- マイルス暴行事件
- 『スケッチ・オブ・スペイン』
- 引退か?、多才な新婦
- 日本入国拒否、自動車事故
- 「バップ命?バカバカしい」
- 目隠しテスト
- ジャズ・シーンを斬る
- ミンガスの公開反論
- ギル・エヴァンスとの友情
16年ぶり(マイルスがパクリに喝! - 本と奇妙な煙)に再読。
セクション 1
マイルス・イン・ザ・ニュース
1959年10月1日号
マイルス暴行事件
(略)
[NY52丁目]名の知れたジャズ・ミュージシャンたちが(略)バードランドでの演奏の合間に息抜きに上がってきては、比較的静かな数分間を過ごすのである。
8月26日(略)巡回していた警官のジェラルド・キルダフはマイルスに移動するように命じた。のちに巡査は、このエリアはいざこざの絶えない場所のため、通行人を立ち止まらせないようにという指示を受けていたと説明している。「俺はここで仕事をしてる」とマイルスは答えた。
それならば店のすぐ脇に立つようにしろ、歩道をふさぐんじゃない、と巡査は言った。するとマイルスは(やはりその巡査の報告書によるとだが)、「パクってみな」と口にしたらしい。
(略)マイルスはその警官とすぐさま取っ組み合っていた。私服で夜間勤務中だったドナルド・ロルカー刑事もすぐにそこに駆けつけると、マイルスの頭を警棒で殴り始める。
a)マイルスはきゃしゃで小柄な男だが、ふたりの警官は頑丈な大男だったこと。
b)刑事が殴りつけていた頭の中には当代随一の優秀な音楽頭脳が入っていること。
(略)
この事件をひどく醜悪にしているのは以下の理由からだった。
(1)(略)10人以上の目撃者によると、ロルカー刑事は酒に酔っていた。
(2)目撃者のほぼ全員(略)が警官の暴力を非難している。(略)マイルスはあとで「あいつらは俺の頭をタムタム代わりにしやがった」と語っている。(略)
このような事の成り行きに輪をかけて不愉快だったのがニグロ系新聞の反応である。警官がマイルスにちょっかいを出したのは、彼が白人女性をエスコートしてタクシーに乗り込もうとしていたからだとほのめかしているのだ。
頭から血を流したままマイルスは拘置所に連行され、仮のキャバレー・カードは取り上げられた(略)
マイルス「もうニューヨークで仕事をする気はない。とくにバードランドでは」
事件の背景には社会情勢もあると見るべきだ。近頃のニューヨークは「火山のようだ」(略)数日のあいだに14歳から20歳までの若者数人がギャングの抗争で殺害された。マイルス事件のちょっと前には、酔った女性を逮捕しようとしたことがハーレムの何百という人間のかんに障り、あわや暴動寸前ということがあった。(略)
警察側には緊張、不安、中には恐怖を抱いていた人間もいたと言われている。マイルスが暴行を受けたのと同じ日に、逃走を図ろうとしていた囚人を別の警官がベルヴュー病院の駐車場で射殺している。その囚人は手錠をかけられていた。
そんなこんなで警察は集中砲火を浴びている。
(略)
警察による取り調べが終わらないままに、マイルスは1000ドルで保釈された。ただし治安紊乱罪容疑で9月18日に出廷予定となった。
(略)
1959年10月29日号
マイルス事件、その後
(略)
暴行容疑は第3級にまで引き下げられ(略)重罪ではないため(略)事件のとき取り上げたキャバレー・カードを、警察側はマイルスに返却する模様だ(略)
[カードを手にしたマイルスは、数週間後、バードランドで仕事をした]
(略)
1960年2月18日号
マイルスに無罪判決
「不当逮捕された被害者を、逮捕をおこなった相手への暴行で有罪とするのは、法律の歪曲にあたる」
この辛辣な判決文をもってして、3人のニューヨーク州判事は(略)起訴案件を棄却した。
(略)
起訴棄却を受けて、担当弁護士のハロルド・ラヴェットはニューヨーク市を相手取り百万ドルの損害賠償裁判を起こす考えである。ただし伝えられるところによるとマイルス本人はあまり乗り気ではないらしい。仮にその裁判に勝ったとしても、今度は警察から目の敵にされるかもしれないというのがその理由だ。(略)ニューヨーク市警発行のキャバレー労働許可証をマイルスは失いかねないのである。
(略)1960年3月31日号
マイルス、訴える(略)
昨年11月にラヴェットが密かに訴えを起こしていたのである。(略)
マイルスは訴訟に同意しているのかという質問に、「しない理由がどこにある?」とラヴェットは答えた。マイルス自身は相変わらずの超然ぶりで、コメントしなかった。
『スケッチ・オブ・スペイン』
1960年8月18日号
サウンド・オブ・マイルス
(略)
CBSフィルムのための30分のテレビ番組収録をおこなったマイルスは、自分のプレイについて「速い、軽い、相変わらずヴィブラートがない」と語った。「サウンド・オブ・マイルス」というこの番組は、戯曲からバレエまでをテーマにした26回シリーズのひとつである。(略)マイルス以外にジャズ関係で登場するのは、ピアニストのアーマッド・ジャマルの30分番組だけだ。
(略)
演奏は2部構成で、クインテットを率いたものと、ギル・エヴァンス指揮の19人編成のオーケストラによるものだ。
(略)
普段デイヴィスは自分の作品を振り返るのを嫌う。「違う風にやれたのにという見方しかしないだろ」。ところが今回、彼は番組を最低5回は観たということで、ヘリッジは恐れ入っている。
とことん一匹狼ぶりを見せるデイヴィスはこう言い放った。「いい演奏が8小節あれば俺としては十分だ。満足だよ。ただし、どの8小節だかは誰にも言わない。俺だけが知ってる」
1960年10月27日号
マイルスの記者会見 文:ジョージ・ホーファー
(略)
ニュー・アルバム『スケッチ・オブ・スペイン』(略)に関する質問を中心としたこの記者会見(略)始まる前からあわや中止寸前まで行った。会見開始に際してロングがひとりの記者にアルバムに関する質問を用意しているかどうか尋ねたところ、その記者はアルバムを聴いていないので用意していないと答えた。それを聞いたマイルスは立ち上がると「終了だ。バーに戻る。レコードを聴いた人間が誰もいないのなら、この記者会見に意味はない」と言った。
とはいえアルバムを聴いた記者も何人かいたので会見は始まった。そして避けては通れない質問が飛び出す。
「ミスター・デイヴィス、今度のあなたの新作はジャズだと思いますか?」
その問いに答えるときのマイルスの顔はかすかにひきつっていた。「これも音楽だよ。俺は気に入ってる。好きならどんなものでも演奏するつもりだ。きちんとできると思えればね。俺とギルは今回の協奏曲のレコーディングの準備に2ヶ月かけた」
次にマイルスは、フラメンコ音楽とブルースには何らかの共通点があるのかと訊かれ、「スペインでのフラメンコ(ジプシー音楽)は、俺たちのブルースに相当する」と答えた。(略)
ここでエヴァンスが、完璧を期すために協奏曲のレコーディングには3日かけたが他の曲はワン・テイクのみだったと述べた。
(略)
引退か?、多才な新婦
1961年7月6日号
マイルス・デイヴィス、引退か?
(略)
取材していた(略)ラス・ウィルソン記者は、セットの合間にデイヴィスと会話を交わした。ほとんど何気なく(略)36歳のトランペット奏者は、プレイをやめてしまうことを考えていると口にした。(略)「考えてるんじゃないな、もう引退するつもりだ」と言い放ったという。「今じゃ週に1000ドルの稼ぎがある。あくせく働く必要はない。それにもう22年も演ってるんだ、長いよ」(略)
ウィルソンは、レコーディングは続けるつもりなのかとデイヴィスに質問した。「いや」。それでは音楽の楽しみを捨てる気か?「レコードを買うさ」。デイヴィスはそう答えた。
(略)
1965年12月30日号
マイルス、活動再開
(略)
ほぼ8ヶ月ぶりに観衆の前でプレイをした。デイヴィスは4月に大腿骨のカルシウム沈着除去手術を受けたものの、8月には転倒で足を骨折していた。
(略)
1966年3月24日号
再入院
(略)1月31日にまた病院行きとなった。今回は肝臓の腫れである。(略)代理人の話では、3月初めには仕事を再開できる見通しだという。(略)
1968年11月14日号
マイルス・デイヴィス、多才な新婦をめとる23歳のベティ・メイブリー・デイヴィスは大忙しだ。「アップタウン」(略)を作り、コロムビア・レコードとは歌手として契約を交わし、テレビ番組『デーティング・ゲーム』に出演、ジェット誌のピンナップ・ガールを務めたかと思うと、ニューヨークのセラーというティーン・クラブを経営し、ファッションデザインを勉強しているのだから。
(略)
新しいデイヴィス夫人は身長5フィート7インチの美人(略)「この世で最高にセクシーな男がマイルス・デューイ・デイヴィス。私たちの愛は永遠よ、だってあたしがこんなに愛しているんだし、ミスター・デイヴィスは完璧なの。人生経験が豊富だし、あらゆる面で趣味がいい。最高のものだけを愛してる。彼からいろんなことを教えてもらってるわ(略)
ジャズ好きだったことはなかった。ほとんどR&Bやポップスを聴いていたの。だけどマイルスの『スケッチ・オブ・スペイン』と『カインド・オブ・ブルー』は強烈だった。マイルスはお師匠様。私は落ち着いて、裏方として彼を支えるつもり……」
日本入国拒否、自動車事故
1969年2月20日号
日本政府、マイルス・デイヴィス・グループを拒否
(略)日本での13回公演に向けて準備万端整ったとき、悪いニュースが飛び込んできた。入国ヴィザが下りないというのである。(略)
ジャック・ホイットモアは言う。「日本のプロモーターは電報でずっと『見通しは明るい』と伝えてきていた。(略)最終的にだめだとわかったとき、『個人的な理由のため』としか説明されなかったよ。(略)初日の東京公演は会場の2400席がすべて売り切れていたというのに」
米国人ジャズメンの入国を日本が渋るのはなにもこれが初めてではない。1967年にツアーをしたバンドの中の複数のドラマーが麻薬摂取で逮捕・有罪となってからは、ますます厳しくなっている。(略)非公式な指針だけが存在(略)逮捕歴のあるミュージシャンの入国は認めないということだ。
まさにこのことを考慮してデイヴィスは今回のツアーにジャック・ディジョネットを起用していたのである。本来のメンバーであるトニー・ウィリアムスが日本で問題を起こしていたためだ。しかしそれも無駄だった。デイヴィス自身に前科はないが、その昔に逮捕されたことはあった(交通違反も含む)。日本政府は有罪判決が出なかった逮捕歴にまでヴィザ発給拒否の方針を拡げたのではないかとホイットモアは見ている。
この説を裏付けるのは、ドラマーのサニー・マレーにも去年、ヴィザが下りなかったという事実だ。彼は10代のときに不法侵入で逮捕という軽微な罪しか犯していなかった。(略)その一方で、1967年に入国を拒否された有名ドラマーが、1968年には許可されている。
「どういう方針なのか謎だ」とホイットモア。「マイルスはすっかり落ち込んでいる」。
(略)
1972年12月7日号
マイルス、自動車事故で両足骨折
マイルス・デイヴィスといえばスポーツカー好き。(略)朝のドライヴに出かけ、マンハッタンの危険なウェスト・サイド・ハイウェイの中央分離帯に最新の愛車とともに突っ込んでしまった。
両足を骨折したほか、顔も12針を縫う大怪我を負う重傷。(略)
「俺は大丈夫だ」。事故の翌日、マイルスはひとりの記者に語った。「これからは安物の車を買うのをやめにすればいいだけさ」
(略)
1973年4月26日号
訂正版『オン・ザ・コーナー』参加メンバー
ご存じのように、マイルス・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』には参加メンバーのクレジットが一切ない。(略)理由をテオ・マセロの口から聞くことはなかったが、彼の事務所に電話をしてくれと言われた。雑誌からの求めに応じて参加メンバーを答えられるようにしているのだという。
さっそく電話をかけメンバー名をつかんだ私たちは、本誌のニュース欄や、レコードのレヴューで紹介した。ところがそれから、マイルス・バンドのサックス奏者であるデイヴリーブマンから丁寧な手紙をもらった。内容は、マセロからの情報は「ちょっと違うところがある」ため、正確なものを知らせるというものだった。
[以下正確なクレジットの記載があり]
(略)
リーブマンにはおおいに感謝したい。(略)
セクション 2
マイルス特集記事
「バップ命?バカバカしい」
1950年1月27日号
「バップ命?バカバカしい」とマイルス(略)
「ディキシーランドを貶めるような言いぐさは聞きたくない。バップ命なんて言ってる連中はただのアホだ。自分の無知をさらけ出しているだけさ」。そう語っているのはマイルス・デイヴィス。(略)
穏和で落ち着いた23歳の若者である。そんな彼は先輩たちに多大な尊敬の念を抱いている。
「去年のパリ・ジャズ・フェスティヴァルで、俺たちはシドニー・ベシェの向かいで演奏した。彼はチャーリー・パーカーが〈ココ〉で吹いているリフなんかを演奏していた。ちょっと話をして、あのリフの出所について尋ねてみた。あれは古いマーチからいただいたものらしい。フルートだかクラリネットのパートだったそうだ。パーカーはベシェの影響をすごく受けているのがわかる。ジョニー・ホッジズもそうだね。
俺自身はディキシーランドを演ったことはない。小さい頃はロイ・エルドリッジ、ハリー・ジェイムズ、フレディ・ウェブスターなんかのあこがれの人たちの曲を演っていた。バップをできるようになる前に、まずそこまで戻って始めないと。基礎がいるんだ」(略)
演奏したいのは、売れ線狙いではないバップと彼が考えているもの。中域あたりのホーンの音色は抑制がきいてソフト。音数は多く、複雑に絡み合う。これを真似のできるトランペッターは少ない。
「ビッグバンドのときは高音を使う(略)でもできればあまりやりたくない。それをやってると、ガレスピーなんかがそうなんだが、低音のコントロールに手こずるトランペッターが多い。俺はそうなりたくないんでね」
(略)
モダン・バンドの中ではエクスタインのバンドがナンバーワンだった、というのが彼の考えだ。惜しいところで2位の可能性があるのは、ギル・エヴァンスが曲を書き、リー・コニッツがいたころのクロード・ソーンヒルのバンドだと言う。
「ソーンヒルはモダンな時代としては最高のバンドを持っていた(略)エクスタインのバンドを除けばだ。なのにチューバと2本のフレンチホルンをはずしてめちゃめちゃにしてしまう。受けはよかったし音楽的にもよかったのにな。俺が去年キャピトルで作ったレコードでは、エヴァンスの書く曲をできるだけ忠実にプレイできるバンドが
欲しかった。次のキャピトルの録音ではエヴァンスにもう4曲ほどアレンジを頼もうと思っている。それからジョン・ルイスとジェリー・マリガンには曲作りもね。同じ編成、同じメンツにするつもりだ」
マイルスお気に入りのミュージシャン・リストは、壮大な異種混合ぶりを示している。作曲とアレンジの能力を高く評価しているルイス。エヴァンス。「ストラヴィンスキーのような作曲家」ウィル・ブラッドレー、パーカー、コニッツ、フレディ・ウェブスター、ヴィック・コールソン(略)。高域も速いパッセージもこなせてなおかつ魅力のあるサウンドを響かせ彼を驚かせるファッツ・ナヴァロ、ベシェ、ビリー・ホリデイ、ルイ・アームストロング、いまだに成長していると彼が言うガレスピー、などなど。
(略)その一方でプロモーター(「あいつらがディジーにしたことを見ろ」)やクラブ経営者には手厳しい。とりわけナイトクラブのオーナーたちをマイルスはこう非難する。「連中はミュージシャンにきちんとした敬意を払わない。ジャズ・ミュージシャンなんてどいつも無責任な飲んだくれだと思っているんだ」
目隠しテスト
1955年9月21日号
ブラインドフォールド・テスト(略)
クリフォード・ブラウン
「恋に恋して」(Prestige)――ブラウン、アート・ファーマー(トランペット)、ベンクト・ハルベルク(ピアノ)トランペットはアート・ファーマーとブラウニーだな。アレンジはなかなかいい。ただしプレイは速すぎる。曲の中身をすっ飛ばしている。
このピアニストは愉快だな。何という名前だったか。思い出そうとしているんだが。たしかスウェーデン人だ……。スタンと「ディア・オールド・ストックホルム」なんかのレコードを作ったはずだ。こんな高音域で弾く人間は聴いたことがない。クリーンで、スウィングしていて個性がある。ただしアンサンブルの中でこれじゃピアノが大きすぎる。レコーディングでうんざりさせられることがあるとすれば、それはピアノのフェーダーを上げすぎるときだよ。
トランペット以外のソリストはどうでもよかった……。それにアーサーは自分のトーンをもっと磨いたほうがいいし、クリフォードにはもっとスウィングがいる。とはいえ四つ星進呈だ。
ロイ・エルドリッジ&ディジー・ガレスピー
「アルゴ・ブエノ」(Clef)――エルドリッジ、ガレスピー(トランペット)、オスカー・ピーターソン(ピアノ)、ハーブ・エリス(ギター)、ルイ・ベルソン(ドラム)ディズとロイだよ。ピアノはオスカー・ピーターソンっぽい。ギターが全部を台無しにしている。それにブラシもだ。ディジーの4小節のうちのひとつはそんなによくない。ロイの4小節のひとつもそれほど出来がよくなかった。あのふたりは俺のお気に入りのトランペット奏者だ。ロイも大好きだし、俺のディジー好きは知ってるだろ。
どうして一緒にレコードを作ったんだろうな……。まるでノーマン・グランツみたいなサウンド……彼の身内の集まりみたいな。ちょっと聴いてる分にはいいんだが、オスカーがナット・コール風のスタイルで弾いてるのがだめだし、あんなブラシを使うリズム・セクションじゃな。
そういう曲じゃないんだ。この曲をあんなコードでプレイしちゃいけない。スウィングさせるなら別の方法でやらないともっとよくなったはずなのに。ディズとロイのホーンに免じて三つ星だ。
(略)
ジャズ・シーンを斬る
1955年11月2日号
大復活を遂げようとしているトランペッターが、今のジャズ・シーンを斬る文:ナットヘントフ
(略)
マイルスは近年の自分の作品の大半に不満である。(略)「ここ何年の中で気に入っているのは〈ウォーキン〉(Prestige182)とソニー・ロリンズとやったやつ(Prestige187)だけだね。あとはどれも似通りすぎだ」
(略)
「ブラインドフォールド・テスト」で見せた慧眼ぶりでも明らかなように、ジャズ・シーンを俯瞰するマイルスの博識ぶりは尋常ではない。
(略)
ウェストコースト
「アレンジがいいものも中にはある。ジミー・ジュフリーなんかすごくいいし、シェリー(・マン)もいい。だけどそれ以外のソリストに興味はないな。ああ、カール・パーキンスは別だ。彼のピアノはとてもいい。ただし録音経験がまだ足りないんだ。できれば一緒に演りたいものさ。何といったって、あの男はベース・ノートを肘で弾けるんだからな。
西海岸事情についての俺の考えは、このあいだの晩にマックス・ローチが話していたこととだいたい同じなんだ。お決まりのフレーズをしょっちゅう聴かされるよりは、2、3音ミスするところを聴きたいというのがマックスの意見。ミスするときというのはたいがい、少なくとも何か新しいことをやろうとしているわけだから。だけどあっちの音楽は、技術的には高度だろうが、単調すぎる。例えばソニー・ロリンズ、ディジー、フィリー・ジョー・ジョーンズのようなミュージシャンが与えてくれるスリルが、向こうのミュージシャンにはない。ディジーのようなミュージシャンを俺が好きなのは、いつだってなにかしら学べるところがあるからだ。彼はいつも新しいコード進行なんかを試している。ケニー・クラークもそうだ。常に実験精神がある」
ブルーベック
「1枚だけ好きなレコードがある。『ドント・ウォリー・アバウト・ミー』だ。スウィングしてると思うかって?デイヴはどうすればスウィングできるのか知らないさ。デズモンドもそうだな。だけど別のリズム・セクションだとプレイも変わるんじゃないかと思う。正直な話、俺ならレニー・トリスターノのほうを聴く。それかまあ、ディジーのピアノだね。ディジーにはピアノのタッチがわかっているし、弾きすぎることもない。みんなピアノが88鍵であることにとらわれすぎて、弾きまくりすぎだ。あらゆるテクニック、それにフィーリングを込めて弾くのはテイタムくらいかな。俺が大好きなバド・パウエルと並んでね。
話をブルーベックに戻すと、まずドラムを変えるべきだろう。それと、もし彼がスウェーデン人のベンクト・ハルベみたいなピアノを弾けるのなら、喜ぶミュージシャンは多いと思う。ブルーベックには素晴らしい和声のアイデアがあるし。まあ俺は彼の弾き方は好きじゃないが」
トリスターノとコニッツ
「レニーにはまた別の問題がある。ひとりのときは最高なんだ。なにしろ四六時中新しいことに挑戦している。だけどそれが故に、グループとの演奏だとレニーがやろうとしていることがベース奏者には普通はわからない。だからレニーはベース・ラインをひとつだけ書くだけじゃ済まされないと思う。三つ、四つ書いて、ベーシストが選べるようにしたほうがいい。
リー・コニッツについて言うと、プレイは好きだ。リズム・セクションが違えば、スウィングする。彼なりにね。そりゃあスウィングの仕方だっていろいろある。フレーズを分解したり、7音とか11音のフレーズをやってもいい。リーみたいにね。それでもスウィングするんだ。ただしいつもやるわけにはいかないが」
バード
「バードには40種類くらいのスタイルがあった。同じところに留まることに絶対によしとしなかった。バード、俺、マックス、デューク・ジョーダンで演っていたとき、リズム・セクションを操ることがあった。例えばブルースを演奏していたとする。バードが11小節目から入ってくる。リズム・セクションはそのまま演奏を続け、バードもそのまま吹いていると、まるでリズム・セクションが2拍目4拍目ではなくて1拍目、3拍目でカウントしているような聴こえ方をした。そうなるたびにマックスがデュークに向かって、バードに合わせず自分のリズムをキープしろと叫んでいた。だけど結局はバードの思惑通りになってしまい、俺たちはまたそこでひとつになった。バードからはプレイについて絞られたし、尻を叩かれた。バンドスタンドからハッパをかけられる。毎晩脱退していたようなものさ。テンポはとても速く、ハードルはものすごく高かった。
若手のアルトの中じゃ、キャノンボールが抜群にいい。スウィング感もドライヴ感もある。ただバードが持っていたコード進行の知識がないんだ。バードはテイタムのようにプレイした。キャノンボールもちゃんとしたミュージシャン、例えばソニー・ロリンズとかと演ってみれば、覚えるはずだ」
MJQ
「前に小編成のグループについて話していたことがあった。モダン・ジャズ・カルテットをはずすわけにはいかない。あれは当代最高のグループだ。〈ジャンゴ〉は近来まれに見る名曲のひとつだね。ジョン・ルイスがメンバー全員に音楽を教えているんだよ」
「今のグループはそれほど好きじゃない。ごちゃごちゃしすぎている。例えばリッチー・パウエルなんか手数が多すぎる。マックスに必要なのはバックで控えめに弾くピアニストなんだ。だけど実際にはブラウニーとマックスがいればいい。あのふたりだけで他はいらない。ふたりでステージに上がってもいい。そうすればバンドはブラウニーのやり方をそのまま取り入れる」
作曲
「ビッグバンドだと、バードランドでこの前スタン・ケントンが演ったアレンジにいいのがあった。それからもちろんカウント・ベイシーもいい。だけどあれはただスウィングしているだけだ。ビリー・ストレイホーンのビッグバンド用の編曲も素晴らしい。俺がこのところ最高傑作だと思っているレコードを知ってるかい?アレックス・ノースが作った『欲望という名の電車』(Capitol 387)だ。あれは大胆なレコードなんだよ。とくにベニー・カーターが演奏するパート。ジャズの文脈あるいはそれに近いものの中でストリングスの譜面を書ける人間がいるとすれば、それはノースだ。あのレコードはみんなにお薦めする。
さてケントンだが、彼が何かオリジナルなことをやったという記憶がない。全部誰かが前にやったことだけだ。ケントンがデュークのような人と肩を並べられるはずがない。デュークがジャズに果たした功績は数え切れない。彼はほとんどあらゆるものを曲に取り込んだからな。彼とビリーがだ。
大所帯のバンドに書くときにその人間の力量がわかる。それでもおかしなこともあるんだ。ニール・ヘフティがいなかったら、ベイシーのバンドはあそこまでよくはならないだろう。ところがニールのバンドが同じアレンジで演っても、ベイシーほどうまくはない。一方、アーニー・ウィルキンスはいいアレンジをするのに、ベイシーのバンドはニールのアレンジのほうが得意なんだ。
チャーリー・ミンガスとテオ・マセロが少人数のグループのために書いている曲のことを言うと、中にはくたびれた現代絵画のようなものもあるし、気分が滅入るようなものもある。だけどミンガスならもっといいものが書けるはずだ。ライオネル・ハンプトンのために書いた〈ミンガス・フィンガーズ〉は、ビッグバンドのレコードの中じゃトップ・クラスだよ。だけどああいった曲を彼はもう書こうとしない。そうだな、彼が今書いているような曲は、器楽編成が間違っている。低音域の管を使っていれば耳障りな音が打ち消されてもっとよくなるのに。ニューポートでのテオの曲を聴いたが、覚えていないということは気に入らなかったということだ。
編曲家で好きなのはギル・エヴァンス。今じゃ売れ線の音楽をやっているが、彼はその昔〈バップリシティ〉を筆頭に素晴らしい編曲をやった人間なんだ。どうして今のグループが〈バップリシティ〉みたいな曲を演奏しないのかと訊いてきた評論家に答えておこう。トップラインが面白くないのさ。和声はいいんだが、曲自体はそうじゃない。
あとジジ・グライスもいい。アート・ファーマーとこのあいだ演った中によく出来たのがいくつかあった。それとジェリー・マリガンもお気に入りだな。ビル・ルッソもおもしろい。ハーモニーを上昇させて終わるんだよ。きっとトロンボーン好きなんだな。それにブラス・セクションをうまく使っている。
曲のよさを100パーセント引き出していないミュージシャンや編曲家は多い。テイタムやフランク・シナトラはそうじゃない。ネルソン・リドルがシナトラのためにやった編曲を聴いてみればいい。たっぷりとした隙間を作ってあげて、詰め込むことがない。ミンガスがシナトラのために書いたらどうなるか想像できるかい?まあミンガスもいずれ落ち着くと思う。いい音楽を書ける男だから。だけどリドルが書く伴奏はあまりにもちゃんとしていて、指揮者がいるのかどうかわからないときがある。話は変わるが、ビリー・エクスタインにはシナトラみたいな人間が必要だ。選曲やどういう伴奏を使うのかきちんと伝えられる人が」
「好きなミュージシャンは他にもいる。スタン・ゲッツは素晴らしいし、ボビー・ブルックマイヤーはすごくいい。俺のお気に入りはJ.J.ジョンソン。同じような演奏を続けない。それに書き手としても優秀だ。J.J.がビッグ・バンドのために書きさえすればわかるんだがな。少人数バンドのためのアレンジの素晴らしさで飛び抜けていたのは、J.J.がジェイとカイのグループのために書いているものだ。俺のブルーノートでのセッションで書いてくれたのもよかった。J.J.は詰め込むなんてことをしない。ムードを整えようとする。ギル・エヴァンスに匹敵する才能の持ち主だ。それは俺がジェリー・マリガンに失って欲しくないと思っているものでもある。
トランペットだと、ブラウニーのプレイは本当にいい。ああ、そりゃあ速いさ。だけど相手がマックスならたいがい速くなってばっかりだって。俺がバードとやってたときみたいにな。アート・ファーマーもとてもいいが、彼は自分の音色を揃えないと。サド・ジョーンズはベイシーのバンドから抜け出せさえすれば、本当の彼のプレイが聴けるはずだ。ビッグバンドでプレイすると筋肉がこわばってしまう。だからあまり長く居続けるのは管の人間にはよくない。コンテ・カンドーリが俺に言ったことがある。ケントンのところで演って以来、前とプレイが変わってしまったって。流れるようなラインを吹き続けられなくなったそうだ。唇が開かなくなって、そうするつもりはないのに高音ばかり吹いてしまう。だから俺はあいつに3週間休んでからもう一度始めたらと勧めた。ディジーも同じで、ビッグバンドとやったあと立て直さなくてはならなかった。こわばりの原因には同アレンジを延々プレイすることもある。ビッグバンドに縛られなかったホーン奏者は、バードとレスターだけだったな。
ドラマーに移ろうか。俺のお気に入りはマックス、ケニー・クラーク、フィリー・ジョー・ジョーンズ、アート・ブレイキー、ロイ・ヘインズだ。ただしロイはサラ(・ヴォーン)と長くやり過ぎて、もう少しで自分を台無しにするところだった。おかげでちょっとした力加減をなくしてしまったが、もっと自由にプレイするチャンスがあればまた取り戻せるだろう。サドとハンクの弟のエルヴィン・ジョーンズもうまいドラマーだ。エルヴインはデトロイトあたりの出身で、あそこからはとても優秀なミュージシャンが何人か出つつある」
伝統とスウィングすることと
「バードと(コールマン)ホーキンスのおかげで、ホーン・プレイヤーはもっと入り組んだコード進行を使えるんだということがわかった。たくさんのコードを使ってもスウィングはできる。ある晩、スタン・ゲッツがホーキンスをからかっているのを目にしたんで、俺はゲッツに言ってやった。『ホーキンスがいなかったら、お前は今みたいなプレイをしていないだろうよ』とね。コールマンの腕は誰にも引けを取らない。俺なんかバラードはコールマンを聴いて身につけたんだ。年上だというだけでバカにしたりはしない。最新の車を見てた連中が『若いやつが設計したに違いない』と言っていたが、どうしてそう決めつけられる?
クラリネットではベニー・グッドマンが断トツだな。バディ・デフランコはまるっきりだめだ。手垢のついたフレーズばかりだし、冷たい。トニー・スコットはいいが、ベニーのようにはいかない。ベニーのスウィングぶりはものすごかった。ジャズがどういう形を取ろうとレニー、スタン、バード、デュークといろいろいるが――スウィングしないとね。
スウィングする感じを言葉にするとどうなるか。誰かの演奏を聴いて足踏みしたい気分になったり、背中までぞくぞくする感じがあれば、それがいい音楽かどうか誰かに尋ねるまでもない。いつだって感じるんだよ」
ミンガスの公開反論
1955年11月30日号
チャーリー・ミンガスからの公開書簡(略)
(この手紙を書く前に私は、「心の中で」書いた手紙を何度も破り捨てた)(略)この手紙につけるふさわしい写真があるとすれば(略)慈愛に満ちた表情で、モンクを見下ろすこのバードの立ち姿の写真をおいて他にない。
ジャズはバードにとってビジネスではなかった。だからこそ彼の視野は広くなりえたし、モンクのことも受け入れてしまえば(私もモンクは好きだ)、今のミンガスの曲作り作法でさえも了解するのだろう。おそらくはテオでさえも。中には自分たちがジャズと呼ぶもので金儲けしようと物欲しげな者もいるようで、ほとんど話題にもならないようなことに専念している少数の人間に爪を立てるようなことをしている。ジャズ評論家の中にもそういうことをする人がいる。まあとにかく、本題に戻ろう。
バードの慈愛というものは、この写真を見ればほんわかとしてくるほどはっきりしているし、彼の「ブラインドフォールド・テスト」でもそれは実証された。そこへ行くと、マイルスの「テスト」ときたら。いや、実は私の「ブラインドフォールド・テスト」もだ。わかるかな?それに少し前のマイルスのカムバック記事。マイルスは復帰して活動を続ける中で、今度はどういう態度を取るのだろうか?そんなに昔ではないブルックリンでのギグ――マックス、モンク、私が一緒だった――のようになるのだろうか?あのときマイルスはモンクに向かって「引っ込んでろ」と言い続けていた。モンクが弾くコードはすべて間違っているという理由で。それとももう少し最近のレコーディングのときのようになるのだろうか?マイルスはモンクに罵詈雑言を浴びせ、どうしてこんなミュージシャンと呼べない人間を雇ったのかとボブ・ワインストックに問い質し、モンクを自分のトランペット・ソロのときには弾かせなかった。バードの弟子である私たちはいったいどうしてしまったのか。それとも私がバードの弟子であるとするのは単なる思い込みだとマイルスは思うだろうか。
自分以外にも血肉が通った人間、私たちと同じような人間が、この大きな地球上にはいる。そのことさえ理解できない、精神的に未成熟な大人が私たちの中にはいるらしい。立ち尽くすことも、身体を動かすことも、「スウィング」することもない人がいても、彼らは私たちと同様に正しい。たとえ私たちの価値基準からすれば死ぬほど間違っていてもである。そうだ、マイルス。私は自分の「ブラインドフォールド・テスト」が愚かなものであったことを謝るつもりだ。今なら喜んでできると思う。私はほんの些細なことながら学びつつある。ブルーベックがスウィングしていないと声高く主張しようとする人間がいても(略)誰をこき下ろそうが、実際には取るに足らないことだ。
デイヴがタイム誌に取り上げられ、金を儲けたからではない。何といってもデイヴは心から自分がスウィングしていると思っているからだ。ある種の躍動を感じ、ある種の躍動をプレイすることで喜びと昂揚感を味わう。なぜなら彼、デイヴ・ブルーベックは自分がやりたいことを真摯にやっているから。そしてマイルス、君は「誰かの演奏を聴いて足踏みしたい気分になったり、背中までぞくぞくする感じがあれば」云々と記事の中で語った。するとそれに従えばデイヴはスウィングの王様ということになる。ニューポートであれどこであれ、デイヴの演奏に全観客は足を踏みならすし、手拍子する人までいるのだから。
ちなみにデューク・エリントンは、テンポの定まっていない何作品かを指揮したことがある。そんな音楽で足踏みしようなんて、指揮棒を目で追わない限り不可能だ。だとするとマイルス、デュークはあの作品でジャズを演奏していなかったんだろうか?(略)君の言うスウィングの定義では、足踏みがないのならデュークはつまらないことになる。しかしデュークの音楽は、それが足踏みできようができまいが、決まったテンポがあろうがなかろうが、マイルスの背中をぞくぞくさせ、ジャズの香りを伝えようとすると私は思う。デュークと並んで、バルトーク、シェーンベルク、バードだって私にとって何かを与えてくれる人たちだ。
マイルスと彼を祭り上げる狂信的な一団のことは知っている。彼らは一族秘伝のスウィングが持つ謎のパワーを信じて疑わず、一緒になごんでいる限り自分たちはクールだと思っている。こういう自称予言者の方々には力を合わせて道を切り開いていただきたいものだ。もちろん彼らは(マイルスが語っていたように)ミス・トーンは出すが、かつてバード以外は全員頼っていた使い古されたフレーズには手を出さないようにしている。誰があとに続くのかは知らないが、彼らに先導してもらおう。
デイヴは満ち足りている。トリスターノもデュークもマックスも、そして私もだ。マイルス探検隊は対位法の新たな発展に対してとても重要となるだろう。彼らが曲のいろんな場所でしくじって、同じ曲の同じ場所でまたしくじることを覚えていれば何か新しいものが作り出せるかもしれない。とりわけ木曜の夜、午前1時15分のミントンなんかで何の理由もなくそういう事態になった場合は。
マイルス、「ミンガス・フィンガーズ」を書いたのは1945年、エリントンの流儀に倣って曲を作ろうと最善を尽くしていた22歳の若造の私だったことを覚えているかい?マイルス、あれは10年前の話で、私の体重は185ポンドだった。(略)私はもう大人で、215ポンドある。私には私のやり方がある。君とは違うし、私の音楽は足踏みさせたり背中をぞくぞくさせたりするだけのものじゃない。陽気な気分で心配事がないときは、そういう曲を書くし、そういう演奏をする。怒っているときは、それをそのまま出す。幸せなときだって、落ち込んでいるときだってそうだ。
ジャズを演奏しているからって自分を忘れることはない。私は私を書き、演奏する。ジャズであろうが何だろうが、感じるままに。今も昔も、音楽は言葉だ。
ギル・エヴァンスとの友情
1961年2月16日号
マイルスとギル:ある友情のポートレート
(略)
いきなりマイルスは電話を取ると、ニューヨークにいるエヴァンスに長距離電話をかけた。次のシカゴ行きの飛行機に乗らないかという頼みである。そうすればクロイスターでのマイルス・グループを聴けるし、「ちょっとつるめる」じゃないかというわけだ。エヴァンスはその申し出を受けた。マイルスはゆったりともたれかかって、彼の到着を待つ。
(略)
ギルに質問をすれば、率直な答えが返ってくる。(略)誰かがオーネット・コールマンの音色構成についてギルに意見を求めた。するとギルは、『それはオーネットの問題だ。よくないのなら、彼が自分で何とかするさ』と答えた」
ここでマイルスは立ち上がると、レコードをラフマニノフの『交響曲第4番』に替えた。(略)「ラフマニノフとラヴェルはずば抜けてたな。今のギルみたいに。俺の野望はギルのように書きたいってことだった。それができるなら右腕を差し出そう、いや左腕にする。譜面を書かないといけないからな」
(略)
「最初にギルと会ったのは俺がバードのところにいたときだ。俺が作った〈ドナ・リー〉を使いたいと許可を求めてきた。(略)俺はオーケーし、代わりにコードをいくつか教えてくれないかとか、クロード・ソーンヒル用に彼が書いていた譜面を研究させてくれないかと頼んだ。(略)
彼がやった〈ロビンズ・ネスト〉の編曲にはぶっ飛んだからな。(略)
「ギルはこんな感じのコードの構成があると、そこへ別の構成を重ねてしまう」。マイルスは左手の上に右手を置いてみせた。(略)「これでコードは終わるんだが」。そう言うと右手をさっと左手から離した。「さて次に残りの三つの構成音をはずしてみる」。(略)
「すると残りのふたつの倍音が高いところでひとつの音を作り出すんだ」。
(略)「俺は面食らってしまった。俺が聴こえた音を探そうと、譜面と何日もにらめっこした。だけどそんな音は存在しなかった。少なくとも譜面上はな。それがギルの技なんだ。
最初に会ってからずっと俺たちは友だちだ。一度俺がセントルイスでくすぶっていたときも、75ドル送ってくれたよ。向こうは絶対忘れてるけどな」。
(略)
「ニューヨークでは、俺たちはお互いの家を行き来してる。(略)
ギルが仕事をするときは、10小節の音楽に3日かけることもある。(略)
ピアノを12時間弾くなんてこともある。単なる作曲家じゃないからな。オーケストラの編曲家でもあるんだ。各楽器の仕組みや特性を知り抜いている。彼とデューク・エリントンは同類だな。他の人間なら楽器が8台いるところを、あのふたりは4台で済ませられる」
(略)
「ギルが一度言ったことがあるんだ。アフリカに行って音楽を教えたいと。そうすればアフリカン・リズムをごっそり聴くことができるだろうって」
(略)
「みんな音楽をジャンル分けしたがるんだよ。(略)だけどギルに言わせれば、あらゆる音楽は人間の中から生まれる。人間ってのは民族なんだから、あらゆる音楽は民族音楽になるんだ。昔はよく自分で曲を書いてギルに送って見てもらった。よく出来てるが音数が多すぎると言われた。作曲っていうのは、音をいっぱい使わないといけないもんだと思ってたからな。ようやく俺も自分では書かないという作曲の極意を身につけた。ギルに書かせるだけでいい。自分のイメージの大枠を伝えれば、彼がかたちにする。電話で伝えるだけのことさえあった。そうやって上がった譜面を見ると、俺の望んでいたものとぴったり同じだ。ああいう技を俺に使える人間はギル以外いない。楽器を配置・構成するという天賦の才能がある。そういう才能を持っている人もいるし、持っていない人もいる。ギルは前者だよ。
音楽全般に対する知識はレナード・バーンスタイン並みに詳しい。しかもクラシック畑の人間が知らないことをギルは知っている。連中は民俗音楽に疎いんだ。ギルはジプシー、南米、アフリカの音楽をしょっちゅう聴いている。うちに来るたびに、必ず新しいレコードをプレゼントしてくれる」
(略)
電話が鳴った(略)エヴァンスが乗った飛行機がシカゴのオヘア空港に着陸したそうだ。(略)
1時間も経たない内に玄関のベルが鳴り、銀髪頭のギル・エヴァンスが6フィート以上あるその身体をドアいっぱいに登場させた。「やあ、マイルス」とギルが言うと、「よお」とマイルスもこともなげに答える。
(略)
ふたりは座ってテレビを見始めたが、とくに会話はない。「ほらあれ」とマイルスが画面を指さしてつぶやけば、「うん、うん」とギルは答える。ふたりのあいだに交わされる会話はこれだけだった。
(略)
翌日、ふたりはテレビでアメフトの試合を観戦し、よく食べ、煙草を吸い、飲み、しゃべり冗談を飛ばし、他の国の音楽を聴き、お互いの妻が加わると親族訪問のようになった。
(略)
「私は自分とマイルスのためにしか仕事はしない」。やりたくないことは一切やらないと彼は言う。ただし「私は商業アレンジャーだ」と釘も刺す。(略)そして毎年の収入が必要額よりも500ドルほど下回っているらしいことを彼は認めつつも、ようやく才能にふさわしい評価を受けているのだとするマイルスの主張に異を唱える。「私は見出されるのをただ待ちながら20年間も音楽業界にいたわけではないし、最近見出されたわけでもない。昔はできなかったことを今できるようになっただけなんだよ。昔は私の曲が受け入れられる素地がなかった」
(略)
次回に続く。
