デヴィッド・ボウイ インタヴューズ その4

前回の続き。

デヴィッド・ボウイ インタヴューズ

デヴィッド・ボウイ インタヴューズ

  • 発売日: 2016/12/17
  • メディア: 単行本
 

「いつかすべてが君のものになるかもしれない……」

『NME』紙 93年

[スウェードのブレット・アンダーソンとの師弟?対談]


 1970年代にボウイが発明したグラム・シーンからスウェードが決定的な影響を受けているのは周知の事実であり、ボウイの新作「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」も10年にわたって荒野をさまよった後、洒落たスタイルに戻った内容を持つとされていることを考え合わせた時、彼らを会わせるというのは素晴らしいアイディアのように思えた。

 そこで私はボウイのためにスウェードの曲を集めたテープを作った――私は時々ボウイにテープを送っている。(略)

ボウイの返事は、ありがとう、でもこれはごめんだ、というのが常だったが、今回は異なっていた。「君が送ってくれたすべてのテープの中で、これは凄いと即座に感じたのはこのテープだけだったよ」と、彼は後に語っている。ブレットと会うことにボウイは同意した。私はブレットにそのことを伝えた。その時点までブレットには何も知らされていなかった。

(略)

 とある気怠い午後、ブレットに自らの新しいアルバムを聴かせるためだけにボウイが借りたカムデンのスタジオで私たちは落ち合った。ブレットは緊張していたが、ボウイは自信に満ちていた。彼らは一緒に写真を撮った。その日、ボウイは1973年にウィリアム・バロウズと一緒に行なったフォト・セッションのコンタクト・シートを持参していた。今日のボウイの格好は、まさに当時のバロウズのようだ――グレーのスーツ、白地にダーク・カラーの細いストライプの入ったシャツ、そしてバンドが付いたフェルト製の中折れ帽、一方のブレットはタブロイド紙が“慈善バザー風シック”と名付けた、いつものブレットらしい格好だ。

「いいかい、僕がビル(ウィリアム・バロウズ)になるから、君が僕の役をやるんだよ」 ボウイがブレットに話しかけ、そこから緊張が解け始めた。

 写真撮影が終わると、私たちはスタジオに入りボウイの新しいアルバムから数曲を聴いた。

(略)

ボウイがサックスの音で遊んでいるやり方をブレットが褒めると、ボウイは楽器を取り巻く鼻持ちならない純粋主義を嘆いた。「何をやっているか自覚がない時こそ素晴らしいんだ」と彼は言った。

(略)

ブレットはトイレに行った。

 「彼は若い頃のジミー・ペイジに似てないか?」と、ボウイは尋ねた。「初期の僕のセッションでペイジは何度かプレイしているんだ。その頃、彼(ブレット)は6歳くらいだったんだろうな!(笑)。ブレットはペイジにそっくりだよ。信じてくれよ、こういうことについては僕はかなり当たるんだ。彼が微笑んだ時なんて特に……」

(略)

 曲が終わるやいなや、ボウイはインタヴューに移ることの恥ずかしさを排除するように、ポスト・モダンに関する長くて詳細な疑問を口にし始めた。

(略)

「でも、自分たちでは気づいていたのかな。自分たちのコード進行が深く関わっていたのは……実際には、僕の、というよりは、そう、むしろ君たちはロキシー・ミュージックにずっと近いと思うが」

 自分が話の流れを作り出さずに済んだことで見るからにほっとした様子のブレットは、ポスト・モダン主義という思想には常にうんざりしていた、と応えた。「僕たちはそれとなく過去をほのめかすことで、人の心に政治的な考えや文化的な考えを引き起こすきっかけを与えたいと思ったことはありません、デニム(*1992年から1997年にかけて活動したイギリスのバンド。グラム・ロック風のサウンドを出していた)のような人たちとは違います。あれはあまりにも理論的過ぎる。自分は単に、精神面ではなく感情面であの時代の様々な要素に共鳴するというだけなんです。あなたからは多くのものをんでいるけれど……特にオクターヴ低いヴォーカルとか、そういうものについては、曲に与える効果が気に入っているというだけだし、曲をより暗いものにする感じとか。

(略)

[回想するボウイ]

今になって振り返ると、僕たちは本当に小さな、おかしなジャンルに入れられていたんだ。スウィートなどを除くと、本当に機能していた存在は少なかったからね。グラムやグリッターとして知られていたものは、音楽的にはムーヴメントでも何でもなかった。とても限られていて、大西洋のこちら側では、僕とロキシー・ミュージックマーク・ボラン、それにまあ、ある程度はスレイドもそうだった、というところかな。」

(略)

ブレット:(略)僕はいつも、あなたはむしろイギー・ポップルー・リードの系列だと考えてきたんですが、人はそうは考えずに……」

ボウイ:そうなんだ。実際、彼らの方が僕にとっては仲間なんだけれど、常にイギリスの方に入れられてしまって……まあ、ニューヨーク・ドールズもある程度は近いが、でも……ああいう人たちとは違う……何という名前だったかな?エリザベス・クーパーか(笑)。アリス・クーパーは単にマスカラをつけたロック・バンドに過ぎない。彼らはイギリスのバンドを観るまでシアトリカルなことをやってもいなかったんじゃないか。僕たちがやっていたような非常にヴォードヴィルっぽいものや、ロックのパロディに対する後悔を抱かせるようなものというよりも、彼らはむしろフランク・ザッパに近いように僕たちには感じられた。

(略)

当時の僕は、ステレオタイプにはめられたくなくて、自分で自分をからかっていたんだと思う。(略)

でも、今は異なる見方をしている。今の僕は、自分がステレオタイプにはめられたくなかった理由は、自らの人生に求めているものは何なのか詳しく検証することを強いられたくなかったからじゃないのか、と思っているんだ。

(略)

[今度がブレットがアルバムのラフ・ミックスを披露]

 曲が流れ出す。ボウイは目を閉じて官能的なコーラスにうっとりしているような振りをした。彼はブレットのヴォーカルと歌詞を褒めた。(略)「君の作品には日々の胸刺す思いがはっきりと表れている」(略)

「多くの労働者たちに威厳を与えるべくスウェードの若者たちがやってきます……」。ボウイが、第二次世界大戦当時のニュースキャスターの気取ったアクセントを真似する。

(略)

 「僕はいつもちょっとした主張を持たせることを目指しているし、それをエレガントなものにしたいと思っているんです」とブレットは笑う。「肝心なのは、実際に他の人たちに向かって話しかけること。僕は自分自身のために何かをやったことは一度もありません。思想は、それが受け入れやすい形で広められない限り、僕には本質的には全く役に立たないものです。

 モリッシーの素晴らしいところはそこなんです――彼のような思想をもった人たちはこれまでにも大勢いたし、彼の思想は取り立てて革新的なものではありません。でも(略)一般の人たちに向けてその思想を彼が初めて表現したという事実(略)それこそが彼の凄いところです」

ボウイ:しかも彼は性的な感覚を与えずにやったからね。モリッシーの曲の多くは、本当に性的な感覚がない。性的な状況について語っていても、人を釣る性的な餌はない。人はヴェルヴェット・アンダーグラウンドや、今ならニルヴァーナのようなバンドから大喜びで灰色の苦悶を感じ取っているんだろう。そこからはセックスがしたたり落ちているからだ。だが、モリッシーは限界までそれを中性的なものにしてしまった。そこのところが、公正さを欠くように見えるようだ。彼に対して多くの敵意が向けられるのもそのせいかもしれない。

ブレット:ザ・スミスもお好きでしたか?

ボウイ:いいと思ったよ、時間の経過と共にどんどん好きになっていった。すぐにファンになったわけではなかったな。ピクシーズが解散したのにはかなり心を乱されたことも言っておかなければ。あのバンドは大物になる、と思っていたんだ。だから、ニルヴァーナが同じような音楽のダイナミクスを使って登場してきた時にはいささか憤慨もしたのさ。わかるだろ、ヴァースは抑え気味でコーラスで突然ヴォリュームを爆発させるやり方だ。それに、当然ながらチャールズ(*ブラック・フランシスの本名)の歌詞の方がずっといいし。彼の歌詞は素晴らしいよ。今は二番煎じのようなバンドだらけだ。

(略)

 ――あまりに多くの人にティン・マシーンはつまらない、と言われたことで、逆にあなたのアティテュードが復活したのでは?(略)

ボウイ:面白いことに、ティン・マシーンと一緒にやったことは僕に自信を持たせてくれたんだよ。1980年代の僕は自信を失っていて、自分と区別の付かない代役でも立てようか、という気になっていたんだ。「レッツ・ダンス」以降の2枚のアルバムのことは、いつもどうでもいい存在と見なしている。わざと深く関わらないようにしていたし、「ネヴァー・レット・ミー・ダウン」を今聞き返すと、もっと関わればよかったと思うが、いい曲がいくつも入っているからね。でも、僕は成り行きに任せてしまった。その結果、音楽的にはとてもソフトな仕上がりとなった。自分がもっと関わっていたら、ああいう風にはしなかった。

(略)

“ジャンプ・ゼイ・セイ”は、ある程度までだが僕の血のつながらない兄の印象に基づいている。彼が自殺したことに対してどう感じたか書こうとしたのは、おそらくこの曲が初めてだろう。(略)

クリームの“アイ・フィール・フリー”をカヴァーしたことにも個人的な理由がある。ある時、僕は兄と一緒に外へ出かけた。ブロムリーであったクリームのコンサートを観に行ったんだ。でも半分くらいコンサートが進んだ時に(略)彼が凄く気分が悪くなってしまって(略)クラブの外へ連れ出さねばならなかったのを覚えている(略)あんなに大きな音のものを、彼はそれまで聴いたこともなかったし、彼は僕より10歳年上だったのに、ロック・クラブに行ったことがなかったんだ。彼が若い時に流行っていたのはジャズだったから。僕がエリック・ドルフィを好きになったのは彼のおかげだ……。(略)

僕たちは道路へと出て、彼はそこで地面の上に崩れ落ちてしまい、大地が口を開けている、炎や様々なものが歩道の上にあふれ出てくる、と言った。彼の説明があまりに明解だったので、僕にも彼に見えているものが殆ど見えるような気がした

(略)

[ボウイの立場になることを想像できるかとブレットに尋ねるインタヴュアー]

ブレット:いいや、そういう風に考えるのはちょっと危険だと思う。自分の進む道に対して明確すぎる感覚を手にしてしまったら、きらめきが少し失われるだろうし。

 ――でも、自分が成し遂げたいことに対するアイディアはあるのでしょう?

ボウイ:きっと、違いを作り出すことだよ。

ブレット:痕跡を残すことだけですね。それだけです。決して抜けない棘になること。(略)今は、居心地よく暮らしたいとも思っていないし、個人的な調和の中で生きて行きたいと思っていない。現段階でそういう風に考えることは、とても不健事なことだと思うから。

ボウイ :へえ!教えてあげよう、息子よ……ははは。

ブレット:どうぞ、父さん!

ボウイ : そう、君は多くのことを諦めることになる、本当にね。

(略)

僕には息子がひとりいるが、非常に後悔していることのひとつが、息子の人生の最初の6年間、自分がそばにいてやれなかったことなんだ。それがずっと罪悪感と後悔の種になっているんだよ。(略)

自分が渦中にいる時は、自分がすべてを諦めているとは気づかないからね、後になって思うのさ。“ああ!本当に大切な関係を手放してしまっていたんだ。わかっていたなら”とね。

(略)

ブレット:(略)孤独という思いは僕を悩ませることはないですし(略)いつでも頼りに出来る、とてもいい友人たちがいるので(略)

ボウイ:いつでも頼ることの出来る友達か……いつか正体が暴かれる時がくるよ、若きブレットよ(笑)

ブレット:あなたは運命の予言者か何かですか?(略)

自分は支配したい、自分の夢も何もかも占有したい。重要なのはそれだけです。さもなければ、何の意味もない。

ボウイ:確かに、だからこそ関係面は空っぽのままになったりする。でも、最後は常に敗者になるんだよ。そのことに注意しておかないとね。

(略)

自分から関係を遠ざける方法を学んだことで、最終的にはある種の感情の犠牲者となってしまうんだ。(略)ある時点で突然、自分には関係を築く道具がないことに気づくのさ。まるで活用したことがなかったから、自分でもどうしたらいいかわからない。

『タイム・アウト』紙 95年

[『アウトサイド』プロモーションでイーノとの鼎談]

イーノ:私が思うに、アーティストから“意味する人”――つまり、何かを言おうとこころざし、それを人々に伝えようとする人――である責任を取り去って、ただの通訳の位置におくようになってきているのではないかな。

ボウイ :アーティストが真実を明らかにしていた今世紀初頭から、今度はアーティストが“悪い知らせだ、問題はお前が思っていたより遥かに込み入っている”と問題の複雑さを明らかにするように変わっていったという感じだな。

(略)

あるいは、現代のシステムが過度なまでに複雑なため、多くのアーティストたちが文字どおり物理的な意味で自分たち自身の中に入り込み、肉体と精神の会話を生み出している、という事実と関係がある、とも言える。

イーノ:そうだね。サイバーカルチャーと情報ネットワークの真ん中で突然「私は肉の塊だ」と言ったら衝撃的だろうな。

(略)

 ――あなたは最近、初めての個展も開きました。20年間にわたる自分の作品を一般大衆や評論家の厳しい目にさらすのは、恐ろしいことだったでしょう。

ボウイ:いいや、全然そんなことはなかった。(略)

何で自分がそんなことをやったのか、ちゃんと自覚していたからさ。ははは!

イーノ:つまり、何かを人にみせたり、レコードをリリースしたりするというのは、他者のありとあらゆる解釈に向けて自分を解放することなわけで、もはや自分に属するものではなくなるのだよ。私は自宅に未発表のテープを大量に持っているが、それが市場に出て、レコード棚のイーグルスの隣に置かれるようになった途端に、その音源に対する自分の感覚は変化してしまうんだ。私に殆ど共感を持たない、本当はイーグルスのレコードを探していたはずの誰かが、偶然自分の作品を手にするところをいきなり想像したりする。そして、彼らの耳を通して、自分の作品を聴き始めるようになるのさ。だから、作品を世に出すということは、その作品をより豊かなものにしていることになると私は思う。自分自身のために豊かなものにしているんだよ。様々な形の鏡に映った像を目にするわけだから。

『NME』紙 95年

[編者による解説]

 この記事が発行される10年以上前、『NME』紙の昔ながらの温かみのあるスタイルは、硬派の左翼のイデオロギーと、新世代の偏向ジャーナリズムに取って代わられていた。その結果、この音楽新聞に関わっているライターたちの中には、つばを飛ばさんばかりに情熱的に、読者に向かって本当の意味での議論を繰り広げるものもいた。

 スティーヴ・ウェルズもまさにそういう存在だった。

(略)

かつては過激だったボウイのオーラも、取材当時のイギリスの先端を行く特定の左派にとっては、関心を惹くことはなかったのだ。

 かっこうをつけた、自分を大きく見せようという語り口にも関わらず(略)ウェルズは興味深いポイントを突いている。1970年代初頭、ボウイはいかにして嫌悪感――すなわち彼の同性愛的傾向――をセールス・ポイントにしたのか、という部分である。

[ここまでが編者によるインタヴュアー解説]

(略)

 ほら彼がいる(略)ノームの頭蓋骨の形をしたグラスから濃いピンク色のカクテルを飲み、黄緑色のモニタートカゲの胎児味のポテトチップを食べている。(略)

[延々これから会うボウイへの過激な妄想が綴られて]

(略)

 いや、そんなことは起こらない(略)

彼はそこにはいなかった。古着店で扱っているぼろぼろの革のコートを着て、無精髭を生やし、(ハリファックス・マーケットで)2ポンド99ペンスで売っているサングラスをかけたどこかのホームレスが、カビの生えたジャガイモ袋のようになってカウチの上で寝ていただけだ。

 私が腹を立ててこの人間の残骸を眺めていると、宣伝担当者がにじり寄ってきて私の耳にささやいた。

「デヴィッドは酷い時差ぼけで、とてもとても疲れています。今すぐインタヴューを始めてもいいですか?」。その時、やっとわかった。(略)“汚れた”カウチの上で居眠りしているのはデヴィッド・ボウイなのだ。

(略)
僕は、ずっとある問題を抱えていて……」

 自信の欠如ですか?

「そう、それもかなり酷いものだ。初期の頃は、自分は本当にうまくやっているのだ、と信じようとすることが僕にとってはとても重要だった。うん……」

(略)

 それではティン・マシーンの時期は辛かったでしょう。誰も気に入ってくれませんでしたから。

「いや、それが実際には僕自身はとても楽しんでいたんだ。僕は凄く気に入っていたんだよ。ティン・マシーンが引き起こした惨状を僕は非常に気に入っていたのさ(笑)。未だにあれだけの敵を自分が呼び覚ますことが出来る、という事実。僕はずっと幸運だった。誰も僕に対して関心を持たなくなることがなかったからね。これまで無関心さを感じたのは、1980年代中頃、僕が“無関心なアルバム”たちを作っていた時だけだ。あの時、僕は月並みであるとはどういうことか知ったのさ、わかるかい?実際、皮肉だったのは『トゥナイト』も、もうひとつの方、名前が思い出せないな、えーと、ああ『ネヴァ・レット・ミー・ダウン』だ、どちらも僕に新たな教訓を与えてくれたことだよ。くずみたいな作品でも売れるってね。わははははは!酷い曲ばかりで、本当に最悪だ」

次回に続く。