民主主義の非西洋起源について デヴィッド・グレーバー

 巻末の「【付録】惜しみなく与えよ――新しいモース派の台頭」だけ読んだ。

マルセル・モースは一八七二年に、ヴォージュの正統ユダヤ教徒の家庭に生れた。叔父のエミール・デュルケームは、近代社会学の創設者とみなされている。デュルケームは若い信奉者たちに取り巻かれていたが、モースもそのひとりとして、宗教研究に従事した。けれどもこの信奉者たちのサークルは、第一次世界大戦によって崩壊してしまう。多くは塹壕で命を落とした。デュルケームの息子もそうだ。そしてデュルケーム自身、その後まもなく悲嘆のうちに世を去る。彼が遺したものを受け継ぐのは、モースの務めとなった。けれどもモースはどうやら、デュルケームの推定相続人の役割を果たすにふさわしい存在として、周囲からまったく真面目に受け止められることはなかったらしい。並外れた学識を備えていたものの(略)彼には偉大な教師に期待される重々しさが欠けていた。元アマチュアボクシング選手のモースは大柄な男で、陽気な、いささかふざけすぎの気味もある雰囲気を湛え、壮大な哲学体系の構築を目指すよりも、手持ちのキラキラした発想のあれこれを用いて曲芸をすることを本分としていた。彼は生涯に、主題を異にする少なくとも五つの著作に取り組んだけれど(祈りについて、ナショナリズムについて、金銭の起源について、等々)、完成したものはひとつもない。それでも、彼は新世代の社会学者を育成することができたし、ほぼ独力でフランス人類学を創始することもできた。

(略)

 モースはまた、革命的社会主義者でもあった。(略)自らパリに消費者協同組合を設立し、その運営に長年力を尽くし(略)

けれども、モースはマルクス主義者ではなかった。彼の社会主義は、マルクスよりもロバート・オーウェンやピエール=ジョゼフ・プルードンの伝統に基づくものだった。モースの考えでは、共産主義者社会民主主義者も、社会の変革を主として政府の行動を通して可能になるものと信じる点で等しく間違っていた。社会主義とはボトムアップ式に形成されるべきもので、政府の役割は、オルタナティヴな諸制度を創出することにより、そうした社会主義にしかるべき法的枠組みを提供することにあると彼は感じていた。

 だからロシア革命は、モースに深く曖昧な感情を抱かせた。本物の社会主義的実験の見通しに心弾ませつつも、彼はボルシェヴィキによるテロルの体系的な活用に、民主主義的諸制度の解体に、そして何より、「目的が手段を正当化するというシニカルな教説」に憤慨した。そんな教説はモースに言わせれば、まったく単純に非道徳的なものでしかなく、市場の合理的算術がわずかばかり調子を変えたものにすぎないと思われた。

 「贈与」をめぐるモースの論考は、何にもまして、ロシアの出来事に対する彼の応答として書かれた。特に念頭にあったのは、一九二一年のレーニンの〈新経済政策〉である。この政策により、商業の廃止という当初の企ては放棄された。もしもロシア――たぶんヨーロッパで貨幣化の度合いが最も低い国――においてさえ、単純に法律によって市場を廃止してしまえるものではないのであれば、革命家たちは明らかに、この「市場」なるものは一体何なのか、それはどこからやって来たのか、そしてそれに対する実行可能なオルタナティヴはじっさいどのようなものでありうるのか、もっと真剣に考え始める必要がある。モースはそのように考えた。そのためには今こそ、歴史学民族学の研究成果を活用しなければならない。

 

 モースがそこから引き出した結論は驚くべきものだ。まずは、「科学」を称する経済学が経済史についてこれまで語ってきた事柄のほとんどすべてが、事実に反するものだったとされる。昔も今も、自由市場に熱狂する人びとが揃いも揃って想定しているのは、人間存在を突き動かしているのは本質的に言って、自らの快楽、安定、物質的所有(つまり自らにとっての「効用」)を最大化しようとする欲望であり、だから意味のある人間的相互作用はみな、市場の観点から分析することができる、ということだ。

(略)

 モースがただちに指摘しているように、こうした物語の問題は、物々交換に基づく社会がこれまでに実在したということを信じられるだけの理由はどこにもない、ということだった。それどころか、人類学者たちは当時、物々交換とはまったく別の諸原理に基づいて経済活動を営む諸社会を発見しつつあった。それらの社会では、ほとんどの事物が贈り物として行き来し、私たちが「経済」行動と呼ぶようなものはほとんどすべて、純粋な気前の良さを誇示し、何かを誰かに与えたのは誰なのかを厳密に計算に入れるようなことはしないという原則に基づいていた。こうした「贈与経済」は、時として高度に競争的なものとなりうる。けれどもその場合、私たちの経済とは正確に反対のやり方でそうなるのだ。誰が最も蓄積することができたかを競うのではなく、勝利者は、最も多くを与え、手放した者だった。そのため、惜しみない与えっぷりの劇的な競い合いが生じることもあった。

(略)

 こうしたことはみな、まったくエキゾチックに見えるだろう。けれどもモースは、それはほんとうに私たちと無関係なことだろうかと問いかけたのだ。そもそも物を贈るという考え方自体が、私たちの社会のなかであっても、奇妙なものではないだろうか?友人から何かを贈られた時(略)、どうにかしてお返しをしなければと感じてしまうのはなぜなのか?贈り物をもらってお返しできない場合、自分をつまらない存在のように感じてしまいがちなのはどうしてか?

(略)

こうした異なった種類の衝動や道徳基準が存在しているという事実こそは、私たちが生きているような資本主義システムにおいてさえも、オルタナティヴなヴィジョンや社会主義的政策への欲求が生じることの現実的な根拠となっているのではないか?(略)

 多くの点で、モースの分析は疎外と物象化についてのマルクス主義的諸理論――同じ時期にジェルジ・ルカーチのような人びとが発展させていた――と際立った類似を示している。モースによれば、贈与経済のなかでは、交換は資本主義的市場におけるような非人格的性質を持たない。事実、高い価値を持つ何かが持ち主を換える場合でさえも、真に問われるのは人と人のあいだの関係だ。交換とは、友好関係を構築することであり、対立を清算し恩義に報いることであって、価値ある財の移転は偶発的な意味しか持っていない。結果として、すべては人格的性質を帯びることになる。所有物でさえもそうだ。贈与経済においては、最も定評のある富の対象――家宝の首飾り、武器、羽毛のマント――は、つねに自ら人格を備えた存在になってきたように思われる。

 市場経済では、事情はまったく異なる。取引とは単に、有用な物を入手する手段とみなされる。理念上、売り手と買い手がどのような人格の持ち主であるかはまったく関係がないものとされる。結果としてすべてが、人間でさえも、単なる事物であるかのように扱われるに至る(略)。しかしモースの見方がマルクス主義と違うのは主として、当時のマルクス主義者たちがまだ経済的下部構造による決定論固執していたのに対し、モースは市場なき過去の諸社会においては――そしてまた、真に人間的な未来社会においては――、経済は、富の創造と分配にのみ関わり非人格的論理に従い自ずから動いていく自律的な行為領域という意味では、そもそも存在さえしないと考えていたという点だ。

 モースは、自らの実践的結論がどのようなものなのかについて、決して完全な確信に達することがなかった。ロシアの経験から彼が理解したのは、近代社会において――少なくとも「予見可能な未来においては」――売り買いをきれいさっぱり廃止してしまうことはできないということ、しかし市場倫理の廃絶ならできる、ということだ。労働を協同のかたちで行い、実効的な社会保障を確立し、そうして徐々に、新しい倫理を生み出していくことができるだろう。新しい倫理とはすなわち、富の蓄積は、ただそれをそっくり他の人びとに分かち与えることができる場合にのみ、弁明可能になるというものだ。結果として生まれる社会で最高の価値となるのは、「公の場で物を与える楽しみであり、美的なものへ気前よく出費する喜びであり、客人を歓待し、私的・公的な祭宴を催す喜び」である。

 こうした主張のなかには、今日の観点からは恐ろしく素朴に見えるものもあるかもしれない。けれどもモースの洞察の核をなす部分は、七十五年前よりも今日――経済学が「科学」を自称しつつ、事実上、現代社会の啓示宗教となってしまった今日――においてこそ、いっそう有効なものになっている。ともかく、MAUSSの創設者たちにはそのように思われたのだった。

 MAUSSのアイディアは一九八〇年に生まれた。フランスの社会学者アラン・カイエとスイスの人類学者ジェラルド・ベルトゥーの昼食時の会話から、計画は始まったのだという。二人は贈与を主題とする数日間の分野横断的な学術会議に参加したところだったが、報告された諸論文を検討した結果、衝撃的な事実に到達することになった。学者たちの誰ひとりとして、贈与を促す重要な動機とは気前の良さ、つまり他人の幸福を願う純粋な配慮であるのかもしれないという発想に、まるで思い至らなかったように見えるのだ。実のところ、どの学者も一様に、「贈与」など実際には存在しないのだとみなしていた。人間のどんな行為であれ、十分に深く探究して見るなら、つねに利己的で計算づくの戦略が見いだされずにはいない、というわけだ。いっそう奇妙なことだが、彼らはみな、こうした利己的戦略はつねに必然的に、贈与という行為の真実そのものであると、つまりそれこそは、付随的に関わりうる他のどんな動機にもまして本質的な動機なのだとみなしていた。あたかも、科学的であること、「客観的」であることとは、完全にシニカルであることを意味するのだ、とでも言うかのようだ。どうしてそんなことになってしまうのか?

 カイエは最終的に、キリスト教の責任だと考えた。古代ローマにおいてはまだ、貴族階級の物惜しみのなさという古い理想が多少とも保たれていた。(略)

当時大いに好まれた習慣のひとつは、群衆の前に金貨や宝石をばらまいて、人びとが泥の中を取っ組み合いをしながら拾い上げようとするのを眺める、というものだった。初期のキリスト教徒たちはこうした不愉快な習わしに反対して、彼ら自身の慈善の観念を発展させていったのだが、それも当然だろう。真の慈善は優越性を確立しようという欲望にも、恩を売ろうという気持ちや他のいかなる自分本位の動機にも拠るものではなく、贈与する者がこの行為から何かを得られるのであれば、それは真の贈与ではない、というわけだ。

 けれども、このことが今度は、果てしもなく問題を生じさせていくことになった。というのも、贈与者の利益にまったくならないような贈与を考えるのは実に難しいからだ。まったく私心のない行為でさえ、神からの覚えを良くするものとなりうる。こうして、あらゆる行為は何か秘められた利己心を覆う仮面であるに違いないとみなし、その隠蔽の程度を探り当てるという習慣が始まった。こうして暴かれる利己心こそが、真に重要なものだ、というのである。(略)

経済学者とキリスト教神学者は、誰かが気前の良さを示すことで喜びを得るのであれば、その行為はそれほど気前の良いものではないのだ、と考える点で一致している。両者は単に、そのことの道徳的含意をめぐり対立しているにすぎない。まったくもって倒錯的なこうした論理に対抗するために、モースは贈与の「喜び」と「楽しみ」を強調したのだった。

(略)

伝統的な贈与の核心とは、自分と他人を同時に豊かにすることなのだ。

(略)

 モース的左派をどのような存在とみなすべきか、正確に見定めるのは難しい。モースが今日、一部の界隈で、マルクスへのオルタナティヴとして推奨されているだけになおさらだ。モース的左派を単に過剰な社会民主主義者とみなし、社会のラディカルな変革には関心を持たない輩として片付けるのは容易い。例えばカイエの「三十箇条」は、モースに同意しながら、ある種の市場を避けがたいものとして容認している。とはいえ、そこではやはりモースと同様、資本主義(略)の廃止が展望されているのだ。それに何と言っても、別の水準では、市場の論理に対するモース派の攻撃は、今日の知的地平に見いだされるいかなるものにもまして深く、ラディカルなものとなっている。だからこそ米国の知識人たち、特に自分こそは最も獰猛なラディカルだと信じ、貪欲と利己心を除くほとんどすべての概念を脱構築しようと望む人びとは、モース派をどう扱えばよいのか単にわからないのだろう、それにまた実際のところ、だからこそモース派の仕事はほとんど完全に無視されてきたのだろう