スライ&ザファミリーストーンの伝説 その3

 前回の続き。

『暴動』  

『暴動』が作られたのは(略)最先端の録音スタジオ、レコード・プラントと(略)三〇年代の銀幕のアイドル、ジャネット・マクドナルドの自宅(略)[で、直前の住人がママス&パパスのフィリップス夫妻だった『大邸宅』]

(略)

ジョン・フィリップスが設置したホームスタジオと、ドラッグの小さなビュッフェがあり、そして全体的に散らかっていた。スライがひと月一万二○○○ドルとも言われる家賃でこの家を借りた相手は、テリー・メルチャーという男だった。彼はドリス・ディの息子で、パーティー好きで顔が広く、ジョンやミシェル、ビーチボーイズのデニス・ウィルソン、それに女優のキャンディス・バーゲンと(略)親交があった。テリーは母親のテレビ番組や、彼女がコロムビアから出したレコードのプロデューサーとして成功し、ハリウッドの若手の派手な金遣いと気ままな遊蕩を地で行くような人物だった。テリーはデニス・ウィルソンから、元服役囚で後に大量虐殺を行うチャールズ・マンソンも紹介されている。

(略)

結果として生まれた音楽は、それ以前のアルバムの大きな魅力だった、バンドがリアルタイムで一緒に演奏しているライヴ感を欠いていた。『暴動』に入ることになる曲は、ぎゅっと圧縮され、閉じこもった空間の濃密さとの相性が良かった。こういうサウンドになったのは、テープ表面の磁性酸化物のコーティングが擦り切れそうになるくらい繰り返し行われたオーバーダビングのせいでもある。

(略)

ジョン・フィリップスのスタジオでは、邸宅の近くに駐車してあるトレーラーの中でほとんどの録音が行われた。

(略)

ラリー、グレッグ、それにフレディは、より多くの時間を北カリフォルニアですごすようになっていたので、スライは自分でベースやギターのパートを録音し、またドラムマシン使って彼がリズムを補った。

(略)

「彼はドラムマシンを導入して、それを楽器としてちゃんと活用出来た最初の一人だ」と、生身の肉体を備えたドラマーのグレッグは認める。「(略)当時のドラムマシンはラウンジ用の楽器で、ホテルのバーで使うような代物だった。だがスライはスイッチを入れると出る、チクタクっていう安っぽい音をひっくり返して、そしてだれも聞いたことのない音を作ったんだ。やつはドラムマシンのサウンドの質感を使って、とても面白い音を作り出した」(略)

スライは『暴動』のずいぶん前から、合成したパーカッションの音に惹かれていたと彼は指摘する。

(略)

スライの元にはアイク・ターナーやボビー・ウォマック(略)マイルス・デイヴィス(略)旧友のビリー・プレストンが訪れた。(略)

ボビーは『ヴァニティ・フェア』誌に語った。「みんなピストルを持っていた。スライは話をしているときも心はここにあらず、という感じだった。やつは頭が完全にやられちまって、やつのヴォーカルの番になってもピアノの上で寝転がったままなんだ。マイクをやつの頭の横に置いてやらなければいけないんだよ」マイルスはその自伝で「二、三回 (レコーディング・セッションに)行ったが、そこらじゅう女の子やコカインでいっぱいで、銃を持ったボディガードが睨みを利かせているんだ。嫌な感じだったよ。おまえとは一緒にできない、と本人にも言ったし、コロムビアにも、やつにこれ以上速く仕事させるなんて無理だ、と断ったよ。やったことといったら、ちょっとコカインを一緒に吸ったぐらいだ」

ティーヴィ・ワンダー 

[『暴動』]アルバム中の「ラヴン・ヘイト」や「ブレイヴ&ストロング」のような、思索にとんだファンク曲に対してスティーヴィ・ワンダーが彼の後年の作品、特に一九七三年の『インナーヴィジョンズ』や、一九七六年の『キー・オブ・ライフ』でどれだけの敬意を払っているかを見ても、このアルバム全体の影響力が見て取れる。特に「ポエット」のスライによるキーボードは、明らかに「汚れた街 」に影響を与えている。後者の社会批評はスライのそれよりももっと直接的だが、両者とも同じように憂鬱な雰囲気をかもし出している。スティーヴィの歌詞には、 一貫してスライの空想力あふれる英語の言葉遊びの影響がみられ、これほどの詩的な力量は ロックに限らず、他のどんな歌の分野でもめったにお目にかかれない。

『フレッシュ』 

[レコード・プラントを設立したばかりのトム・フライ談]

「スライは『フレッシュ』(の大部分)を録音し終えていたが満足していなかった。そこでトム・ドナヒューがやつに『プラントに行ってフライに会うべきだ』と助言したんだ」(略)

西海岸に移る前、彼は短期間だがニューヨークでスライと仕事をしたことがあった。「『ウッドストック』のアルバムの、彼のパートのミックスを担当した。(略)

『フレッシュ』の録音に際して、「元々あったパート全部をテープに録音し直して、その上にどんどん重ね録りしたよ。パートごとにバラバラに、一度に一つの楽器しか録音できなかったので、タイムを揃えるためにやつはリズムキングっていうドラムマシンを使ったんだ。やつはそれを『ファンク・ボックス』って呼んでいたっけ。それぞれ違うグルーヴの出るリズムが入っていたからさ。まあいってみればちょっと立派なドンカマってところかな。テンポを調節できるし、拍子を選んで、それを微妙に変化させることもできるんだ」既存のリズムエースの進化形とも言えるマエストロ・リズムキングが作り出すトーンは無機質で、本物のドラムセットの生音の質感を欠いてはいたが、独特のしなやかなグルーヴを生み出した。

「スライのレコーディングのプロセスはとても斬新だった」とトムは続ける。「彼はドンカマを使ってパートごとに録音した最初の人間だ。やつはよく全部のパートを自分で演奏したからさ」そのためにドンカマに合わせて演奏する必要があった。「もし誰か他にやつより上手にできるのならそれでも良いけど、大抵やつのほうが誰よりもうまく演奏できたんだ。やつよりうまいのは弟のフレディ以外いなかったよね」

(略)

 スライの要求に応えるため、時に困難な、だが興味深い機転も利かせなければならなかった。スタジオでの従来のやり方を破り、スライはレコーディング・ブースではなく(略)コントロール・ルームで楽器を演奏することを好んだ。「(略)これにはちょっと頭を抱えたね(略)スピーカーからの『返り』があるんだよ」スライがファミリー・ストーンと吹き込んだそれ以前のレコーディングは、標準的な方法に近いやり方だった。(略)

だがスライ単独でやり始めると、「やつはパートごとのトラックを一つひとつ吹き込んだ。やつがすごいのは、頭の中で全部のパートを合体させていることなんだ。やつは最終的な完成形がどう聞こえるか、ちゃんと想像できているんだ。だから個々のパートが何をすべきかも理解しているのさ」

 傷心のデイヴィッド・キャプラリックに代わり(略)マネージャーに就任したケン・ロバーツは、伝えられるところによると不要な経費を削減するために、プレーヤーたちを手放すようリーダーのスライに薦めたという。スライ自身はこの助言を今でも快く思っていないが、一方トムは、スライがバンドと切り離されたことの隠れた意義も見出している。スライはどんな雇われミュージシャンよりも「すべてのパートを上手に演奏できた。それに自分はどういう音にしたいか分かっているから、それを誰かに説明する必要がなかったんだ」と彼は信じている。

(略)

[「ベイビーズ・メイキン・ベイビーズ」]

「一緒に仕事しているときに、必ず曲中の一個所でやつが『こいつはすごいファンキーだ!この四小節は本当にファンキーだ!』って言うんだ。実際そうだったよ。そこでやつが『トラック全体がこんなだったら良いのに』と言うのさ。(略)

『どうにかして全部そういう風にできないか?』とやつが言うので、俺は『分からないけどやってみるよ』と答えたよ。当時二インチのテープを使っていたので、その晩は『居残り』をしてその四小節のコピーを二百ばかり作ったんだ。その後カミソリを使ってそいつらを全部切ってくっつけたよ。翌日やってきたやつは、大満足だった」

「俺が知る限りでは、あれは今で言うマルチトラック・ループが作られた最初のレコーディングの一つじゃないかな。(略)

とにかくこれは(スライが)発明したと言ってもいいものの一つだよ。

ラリー・グラハム脱退

[72年アポロ・シアターでのスライ復活ライヴ]

「フレディはアポロで失神したんだ」とパパ・バンクス(略)「俺が思うに、誰が一番ハイになれて、ぶっ飛べるのかっていうことだったらしい。フレディは常にスライの関心を惹こうとしていた。みんな他の人よりももっとハイになろうとしていたんだ」

 競い合うといえば、ラリー・グラハムは、スライと張り合って自分をより男らしく見せようしていた。バンドが結成されたその日から、ラリーはスライのリーダーとしての資質に対して疑いを突きつけており、実際、ハンサムで、ステージでの気取った立ち居振る舞い、よく響くヴォーカルと他の追随を許さないベースのテクニックを持つラリーが、観客の注目をスライから奪ったとしても驚くに値しない。裏ではローズや、フレディの妻シャロンとの情事の噂も立っていた。最終的にラリーは、荒っぽくてタチの悪そうな取り巻き連中を、自分のまわりに集めて従えるようになった。『暴動』制作時、ラリーのベース・パートは、スライが求めまた時には捨てた、数え切れないオーバーダビング用トラックの一パートでしかなかった。「スマイリン」ではスライ自身がベースを弾いている。「他のバンドメンバーたちと一緒には何も演奏しなかったよ」とラリーは『モージョ』誌にこぼしている。そして『暴動』での彼のスラップ・ベースは、明らかに以前より存在感が薄くなっていた。

 一九七二年の末、スライとラリーそれぞれの「ボディガード」同士が、ロスのキャヴァリエ・ホテルで衝突した。パパ・バンクスとその相棒のラリー・チンは、PCPでハイになっていた上に(略)『時計仕掛けのオレンジ』に触発されて、ラリーの子分、ヴァーノン・“ムース”・コンスタンとロバート・ジョイスに拳や足、それに杖を使って襲いかかったのだ。スライの部下たちはまた、ラリーを捕まえてこいと命令されていた。彼が造反しているとスライが思っていたうえに、スライの命を狙っているという噂があったのだった。こうした事態に危険を察したパット・リッゾは、ラリーと恋人のパトリスを捜し出し、キャヴァリエ・ホテルの彼らの部屋からこっそり連れ出して難を逃れさせた。後日サンフランシスコでケン・ロバーツがラリーを説得しようと試みるが、ショックを受けたラリーは命の危険に恐怖をぬぐえず、バンドに戻ることには応じなかった。

(略)

 スライは代理のベーシストとして、ラスティ・アレンを起用した。ラスティは他ならぬラリー本人によって指名されたのだった。(略)

ラスティは『フレッシュ』ですぐバンドに溶け込み、特に「一緒にいたいなら」では耳に残るベースラインをつむぎ出している。(略)

ラリーの打楽器的に弾くベースよりも、モータウンの大御所ジェイムズ・ジェマーソンのメロディックな奏法に影響を受けた新人のラスティは、二つのスタイルを巧みに融合した。(略)

「俺のは言ってみれば軽めのスラップで、親指を弦に対して垂直にして、親指の横の部分だけで、また時にはちょっとだけ爪を使って弦を叩くんだ」この効果は、サイケデリックなファンクからスタジオ仕立てのソウルへと、スライの音が変化するのに少なからず影響している。

 もう一人、本物の生のドラマーを探していたスライは、パット・リッゾの勧めで(略)アンディ・ニューマークを起用した(略)

ドラッグでぶっ飛んでベッドにうつぶせになっている(略)スライは何とか「あんたファンキーかい?」とだけ訊くことができた。アンディはそうだと答えてから、そばにあったドラムセットに座って一分弱ほど叩いた。スライがフレディに頼んだグレッグの一時しのぎの代理、ジェリー・ギブソンを外すよう決めるには、それだけで十分だった。ファミリー・ストーンの新メンバー変更の中で一番の掘り出し物だった、と多くの人がみなすアンディだが、その後デイヴィッド・ボウイやジョージ・ベンソンルーサー・ヴァンドロスと共演し、ジョン・レノンの最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』にも出ている。

トム・フライ 

 スライは、彼が「スーパーフライ」とあだ名したトム・フライに対して、他の多くのスタジオ・スタッフよりもはっきりと尊敬と信頼を示していた。(略)

[悪い噂があったスライだが]俺のことは王様のように扱ってくれた。とにかくうまが合ったんだ。思うに俺がやつを手助けしたくて、ただ報酬のためだけにいるんじゃないんだ、ということが分かったんじゃないかな。それに、結果が気に入ったんだと思うよ。出来上がった音がね」(略)

またトムは、スライの母アルファが、子供の誰かに連れられないで家に入ることを許した最初の白人だと、スライは明かす

(略)

 そのお返しに、トムは顧客の気まぐれな要求に忠実に従いつづけた。「(略)やつがギターのパートを録っていて半分ぐらいできたところだった。そこでやつは、『あのさ、本当は新しいギターを使いたかったんだよ。問題はそれがロスにあるんだよね。ロスに行こう』」って言うんだ(略)曲を用意して、俺が『じゃあアタマからやるかい?』と訊くと、やつは『いや、前に止めたところから入れてくれ』と言うから、俺は『でも別のギターじゃないか、スライ、違った音がするよ』と言うと、やつは『いいんだ、とにかく録ろう』と言うんだ。そこで録音してみると、曲に独特の変化が起きたのさ。最初の(ギター)はとてもクリーンなサウンドで、ジャズギターみたいなんだけど、ロスのギターのほうはよりロックっぽくてもっと歪んでいるんだ。怪我の功名ってやつだな」(ギタリストとしてのスライはよく、シャリシャリ鳴るフ ェンダー・テレキャスターを使っていることで知られていたが、『暴動』の時期とそれ以降、より太い音のするギブソンレス・ポールをスタジオ、ステージともに使うようになった。

『スティック・アンド・リック』 

[アンディ・ニューマークに代わったビル・ローダン。パラマウント・スタジオでボビー・ウォーマックを待っているところにスライ一行到着、ちょっと叩いてみせて言われ]

(最初の)曲を終えたとき、 コントロール・ルームが大騒ぎになっているのが分かった。(略)スライが俺の方を向いて、『お前はファミリー・ストーンの仲間入りだ』って言った。(略)スライは当時、レギュラーでフルタイムのドラマーがいなかったんだ。やつは、スタジオとライヴ演奏の両方ができる人間を求めていたんだよ」

 スライのおかげで、彼のキャリアも前進し、テクニックも上達したとビルは言う。「やつのずばぬけたリズムのセンスをどう解釈したら良いか、教わったんだ」と。「やつはいつも俺のことを『ロード』と呼んでいた。それでこう言うんだ、『ロード、だらしなくタイトに、そしてぐじゃぐじゃでクリーンに叩いてくれ』ってね。そしてスライはドラムの後ろに座って、どういう意味なのかやって見せてくれた。それは何というか、バラバラでルーズなんだけど、ビートを置く位置はピシッとタイトなんだよ。『普通の』ドラマーがするのとは違うやり方でバスドラムとスネアのビートを配置するんだけど、聴いてみるととっても納得できるんだ。やつの音楽的センスはすごいよ。

(略)

『スティック・アンド・リック』と俺たちが名づけることになるビートを俺が考え出したときに、スライはものすごく興味を示した。(略)

そのグルーヴは、ジェイムズ・ブラウン全盛期のドラマー、ジャボ・スタークスを聴いてヒントを得たんだよ」

(略)

 エンジニアのトム・フライも、スライは音楽の革命児でありつづけ、レコード制作でよく使われる小細工を極力避けていたということをあらためて認める。「やつは本当にタイトな音を求めていた。やつは(レコーディングで)鳴った楽器の音がすっと消えてなくなるのを好み、音がいつまでもフワッと残っているの嫌った。やつはリヴァーブを過多に用いるのを嫌がったんだ。(略)

[大きな空間や洞窟の中のような残響は求めていなかった」

ジョージ・クリントン

「俺にとってやつは崇拝の対象だよ。『ダチ』だ何だっていうのとは次元が違うんだ」とジョージ・クリントン(略)「『スタンド!』を聴いたとたん、理屈抜きに打ちのめされたよ! あのバンドは完璧だった。そしてスライは、ビートルズモータウンのすべてを一つに合体させたみたいだった」

2006年秋 

 ヴァレーホの西端、国道八〇号線と平行に走る大通りの、日当たりの良い角のところに、チャーチ・オブ・ゴッド・イン・クライストに属するエヴァンジェリスト・テンプルはある。(略)

フレディ・ストーンとして知られていたフレデリック・J・ステュワートはこの教会の牧師となって二一世紀を迎え、一番下の妹(略)ヴァエッタ、別名ヴェット・ストーンはこの教会の正規の信徒だ。

(略)

[フレディは]今や教会の長老の一人としての風格を備え(略)礼拝の式服の上に肩からエレキギターを掛け

(略)

礼拝堂の前の方ではまるでライヴ直前のように、フレディのギターの音や、ドラムの若い男がパラディドル をする音が漏れ聞こえてくる。そんなフレディをキーボードで支えるべく、カーツウェルには[娘の]ジョイが、そして長兄のスライが好んで使ったハモンドB-3オルガンのところにはヴェットがスタンバイしている。

 予定どおり正午きっかりに始まった礼拝の冒頭で、「主に向かって喜びの声をあげましょう! 主よ、私たちが必要とするものが何であれ、あなたに感謝します。私たちに不必要なものが何であれ、それを取り去ってくださることに感謝します」とフレディが宣言した。

(略)

フレディも少しばかりソウルフルなギターソロのブレイクを折々に演奏し、まだその腕が健在であることを示すいっぽう、彼の妻がタンバリンを叩いてドラムを補っている。

(略)

 ロサンゼルス近郊の殺人的な暑さの丘の家から、ナパ郡の牧歌的な、そよ風の吹く高原にやってきたスライは、彼の弟と妹の一人と近しくなっただけでなく、彼の子どもたち(略)との距離も近くなった。また、もし彼がその気になりさえすれば会えるくらいの距離に、他のファミリー・ストーンのメンバー三人も住んでいた。

(略)

[マリオ・エリコ談]

スライはほとんどの日々は、何時に活動を始めるにしろ、もっぱら「音楽づけなのさ。店に乗り付けて雑貨やら服やらを買って、そうしたらもう後は家に戻る。やつはコルグ(のキーボード)を買った。一万五〇〇〇ドルぐらいしたんだぜ。もう楽器の前から離れないでさ、とにかく楽しんでいるよ。

2007年1月13日 

 一一曲目の「エヴリバディ・イズ・ア・スター」の後で、スカイラーが「なあみんな、今夜は歴史的な夜なんだ!」と観客に思い出させた。そしてついに、スターその人がステージに歩み出た。そして、恍惚としている群衆にたいしてもっともな反応をしてこう言った。「この中に果たして、俺と同じくらい年を取っている人がいるかな?」彼は、前回グラミーの式典で着けていたブロンドのモヒカンを再び着けていた。ミリタリージャケットの上にマントを羽織り、赤いスカーフをあしらっていた。サングラスが彼のぎらぎら輝く大きな目を隠している。

 続く二曲は、彼の二人の娘たちが一風変わったスタイルで熱演しスライをサポートした。

(略)

スライがステージを歩き回り、前方に出てくると、彼を愛してやまない観衆からの歓声とカメラのフラッシュに迎えられた。目に見えて嬉しそうなスライは、それに応えてタイムリーな選曲で「サンキュー」を始めようとする。彼は間違ったキーで曲の出だしを歌ったが、誰もとがめる様子はなかった。はにかんだような笑いを浮かべながら、マリオに導かれてステージを降りると、スライを待ち受けていたニールと恋人のジェニーンが祝福した。さっきまで辛抱強かった観客は「スライが観たい!」と大声で繰り返し叫んでいた。

(略)

[ヴェットが]アップテンボのゴスペル・サウンドを演奏した。するとスライがまたステージに戻り、三七年前にウッドストックで何十万もの群衆を引っぱったように、「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイアー」のサビの部分で会場中の観客をリードした。その後、彼はまたステージを去った。