新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書

新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書

新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書

エホバの証人

 母キャサリンは厳格な宗教「エホバの証人」の信者でした。マイケルと姉のリビー、ラ・トーヤはキャサリンの影響で敬虔な「エホバの証人」の信者となりました。(略)
 個人的には、マイケルの人格形成において、幼少時に彼がショービジネスの世界で四六時中音楽の訓練をしていたことよりも、この他者と気軽に交流することを許さない「エホバの証人」独特の戒律によって他の宗派の友人達、仲間達との壁が生まれたのではないか? と考えています。キャサリンは社交的な性格ではなく、ジャクソン・ファミリーは故郷ゲイリーの中でも一種「独特のバリア」のようなものに包まれた家庭として扱われていました。(略)
 後の彼のホーム・パーティ好き、ディズニーなどのネオンライトやパレード好きなども、母親に強制された幼少時のあまりに禁欲的な抑圧に対しての無意識の反発から生まれたものかもしれないと、ぼくは考えています。原因を真面目に追求していけば、母親や、自らが信じた宗教を憎むことにつながってしまう。しかし、それだけはマイケルには出来ない。だからどこかで、少年時代に普通の暮らしが出来なかったのは「ショービジネスのせいだ」とすりかえているのではないでしょうか。

新世代ランディ

[EPICに移籍しジャクソンズとなり、ジャーメインに代わって、マイケルの三歳下のランディが加入。苦労した兄達とは違い]
「物心ついた時には兄はスター、家は大金持ち」という貴族のような暮らしをしてきたジャクソン家の新世代だったのです(末妹ジャネットも同じです)。
 幼い頃から自宅のスタジオでさまざまな楽器の練習に励んでいたランディは、ジャクソン家ではじめてのあらゆる楽器を演奏出来るマルチ・ミュージシャンに育っていました。(略)
作曲能力だけならジャクソン兄弟でもマイケル、ジャネットに次ぐハイ・ポテンシャルな実力の持ち主で(略)セレブ育ちゆえのリッチな感覚と、ソウルというよりも「ディスコ世代」なフレッシュさは新生ジャクソンズの最大の武器になりました。キーボードが弾けるランディは、「コード感に欠けるがキャッチーなメロと詞が得意」なマイケルの片腕として、共作曲をたくさん手がけることになります。

ギャンブル&ハフ

[EPICでプロデュースを担当した]彼らは曲の制作過程からマイケル達にもガラス張りでプレゼンテーションしてくれたのです。ギャンブル&ハフはちゃんとジャクソンズを一人前のミュージシャンとして見てくれました。ノウハウも惜しみなく見せてくれ、兄弟達の作品に手直しをしたり、アイディアを却下する時も頭ごなしでなく、丁寧にひとつずつアドヴァイスしてくれたのです。今まで、そんな扱いを受けたことがない彼らはギャンブル&ハフの対応に本当に驚いたと言います。後にマイケルは「実際に彼らが創作していくところを見る機会に恵まれたことは、ぼくの作曲技術の向上に大きく役立ちました」と語っています。

《BAD》

[周囲の反対を押し切り18歳で結婚するも破綻]この一連の騒動によって、ジャネットは家族からも四面楚歌、マスコミからも袋だたきにあうという辛い体験をしました。(略)離婚を機に一念発起し(略)アルバム《コントロール》において「自分自身をコントロールするのは私なんだ」という強いメッセージをこめました。(略)
 彼女がこの作品を父親ジョーの反対や妨害にも負けずに制作し、今まで兄や姉達がなかなか出来なかった「ジャクソン家からの独立」を成功させたことはマイケルにとっても大きな喜びであり、驚きでした。(略)
プリンス・ファミリーだったジャム&ルイスと共に作り上げた新しいサウンドの《コントロール》が、テレビやラジオだけでなく、クラブやフロアなど「現場」に近い感覚を持っていたこと、それでいて「先鋭的なサウンドにも関わらず保守的と言われるグラミー賞でも評価された」という事実は約2年間ウェストレイク・スタジオにこもって《BAD》のための下準備をし続け、まさにレコーディングのまっただ中の状態であったマイケルを迷わせます、ヒップホップの台頭でミュージック・シーンが大きな転換期を迎えたこともクインシーとマイケルにはわかっていました。
 「本当に《BAD》はこのまま完成させていいのだろうか……」