サリンジャー 評伝 その2 ジーン・ミラー14歳

前回の続き。

サリンジャーのアドバイス

マイケル・クラークソン (略)

[サリンジャーに手紙を渡そうとすると]

「だが私はつらいんだ。この二十五年、こういうことが何度もあってうんざりしてる。(略)

他人を助けられるような助言なんて誰にもできやしない。誰もがそれぞれの道をゆくしかない。はっきりしてるのは、私はただの子持ちの父親ということだけだ。運転してる息子を見ただろ。私は君のような問題を抱えた人を助けるためにここにいるんじゃない。教師でも予言者でもないんだ。(略)

枕の下に置いて寝れば、目が覚めたとき優れた作家になっているような魔法の二十五セントをあげることはできない。誰かに書き方を教えようとするのは、目が見えない人が目が見えない人を導くようなものだ。孤独を感じるとき、ものを書くといくらか癒されるという効果がある。色々な人のものを読むことをおすすめするよ。事実は書くな。自分の経験に溶け込ませるんだ。物語は注意深く組み立てろ。性急な結論は出すな。批判やくだらん心理分析は気にしすぎるな」。

 それで円満に別れて、私はカナダに帰ったんだ。

ヘミングウェイに会う

[パリ解放]

レイラ・ハドリー・ルース ヘミングウェイサリンジャーの憧れだった。サリンジャーヘミングウェイの書き方を愛してたの。ホテルでヘミングウェイが暮らす部屋まで上っていって、サリンジャーは作品への敬意を伝えた。

 

カルロス・ベイカー サリンジャーは、ヘミングウェイが友好的で、寛大で、名が知れていてもいばるところがなく、作品に垣間見える厳しさや激しさとは反対に「柔らかい」人であると感じた。二人はとても気が合ったようで、ヘミングウェイは進んでサリンジャーのいくつかの作品を検討したりした。

(略)

ショーン・ヘミングウェイ サリンジャーは、第二次世界大戦について書いた「最後の休暇の最後の日」が載っているサタデー・イヴニング・ポストを一部持ってきていた。祖父は、若い兵士としてのサリンジャーに感銘を受けただけでなく、彼の書いたものにも同じだけ感銘を受けていたんだ。

(略)

エバーハート・アルセン ヘミングウェイは誰かに「すごいぞ、彼はとんでもない才能を持ってる」と言ったとされている。おそらくサリンジャーの耳にも入っただろうし、彼はいたく喜んだに違いない。

(略)

カルロス・ベイカー サリンジャーは少しの高揚とともに部隊へ戻った。

(略)

A・スコット・バーグ ヘミングウェイサリンジャーに多大な影響を与えたが、主に文体に関して影響を与えたのではないかと思う。ヘミングウェイは彼のいう「氷山の理論」に従って執筆することに自信を持っていた。その理論は「午後の死」で初めて言及され、それからいくつかのインタビューや本でも紹介されている。彼は言う。もし作家が自分の書いている主題を熟知しているなら、物語中のいくつかの出来事は省いて構わない。それどころか、何かを省略するたびに、物語は強化されていくのだ。彼はそのことを、八分の七が水面下に隠れて頂上しか見ることのできない氷山にたとえている。何かを省けば、そのたびに水面下の氷山は強固なものとなり、読者により良い読書体験を与えることになる。なぜなら[読者は]基本的に、自らの想像の裡にある映画を再生しながら物語を追いかけていくからだ。

 当然、逆の帰結ももたらされる。ヘミングウェイは、もし作家がよく考えもせず何かを省略したら、読者はすぐそれに気づき、物語に大きな穴があくとも言っている。

 サリンジャーは氷山の理論の優れた実践者のひとりだ。彼はそれをとても上手く行っている。彼の物語には余白があると同時に、すべての言葉が自らの手によって選ばれているように感じる。

(略)

 もうずっと言われているように、ヘミングウェイは他の誰よりも二十世紀のアメリカの文体に影響を与えた人物で、初めは短編において、その後『日はまた昇る』においてより一層、読む者に新たなスタイルと新たな声をもたらした。この鍛え抜かれ削ぎ落とされた新しい文体は実に広く普及した。ヘミングウェイは、二十世紀のどんな作家よりも多くの模倣者を、多くの質の悪い模倣者を生んだ。サリンジャーヘミングウェイを模倣したとまでは言わないが、彼からリズムやいくつかの技術を学んだのだろう。

倒錯の森

 ヒュルトゲンの森の戦いはサリンジャーと第四歩兵師団に計り知れない打撃を与える。アメリカ軍の犠牲者はふくれあがった。

(略)

 もしアメリカ軍が渓谷に降り立っていたならば、ドイツ軍はダムへ向かって南へ迂回しながら進んだかもしれない。ダムのない森は無価値だが、森のないダムは貴重だ。しかし大将たちは何を勘違いしたのか、森へと向かっていったんだ。

 こうしてヒュルトゲンの森の戦いは、犯罪的とも呼べるほどきわめて愚かな失策とともに始まった。

 

エドワード・G・ミラー (略)連合軍の楽観が、この戦いを決断させた。ノルマンディーでの予期せぬ成功が、第一軍の第七軍団(と残りの連合軍)の兵士たちに、相手は瀕死だと思い込ませていた。

(略)

ワーナー・クリーマン (略)ドイツ軍はあらゆる道を把握し、頭上の木を爆破して枝を落とし兵士を殺すための砲弾を用意していた。あのミッションは、私からすれば、自殺行為だった。

(略)

アレックス・カーショウ ドイツ軍は木の爆発を利用した。八十八ミリ砲弾が木のてっぺんで爆発するようにヒューズを調節していたのだ。爆発によって、砕け散った樹木や高温の爆弾の無数の破片が次から次へと降り注いだ。

 

レイモンド・G・バートン少将 密集する高い木々、急な坂、道なき道といった自然の障壁に加えて、その区域には地雷原や有刺鉄線や仕掛け爆弾が敵の手によって何週間も前から配置されていたんだ。降り続く雨と雪、それから凍てつく寒さによって我々の作戦はことごとく阻害された。塹壕足炎と低体温症による連隊の犠牲者は、爆撃での犠牲者と同じくらい多かった。

 

アレックス・カーショウ そこは肉処理工場と言われていた。なぜならあまりに多くのアメリカ兵が道に倒れていたからだ。一メートルごとにひとりは倒れて死んでいた。

冬の死者たち

ダニー・S・パーカー 早朝のことだった。経験豊富なドイツの歩兵隊が、エヒテルナハの両側から第十二歩兵連隊に侵攻してきたんだ。

 

アレックス・カーショウ 最も激しい戦闘のあいだ、サリンジャーの仲間たちは凍死を怖れてたこつぼで眠りにつくこともできなかった。それはナチスドイツ最後の大きなあがきであり、アメリカ兵はその攻撃の矢面に立たされながら耐えていた。

 

ジョン・トランド バルジの戦いはアメリカがそれまでに経験したなかで最大の激戦だった。そして、厳寒の冬に行われた唯一の大きな戦闘でもあった。その規模はスターリングラード の戦いにも匹敵する――百万人以上の兵士と何千人という市民が巻き込まれたのだ。第二次世界大戦のほかの作戦と異なり、今回はすべてがアドルフ・ヒトラーによって考え出されたものだった。ヒトラーによる最後の猛攻であり、最後の大きな賭けだった。

(略)

アレックス・カーショウ 突然、抗いようもなく、サリンジャーの第十二歩兵連隊を含めたアメリカの分遣隊は、下は十五歳、上は六十歳ほどの敵と戦うことになった。ヒトラーはその戦いにすべてを注ぎ込んだ――大量の兵器と物資が東部戦線からアルデンヌに持ち込まれた。ヒトラーにとって、これが主導権を握り思惑通り戦争を終結させる最後のチャンスだったからだ。ヒュルトゲンの森の戦いを生き抜いたサリンジャーら第十二歩兵連隊の者たちは孤立していた。約五十五キロにわたる前線に散らばっていたためである。その孤立は、ドイツ軍の攻撃の激しさと相まって恐怖を生んだ。もしも我々の部隊が陥落したら、もしも戦況が悪化して敵に完全な制圧を許すことになったら、Dデーで得たものはすべて覆され、この戦争の行方もひっくり返ってしまうのではないか。 ヒュルトゲンの亡霊が再び現れた。師団がまるごと敵に包囲されてしまうのだろうか。

(略)

デボラ・ダッシュ・ムーア 雪と霧と恐ろしい寒さのなか、サリンジャーの第十二歩兵連隊を含む多くの部隊が、ドイツ軍による戦線への突撃によって突然分断されてしまった。

(略)

アレックス・カーショウ  (略)まる一ヶ月間、サリンジャーの第四師団は、この戦争のなかでもとりわけ熾烈で血にまみれた作戦を戦い抜いた。

まだ燃えている

アレックス・カーショウ 一九四五年の春に、ドイツの強制収容所に入ったとき、J・D・サリンジャーナチス政権の純然たる悪を目撃した最初のアメリカ人の一人となった。想像を絶する恐怖を目にしたことだろう。そこにあったのは、うずたかく積み上げられた焼死体の山だった。

(略)

ロバート・アブズグ 手入れの行き届いた美しいドイツの村を歩いて抜けると、道の終わりに、死体が積み重なった地獄のような収容所があった。

(略)

エバーハート・アルセン サリンジャーはカウフェリンクの強制収容所で目撃したものを決して文章にしなかったが、それは彼の人生と作品に染み渡っている。

(略)

J・D・サリンジャー どれだけ長く生きても、あの燃える人肉のにおいが鼻から完全に消えることはないだろう。

 

ジーン・ミラー 彼は戦争や自身の戦争経験については話さなかった。ひとつだけ私に言ったのは、燃える人肉のにおいは忘れられないってことだった。

(略)

アレックス・カーショウ サリンジャーが目を向けると、生存者たちは服従するように頭を下げた。まるで打ちのめされた犬のようだった。撃たれたり、殺されたり、打ちのめされたりするのを恐れて、他人の目を見ることができないのだ。

ゲイ・タリーズトム・ウルフ

ゲイ・タリーズ 若きアメリカ人の本物の声が、初めて印刷されたページのうえに姿を現したんだって感じたよ。それはボブ・ディランビートルズの歌詞とか、モータウンの音楽なんかがのちに表現するようになるパワーと歌声をすべて持っていた。すべてに先駆けてたんだ。このひとりの男、つまりサリンジャーがね。口づてに噂は駆け巡った。当時は地方部編集室にいたんだけど、休憩でカフェテリアにいるとき、誰かが話してるのが聞こえてきた。「聞いたか?サリンジャーっていう……」。

(略)

フィリップ・ロスもアップダイクもドン・デリーロも、誰もこんなことにはならなかった。夕食の半分が[サリンジャーの作品の]議論に費やされたんだ。それがまさしくそのとき起きてたことだよ。ヴィレッジのチャムリーズでもみんなサリンジャーの話をしてたし、それからたぶん、金持ち連中は古いスポーツバーのトゥーツ・ショーズなんかで同じことをしてたんじゃないかな。彼はこの星に現れたまったく新しい人間だった。すっかり僕らの心を奪っていったんだ。

 

マーク・ウェインガーデン 多くの同時代の作家たちがその作品に圧倒された。チーヴァーは、とんでもない大傑作だと評した。

(略)

トム・ウルフ 彼のスタイルは本当に伝染しやすいんだ。実のところ、「カラフルにギラギラ輝く流線型の女の子(The Kandy-Kolored Tangerine-Flake Streamline Baby)」という私が最初に雑誌に書いた作品にもちょっとばかりその影響が見てとれるだろう。彼の文章をきわめて独特のものにしていた要素のひとつは、「もし君が本当のことを知りたいっていうんなら、それはこういうことだった」というような、会話のなかで使うちょっとした表現を繰り返し用いたことだった。ふつうは編集で削られるが、彼の場合はそうならなかったのさ。

ジーン・ミラー

 サリンジャーは一四歳の少女ジーン・ミラーと出会い、その後五年にわたって、文通とデートと誘惑を続ける。同じ反復が生涯を通じて繰り返される――賛美される無垢[イノセンス]、誘惑される無垢、放棄される無垢。サリンジャーは花開こうという年齢の少女たちに取り憑かれている。(略)そして花が開くと、それを責めずにいられないのである。

(略)

ジーン・ミラー 私たち家族はデイトナ・ビーチにいて、私はシェラトンホテルのちょっと混み合ったプールに座ってた。(略)一九四九年の一月か二月のことだった。(略)冬にはいつも家族でフロリダに行っていたの。そこの小さな私立学校に八時から十三時まで三、四ヶ月通って、午後はたいていビーチかプールのそばで、本を読んだり宿題をしたりしていたわ。『嵐が丘』を読んでいたら、一人の男が「ヒースクリフはどう?彼はどうしてる?」って話しかけてきた。(略)

彼のほうを向のいてこう答えた。「ヒースクリフは問題を抱えてる」。

 私は彼を見た。長くて素敵な角張った顔に、深く悲しみに沈んだ目をしてた。タオル地のバスローブを着ていて、脚はとても白くて、顔色もとても青白かった。

(略)

彼は老けて見えた。全然話を止めようとしないから、私も本を置いたの。会話を始めると、さらに熱がこもるようになった。次から次へと彼の頭のなかをいろんな話題が流れていくみたいだったわ。自分は作家で、ニューヨーカーでいくつか短編を発表してるんだってことも話してくれて、そのことを何よりも誇らしく思ってるようだった。

 私たちはずいぶん長いことそこに座って話をしたわ。最後に私の歳を訊かれたから、十四歳だって答えた。彼のしかめ面をすごくはっきり覚えてる。僕は三十歳だって彼は言ったの。一月一日が誕生日だから、見方によってはまだ三十歳になったばかりなんだよって強調してたわね。二十代をたったいま終えたばかりだって。彼には気の利いたユーモアのセンスがあって、すごく愉快だったわ。私たちは長い時間一緒にいたんだけど、私がその場を去るときになって、彼はジェリーって名乗った。私には彼が何者なのか見当もつかなかった。次の日も彼に会って、それから二人で散歩をするようになった。古びた埠頭に歩いていって、ベンチを見つけたら風の吹かないところに座って、ポップコーンやアイスクリームを食べて、おしゃべりをした。カモメにポップコーンをあげたりもした。彼はとても楽しんでいたわ。埠頭まで、とてもゆっくり歩いていったの。(略)十日くらい、毎日そうやって午後を過ごした。ジェリーは右耳がかなり悪かった。戦争のせいなんだと思うわ。(略)

私はいつもビーチで何度か側転をして、それからさっと海に入っていたの。彼はそれが好きだった。直接的と言ってもいいような、かぎりなく完璧に近い瞬間だって感じてたんじゃないかしら。もしかしたら、これまでに味わったことのない瞬間だったのかもしれない。そういう完璧な瞬間は、彼の憂鬱や、戦争の苦悩を遠ざけた。私の子供っぽさから喜びを得てるみたいだった。十四歳の私の軽率で純真無垢なところに、彼は魅かれていたんだと思う。彼はとても背が高くて痩せていた。たくましかったかはわからないけど、優雅だったわ。着るものにも気を遣っていた。いつもきちっとして見えた。本当にかっこよかった。それが一番の魅力というわけではないけれど、彼はとてもかっこよかったの。

 ジェリー・サリンジャーは、人の話を聞くとき、その人がこの世で一番重要な人であるかのように聞いた。私の言うことに真剣に興味を持ってくれていると思えた、はじめての大人だった。私を一人前の人間だと見なしてちゃんと話を聞いてくれる大人なんて他にいなかった。ジェリーは私の意見に興味を持った。私に関するすべてに興味を持ってくれた。家族のことや学校のこと、どんな遊びをしてるのかを知りたがった。どんな作家を読んで、何を勉強しているのかを知りたがった。神を信じているかどうかを知りたがった。女優になりたいかどうかなんてこともね。

(略)

シェーン・サレルノ 一九四六年、デイトナシェラトンホテルで、サリンジャーは最初の妻シルヴィアと別れた。一九四九年、デイトナシェラトンホテルで十四歳の少女ジーン・ミラーへの求愛をはじめた。一九七二年、デイトナシェラトンホテルでジョイス・メイナードと別れた。「バナナフィッシュ」 はおそらくデイトナシェラトンを舞台にしている。彼はたびたびシーモアの自殺の舞台に戻ってくるのだ。

「娘さんと結婚します」

ジーン・ミラー (略)彼はウーナ・オニールのことをすごく愛おしそうに話していたわ。自然であるっていうことはジェリーにとってすごく大切なことだったの。彼女には気取ったところもなくて、ほとんど子供みたいだったそうよ。それがすごく印象的だったみたい。ウーナ・オニールが本当にそうだったのか、ジェリーがそう思っていただけか、私にはわからない。だけど彼は、もう彼女と会うことはなかったにせよ、明らかに彼女を愛していたわ。彼女のことをずっと素敵だと思ってた、というのが私の印象ね。彼の声に恨むようなところはまったくなかった。彼女と過ごしたときのエピソードもいくつか話してくれたわ。

 最初の奥さんのこともいろいろ聞いた。

(略)

 戦争の話はしてくれなかったわ。

 彼とビーチで散歩することを、母はよく思っていなかった。彼女はジェリーがJ・D・サリンジャーだって気づいてた。ニューヨーカーを読んでいて、「彼はまるでシーモアみたい」とも言っていたわ。

(略)

 埠頭にいるときがいちばん気楽で楽しい時間だった。(略)だいぶ後になって、彼は「君をあの埠頭にずっといさせられたらよかったのに」と言ったわ。

(略)

 彼は子供時代の無垢や純粋さを追い求めていた。それは禅が捉えようとしてるものでもあった。子供がそうするように、完全に全身全霊でもって、目の前の瞬間のなかに生きること。それが真に安らかな状態なのよ。

(略)

最後の日になって、ジェリーはお守りに小さな白い象をくれた。それから「もう二度と会えないとしても、君の幸運を祈ってるよ」と言ってくれた。「お別れのキスをしたいけど、それはできないからね」とも。(略)

別れる前に彼は私の母のところに行って、シェラトンのロビーでこう言ったの。「娘さんと結婚します」

(略)

 私はよく前庭でソフトボールをした。彼は私がヒットを何本打って、三振をいくつしたか知りたがった。私の年頃の子が大好きだった。手紙や電話でテニスのバックハンドの指導をしてくれた。文学的な人間にはなってほしくなかったみたい。私が幼いころ夢中になったことについてなんかを聞きたがった。

 

J・D・サリンジャー(「笑い男」)

 

 メアリー・ハドソンは三塁ベースから僕に手を振った。僕も振り返した。思わず振れてしまう自分の手を、止めようとしても無理な相談だっただろう。バッティングの見事さは措くとしても、彼女は三塁ベースから誰かに手を振るすべを心得ている女性だったのだ。

 (略)

ずっと後になるまで、私たちのあいだに肉体的なものの兆候はまったくなかった。コーニッシュに行ってたときも、夜は同じベッドで過ごした。私がこっち、彼が向こう。(略)それが紛れもない真実よ。性別を超えた関係だった。友達であり、親友だったの。セックスはそこに入り込まなかった。

(略)

 あるとき(略)一緒に本屋に行ったの。私は『チャタレイ夫人の恋人』をためらいがちに手に取った。彼は私を見て、「それは読みたくないだろ」と言ったわ。私はすぐに戻した。彼はとても禁欲的だった。子供らしくあることを楽しんでいた。大人を特に嫌ってた。彼に頼まれれば、三歳くらいだったとしても彼とそういう関係になっただろうけど、彼はそうしなかった。とにかくそれは起こらなかったの。彼に起こらない限り、私にも起こらなかった。

別れ

ジーン・ミラー あるとき、一緒に住まないかと言われたことがあるの。(略)

両親にすごく干渉されてたから、一緒に住むなんてできるはずがなかった。それでも彼と一緒に住むことを考えてはみたのよ。やっぱりあそこでは絶対に生きられないと思った。何度か行ったことがあったから、私に何が求められているかはわかってた。たくさんの骨の折れる仕事よ。でも私は、あまりに甘やかされて育っていた。あまりに自分のことばかり考えてたから、その誘いを真剣に受け止めることができなかった。

 私はジェリーのことを崇めはじめてた。崇めるという言葉は強すぎるかもしれないけど、私はまだ若かったからそうなってしまったんだと思う。(略)

力強くて、立派な心。人間性の強度。正と誤についての考え方。物事の見方。とても説得力のある人だった。人のうわさ話をすることもなかった。そういうところに惹かれたの。

(略)

 自分の本当のもろさについて、彼は何も言わなかったわ。ものすごく近い関係ではなかったから。夫に対して感じたように、彼とひとつになって世界に立ち向かっているようには感じなかった。彼に対しては畏怖の念があったの。うまく口がきけなかった。いつもびくびくしてた。彼は上にいて、私は下にいた。私の何が彼の心を動かしたのか、本当にわからないのよ。

 ジェリー・サリンジャーが思い出す私はいつでもあのディトナ・ビーチの少女だったけれど、私は変わりはじめていた。

(略)

 私はもう少女から若い女性になっていた。成熟するにつれて彼への気持ちも成熟していった。彼は私を実際以上に利口だと考えていたんだと思う。本当の私が馬鹿だっていうことじゃないけれど、彼が思っていたような繊細な人間ではなかったっていうことなのよ。それは感覚的にわかってた。それに、そうなろうとしても無駄だったの。私は女で、自分をいちばん良く見せようとしていたし、彼に会うときは特にいちばん良く振る舞おうとしたわ。

(略)

 彼がはじめて私を見たとき、私は年上の女性と話しながらあくびをこらえていたらしいわ――それはエズメが物語のなかで聖歌隊で歌ってるときにすることなの。私に会っていなかったら「エズメ」は書けなかったって彼は言ってた。

 それでも私に恋をしているとは決して言わなかったわ。私に会いにニューヨークに来ようとはあまりしなかった。自分に約束を課したんだって手紙に書いていた。

(略)

 あの年月、彼は子供としての私を楽しんでいたんだと思う。私がそれを変えてしまった。私たちはタクシーの後部座席にいて、私は彼のほうを向いてキスをした。とても自然なことだった。彼にキスしたかったから、キスをしたの。私はゴーサインを出してたけど(略)彼からそれがやって来ることはなかった。もしかしたらあったのかもしれないけど、私が先にやったの。(略)

 タクシーでのキスの少しあと、週末にモントリオールへ行った。(略)記憶に焼き付いているのは、レストランにとても恥ずかしそうで居心地の悪そうなかわいらしい女の子がいたことよ。ジェリーが彼女についてあれこれ言っていたのを覚えてる。

(略)

 私たちは部屋に上がって、ベッドへ向かった。私は処女だということを伝えたけど、彼はそれをよく思わなかった。その責任を負いたくなかったんだと思う。私の通過儀礼が済んで、次の日、私たちは飛行機でボストンに戻った。そこから私はニューヨークへ、彼はニューハンプシャー州ウェスト・レバノンヘ別々に帰る予定だった。どういうわけか、ボストンへのフライト中、彼は自分の接続便がキャンセルになると知ったらしくて、それで私は午後も一緒に楽しい時間を過ごせるんだと思って喜んで笑った。そのとき私は彼の顔にベールがかかるのを見たの。彼の顔を見ると、そこにあったのは恐怖と苦痛だった。それはぞっとするような表情で、それがすべてを伝えていた。終わったんだってわかったわ。あの台座から落ちたんだってわかった。

(略)

受け入れるほかなかった。彼は突然私がインチキ[フォニー]だと気付いたんだと思う。(略)私は処女だったし、それを彼に言ってなかったから。突然彼は私をまったく違うふうに見始めたの。

(略)

 一九五五年、私は再びデイトナにいた。オーシャン・ルームで、ダンスをしていた。ふと窓の外を見ると、ジェリー・サリンジャーがあの美しい女の子と一緒にいたの。結婚している感じに見えた。結婚してるにしろ、してないにしろ、とにかく彼らは一緒にいた。とびきり美しいカップルだった。彼はとてもかっこいい男性だった。彼女はかわいらしい女性だった。

 二人は歩いていた。プールの上の通路で、とてもくつろいでいるように見えた。夕食後に散歩にきたんだとすぐにわかった。熱狂的に幸せそうだったとは言えないわ。腕を組んでいたわけではないけど、不幸せにも見えなかった。気心の合った感じだった。(略)

次の日、メインストリートを車で通ると、彼がかつて私と行ったバーから出てくるのが見えた。彼と私の父が一緒に飲みに通っていた場所で、彼の二番目の妻になるクレア・サリンジャーが彼の腕に寄り添っていたわ。

 私がどう感じたか?いい気持ちはしなかったけど、それについてどうこうする気力もなかった。彼を見たのはそれが最後だった。あの窓に彼を見たとき、私はショックを受けた。彼も私を見たの。それはわかってる。目が合ったのよ。彼は私を見た。そして次に私が目を向けたとき、彼はいなくなっていたわ。

(略)

 ジェリー・サリンジャーが誰かと関係を終えるときは、文字通りの終わりなの。彼が完全に私の人生から出て行ったことはわかっていた。私は彼を敬愛していて、私たちは素晴らしい五年間を過ごした。そのことにとても感謝してる。彼を知れたことにとても感謝してる。彼は私を変えたけど、当時の私はまだわかっていなかった。

次回に続く。