音楽を感じろ 二ール・ヤングの闘い

第1章 ニール・ヤング

なによりも大きな意味のあること

どんどん後退する音質に、激怒!

一九六〇年代から七〇年代にかけて、オーディオ機器が発達し、高品質のレコード盤やテープレコーダーが登場したことで、家庭でもいい音で音楽を聴けるようになった。

(略)

八〇年代初頭(略)コンパクトディスク(CD)の登場でデジタル音楽を聴くことができるようになったとき、わたしは興奮した。これでやっと、レコード盤につきもののプツッ、パチッという雑音も針の擦過音もなくなるぞ、と思ったのだ。

(略)

新しいデジタル機器で再生したCDの音を聴いた。三時間後、わたしは自分の耳に殺されそうになっていた。耳のなかがじんじんと鳴り、痛くてたまらなかった。なにかがおかしいとはじめて気づいたのはあのときだ。

(略)

CDはたしかに便利ではあるものの、レコードやカセットテープなどの先祖にくらべて、音質の点では劣っていた。

(略)

あのときから現在まで、われわれは繰り返し後退を体験している。つまり、新しいフォーマットが出てくるたびに、それまでのものより音が悪くなっていくのだ。

 まったく意味がわからない。フォーマットが次々に変わるのは歓迎されない。同じコンテンツを何度も買い直さなければならないからだ。しかも、同じコンテンツを買ったら、それまでのものより品質が悪かった、などということが起きたら? 最悪だ!わたしが思うに、ほんとうに必要なフォーマットは一種類だけであり、その一種類は最高のものであるべきだ――可能な限り。

(略)

 劣悪な音を受け入れる風潮は業界中に広がり、軌道修正することはますます難しくなっている。人々は質の悪い音に慣れ、本来の音楽の響きを知ることはない。高品質の音が求められなくなり、音響機器の会社は傾く一方で、アーティストは以前より低い音質で作品を作るようになった。音響機器の会社が軒並みつぶれてしまえば、いい音を再生する機器は手に入らなくなる。いうなれば、オーディオ業界全体を沈下させる、底辺への競争だ。

 

 ほかのデジタルコンテンツでは、このような質の悪化現象は起きていない――オーディオだけだ。デジタル画像や動画の進歩はめざましい。

(略)

 オーディオがそうはならなかったのはなぜだろう。なにかがおかしい。わたしはアーティストだから、スタジオで聴く音と同じ音をファンに聴いてほしいと思っている。

(略)

 レコード会社は、音がいいというだけでハイレゾストリーミングにはそれ以外のものよりはるかに高額の楽曲使用料を課したがる。ハイレゾで音楽を配信しようが、レコード会社の金銭的な負担が増すわけではない。必要なのは帯域幅だけだ。消費者が払う帯域幅のコストはあっというまに安くなった。それなのに、粗悪な音で音楽を聴くコストより、良質な音で音楽を聴くコストのほうが高くなるのは当然なのだろうか?

(略)

レコード会社はハイレゾストリーミングには高額な楽曲使用料を課すが、その根拠はなにもない。

(略)

品質の出し惜しみをしながら販売価格を吊りあげれば、だれもそんなものは買わないだろうに、なぜそんなことをするのか?

(略)

少し前を振り返れば、レコードもカセットテープもだいたい同じ値段で売っていたことを思い出すだろう。

(略)

 手頃な価格で高音質の音源が手に入れば、ストリーミング会社はそれを配信し、だれもがよりよい音楽を聴き、感じるようになる。そして世界はいまよりはるかに楽しく、よい場所になるだろう。

 音楽とテクノロジーの業界をないがしろにする論拠のひとつに、大多数の人には微妙な音の差などわからないのだからわざわざ手をかける必要はない、というものがある。わたしの反論はシンプルだ。

(略)

聞き分けられる人もいるし、聞き分けられない人もいるというだけのことだ。コストが変わらないのなら、ガタガタいうことはないだろう?

(略)

音楽が聞こえない人、音質の差がわからない人がいるからといって、微細な音を消していいわけがない。聞き取れる人には聞こえるようにするのが当たり前だ。

第2章 フィル・ベイカ

音質に関する一考察

 では、低音質の音楽ファイルでは聞こえないが、ハイレゾなら聞こえるものとはなんだろう?それは、空間の広さ、音場の広がりだ。ハイレゾなら、トライアングルやギターの弦が発する倍音や、徐々に消えていく余韻を聴き、感じることができる。音楽はわれわれの感覚に作用する。音波は耳に入り、ほかの体の部分にも届く。微細な音が脳を刺激して、過去のできごとをよみがえらせることすらある。

 わたしはPONOの第一試作機を自宅へ持ち帰り、[合唱団員の]妻のジェインに聴いてみてほしいと頼んだ。

(略)

「リハーサルや演奏会でステージに立って自分のパートを歌ったり、オーケストラの間奏を聴いたりするとき、それぞれの楽器の混じりけのない音が聞こえるの。それだけでなく、サウンドを豊かにするオーケストラの倍音も。それから、わたしたちはよくシンフォニーホールや大聖堂のような、アコースティックな会場で歌うけれど、そういう場所では、ヴェルディのレクイエムやバッハのミサ曲ロ短調のように精緻な作品が会場の音響効果でより美しく聞こえる。

 家でこんなにいい音を聴いたのははじめてよ――抜群によかった。ゆうべPONOプレイヤーとあなたのオーデジーのヘッドフォンで、合唱曲や交響曲を聴いてみたの。ロバータ・フラックの『やさしく歌って』とか、現代の曲も。びっくりするくらい、サウンドが澄んでいて豊かだった。

第3章 ニール・ヤング

音楽が失われつつあることに

どうして気づいたか

 CDの音は、最高のクオリティのデジタルの音にはまったくかなわない。CDでは、オリジナルのアナログ録音でとらえられたデータのおよそ七五パーセントが削除され(略)オリジナルとは似て非なるものが残る。MP3ストリーミングのクオリティはもっとひどく、元データの九五パーセントが取り除かれる。

 一方で、保管庫に収蔵されているアナログテープは、使用されることなくしまいこまれているだけで劣化していく。

(略)

アナログのマスターテープを聴いたり、コピーを作ったりする場合、慎重に保管庫から取り出し、加熱処理し、巻き戻し、慎重にほかのメディアにダビングするのだが、テープの劣化を防ぐために、再生が許されるのはせいぜい二度までだ。ぐずぐずしていると、一日ごとにその作業は難しくなり、やがてテープはぼろぼろになってしまう。だから、音楽の歴史の消失を防ぐために、ハイレゾのデジタルコピーを作ることが重要なのだ。大きなレコード会社には保管の専門家やマスタリングエンジニアがいるので、技術はまだ残っている。それなのになぜ、オリジナルのアナログ音源からハイレゾのデジタルコピーを作らないのか? 技術はある。だが彼らは、音源を保存することに歴史的な意義がある、というだけでは経費をかけようとしない。売るという目的がなければ動かない。

ふたつの障害

 第一の障害は、レコード会社がハイレゾ音源にはCDやMP3の二倍から三倍という法外な値段をつけるため、市場がないことだ。そのような価格設定で楽曲を提供できるストリーミング会社はないし、消費者も手を出しにくい。(略)

だれも買わなければ、再生機器もないので、ハイレゾ音源は生産されない。

 第二の障害は、消費者のもっとも身近にある再生機器が携帯電話であるという事実だ。(略)

現時点では、携帯電話でハイレゾの音楽ファイルを再生するには(略)DACを接続しなければならない。

デジタルとアナログのはっきりとした違い

アナログとデジタルを交互にかけるうちに――音楽を頭で分析するのではなく、魂で聴けば――アナログのほうに傾くだろう。どうしたってアナログのほうが満足できるのは、サウンドを丸ごと身体に伝えてくれるからだ。魂に伝えてくれるからだ。それこそが音楽の魔法だ。

(略)

[『リアクター』を]ハイレゾストリーミング用に、192キロヘルツのデジタルヴァージョンにリマスタリングすることになり、アナログの原盤を聴いた。(略)最高のデジタル品質だ。音はすばらしいし、便利だった――が、オリジナルとは別物だった。

テープはどんどん駄目になる

[アナログ時代]マスターテープを作るためのトラックダウンには時間をかけなかった。アナログテープはたちまち劣化しはじめるからだ。最初に聴いたときはすばらしい音でも、繰り返し再生機器のヘッドの上を通るうちにテープは劣化する。機器を完璧に調整していても、音の一部を拭い取ってしまい、テープはどんどんだめになってしまう。わたしは経験上知っているが、リミックスを翌日にした場合、機器の状態が完璧でなければ、三度四度と聴きなおしたのちに、あれ、ゆうべ作った最初のラフと聴きくらべてみよう、と思うようになる。あげく、今日作ったもののなかに、ゆうべ聴いたものが残っていないことがわかる。たったいま完成した改良版より、ラフのほうがずっといい音がするのだ。われわれの作業のやり方がまずかったからではない。テープを何度もヘッドの上で走らせたせいだ。わたしがオリジナルの“ラフミックス”を何本も用意していたのは、あとでリミックスするときに魔法を取り戻せないからだ。
(略)
わたしはアナログでレコーディングし、音をアナログからデジタルへ直接移行させた。最初からデジタルでレコーディングし、それぞれの結果をくらべてみることもした。結局、長い目で見れば、アナログのほうがいい音だとわかる。『リアクター』のレコード盤を作ったときもそうだった。まるで夜と昼のように違い、192キロヘルツ/ビットのデジタルよりいい音がする。ほんとうにすごいのだ。音楽に没頭する。耳を傾ける。身体に音がみなぎる。本物だ。消毒された貯水槽の水ではなく、自然に湧き出る泉の水を飲むようなものだ。なにも損なわれていない。そこが違う。

 アナログ原盤は日々劣化していく

オリジナルのアナログ原盤が消失してしまう前に、コピーを作ることが急務だ。あと数十年もすれば、コピーを作ることができなくなる。失われたものの大きさに気づいたときには手遅れで、二度と取り戻せない。しかし、レコード会社はクズを売りつづけ、ハイレゾに法外な値段をつける。
(略)
高音質のコンテンツが売れず、入手も難しいとなれば(略)

ハードウェアのメーカーは、ハイレゾ音源を再生する製品を作りたがらない。

 そしてそのあいだずっと、アナログ原盤は保管庫にしまいこまれたまま、日々劣化し(略)

マスターテープはほとんど生き物のようなものだ。年を取り、寿命がある。世話をしなければ、死んでしまう。水をやらなければ枯れてしまう花と同じだ。

(略)

 わたしがNYAのウェブサイトでやっているのはそれだ。解像度にかかわらず、デジタル音源を一律一ドル二十九セントで配布している。MP3だろうが、192キロヘルツ/4ビットのデジタルだろうが、変わらない。すべて同じ値段だ。

ティーヴ・ジョブズ

iPhoneの電子回路はデジタル音楽ファイルを再生するのに充分ではなかった。(略)

 まず考案したのが、iPhoneに接続する平らな箱型の機器だ。改良したDACとアンプ、大量の音楽ファイルを保存するための大容量のメモリを内蔵する。(略)

しかし、このアドオンを製品化するには、アップルの協力を得られるかどうかが鍵となる。

(略)

ティーヴ・ジョブズと会ったことがあるので、アップルの反応は予測できた。ジョブズ自身はハイレゾのよさを認め、アナログレコードを愛好していたが、自社製品でハイレゾを再生することに興味はなく、それが音楽の退化の一因にもなっていた。顧客はMP3のクオリティにまったく不満を抱いていないと、彼はわたしの目の前でいいきった。自身のために採用する基準と、顧客のために採用する基準を区別していたのだ。ジョブズによれば、“われわれは消費者視線の企業”ということらしい。

第9章 ニール・ヤング

アーティストによる

アーティストのためのPONO

 DRM 拝金主義と音楽

 われわれはもうひとつ重要な取り決めをした。それは、PONOで売る音楽ファイルにコピープロテクションをかけないということだ。

(略)

 結局、DRMは失敗だった。ナップスターのような企業は、シェアサイトを作るなど、逃げる方法を編み出した。いつでもどこでも思いどおりに音楽を楽しむためにきちんと金を払っている音楽ファンが、購入した音源を手持ちの機器で再生できないなどということもあった。写真をコピーするように、音楽ファイルをコピーして別の機器で聴くこともできなかった。金を出してくれる顧客をなによりも傷つけ、犯罪者扱いしたDRMは、業界に大打撃を与えた。そもそも、音楽を盗んで複製する連中を根絶するのは不可能だ。財産権泥棒はデジタル時代とは切っても切れない問題だ。ありがたいことに、この世は泥棒ばかりではないけれど。

 第12章 フィル・ベイカ

新しい目標を目指して

 チャーリー・ハンセンはアンプやプリアンプ、DACなど、世界有数の高級オーディオ機器を作ったすばらしい設計者だった。彼の作った機器には、一万ドルで販売されているものもある。

 彼は音質に情熱を傾ける本物の天才で、オーディオ機器の設計やマーケティングの方法について、世間とは逆行する考え方の持ち主だった。とくに、多くのハードウェアメーカーが音質よりスペックに注力するのを批判していた。製品を作る際には、たとえば音量調節のデザインや反応など、ほかの人が気にしないような点までこだわった。

(略)

 携帯機器専用の低電力DACのなかでも最高級のものを選び、増幅回路はほかのプレイヤーのように既製品を使うのではなく、部品から作るのだと、ハンセンはいった――彼がそれまでオーディオマニア向け製品でやってきたことだ。アンプのデザインは音質を左右する非常に大事な要素なのに、ほとんどの会社は考え違いをしているというのが、彼の持論だった。

(略)

そして、彼が設計したほかの製品と同じく、フィードバックループは使わない。普通の製品には、出力信号を測定して入力信号を制御するフィードバックループが使われているが、ハンセンはこれが音質を劣化させる要因だと考えていた。そのほか、高級オーディオ機器にしか使われていないバランス駆動を採用する。これは、2チャンネルの音声信号をそれぞれ独立したヘッドフォンジャックへ流すもので、よりクリアな音で再生できる。

第14章 フィル・ベイカ

キックスターターから大量生産へのドライブ

 キックスターターからの支援金はありがたかったが、多くの義務がともなった。「六百二十万ドルを集めた」というのは正確ではない。そう、キックスターターとアマゾンに手数料などを支払い、手元に残った五百六十万ドルで納期までに一万五千台のPONOプレイヤーを支援者に届ける義務を果たさなければならない。

 見積もりでは、プレイヤーの大量生産にかかるコストと支援者への配送料を合計すると、一台につきおよそ二百ドル、合計で三百万ドル程度になりそうだった。残りの二百六十万ドルで開発を仕上げて生産に入り、市場に出す。わたしは、集まった支援金を“キックスターター・ドル”と呼ぶことにした。われわれの六百二十万キックスターター・ドルは、実質的には二百六十万ドルであり、その使い途はすでに決まっている――それでも、価値のある金だ。われわれの努力を後押ししてくれる熱心な支援者たちとともに、前に進めるのだから。

 第16章 フィル・ベイカ

PONOミュージックストアを作る

 ニールが構想していたミュージックストアは(略)ハイレゾ音源に特化したものだった。どのアルバムも一種類だけ、もっとも高音質のものを販売する

(略)

ニールはさらに独創的なアイデアを出した。そのうちひとつが“PONOプロミス”だ。これは、現在ハイレゾ版がないアルバム(略)が、のちにハイレゾで手に入るようになったら、無料でアップグレードする、というものだ。

(略)

彼は、PONOのユーザーに同じアルバムを二度買わせてはならないと、断固として主張した。また、ユーザーとの関係を活用し、どんなアルバムのハイレゾ版が求められているか、レコード会社にフィードバックすべきだとも考えていた。

 レコード会社にアップグレードのコストを負担してほしかったが、拒絶されたので、PONOが引き受けた。ニールはこの問題についてとくに熱心だった。同じアルバムのヴァージョン違いが何度も発売されるのはレコード会社の販売戦略であり、消費者を怒らせ、アーティストも信頼を失うだけだと、ニールは知っていた。音楽ファンは、過去に買ったアルバムだろうが、繰り返し買わされるはめになる。ビニール盤を買い、カセットテープを買い、あげくのはてにCDを買わされた。

 第21章 ニール・ヤング

自動車とハイレゾ

 リンカーンのチームが、構想中のオーディオシステムについて説明した。彼らによれば、すごいものになるらしい。(略)

自動車は速く走るから、スピーカーは“時間的調整”機能のあるものでなければならない、とか。車が走る速度に合わせてスピーカーを調整し、ちょうどいいタイミングで後部座席に音が届くようにするとか、そのような話だった。

(略)

純正主義者のわたしから見れば、まったく胡散くさい話だった。第一に、車の走るスピードは音速にはほど遠いのだから、車の前部から後部へ届く音に時差があるはずがない。第二に、余分なコンポーネントは音を汚すと、わたしは感じていた。(略)初っ端から潤った音がする。彼らはこれが進歩だと考えているようだが、アイデアもコンセプトも、わたしにはほとんど無意味なものに思えた。

 わたしの考えでは、最良の音質を確保するには、信号処理はたった一度だけ、スピーカーで鳴らすためにデジタル信号をアナログへ変換するだけでいい。ほんとうにいいものを取り去り、大量の安価なDACと低コストのデジタル増幅チップを車のあちこちに置き、それが“最新機能”だといって値段をつりあげる。性能のいいDAC一個で高音質のアナログアンプに音を送るほうが、はるかに低コストでいい音を聴けるのに。

(略)

多くのデジタル処理を重ねて、防音室で録音したものをあたかもコンサートホールで録ったかのように加工したり、低音部を増幅して響かせたり、いろいろなことができるが、いい音を作れるわけではない。余分なコンポーネントは音を劣化させ、人工的にするだけだ。システムでクソを磨いている。だから、現代の新しい車のオーディオは以前の車にくらべていい音がしない。デジタル処理のやり過ぎだ。

 ほんとうに奇妙なことだ。わたしは昔から車のなかでAMラジオを聴いていたが、いまの新しい車よりも音楽から多くのものを聴き取ることができた。

もっと本物の音を。もっと音楽を。もっと友情を。

(略)

 なにを聴いても雑音がする!

 テストカーを運転しながら彼らのサウンドシステムを試聴していると、なにかがおかしいことに気づいた。なにかが音を濁らせている。彼らに質問すると、実際は四気筒エンジンの車なのに、力強さを演出するために八気筒エンジンの音を鳴らして本物のエンジン音を隠しているのだという。

 わたしはそのとき、自分が直面している問題の大きさを思い知った。

 正気の沙汰ではない。こんなことで音のクオリティが向上するものか。

テスラ

 オーディオについて勘違いしているのはフォードだけではなかった。わたしは、テスラのイーロン・マスクにもこの話をした。わたしは、テスラの車にPONOを搭載してほしかった。

(略)

 最初にこの話をしたとき、イーロンは、うちの車はデジタルマシンだといった。つまり、彼もテスラのエンジニアも最新機能が大好きだということだ。デジタルが可能にするなめらかな操作性が好きなのだ。携帯電話を運転するようなものだ。

(略)

 「アナログアンプを使ってPONOを接続するだけでいいんだ!」わたしはいった。とにかく彼にPONOの音を聴かせ、感じてほしかった。

 だが、イーロンは、わたしが“デモンストレーション”のなかでPONOをケーブルで接続するといったことに当惑した。「いや、ケーブルは使えないんですよ」簡単な試聴をするのにケーブルが必要というだけで、彼は完全にわたしの話に興味を失った。

 彼がここまで愚かだったとは信じられない。話はこれで終わらなかった。わたしの見たところ、彼は自分がすでにすばらしいオーディオ作りをしていると思いこみ、わたしを追い払いたがっていた。

(略)

 イーロンは何度もいった。「うちの車は最高です。あらゆる賞を獲っている。最高のサウンドだ」

 わたしはつづけた。「ああ、最高のサウンドというのは、MP3プレイヤーのことか?冗談だろう」

(略)

イーロンにわたしの真意は通じなかった。似たような人はいくらでもいる。エレクトロニクスには詳しい、ソフトウェアには詳しい、とても賢い人たち。彼もそうだ。しかし、彼らにも知らないことがある。音楽だ。だれにでも音楽が聞こえるわけではない。だが、チャンスを与えられれば、感じるはずだ。

 このような企業のリーダーたちには違いがわからない――わかりたくないのかもしれない――ということは、じつに興味深い。わたしには違いがわかるし、数学と物理学の知識を通じてアナログオーディオのほうがいいと知っている。あれこれいじらないほうが、音はよくなる。いじらなければいじらないほどいい。現代の製品の多くには、この哲学が当てはまらない。いじればいじるほどいいとされている。ほんのちょっとのガラクタよりたっぷりのガラクタのほうが得をした気がする。というわけで、ごてごてと飾り立てる。

 わたしは、いつかまたレコードが大ヒットしたら(ハハッ)、テスラを一台買って分解し、自分で設計したサウンドシステムを組み込みたい。それをイーロンに見せて、彼の美しい静かな車のなかでいいサウンドを聴くのがどんな気分か、わからせてやりたい。もはやそれはわたしのテスラだ。

(略)

 車のなかに四個から六個、せいぜい八個のスピーカーとサブウーファーを適切な場所に配置すれば、それだけで完璧だ。信じられないだろう。だが、デジタル好きのエンジニアたちは、五個のスピーカーより二十個、二十個より三十個がいいと思いこんでいる。

(略)

 わたしは結局、音楽が危ないとだれかにわかってもらおうとして、墓のなかで墓石に頭をガンガンぶつけるはめになるのかもしれない。時代が進むにつれて、サウンドが退化しているのがわかる人がいなくなるのではという思いは強まるばかりだ。わかるのは、エルトン・ジョンやスティーヴン・スティルスノラ・ジョーンズなど、わたしの一九七八年型キャデラックでPONOを聴いた百人のすばらしいアーティストだけなのではないか。

(略)

アーティストは何度でも満場一致でハイレゾデジタル音源とアナログアンプを選ぶ。だから、わたしはあきらめない。重要なことだから、あきらめるわけにいかない。わたしはアーティストを信じている。

 第24章 ニール・ヤング

PONOは終わるのか?

 わたしはアーティストとして、多くの理由からストリーミングに反対していた。ストリーミングは業界を崩壊させる。レコード会社はストリーミング会社と次々に契約を結ぶが、アーティストは理解を示していない。レコード会社にとってストリーミングが恩恵だということは、だんだん明らかになってきた。レコード会社は思いがけず利益を手にしたが、アーティストはその犠牲となり、ストリーミングのせいでCDやレコードが売れずに苦しんでいる。

 ストリーミングでは、曲を書いた人間には金が入ってくるが、レコードで演奏した者に支払われるのは微々たる金額、もしくはゼロだ。デジタル時代は、作品を生んだアーティストたちを利益の連鎖から締め出すことを可能にした。音楽で生計を立てることができなければ、アーティストたちが音楽を作りつづける理由はなくなる。

 アーティストの収入減に対する業界の答えは、ライヴで金を稼げ、というものだった。シリコンバレーからの答えでもある。おまえらの音楽を配ってやるから、おまえらのレコードから利益をもらうぞ、おまえらはライヴで食っていけ、というわけだ。二〇一七年には、音楽業界全体の収入四百三十億ドルのうち、たった一二パーセントが、音楽を作ったアーティストの収入だった。これがデジタル音楽の新時代だ。

(略)

 振り返れば、ストリーミングは決してハイレゾのレベルに達しないから、ハイレゾ音源をダウンロードして高性能の音楽プレイヤーで聴く方向へ進むべきだというのが、わたしの考えだった。だが、すでに書いたように、わたしの最大の間違いは、ストリーミングの影響力に気づくのが遅すぎたこと、ストリーミングがあっというまにCDやダウンロードに取って代わると予測できなかったことだ。それどころか、ストリーミングのレコード会社に対する影響力は甚大で、多くのレコード会社はストリーミングのおかげで黒字だ。わたしがストリーミングを嫌悪するのは、音楽のクオリティに悪影響を与えているだけでなく、レコード会社とストリーミング会社がアーティストを冷遇しているからだ。

(略)

ストリーミングはもはや無視できないし、わたしが目標にたどり着くためには、真っ向から取り組むべきだった。

 オラストリーム

 サンフランシスコのPONOミュージックのオフィスを閉めようとしていたころ。わたしは小さなチームのメンバーたちと会い、これ以上ダウンロード・ミュージックストアに投資するのは正しいとはいえないと話した。途中から、ストリーミングの話になった。そのなかで、ソフトウェアエンジニアのケヴィン・フィールディングが、シンガポールの小さな企業がハイレゾストリーミングサービスをはじめ、ソニークラシック音楽をCD以上のクオリティで配信しているといった。通信速度にかかわらず安定して音楽を送信できる方法を開発し、リスナー側のビットレートに応じて最高の音質で音楽を提供しているらしい。

(略)

つまり、受け手のビットレートが限られていれば、現在のストリーミングのような音だが、ビットレートに余裕があれば、CDクオリティかハイレゾに切れ目なく切り替わる。最高のレベルなら、圧縮なしで再生できる。これは最適化配信と呼ばれ、数年前に開発がはじまり、いまや新しい業界標準になっている。地域によっては、ビットレートが非常に高いので、ついに圧縮なしでストリーミングできるようになった。その話は、わたしの頭から離れなくなった。

 オラストリームというその企業は、ジョン・ハムが数年前に話していた、あの会社だった。興味深いことに、以前チャーリー・ハンセン(PONOの設計者)を見つけてきてくれたのもハムだったし、わたしが発見する前にオラストリームを見つけたのも彼だった。あのときすぐに、こういうことがわかっていればと、いまさらながらに思う。

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