オルテガ―現代文明論の先駆者 色摩力夫

トインビー

 オルテガは、また、トインビーのナショナリズム攻撃の烈しさに閉口する。(略)オルテガは、国民国家形成のイデオロギーを、健全な生命力の所産として、その歴史的意義を高く評価する。しかし、いったん形成された国民国家の病理としてのナショナリズムには、批判する立場にある。「割拠主義」の病弊をもたらして、国民国家を分解するからである。つまり、ナショナルであることと、ナショナリズムは峻別されなければならない。然るに、トインビーは、ナショナリズムの名で両方を混同して、一律に弾劾する。オルテガによれば、トインビーは、戦後のイギリスが生んだ、はた迷惑な「国際主義者」または「国際人」の典型なのである。

宗教改革イエズス会

 オランダの先進性とはいかなるものか。オルテガは、オランダが宗教的次元では最先端を代表していたものと見る。「中世的なものと、新しい生の態様との間に継続性を確立している」と評している。(略)
オランダにおいて、デヴェンテルの「共同生活の兄弟」と称する新しい宗教運動が起こる。彼岸ではなくてこの世のことであり、世俗的で、革新的な発想であった。これは、伝統的なカトリック教会の制度的な面への公然たる反乱であった。修道僧そして一般に聖職者に対する軽蔑であった。この運動はドイツとフランスに計り知れぬ影響を及ぼすこととなる。それは、次の16世紀に華々しく顕在化する宗教改革の萌芽となった。
(略)
カトリック教会内にも、これと対抗して戦うために、「伝統的なものの裏がえしの教団」が生れる。(略)「これは、近代的な最初の教団であり、此岸的な新しい生のすべての兆候をもたらす」のである。従来より、プロテスタンティズムの革新性とイエズス会の反動性の対比が強調されて来た。宗教改革と反宗教改革という、対立の構図である。しかし、オルテガはこのような見方を取らない。「その発想の方向は一致していた」のである。そこで、双方に共通する近代化の潮流を重視する。ルネッサンス期の危機の中に位置して、両者は全くパラレルであり、発想の中核においても、同一同質と見ている。相違があっても、それは周辺の二次的なものに過ぎない。

ベラスケス

[ベラスケスの作品の大部分をなす]肖像画は主流をなす画題ではなかったのである。イタリア絵画の主流をなすものは、伝統的に、宗教画であり、神話画であり、歴史画であり、要するに物語性のあるテーマであった。
(略)
ベラスケスの追求したものは、俗に言う「レアリズム」ではない。オルテガによれば、芸術は、対象の「非現実化作用」以外の何ものでもない。(略)
「触覚的要素」を徹底的に排除して、「視覚的要素」を極限まで追求しようとする。視覚ばかりで物体性がないのであれば、それは幻覚であり、亡霊であろう。亡霊の探究こそ芸術である。ベラスケスの絵画史上の業績は、「絵画の純粋な視覚性への帰結」と言うことが出来る。それは、通説のごとく、平板化ではない。彫刻的効果を意識的に放棄しただけである。つまり量感を避けたのである。その代り、画面を後方へと「凹形化」し、深さを追求した。これを実現するために、「色価の簡略化」「形体化の極端な縮小」そして、「ほとんどペーストを置かない」という技法を開発した。
 オルテガは、「デカルトが思考を合理性に帰したのと同様に、ベラスケスは絵画を視覚性に帰した。両者とも、文化の活動の焦点を直接の現実に合わせた。両者とも、現世の人間であり、未来を志向していた」と論じている。

絶望の様相

 ローマ帝国は、人間を「社会化」するという壮大な企図であった。もちろん、失敗した。社会の自発性を踏みにじっては、その社会は形骸化するほかはない。それにも拘らず、ローマ帝国は、形骸化する努力を意識的に行ったのである。まわりのすべてのものが失敗に帰するとき、われわれは、本当のところ、その何ものも真正な現実ではなく、重要なものでも、決定的なものでもないことに気がつく。こうしてすべてが雲散霧消したあとに残る唯一の現実は、個人的な生である。個別的で具体的な生命しか残らない。これがローマ社会の絶望の行きつく果てであった。そして、それは、キリスト教による解決に導く素地でもあった。
 それは、人間の中のただ一点を除いて、その生命のすべてを否定し、その一点を分離し、誇張し、激化すればよい。つまり、生の単純化である。犬儒派も、ストア派も、キリスト教徒も、カエサル派も、結局、単純化を要請することでは一致した。単純な理念は明快かつ明確であり、逆に、明快かつ明確なものは、つまり、確実なものは、単純なものである。
 イエス・キリストは、「極端に単純化する者」であった。律法も祭礼もすべて御破算とした。神を信ずることの一点に、すべてを単純化した。
 絶望に陥り、自分の文化に信を失った者は、確信をもって肯定する者、何にも動じないで確固としている者には、対抗する能力がない。それが真実であろうが、口先だけのことであろうが、あまり関係ない。すべて危機は「歴史的恐喝」の時代である。えせ予言者が現われたり、自称神様が出て来たり、新興宗教が花盛りとなっても、少しも不思議はない。
 危機における「単純化」運動の一つの態様として、復古主義がある。いにしえに帰れ、自然に帰れ、などはその典型的な表現である。しかし、これは想像力の貪困であり、「展望の誤り」から来る。われわれが既に取得した文明は、取り消す必要もなく、取り消し得るものでもない。少くとも上澄みとして保存すべきものである。人間は、常に、未来に向かって決断を迫られ、何らかのプロジェクトの実現に乗り出さざるを得ない。それは、人間の宿命である。ただし、何もしない、何でも放棄するというプロジェクトもあり得る。そして、それも未来に向っての決断の一つである。
(略)
 危機に陥っている人間にとっては、確信をもって一定の視点を取ることは出来ないであろう。自信がないので、視点も序列も展望も、漠としてぼやけているのは已むを得ない。しかし、一つはっきりしていることは、未来の方向を向いていなければならないことである。その方向を模索するために、手段として、過去を探るのは結構である。また、過去にしか考える材料のないことも事実である。あまりに複雑で混乱しているので、一つの戦術として、単純化の手法を使ってみることも必要であろう。しかし、それは過去に帰ることではない。過去の再現を計ることは、視点そのものを過去の方向にねじまげることであって、展望の誤りにほかならない。

ローマ市民の「信念の体系」

[王を追放した]ローマ共和制は、独自の確固とした正統性の信念を生み出す。ローマ市民の「信念の体系」である。(略)
その暗黙の前提が、君主制否定、即ち、「一人の人間の意思」には絶対服することはない、という信念であった。つまり、これが、ローマ市民の信念の体系の核心であった。(略)そこには、人間的なものに対する深刻な絶望がある。しかし(略)[君主制反対という]否定的な表現だけで、現実は動くものではない。(略)[肯定的実体が必要]それは何か。オルテガは、それは「法に対する情熱」であったと言う。
 ローマにおける法は、仮借なきもの、硬直したものであった。また、そうであるからこそ、ローマ市民は法の前に平等であった。もちろん、位階につき、地位につき、権利義務につき、差別を立法することは可能である。しかし、それらはすべて、「法」から流れ出るものであって、いかなる人間から出るものでもない。
(略)
 しかし、このような法に対する情熱は、われわれ現代人にとっては、理解を超えるところである。オルテガは言う。「多分それは、われわれが法の何たるかをよく理解していないからであろう。われわれは、すべて法を、《正義》と称される法律外的な鉄槌で粉々にしてしまった時代に生きているのである。われわれは、不器用にも、法は、それが正しいがゆえに法であると信じている。これに対して、純朴なローマ人は、その反対に、正しいことは、それが法であるがゆえに正しいと考えていたのである。」(「ローマ帝国について」)

正統性

ローマ帝国は誕生の時点で、正統性を持っていなかった。アウグストゥスは、ローマ共和制の制度とむりやり関連づけようとしたが、当然のことながら失敗した。ローマ共和制の正統性を継承することは、どう見ても無理であった。
(略)
ローマ帝国には、元首をきめる原則が全く存在していなかった。帝位継承法がないのである。(略)それゆえ、ローマ帝国を通じて、特に末期は、軍隊による皇帝の改廃が相次いだ。これは、クーデターではない。非合法な帝位継承ではない。第一、帝位継承に法的ルールがない。それに、ローマ帝国が非正統的であり、皇帝という制度そのものが本質的に非正統的であった。歴代の皇帝は、非合法的ではなくて非正統的手続により、非正統的地位についたのである。これが、「非正統性の原則」である。
(略)
 ローマ人は、カエサル以来ローマ帝国の末に至るまで、非正統性の中に生きているという意識から逃れられなかった。これが、ローマ人の非正統性コンプレクスである。(略)
「(略)帝国に慣れ親しんだ者は、むしろ征服された他の諸国民であった。彼らはその永遠性――《永遠なるローマ》――を信じ、そして、その現実を、あるいは少くとも、帝国の理念を、16世紀までは追いつめようとはしなかったのである。」(「ローマ帝国について」)(略)
 正統性は、そもそも非合理な概念である。正統性とは、誰が統治すべきかの問題に関する明確な信念を言う。いかなる政治権力も、初めから正統性を持つことは困難である。正統性を確立していた政権から、問題なく継承でもしない限り不可能である。ゼロから出発した場合は、当初は、正統性を持ち得ない。唯一可能なのは、いったん確立してから長期間平穏裡に統治権を行使した後に、生れるかも知れないものである。(略)
社会一般が何となく正統性があると思いこめば、それだけで必要にして十分である。(略)
民衆レベルに、支配と服従という心理的カニズムが確保されていなければ実らない。
(略)
 正統性と合法性を混同してはいけない。それは次元の異なるものである。法も一つの慣習である。しかし、人間の生そのものに深く入りこんだものではない。むしろ、合理的なもので、純粋理性の領域で作用するものである。論理の世界と言ってもよい。これに反して、正統性は、すべて人間の生のより深い層から発するものである。それゆえ、純粋理性から見れば非合理である。生の理性、歴史的理性の領域で理解しないと何のことやら分らない。それゆえ、オルテガは指摘する。「法的フォーミュラを介して正統性を定義しようと主張することは、その現実を理解することを欲しないというだけのことである。」もっとも、法も究極的には、法的なものの領域を超えて、やはり正統性と同様に、人間の「集団的生のある種の全体的状況」の中にその基礎を求めねばならない。オルテガは、この意味でケルゼンを批判する。法について、法的な何ものかの中にその基礎を求めるのは、ナンセンスであると言うのである。「それは、科学が究極的に科学的な何ものかに基づくものではないことと同様である。」(略)
 正統性は、公権力が持ち得る幸運な付加的属性であるが、常に崩壊の可能性にさらされているものである。非正統性の萌芽は常にあり得る。そして、いったん崩れるととめどもなく進行する。非正統性の存在は、必然的に国家の衰亡の兆候であるとは限らない。しかし、逆に、文明や国家の衰亡するときには、必ず非正続性の問題が存在する。
 正統性は、国家権力の強力な支えとなる。国家権力が、所詮、真正な正統性を持ち得ないと気がついたとき、それに代る何らかの精神的支柱を求めても不思議はない。それは「疑似正統性」とも言うべきものである。
(略)
キリスト教を公式の宗教に採用して、ローマ帝国のために、これを「疑似正統性」の基礎としたのである。

大衆人、無知の賢者

19世紀の末には、史上かつてない科学者のタイプが登場した。それは、科学の特定の部門、しかもその中の小部分の研究に集中的に従事する科学者である。(略)[問題は]「その他の分野について知らないことを美徳と宣言し、知識の総体にかかわる好奇心を、《ディレッタンティズム》と呼ぶに至った」ことである。
 オルテガは、このような現代の科学者を「サビオ・イグノランテ」(無知の賢者)と呼ぶ。彼らは(略)[自身の専門分野での]自信によって、専門外の分野にも介入し、現代社会のあらゆる問題に、権威ある者のごとく発言する。いわゆる「識者の意見」である。これは、奇妙な錯覚である。空前の無責任現象である。しかし、科学者自身は、少しも矛盾を感じない。社会一般も、あやしまないどころか、当然のごとく受諾する。(略)
 科学者は、この専門化現象によって、自分以外の権威を認めなくなる。上級の審判に服する用意が全くない。上級の規範を求める習性を失う。(略)
正に、これは大衆人の典型的な特徴である。(略)
 大衆人は愚鈍ではない。その反対である。いかなる時代の大衆よりも、現代の大衆人は怜悧であり、相等の知的能力を持つ。しかし、その能力は、あまり役に立たない。なぜならば、そのゆえに自分の中に閉じこもったまま、正当に使用しないからである。ただ、きまり文句、偏見、アイディアの端くれ、空虚な言葉をもって、至るところに介入して来るだけである。それは「通俗性の権利」の宣言である。
(略)
すべての規範を無効とし、われわれの意図とその実施との間の中間物をすべて廃止しようとするものである。大衆人の行動様式である。オルテガは言う。「文明とは、何よりも、共同生活の意思である。」「野蛮は、解体への傾向である。」
 オルテガは、西欧における「自由民主主義」を、必ずしも理想的政治形態であるとは考えない。しかし、今まで考案された種々の政治形態の中では、もっとも無難なものとして認めている。特に、「自由主義」と「民主主義」とは、必ずしも両立するとは限らぬものでありながら、絶妙の調和を得て機能していることには、十分敬意を表している。
 自由民主主義は、隣人への依存を極端まで推進した体系である。「それは《間接行動》の原型である。」議論をする。説得の努力がある。決定のルールがある。行動のチェックがある。平穏な交代がある。

「国家」と「国民社会」

 オルテガは、「国家」と「国民社会」との峻別を説く。(略)
「国家のための国民社会」ではなくて、「国民社会のための国家」である(「古くて新しい政治」)。「政治とは、国民社会の中で、国家の見地から何をなすべきかについて、明確な理念を持つことである。」「実際の歴史的現実は、国民社会であって国家ではない。」(『ミラボー即ち政治家』)
 オルテガの国家論は、社会の本質から出発するものであるが、社会と国家との中間項に、国民社会があると理解してよい。(略)
「社会」は、抽象的な社会学的概念であるが、「国民社会」は、特定の歴史的経緯をふまえた文明史的概念である。そして、「国家」は、歴史を超えて一般的に妥当する法的概念である。

世論

オルテガの「国民社会」は、人種概念でもなく、国家を構成する人的要素でもない。特定の歴史的現実を背負った国民とその領域との総合概念である。自発的生命力を期待し得る現実は、国民社会であって国家ではない。国家は、国民社会の上に構築された一つの制度である。政治の究極の目的は、国家という制度を操作することによって、国民社会の自発的生命力を維持発展せしめることである。
 政治は、その発想の源泉を国民社会に求めなければならない。国家の要請に基づく、国家のための政治ではない。つまり、世論から出発するということである。具体的に一つの国民社会がある限り、世論は常にそこにあるものである。もし、万一欠けているなら作り上げなければならない。世論とは、慣習と化した意見(思いこみ)である。個人の意見の総計ではない。
 オルテガによれば、世論は多数派の意見ではない。そもそも、マジョリティとは法的な擬制に過ぎない。「私の理解するところでは、多数派と少数派との個別の意見を原初的なものと考え、世論とはその結果として形成されるものと想定するのであれば、それは誤謬である。それどころか、個別の意見は世論を前提とした事後的なものであると考える。即ち、世論が原初的なものであって、個別の意見は、その変種なのである。」「世論は、個別の意見が互いにいかに相違していようとも、その蔭に潜在的にひそむ唯一の意見である。」従って、それは「皆の意見である。」結局、「世論は、一つの時代のすべての意見を包含し調子づける霧であり、基調音である。そして、個人の中においては、われわれが形成して行く個人的判断をも調整する。」(「地の扉」)
 しかし、世論は明快な形でそこにあるものではない。「世論は、巫女の言葉のように常に謎である。解釈する技術が必要である。」(「共和国万歳」)それは、真の政治家によって発見され、解釈され、表現され、白日の下にさらされて勝利する。勝利するのは、その政治家ではなくて、世論そのものである。

大衆の反逆 (中公クラシックス)

大衆の反逆 (中公クラシックス)

  • 作者:オルテガ
  • 発売日: 2002/02/01
  • メディア: 新書