マイルス・デイヴィスが語った〜・その2

前回の続き。

バード

バードがつき合うのはいつも白人女だった。あれは執着心といってもいいほど異常だった。彼ほど黒人コンプレックスが強い人間を知らない。(略)その反動が、バードの場合は白人女だった。となりにはいつも白人女がいた。(略)
ヤクほしさの女がバードには群がっていた。(略)
男の取り巻きもくっついていた。コイツらともバードはヤッテたはずだ。両刀使いだったから、オレも狙われたことがある。そんなときはいつも『その気はないから』といって断ったが、危ない目に遭ったこともある
(略)
感心したのは、同じフレーズは二回と繰り返さなかったことだ。あれだけたくさんのブルースを演奏したのに、毎回、毎コーラス違うフレーズを吹いていた。いくらでもメロディが湧き出てくるんだろう。しかも、無駄なものがひとつもない。それを、オレも身につけたかった。ヤクでボロボロになっているときでも、このことだけは平然とやってのけていた。
(略)
バードはいつもワーキング・バンドにこだわっていた。(略)
[妻から扶養義務不履行で訴えられ三日間]
イカーズ島の刑務所にぶち込まれていた。そのときにバードの死を知らされた。途方に暮れたね。(略)
だけど、隔絶されていたから冷静に物事を考えることもできた。(略)
今度はオレがワーキング・バンドを組む番だと、強く自覚した。

こうしてレギュラー・クインテット結成

 不思議なのは、ビバップのソロ合戦に強い抵抗を感じていたマイルスが、グループのサウンドを追求しようとしてレギュラー・クインテットを旗揚げしたにもかかわらず、結成したとたんにブローイング・セッション中心の演奏を始めたことだ。
 遠慮しがちにそのことを聞いてみた。
 「(オマエとは)解釈の違いだな。コルトレーンとオレのプレイが最高のコントラストを描いていたじゃないか。あれはベスト・コンビネーションだった。それをグループ・サウンドといわなかったら、いったいどう呼べばいい?」

キャノンボール・アダレイ

[『死刑合のエレベーター』]がモード・イディオムを追求するきっかけとなった。
「新しい音楽が創れると確信したのがこのときだ。(略)
もっとシンプルで自由な音楽がやりたかった。コード進行でがんじ絡めになった演奏なんかやっても面白くない。それが可能性を制限していた。キャノンボールを加えることで、それまでのハーモニーとは違うものが出せるし、この六人ならプリミティヴではあってもクリエイティヴな音楽が演奏できる」
 このコメントは重要だ。(略)同僚のコルトレーンに比べると、彼はモード・ジャズをそれほど理解していない――これが一般的な意見である。しかし、マイルスには思惑があった。そのことを伝えているのがこの言葉だ。
「オレの音楽で重要なのがコントラストだ。クインテット時代はオレとトレーンのコントラスト、このセクステットではトレーンとキャノンボールコントラストだ」
 のちのフリー・ジャズにも通じる奔放なコルトレーンのプレイに対し、キャノンボールはジャズのルーツともいえるブルースに根ざすプレイをしていた。最先端と原点。このコントラストに自分のプレイを重ねることで、マイルスはこれまでになかったヴォイシングを獲得しようと考えたのだろう。ここで、要点をそっとメモした。
 しかし次の瞬間、ぼくは凍りついてしまった。マイルスがメモ帳を凝視しているではないか。クレームをつけられるのか。息を潜めて固まったぼくに、次のひとことが放たれた。
 「そのメモ帳を寄越せ」
 逃げようがない。仕方なく、メモ帳を渡す。すると、なにも書かれていないページをめくり、そこに手元のボールペンで絵を描き始めたではないか。いつもの絵とは異なり、美しい眼をした女性の横顔だ。口からは、ストローか花の柄のような細い線が一本伸びている。時間にしたら一分かそこいら。描き終わると、黙ってメモ帳を返してくれた。
 このときの気持ちをどう表現したらいいだろう。ホッとしたのは当然だが、その絵ももらえて、ぼくは安堵と嬉しさのない交ぜになった気分を味わっていた。

フランシス・テイラー

「あのレコード(『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』)で一番大切なのがなにかわかるか?」(略)
[突然で戸惑っていると]
いつものニヤリとした笑みを浮かべ、教えてくれた。
「ジャケットにフランが写っているだろ」(略)
新婚ホヤホヤだった。「彼女をジャケットに使おうと考えたが、コロムビアが黒人女の写真に難色を示してきた。『それならアルバムは発表しない』といったら、渋々ながらOKが出た。だけど癪だから、その後もフランやそのあとのガールフレンドの写真もジャケットに使ってやった」

ウエイン・ショーター

ウエインが加わって、バンドのサウンドが俄然フリーになった。初日の一曲目からそうだった。オレが〈ジョシュア〉のワン・フレーズを吹いたとたん、ヤツが絡んできた。その瞬間、リズム・セクションが爆発した。ゾクゾクするほどの興奮だった。一度もリハーサルなんかやっていないのに、ウエインは演奏のツボを心得ていた。ハービーもロンもトニーも、それ以前にレコーディングやセッションで何度もウエインと共演していたから、ヤツの出方がわかっていたんだろう。オレだけが知らなかった。けれど、それがオレに火をつけた。こんなヤツとこれから毎日演奏できるのかと思うと、すっかり有頂天になってしまった
(略)
あのクインテットは、望む演奏ならどんなことだってできた。以心伝心があれほどスムーズにできたグループはなかった。ウエインはその点でトレーン以上だ
(略)
[64年の初来日に話が戻り]
あのころからリズム・セクションがすごいことになったんだ。オレのソロが終わって、サムのソロになる。すると、オレのときよりフリーなビートで演奏してるじゃないか。それで、トニーにいってやった。『オレのときも同じようにやれ』とな
(略)
サムは期待以上だった。最初から二ヵ月くらいの約束でバンドに入れたが、ウエインがダメならヤツをなんとしても残そうと考えていた(略)
[ところが帰国後急転直下でショーターが参加]
ウエインが入って、バンドはフリー・フォームに接近した。予兆はサムが参加したときからあったが、決定的になったのがウエインの参加だ
(略)
あのころはトレーンやオーネットのやっていたことに興味があった。ただし、ヤツらは音楽の発展のさせ方に問題があった。(略)ビートが出鱈目だからだ。理屈はあるだろうが、オレから見たら出鱈目だ。それよりは、トニーが叩き出すビートのほうがずっと触発的だった。だから、連中の音楽をオレのスタイルでやりたかった。そこにウエインがいた。ヤツこそ、考えているサウンドにピッタリのテナーマンだ。(略)そして、思った通りになった。ジャズ・メッセンジャーズは、ウエインを使いこなせていなかったしな(略)
[絵を描いていたペンでいくつかビートを刻み、どれがクールかと出題。二番目を選ぶと]
オマエは妙なものが好きだな。教えてやろうか。これはシュガー・レイ(ロビンソン)のフットワークをイメージして叩いたんだ。ボクシングを見たり、自分でスパーリングしたりしながら、オレはリズムを考えてきた。そのひとつがこれだ
[父のいとこが二階級で東洋チャンピオンだったと話すと、マイルスから羨ましがられる]
(略)
様式内でのフリーならオレは認める。そこが様式まで無視してしまったオーネットやトレーンと、様式内で可能性を極限まで追求してみせたウエインとの違いだ」
 「それでは、この様式内の実験が『ESP』の本質ですか?」
「なんともいえない。そんなことは意識してないからな」(略)
[〈エイティ・ワン〉のビートは?]
「オレだ。メロディをロンが持ってきたので、最初は4ビートで演奏してみた。しかしどうもしっくりこない。それで、トニーにいろいろなフィギュアを試させた。その中で一番気に入ったのがあれだ。そのビートにフィットさせるため、オレがメロディに少し手を加えた」
 マイルスは細かいことまでよく覚えている。しかも、言葉がスラスラ出てくることに驚かされた。(略)
 「曲を書かなくなった理由は?」
 「書く気がなかった。メロディより、リズムに興味があったからだ。メロディを書く時間があれば、もっとリズムのことを考えていたかった。それに、メンバーが次から次にいい曲を持ってくるじゃないか。それを使わない手はない。ウエインの〈フットプリンツ〉やハービーの〈ライオット〉なんか、オレが表現したい要素を持っていた」
[と『ESP』以外の曲の話に]

E.S.P.

E.S.P.

批評家

批評家と名乗るヤツはほとんど信用していない。例外はレナード・フェザーとナット・ヘントフだ。アイツらはいつだってミュージシャンと同じ感覚でものを書いているからな

絵を描きながら『クールの誕生』を語る

「ポイントは躍動感だ。筋肉の動きにすべてが集約されている。ダンスしている女の尻を見るのが好きだ。それで、その筋肉がどう動くかが問題になる。絵と同じで、音楽もどれだけ躍動しているかだ。オレの演奏を〈リリカル〉というヤツもいるが、本質はそんなところにあるんじゃない。穏やかな中にも躍動感は表現できる。穏やかな音楽を穏やかに演奏したってしょうがない。いい例が『クールの誕生』だ。あの作品では、たしかにクールなサウンドを求めた。ただし、それはホットな演奏に対するクールということで、文字通りのクールな演奏をしたかったんじゃない。クールな中にもホットな躍動感がなくちゃダメだ」
 この言葉には感心した。マイルスは絵を描きながら絵についての話をし、それを先ほどの批評家不要論と結びつけ、さらには自分の音楽にもたとえてみせたのである。
(略)
「ラインや色使いに関心がある。ラインはフレーズと同じだし、色を重ねるのはコードと同じじゃないか。いい絵からはいい音楽が聴こえてくる。だからオレの絵はオレの音楽と同じで、誰の絵とも違う」(略)
「音楽もそうだが、絵も描き出したらきりがない。いくらでもラインは描けるし、色を重ねることもできる。だからといってやりすぎはダメだ。どこでストップさせるか、それがわかってないヤツが多すぎる」
[ルームサービスが届くまでプリンスのアルバム『パープル・レイン』をずっと聴き、「ツアーは中止になった」とポツリ。食事後、上下総入れ歯をグラスに入れるのを見てドッキリ]

ブランフォード・マルサリス

[初めて聴いたのはハービー・ハンコックのバンドで]
コルトレーンをモダンにしたようなプレイをしているんで、すっかり気に入ってしまった。そのときに、『コルトレーンみたいに吹けるか?』って聞いたら、『そんなにうまくは吹けない』と答えやがった。ちょっとからかってやろうと思って、『それじゃ、ダメだな』といったんだ。すると、なんて答えたと思う?『コルトレーンの次ぐらいにはうまく吹いてみせますよ』ときたもんだ。(略)その答えが気に入った。(略)
[レコーディングに呼んで]プレイが気に入った。それで、バンドに入らないかと誘った。ところが、ウイントンのバンドでスケジュールが詰まっているから無理だと断られた。なんてヤツだ
(略)
80年代になって、ジャズはつまらなくなっていた。聴きたいと思う演奏はほとんどなかったが、ブランフォードやウイントンみたいな若者が出てきたのは救いだった。ただし、やってることがコンサヴァティヴすぎる。才能の無駄遣いほどもったいないことはない。見どころがあったのはブランフォードだから、ヤツをバンドに入れたら面白いことができるんじゃないかと期待した。

ノネットギル・エヴァンス

 「アレンジに興味があったから、ギルに教えてもらうことにした。ヤツのアパートにはそういう連中がいつも集まっていた。ジェリー・マリガンリー・コニッツジョン・ルイスなんかが常連だ。その仲間に入れたことが嬉しかった」
 「そこではどんなことをやっていたんですか?」
 「持ち寄った譜面をみんなが演奏するワークショップのようなものだ。それを聴いて、ギルがアドヴァイスをする。よく覚えているのは、オレが書いたブルースを、ギルがまったく違うサウンドにしてしまったことだ。フラッテッド・セヴンを全部書き換えたら、ブルースのフィーリングが綺麗さっぱりなくなって、いかにもギルらしい響きになった」
(略)
 「そういうことから発展したのがノネットだ。メンバーは、ギルのアパートに集まっていた連中から選べばよかった」
 このあたりの話は、まったく耳にしたことがなかった。まさに、当人の口から歴史が語られている。ゾクゾクするではないか。横にいる[息子の]エリンも興味深そうに耳を傾けている。
 「ギルのアパートにはバードも入り漫りだった。(略)最初はノネットにバードを入れる考えもあった。ところが、彼はオレたちの音楽を聴こうともしない。だから、ソニー・スティットを候補に考えた」
 「新しいことをやるつもりでいたが、オレはどこかでビバップも引きずっていた。そのことに反対したのがジェリー(マリガン)だ。『新しいことをやるなら、違うタイプのアルト奏者を使え』。それで、リー(コニッツ)を仲間に入れた」(略)
[リズム隊と]マイルスはビバップ派である。そこにパーカーもしくはスティットが加われば、パーカー・クインテットがバンドの基本になってしまう。それでは新しい音楽は生まれない。マリガンは、そのことを見越して進言したのだろう。
(略)
 「ノネットの音楽はクールだとかなんだとかいわれているが、オレにそんな意識はなかった。そこのところはきちんと書いておけよ
(略)
ソーンヒル楽団の小型版だが、そもそもはデューク(エリントン)とフレッチャー・ヘンダーソンの音楽が手本になっている。ギルは、デュークとヤツのバンドのアレンジをしていたビリー・ストレイホーンの大ファンだった。ビリーの得意技は、高音部をいくつかの楽器で重複させることだ。そこからヒントを得て、ギルは低音部も重複させていた。だから、分厚い音が出せた。それをソーンヒル楽団で試したらうまくいったから、ノネットでもやってみた」
(略)
音楽的に満足できたが、金にはならなかった。メンバーが多くて、ひとりの取り分が週で70ドルぐらいだった。それでも仕事が続けばなんとかなったが、たまにしかない。だからレコーディングと数回のギグでやめることにした」
 少々悔しそうな口ぶりのマイルス。「70ドル」と金額まで教えてくれたのは意外だった。プライドが高い彼だから、そんなに安い金額で演奏していたことを、普通ならひとに話さないだろう。

モード・ジャズ

「(略)あれは下手をするとワン・パターンの演奏になるから、却って難しい。自由に演奏できるというヤツもいるが、同じようなフレーズの羅列で終わっているのが大半だ。わかるか?」(略)
 「Cを起点にしたフリジアン・モードではEから始める。ところが、最初のころはFから始めるヤツが多かった。Fは半音下げなきゃいけないのに、そうしない。半音下げることでマイナーな雰囲気が出せるのにそうしないから、『いかにもメジャーで演奏してる』感じになってしまう。誰もわかっていなかった」
 モード・ジャズのパイオニアが、自分のことを振り返りながら、理論について教えてくれる。信じられないことだ。

コルトレーン

トレーンがソプラノ・サックスを吹くようになったのは、オレがプレゼントしたからだ。ヤツがグループから独立しようとしてたんで、思いとどまらせるため、前からほしがっていたソプラノ・サックスをプレゼントした。セルマーで最高のヤツをな

エスト・コースト・ジャズ

 「ウエスト・コースト・ジャズという言葉は知っているが、オレには関係ない。ショーティ・ロジャースにはオレを真似しているところがあるな。(略)でも、ハートがまったく違う。音楽はハートでやるものだ、わかるか?(略)
オレはバド・シャンクなんかと演奏する気になれない。だから、ああいう音楽はやらない」
 「文句をいいたいのは、ノネットの音楽からヒントを得たチェット・ベイカースタン・ゲッツデイヴ・ブルーベックなんかが〈クール・ジャズ〉の代表格みたいにいわれてることだ。オレはブラックで、ヤツらはホワイトだ。ホワイト・イコール・クール・ジャズ。批評家の連中にはこんな短絡思考しかない。オレの作った音楽が、ホワイトのものになってしまった。これだけは、はっきり書いておけよ」
 マイルスが、これまでにない語気の強さで迫ってきた。その気迫に縮み上がってしまった

『クールの誕生』

もっと繊細な音楽がやりたかった。キチッとした規範を持って、その中で自由に演奏する――そんな音楽がやりたくなっていた。バンドスタンドで、他のプレイヤーと火花を散らすようなことは卒業したかった。もっと繊細で、サウンド的にも十分に練られた音楽をやってみたかった。そんなことを考えていたときに、ギルと出会った
(略)
ジョン(ルイス)とは、バードのグループで仲よくなった。ヤツはクラシックに興味を持っていて、質問にはなんでも答えてくれた。ギルに勝るとも劣らない知識と理論の持ち主がジョンだ。それでいて本物のブルースが弾けたから、オレがなにかをやるときは絶対ヤツに頼もうと思っていた。
(略)
 マイルスと彼のノネットは49年1月21日に第一回目のレコーディングに臨む。(略)
 「明確にあの日のことは覚えている。ジェリー(マリガン)とマックス(ローチ)をタクシーで拾い、スタジオに行った。レコーディングが始まる三時間くらい前だった。まだ、前のグループがレコーディングしていた。その連中が終わるやいなや、オレたちはレコーディングする曲目の最終的な打ち合わせを始めた。ジェリーとオレとで、ジェリーの書いたアレンジの細かいところをチェックして、マックスが脇で椅子をドラムに見立ててリズム・パターンをつけていく。このレコーディングで一番大切なのがリズムだ。ハーモニーじゃない。ハーモニーについては、ジェリーやギルがすでにオレの納得いくものを作っていた。だから、そこにいままで誰もやったことのないリズムを持ち込みたかった。(略)
オレがピアノを弾いて、ジェリーが同じピアノの低音部でベース・ノートを示し、マックスがリズムをつけていく。そうやって、オレが考えているリズムの最終確認をマックスとした」
(略)
 マイルスはノネットでなにをやりたかったのだろう?恐るおそる聞いてみた。
 「ロマンチックな音楽だ。エキサイティングなものにもロマンは感じるが、静かなところでガールフレンドを口説くイメージを、このときは追求したかった。ビバップのうるさいサウンドの中じゃ、甘い言葉を囁くわけにいかないだろ?」

形見

[突如食事に行くかと言われ、色々と恐れ多いので近所のデリに買い出しに。帰ろうとすると突然の大雨で雨宿り]
 すると五分が経つか経たないうちに、マイルスが傘を持って迎えに来てくれたのである。あのマイルスが、だ。しかも大雨の中を、である。
 こちらは緊張と恐縮のあまり、ひたすら謝ってしまった。すると彼は[照れ隠しで]ひとこと、こういい放った。
 「風邪を引かれて、それでオマエに訴えられたら堪ったもんじゃないからな」
(略)
そのときは、マイルスが傘を持っている、ということにも感動していた(しかもぼくの分もだ!)。(略)
偶像としてのマイルスと、彼も普通の人間であることを思わせる日常が交錯していた。これはこれで、絶対に忘れることができない体験であり、光景になった。
 この出来事にはおまけがある。部屋に戻ると、「いくらした?」とマイルス。「いいですよ」。すると、「ほら」といって、マネークリップごとお金を放ってくれた。必要なお金を取り、マネークリップを返すと、「それごと取っておけ」という。マイルスがこの世にいないいま、このマネークリップは、彼がくれた形見だと思っている。

49年パリ、サルトルジュリエット・グレコ

サンジェルマンのジャズ・クラブでは、サルトルと人生について語り明かした。オレは二十歳を出たばかりの若造だったのに、サルトル(43歳)ときたら、同じ歳の大人のように扱ってくれた。あれには感激したな。
(略)
ピカソには、もっぱらアメリカの黒人が置かれている立場について質問された。だから、『あんたは黒人の絵は描かないのか?』といったら、『肌の色は関係ない。白人と見るひともいれば、同じ絵を黒人と見るひともいる。見るひとの感覚でいい』みたいなことをいってたな。同感だった。同じように考えている人間がほかにもいるとわかって、楽しい気分だった
(略)
[そしてリハーサルを覗きに来たジュリエット・グレコと恋に落ちる]
どこに行くのも一緒だった。サルトルと会ったときにも、彼女がいた(略)
ニューヨークじゃ楽隊屋扱いだが、パリではアーティストだった。尊敬してもらえたし、演奏にも熱心に耳を傾けてくれた。(略)ジュリエットのこともあったから、そのまま住み続けたかった。実際にそうしたのが、ケニー・クラークだ。(略)心底、羨ましかった。だけどオレにはアイリーンがいたし、真剣に考えればパリに居場所がないことはわかっていた。だから、うしろ髪を引かれる思いでニューヨークに戻ってきた

プリンス、『TUTU』

ローマかどこかの飛行場で、ヒップな音楽が流れてきた。プリンスだった。ヤツが大ヒットを飛ばす前だ。でも、コイツがそのうちすごい大物になることはわかっていた。そのころはマイケル・ジャクソンが人気で、オレも興味を持っていたが、あんな音楽とは比べものにならなかった
(略)
プリンスは『TUTU』に自分の曲を提供したくて作曲もしていた。だが、オレたちが送ったテープを聴いて、自分の曲がレコードに合わないと判断したんだろう。プリンスも、オレと同じで音楽的にとても高い基準を持っている。それで、いつかなにか違うことを一緒にできるようにと、その曲を引っ込めた」

Perfect Miles Davis Collection (20 Albums)

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