戦争と政治の間 アーレントの国際関係思想

よくわからぬまま、メモ代わりにザクザク引用したので話がつながらないかも。

戦争と政治の間――ハンナ・アーレントの国際関係思想

戦争と政治の間――ハンナ・アーレントの国際関係思想

 侵略と占領の歴史や暴動と反動の歴史がアーレントに示唆したのは、通常は権力を「もっている」と思われる人びとが、「その権力が自分の手から滑り落ちていくのを感じる」ときにこそ、暴力が行使される可能性が増大するということであった。そうした事例においては、暴力の表出は優越的な権力の顕現ではなく、むしろ弱さの表れである。権力が危うい状態にあるということの徴候である。

 アーレントが非暴力のこのような事例を賞賛していること、そして権力と暴力とを区別していることを、ひとつの平和主義と混同してはならない。平和主義は、アーレントが記したように「リアリティを欠いて」いる。

 政治的自由は、つねに暴力によって達成される必要はない。しかしそれが起こったとき、アーレントの政治的な感受性は、軍事交戦における「正規」側によりも、むしろはるかにパルチザン側に、あるいはゲリラや抵抗派の側に共鳴していた。

シュミット、パルチザンの理論

 ある意味でシュミットとアーレントの両者が考えていたのは、シュミットが示したようにパルチザンの理論が「政治的現実を認識するための鍵となるはずだ」ということだった。しかし、そうした現実をどう理解するのかについては――そして政治的行為という言葉の意味については――ニ人の間には大きな隔たりがあった。本当の意味で革命的なパルチザンは、戦争と政治の新しい空間を創造するだけではない、とシュミットは論じた。パルチザンは、存在している軍事的・政治的秩序と全面的に断絶する新しい戦闘方法や戦闘手段を採用する。(略)革命的なパルチザン――シュミットはレーニンを引用しているが、われわれならばビンラディンを引いてもいい――は、公然と境界を踏み越える。彼らは国際法や戦争の「在来的なゲーム」の外部にいる。しかし、シュミットのパルチザンは似たような手段をとりつつ「敵は犯罪者であり、法や法律や名誉についてのすべての概念はイデオロギー的な欺瞞である」と公言する。古典的な国家や国家間モデルが拒絶されているのだ。
 シュミットのパルチザンの理論は敵対性の理論である。しかし、アーレントにとっては、それは行為主体の理論である。アーレントは、暴力的な政治変革の、大規模でイデオロギー的に動機づけられた行動計画には、ほとんど何の共感もしめさなかった。

権力と暴力

権力は人民を必要とする。しかし、理論と現実において暴力はそうではない。暴力はただ一人でもやっていける。
(略)
権力は「人びとが共同で活動するとき人びとの間に生まれ、人びとが四散する瞬間に消えるものであり……数あるいは手段という物的要因と、驚くほど無関係である」。(略)
暴力は、武器や道具、そして身体と建造物に対して危害を加える事物のような、物質的手段に依存している。
(略)
 国家を維持するのは権力であり、暴力は二次的なものである。官僚制的な行政やテクノロジーの発達は、国家が利用可能な力の手段の巨大化を引き起こした。アーレントから見れば、国家装置、暴力の手段、そして公的で政治的な領域を一緒くたにすることこそが、それほどの破壊的な暴力を生み出してきた。国家のような制度は、政治的空間に人びとがまずは集まるということの物質的な顕現である。
(略)
重要なのは、権力を暴力から区別することである。権力は「政治的共同体の存在そのものにほんらい備わっているものであるから、いささかの正当化も必要としない」。(略)政治的カテゴリーとして権力は絶対的なものである。

政治の死と戦争の勝利

フーコーはさらに先まで連んでいる。リベラルの「市民的平和」は、それ自体が戦争の秘められた形式として理解されなくてはならない。戦争は一般に「政治権力の行使の原理でありかつ、その動因なのである」
(略)
そこでは戦争が不可能になった平和な世界は、政治の死であると考えられている。戦争が永遠に現前している可能性は、基本的な政治的緊張と「敵対的関係」にとっては不可欠である。カール・シュミットの言葉を用いるならそこでは「人間たちが生命を捧げるよう要求され、血を流し、他の人びとを殺戮せよと強制されうる」。(略)
シュミットとは違った立場に立っているボードリヤールにとっては、「戦争でない戦争とは、他の手段によって追求される政治の不在である」。そしてヴィリリオにとっては、「抑止という全面平和は、他の手段により続行された全面戦争である」。こうした近年の研究の特徴は、純粋な政治の死と戦争の勝利を告知することである。
(略)
アーレントは、人間の複数性、つまり人間には差異があり意見が一致するわけではないという事実が政治の核心にあるということを、一貫して主張している。(略)ドゥルーズガタリボードリヤールヴィリリオのような著述家にとっては、アーレントが理解したような明確な公的領域も政治的世界もけっして存在しない。これらの思想家たちは、人間の条件のこの要素を考察したり理論化したりできるのだ、というアーレントの信念をあっさりと拒絶している。もしもあらゆるものが戦争であれば何事も戦争ではない、と応じることは簡単である。しかし、アーレントポスト構造主義と根底的に違っているということには、もっと深い意味がある。
(略)
問題となっているのは、偽装して戦争の形態をとっていない政治的出来事や経験を、過去から発見し、現在のなかで考察することが可能かどうかということである。

  • 第三章

ヨーロッパが相対的な平和を享受した19世紀の後には市民社会が戦争を制約する20世紀がつづくだろうというリベラルな幻想をアーレントは嘲笑した。暴力は政党システムによって「最小限」にまで抑えられるだろうと考えられていた。合理的でリベラルな政策をとれば、戦争は抑制され、おそらくその放棄さえ実現するだろうと信じられた。リベラルな人びとが認識できなかったのは、「国家の公的領域でしか生じえない暴力と権力の特異な組み合わせだった」とアーレントは主張している。

 あらゆる帝国主義侵略戦争とそれに関連する虐殺、奴隷制、収容所の背後には「すべては許されている」という正当化の原理がある。
(略)
それらは、植民地における反逆者たちを弾圧するための手段だった。つまり、その目的を達成するための功利主義的で完全に有用な方法だったのであり、またそうであるがゆえに「許されていた」のである。
(略)
 戦争末期には、ナチスは、「すべては許されている」という帝国主義的原理を「すべては可能である」というはるかにラディカルな信条に変えていた。
(略)
帝国主義的暴力がヨーロッパの中心地に移動し、ナチスイデオロギーと結びついたとき、その性格と範囲が変化したのだ。
(略)
[強制収容所は、ドイツ国家にとって、まったく非生産的で「反功利主義的」だった]
ナチスの収容所について未曽有だったのは、死者の数ではない。(略)「殺戮を惹き起こし、その遂行を機械的なものにし、もはや一切が意味をもたなくなるような死の世界を入念に計算して構築させたイデオロギー的な無意味さ」だった。(略)「ガス室は誰の利益にもならなかった」のである

  • 第四章

 「戦争は地獄である」、戦争は民間人を殺すものだというウィリアム・シャーマンの言葉をラムズフェルドはおうむ返しに述べている。彼の発言は戦争の有害な効果を認めたものであり、正当化したものだが、それを認可する役割も果たす。(略)
戦時におけるアメリカの行動を責任あるものにするよりも、寛大な復興援助を約束して犠牲者に慈悲を与えることのほうが重要視されているように思われる。アメリカ軍の行動を国際的な裁定に委ねるよりも、標的にした社会に気前のよい援助を施す、もしくはそう見えるようにすることのほうが安く上がると思われているようなのである。
(略)
数千人もの予測しうる民間人の死に対する責任はないというドナルド・ラムズフェルドの強力な主張は、アーレントが記述した帝国主義的な「官僚の哲学」を実証するものであろう。
(略)
国防長官を辞任させられる前に、ドナルド・ラムズフェルドは、こう述べた。「私は法律家ではないし、その方面の仕事はしない」。しかし、それにもかかわらず、多くの人びとの生死が彼の命令によって決定された。命令の官僚的連鎖のなかでは、「責任の所在を明らかにし、誰が敵であるかを識別することは不可能」であるように見える。
(略)
そうした死の責任をとる者は誰もいないにもかかわらず、この「誰でもない者」は依然として支配する。意味をもつのは「剥出しの冷厳なる出来事そのものだけ」、つまり、何千人という民間人の死という出来事だけなのである。

次回につづく。