戦争と政治の間・その2 アーレントの国際関係思想

 前回のつづき。

  • 第五章

アーレントは、

偽善と偽善に対する戦争の両方を非難した。

 「偽善の思い上がり」よりも大きな罪が政治的領域に存在するとアーレントが信じていたことは確かである。彼女は、真実を語ることを政治的徳に数えたことは一度もなかったし、嘘を「政治的行為の兵器庫にある道具のひとつ」とみなしていた。また、人権の論議を「リベラルたちの偏見、偽善、臆病さ以外の何ものでもない」ものとしてシニカルに描く論者に同意するほどナイーヴでもなかった。
(略)
彼女の政治理論は人道主義的だった。それにもかかわらず、彼女は次のように記している。「厳密に言えば、政治の目的は「人間」というよりも、人間と人間の間に生起して人間を越えて持続する「世界」なのである」。アーレントの思想において、日常的で期待さえされるものである偽善が、残酷さよりも悪い何かをもたらすものとして位置づけられていたことは確かである。偽善と偽善に対する戦争が公的な生活を決定づける特徴になってしまうと、「われわれが現実の世界において方位を定める感覚」が破壊されてしまう。「しかもこの病理には治療の施しようがない」と彼女は記している。偽善を含む政治的事実にかんする西側諸国の知識こそ、公的な世界が存立する条件である。そして公的な世界、すなわち文字通りの政治的空間がなければ、人権の実現は不可能だとアーレントは常々論じていたのである。
 偽善による政治生活の腐敗とそれへの嫌悪が広がると、社会に暴力が出現しやすくなる。実際、アーレントは、次のような驚くべき主張を展開している。「参加を憤りに変換するであろう原因を歴史的に探求するなら、第一にくるのは不正義ではなく、偽善である」と。偽善は憤りを生み、憤りは暴力を生む。この関係をアーレントは少なくとも四回論じている。
(略)
 偽善に対する憤りを理解する一方で、アーレントはそれを暴露する政治的行為についても批判的だった。(略)偽善に対する戦争は隠された動機の探求に転じてしまう傾向があるがゆえに、偽善そのものよりも危険で、より暴力的になる可能性を秘めているからである。アーレントは、政治的なものを人工的な現れの空間として理解していた。そこに現れるのは言葉と行為だけであり、そうであるがゆえに言葉と行為だけが判断されうるのである。
(略)
偽善を「暴露」しようとすることは、政治的人格の本質を誤解することである。公の場で話すということは、「仮面」、すなわち「政体によって与えられ保証される」公的人格という仮面をすることに等しい。アーレントは、偽善と偽善に対する戦争の両方を非難した。

アラビアのロレンス、人権、

「リベラルの親ユダヤ主義に対する嫌悪感」

 ヨーロッパ帝国主義の最盛期にあって、ロレンスのような人たちは、ブルジョワ社会の偽善からエキゾチックで広大な土地に逃れ、見知らぬ外国人たちのなかで自分を作り直すことができると感じていた。そうする際に、ロレンスは、いまなお影響力が残るゲリラ闘争の理論を明言した。
(略)
ロレンスの公私の物語に、アーレントは魅了されたようだ。(略)
ロレンスは、体裁だけの世界の外で「栄光あるキャリアのために帝国主義に使用され乱用される」ことを意識的に選択した原型のような人物だった。帝国における彼の役割は間違いなく暴力的なものだったが、彼自身が暴力的な憤りに身を委ねたことは一度もなかった。(略)
ロレンスが例示する「西洋人の真の誇り」とは、「正しい方向に突き進んだ」ことだった。彼は、より大きな歴史の力と連携し、それによって多少の満足感に浸ることができた。(略)
 歴史には非人格的な法則があるというロレンスの帝国主義的信念は、歴史的必然性の法則にかんする全体主義イデオロギーの主張に直接結びついている。しかしながら、第一次世界大戦後においては、何百万人という人びとが無国籍となり、それによって「ヨーロッパの政治システムの外観がさらに崩れて粉々になり、隠された骨組みが露わになった」。そこに第一次大戦前の帝国主義と大戦後の全体主義イデオロギーの違いがあろう。「「人権」という単なる言葉は、全体主義国と民主主義国とを問わずあらゆる国で、犠牲者と迫害者と第三者を問わずすべての人にとって、同じように絶望的な理想主義あるいは未熟で浅薄な偽善の権化となった」のである。この歴史の重荷を意識していたアーレントは、戦間期の民主主義諸国の偽善を批判するとき以外は、人権という言葉をめったに口にしなかった。そうした観念は「茶番になってしまっていた」。
(略)
「不可侵の人権などというものは単なるお喋りに過ぎないという全体主義運動のシニカルな主張を実際に証明するもの」になったように思われた。そのような状況下においては、残酷さと無道徳を公言するほうが「立派な社会」を装うよりもはるかに誠実であるように思われたのである。多くの作家や知識人が最終的に「残酷さを最高の徳にまで持ち上げたのは、これこそまさに彼らの周囲のリベラリズムと偽善に真っ向から対立するものだったからにほかならない」とアーレントは主張している。似非道徳をひけらかした権力者たちの偽善を暴く正義の怒り。この反抗には、明らかに魅力的で、満足感をもたらし、愉しみさえ与えてくれる何かが存在した。問題は、「当時すでに激しくなっていたヒトラーユダヤ人迫害という現実でさえ、この暴露する愉しみをこわしはしなかった」ということだった。重要なのは、反ユダヤ主義自体がリベラルな偽善の産物であるということではない。決してそうではない。むしろ、アーレントが恐怖をもって主張したのは、ユダヤ人に対する実際の憎悪よりも幻滅したエリートたちの間に広がった「リベラルの親ユダヤ主義に対する嫌悪感」のほうが重要だったということであった。
 第一次世界大戦は、若い不平分子たちが容易に脱出できる帝国という場所を崩壊させてしまった。(略)
塹壕から生き残った人びとの多くは、帝国主義時代の冒険家たちよりも自分たちのほうが情熱的だったし本物の苦しみを味わったと信じていた。彼らのほうが「社会の悲惨に敏感だったし、大きく動揺していたし、偽善によって深く傷つけられていた。実際、ヨーロッパ諸国の政治制度は上流の帝国エリートによる使用と乱用によって腐敗させられてしまっており、それがより多くの人びとをさらにラディカルな主張へと向かわせたのだった。
 それ自体が意思をもつ世界史の動きとして戦争を捉える考えは、「前線世代の反人道主義的、反リベラル的、反個人主義的、反文化的な本能」に養分を供給することになった。(略)
「彼らの周囲の憎むべき体面の世界から決定的に解放してくれる」何かをついに見つけたと考えた人びともいた。これらの新しい「戦争讃美者たち」にとって、塹壕戦争の経験は宝だった。そこで生き残れたという事実こそが「新しい指導者層の形成の客観的な選別基準となること」を示しているように思われたからである。(略)
[エルンスト・ユンガーは]「機械化時代の戦争が勇気、名誉、男らしさといった騎士道的な美徳を生み得ないこと、そしてそれは絶対的な破壊の経験を与えてくれるほかには、せいぜいのところ人間の慢心を打ち砕いて、人間なぞ巨大な大量殺戮機械の一つの小さな歯車に過ぎないことを教えてくれるだけだ、ということを認めた最初の戦争讃美者」の一人だった。
(略)
 小規模なドイツの共産主義運動を除けば、戦間期の世代の人びとの間に、より進歩的な大義を掲げてブルジョワの偽善を暴露しようというインセンティヴはほとんど存在しなかった。彼らにとってブルジョワとは、ファシズムを信奉する反リベラルたちが暴力と残酷さを祝福する自分たちの誠実さを示そうとする際に利用する「他者」に過ぎなかった。

政治的に構成されたペルソナ

 政治的であること、公的領域で話し活動することとは、「政治的ゲームの規則が要求するような真理に対する共鳴板としての」仮面をつけることである。ルソーやロレンス、前線世代やファノンが嫌悪したブルジョワの偽善は、この規則には従わず、「欺瞞の仕組み」として仮面を使用した。しかし、偽善に反発した人たちは皆、奥底にある動機を詮索し、偽善の仮面を引き裂いて、より真実に近く、より正直な別の顔を暴くことに、ある危険がつきまとうことを理解できていなかった。すなわち、政治とは、それ自体が人為的に構築された「現れの空間」であるという意識を破壊してしまう危険を冒していたのである。政治的領域においては、現れるもの――つまり、政治的行為者の奥底にある動機ではなく、言葉や行為――以外を判断することは不可能であるというマキャヴェッリの見解に、アーレントは同意していた。よく知られているように、マキャヴェッリにとって重要だったのは、行為者が他者によく見えるということだけであり、人間の心の善し悪しを判断できるのは「現れの領域を超越する」神だけだった。
(略)
何が徳を保証できるのか。指導者の政治的信条が真正かどうかを検証できるのか。そうしようとすれば、固い信念をもった政治家は、自分の行為の動機の徳性を自明にしてくれる苦悩をさらけださねばならなくなる。その結果、苦悩は賞賛されるようになり、「さらけだされた悲惨は最良のものとして、あるいは徳の唯一の保証として歓迎」されるようになるのである。
 アーレントによれば、マキャヴェッリは次のように教えた。「君がいかなる存在かは問題ではない。「真実の」存在ではなく現象だけが重要なこの世界と政治において、このことはまったく関係がない。君が存在したいと思うように他人の眼に現れることができさえするなら、それが必要とされるいっさいであるのだから」
(略)
真の問題は、自分自身に正直であれというソクラテスの信条が曲解され、公的領域で示す自己と心の奥底の動機が一体であるかのように偽善者が振る舞うことにある。(略)
自分の真正さを示すために、指導者は私的領域と公的領域が完全にひとつであるかのように振る舞わなければならない。それはまた、道徳的信念を身にまとっている人びとを偽善者として告発することが極めて容易な理由でもある。
(略)
 アーレントは、偽善と偽善に対する戦いの双方を批判した。というのも、双方ともに、政治的に構成されたペルソナ、すなわち各人が声を「響かせ」、約束を破ることのできる空間を人為的に構築するために必要な仮面の重要性を尊重も理解もしていないからだった。

世界は人びとの間に横たわっている

「私は自分の生まれた都市を私自身の魂以上に愛している」というマキャヴェッリの主張を彼女は賞賛した。マキャヴェッリが愛したのは、都市に住む人びとではなく都市そのものであった。これは「きまり文句ではなく」、愛国心という美徳の表明でもなかった。それは、キリスト教の影響から政治的領域を守るために彼が発したラディカルな主張であり、時代の気質に抵抗しようとした彼の声明だった。アーレントによれば、問題は「人は自分の自我以上にこの世界を愛することができるかどうかということであった。そして、この決意は、実際、その生命を政治に捧げたすべての人にとって、いつも欠くことのできない決意であった」。
(略)
アーレントは、世界を愛することを好んだ。人びとを愛することと世界を愛することは同じではない。なぜならば、「世界とそこに住む人びとは同じではない」からだ。世界は人びとの間に横たわっている。そして、この中間物こそ文字通り政治のための空間なのだ。
(略)
アーレントは、罪深い自己とのギャップを善行で埋めようとするキリスト教的倫理が政治において果たす役割について懐疑的だった。それは、自己にかんする倫理であって世界にかんする倫理ではなかった。
(略)
善良さとセンチメンタリズムと広い意味のキリスト教的倫理がなぜ政治の特性を呪縛してしまうのか、そして、政治に必要な複数性を脅かし、暴力を胚胎させてしまうのか。この問題意識は、アーレントの全著作に一貫して流れている。

脚注(12)

 ファシズムは、戦間期の危機に現れた「古く厄介な問い」に対して満足のいく答えを与えてくれた。アーレントが述べているように、「私は何者なのか」という問いに対して、典型的なブルジョワ「社会は「お前はお前の外観で決まる」という答えに固執した」。しかし、新しいファシズムの行動主義は「お前はお前が何をしたかで決まる」と答えた。そこには、することに対する道徳的制約は存在しなかった。「要は、英雄的行為であれ犯罪的行為であれ、他の何人によっても予見されたり決定されたりし得ない何かをすることだった」のである。

  • 第七章

死者の生の重さを計るいかなる基準も全面的に拒絶

「悪しき目的のためになされるあらゆる善き行動は、実際には世界に善の一片を付加するであろうし、善き目的のためになされるあらゆる悪しき行動は、実際には世界に悪の一片を付加するであろう」。暴力は、短期的な目的のためにのみ、正当化され合理的であった。
(略)
そして彼女は、死者の生の重さを計るようないかなる基準も全面的に拒絶した。「これは私には、まるで七人の処女を選んで神の怒りを宥めるために生賛にするという人身御供の最新版のように聞こえる。ともかく、これは私の宗教的信仰ではない」。
(略)
正義や平等のような目的も合めて政治的な領域の外部に目的をもつ、作るという観点から、政治を考えることの危険性は、その目的が暴力的手段によってたやすく圧倒されうるということである。その道徳的、政治的結果は災厄である。つまり、効果的な行為が暴力と等置されるのである。
(略)
政治的権力はそれとは対照的に、前もってもたれた目的であるかのように形成され、所有され、達成される「もの」ではない「現れの領域」で、人びとの間で構成される。権力はけっして銃のように所有されえない。それはそれ自体において目的なのである。政治的領域においては、「実体的な手段を欠く言論以外には何ものもやりとりされない」。

脚注(23)

 アーレントは次のように記した。「カントが戦争の廃絶に関心を抱いたのは……戦争の悲惨や流血や残虐行為を廃棄するためですらない。しぶしぶながらカントがときおり結論しているように(しぶしぶながらというのは……生命の犠牲のうちには何か崇高なものがあること、等々の理由からであるが)、戦争は拡大された思考様式を最大限可能なかぎり広げるための必要条件なのである」。カントは、拡大された思考様式という言葉で、永久平和に続く世界市民の共和国を意味している。カント自身の言葉によれば、「戦争すら、秩序を保ちまた国民法の神聖を認めてこれを尊重しつつ遂行される限り、やはり何かしら崇高なものを具えている……これに反して長期にわたる平和は、商人気質をこそ旺盛にするが、しかしそれと共に卑しい利己心、怯懦や懦弱の風をはびこらせて、国民の心意を低劣にするのが一般である」。