作曲の科学 美しい音楽を生み出す「理論」と「法則」

語られるレベルがまちまちなので、そこらへんでアマレビューでは文句が出ている模様。

クラシック畑でマリンバにをやる人がどのようなことを考えているのかがわかる。

作曲の科学 美しい音楽を生み出す「理論」と「法則」 (ブルーバックス)

作曲の科学 美しい音楽を生み出す「理論」と「法則」 (ブルーバックス)

 

アフリカンリズムを学ぶ

 20代のはじめに、クラシック音楽の学業をいったん脇に置いて、アフリカンリズムを吸収するために1年間、ブルキナファソに修業に出かけました。(略)

 アフリカの人たちの音楽のあり方やとらえ方は、私の出身畑である西洋音楽とはまったく違います。村祭りや儀式などで楽器を弾く機会がたくさんありますが、彼らはそういうときに楽器を通して奏者に“自由に語らせる”スタイルを取ります。グループでの演奏中、必ずどこかでソロとして弾くタイミングが回ってくるのです。

 そのソロパートを聴いて、「彼には独りよがりな傾向があるな」とか「あの人は注意深く正確に、他人の音に耳を傾けているな」とか、「この人は権力志向が強いな」「度胸があるな」といった、個々の奏者の才能や深層心理、性質や演奏傾向を読み取ります。

(略)

 アフリカのローカルコミュニティでは、この手法でそれぞれに社会的な役割をもたせることで適材適所の人員配置を実践し、コミュニティが崩壊するのを防いでいます。音楽を演奏するという行為には、それだけ人の個性が反映されるということなのです。

(略)

アフリカ音楽のもつ本質を身をもって体験した私は、西洋音楽とは異なる音のとらえ方を体の奥深くに刻みつけて戻ってきました。そのような経験をベースに、曲を書くようになったのです。

 具体的には、西洋音楽の素養がある音楽家には複雑に聞こえるアフリカ系のリズムをベースにして、メロディを書き進めます。たとえば8分の5拍子などがそうですが、西洋音楽で一般的な「強拍と弱拍」の強制的な“しばり”から解放された次元でメロディを作ることが可能になります。強弱拍のしばりがはずれると、既存のリズムにあてはめることができずに、独特の浮遊感が生まれます。どこが始まりでどこが終わりなのか、境界線がわからなくなり、アフリカ音楽らしさを出すこともなく、鳥になったような自由な音空間ができあがります。

 「和声」と「和音」

 ちなみに、「和声」と「和音」はよく似た言葉ですが、同じものではありません。ちょっとややこしいですが、和声と言う大きな概念や学問領域の中に、和音と言う具体的な音の並びがある、と理解してください。つまり、和声は和音の上位概念です。

 メロディと和声の関係

 実際の演奏において、横軸=メロディと、縦軸=和声は、どのような関係にあるのでしょうか?

(略)

 9世紀末ごろには、主たるメロディに付加的な声を加えた複数の声部から成る音楽が登場しました。いわば、合唱の原形です。

(略)
 時代がさらに下って11~12 世紀ごろになると、楽器が出せる音程や演奏技術が向上し、複数のメロディラインをもつ音楽が登場してきます。

(略)

 ポリフォニーは、中世中期からルネサンス時代にかけて、特に盛んになりました。

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 ポリフォニーの代表格として最も耳馴染みのある楽曲は、「グレゴリオ聖歌」を基にしたオルガヌムでしょう。

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グレゴリオ聖歌を基にしたオルガヌムを構成するシンプルな二つの声部の、上下に開きのあるメロディを実際に聴いてみると、ところどころで「お? いい感じ」「響きがきれい!」と、耳が反応する箇所があると思います。和声=ハーモニーは、このような経験の積み重ねによって、少しずつ生まれていきました。

 ただし、ポリフォニーが生まれたばかりの中世期にはまだ、メロディを追いかける横軸の響きのほうが重要視されていました。音楽はまず、横軸から発達し、そこに縦軸の要素が加わることで進化してきたのです。

 そして、和声(ハーモニー)に先駆けて登場した縦軸=かけ算が、「対位法」です。

対位法

対位法(counterpoint)の語源は、ラテン語の「punctus contra punctum」で、現代語に訳すと「音符対音符」という意味になります。その言葉が示すように、対位法の美学は複数の声部(メロディ)を同時に聴かせるところにあり、和音を中心に構成した音楽作りである和声法と並んで、重要な作曲法の位置を占めています。

 17世紀以降に台頭してくる和声法は、対位法よりも歴史が新しく、連続する和音に沿って一つのメロディが書かれていくしくみです。一方の対位法は、複数のメロディが独立して存在し、それぞれに独自のポジションを確立しながらも、ときにはそれらを重ね合わせて複雑な音色やリズム構成を聴かせることに特徴があります。

 今でこそ、「主旋律としてのメロディ」と、「それを副次的に支える伴奏」の概念がそれぞれに確立しているため、この一つを聴き分けることはかんたんになっていますが、10世紀ころまでは伴奏どころかメロディを複数重ねるという概念さえ存在せず、声部は単独のメロディだけでした(=モノフォニー)。その一つのメロディが良ければ良い音楽とされるほど、単純な話だったのです。

(略)

ポリフォニーで複数のメロディを重ねるアイディアが登場すると、こんどは音どうしが変にぶつかり合って耳障りな音にならないようなルール作りを始めるわけですが、それが対位法なのです。

 そして、16世紀末にバロック音楽時代が到来して初めて、「伴奏」という概念が登場します。

 対位法で作られた曲には伴奏が存在しないため、メロディが等しく美しいのが特徴です。そして、いくつものメロディを重ねていくうちに、少しずつ「音の重なりの定番」ができあがっていきます。

 この「音の重なりの定番」が、やがて和音の“素”となり、和声法という新たな曲の構造が登場するきっかけを与えるのです。

(略)

かつてのモノフォニーの時代には、音楽にとってメロディを追いかける「横軸の響き」が、唯一の重要ポイントでした。そして、ポリフォニーが登場したばかりの時代においてもなお、メロディを追いかける横軸の響きが重視されていましたが、対位法が少しずつメジャーになるにつれて「縦軸の響き」、つまり、音符と音符の重なり具合に作曲家の注意が向かうようになっていきます。

 対位法の登場によって、縦軸の響きの新たな可能性を見出しはじめた音楽は、数々の対位法の定番を作り上げていきます。しかし、いったん対位法が隆盛を極めると、やがていつも同じ音の重なりばかりとなって発展性のない状態に立ちいたり(略)[飽きが生じ]「新しい縦軸の響き」の時代へ、すなわち、対位法から和声法へと移っていくように促したのです。

「ジャズの父」ドビュッシー

 そのような雰囲気のなかで19世紀には、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』や、ドビュッシーの「牧神の午後への協奏曲」などに代表されるように、「不協和音をわざと入れてやれ!」とばかりに和声学を無視した曲構成が展開ます。

 さらに、20世紀に登場したストラヴィンスキーの『春の祭典』やバルトークの「弦楽四重奏曲第4番」など、和声学を崩壊させた曲作りが世の中に発表されていき、いわゆる現代音楽の時代の幕開けとなるのです。

 特にドビュッシーは、「ジャズの父」とよばれるほどに、音楽に新たな和声の切り口を提案しました。そして、そのドビュッシーの影響を強く受けたモダンジャズを代表するピアニスト、ビル・エヴァンスが「和音の転回」という手法を駆使しはじめたことで、モダンジャズはいよいよ盛んになっていくのです(略)。

 ジャズの世界で不協和音が積極的に使われるようになる前夜、じつはクラシックの作曲家たちによる革新が先行しておこなわれていたという事実には興味深いものがあります。

和声学の影響を受けた伝統音楽からポップスやロック

 それでは、21世紀の現在、私たちが日々、耳にしているポップスやロックミュージックは、いったいどんな理論に基づ作曲されているのでしょうか?

 意外に思われるかもしれませんが、かつてクラシックの巨匠たちが「もう飽きた!」と一蹴した、あのラモーによって18世紀に確立された和声学に基づいているのです。

(略)

 一周回って元通りのような、ちょっとふしぎな現象が、なぜ生じているのでしょうか?

 じつは、文化的な背景がきちんとあります。18世紀に確立された和声学は、当時のクラシック音楽のみならず、さまざまな民族音楽にも影響を与えました。(略)

 やがて、ヨーロッパ各地の伝統民族音楽(略)が、和声学の影響を受けて変化していきました。その過程では、民族音楽において使用されていた民族楽器が、18世紀以降に誕生した新しい楽器に置き換えられていく、ということも起こりました。

(略)

 現代のロックミュージックやポップスは、良くも悪くも和声学の影響を多大に受けた伝統音楽から派生した枝葉の先に位置づけられます。

 「音符がすべて」ではない

 かつて私がジャズの作曲を教わっていた先生の一人に「楽譜に書かれている音符がすべて」という考え方の人がいました。「音符こそが最上級」なのだから、たとえ演奏する楽器の種類が入れ替わってもなんら問題はない、というのです。

 私は、この考えにまったく反対です。

 たとえば、「ドミソ」の長和音を例にとって説明してみましょう。この長和音を、ピアノやマリンバなどの単体の楽器や、あるいはクラリネット3本のように一つの種類の楽器でそれぞれ演奏する場合と、ドの音はファゴット、ミはオーボエ、ソはフルートのように、一音ずつ担当を与えて演奏する場合とでは、まったく別の音色を与えることができます。

(略)

 極端にいえば、各楽器の位置が変わるだけでも全体の音色が変化してしまいます。楽器の選択や配置もまた、音楽における重要な「かけ算」の一つなのです。

(略)

 実際に、ある2つの特定の楽器のために書いたデュオ曲を違う楽器に入れ替えて演奏してみたら、すごくつまらないおかしな曲になった経験があります。有名なピアノ曲を別の楽器用に編曲して演奏したら間が抜けて聞こえたなどと言うケースも、珍しくありません。

 「減4度」の音程

「減4度」の音程もあるのかな?

(略)

 結論をいえば、もちろんあります。たとえば、ドとミが減4度の音程です。

「あれっ!?」と驚いた人は、かなり音程に馴染んできていますね。そうです、ドとミは、先に登場した「長3度」の開きと同じです。

 減4度と長3度が同じ……、いったい、どういうことでしようか?

 ここが、音楽理論の(屁)理屈っぽいところなのですが、「減4度」という言葉を聞いたとき、作曲家の頭の中では「ドとファb」に変換しているのです。ファbなんていう音は、実際の鍵盤上には存在しません。平均律のピアノでその場所にあるのは、普通のミです。でも、理論上は、これがファbなのです。ややこしいですね。