジミー・ウェッブは特別な位置を占めているんだ」(略)

ジミー・ウェッブの父親はバプテスト教会の牧師なので、パディ・マクアルーンと共通する宗教的バックグラウンドを持っている。それだけに、パディは 〈The Songs of Danny Galway〉のなかで、ウェッブのコード進行を“バプテスト派の賛美歌 (Like Baptist hymns)”、サウンドと歌詞の関係を“キリスト教聖餐式 (sweet communion)”といかにも彼らしい表現で称えている。

〈The Songs of Danny Galway〉 では、ウィチタから来たダニー・ゴールウェイとはダブリンのバーで会ったということになっているが、実際にはパディはとあるホテルのバーでジミー・ウェッブに偶然会ったことがあるという。

 パディは、1991年9月4日にダブリンのテレビ局が製作した「An Eye onthe Music」で、憧れのジミー・ウェッブと初めて共演した。このとき、パディはアコースティック・ギターを弾きながら、ジミー・ウェッブのピアノ、そしてオーケストラの演奏に合わせてジミーの代表曲のひとつ〈Highway Man〉を彼と一緒に歌った。これは、パディのリクエストだったという。

ボブ・ディラン

 パディ・マクアルーンがいちばん最初に買ったレコードは、ボブ・ディランの「Lay Lady Lay」(略)

パディがこのシングル盤を購入したのは1970年、彼が13歳のときのこと。パディは、家にあったガット・ギターでこの曲を弾いてコードを学んだそうだ。10曲目の〈Mysterious〉は、まさしくミステリアスで神話的な存在であるボブ・ディランのことを歌った曲。