ノーバート・ウィーナー伝 その4

 前回の続き。

 ロスアラモス

フォン・ノイマンは、水爆に関する秘密研究を継続するために、ロスアラモスに通っていた。ウィーナーは定期的にメキシコへ行き(略)ローゼンブルートの研究室で、生きた組織からコミュニケーション過程に関する実験データを引き出すことになっていた。(略)

 ウィーナーは、新しい科学と国境の南の光景にわくわくしていた。荒々しいメキシコの光景は、最初に高地の砂漠の空気を吸ったときから、ウィーナーを喜ばせていた。カンパニャの日干し煉瓦の住居、この国の配操した気候に抵抗するみずみずしい草花

(略)

ウィーナーとローゼンブルートは、かつての戦争でおなじみになったことにぶつかった。「非常に大きなフィードバックの病的状態」によって生じる特異な問題である。(略)

電気刺激のレベルを上げて、猫の神経の「負荷」を増すと、猫の脚は間欠的に痙攣し、暴走する砲塔よりも大きな、異常な振動をするようになる

(略)

 猫の脚を流れるパルスの流れは、二人が予想していたような線形(略)ではなく、対数的だった。(略)

その数値は、震動するサーボ機構の痙攣のようなふるまいを研究した機械工学者が得た、信号とメッセージの最近の測定結果とも、すでに一九二〇年代に、雑音の多い電話線を通る信号の伝送率を調べた電気技術者が得た測定結果とも、ほぼ同じだった。

 ウィーナーはこのつながりの意味を詳しく調べ、数か月後、独自のすばらしいつながりをつけることになる。

コンピュータはジレンマを処理できるか

一か月後、メイシーのグループ全体が、夏の研究結果を報告した。(略)

またしても、ウィーナーは、フォン・ノイマンによる、今度は論理と学習の両方のために設計、プログラムができるはずのコンピュータの議論から、「逆説を取り除く試み」に対して反対意見を述べた。

 ウィーナーにとってこの問題は、とくに推論し学習する機械が、人間の判断に代わるものとして社会で動くようになるとした場合の気がかりとなりつつあった。このような機械は、危機的な状況で複合的な判断ができるようになるだろうか。その推論は、同様の――あるいはそれほどでもない――判断を迫られた場合の人間と比べて「合理的」になるだろうか。人生には避けられないジレンマをどう処理するのだろう。

(略)

 第二回の会議では、めざましいニュースはもっとあった。ピッツは(略)計算機の論理計算を、平らな二次元の図式から、立体的な三次元モデルに拡張して、脳の生きた通信ネットワークにもっと物理的に似るようにすることを唱えていた。(略)

 ランダムな神経ネットの数理と論理を解析するというピッツの計画は、集まった天才の一団を仰天させた。

 エントロピー

記録に残る最初の発言で、ウィーナーは情報を、エントロピー、つまりメッセージのランダムさを表す関数として、物理学的な言葉で定義した。できるかぎり平明な言葉で、参加者に向かって、「ここでのエントロピーは、メッセージに含まれる情報量の否定として現れるものであります。……つまり、基本的に言えば、情報量は、エントロピーの否定(負のエントロピー)だということであります」。

 ウィーナーの情報に関する新しい物理的なとらえ方は、通信工学にとって、革命的な一手だった。

(略)

 ウィーナーはもう一つ重要な結びつけを行なった。一九四〇年にデジタル計算機についてしたように、情報の尺度として二進法を取り入れたのだ。(略)

情報が電話線を伝わろうと神経組織を伝わろうと、どんなメッセージでも、情報量を計るときには、

 

 桁数は、2を底とする対数になるのであります

 

と断言した。

 ウィーナーの奇行

 ウィーナーの新しい名声は、日常を変えることはなかった。MIT周辺では、「ウィーナーの姿はおなじみで、扁平足で立ち、口の高さに右手で葉巻をもち、学生、用務員、事務職員、どぎまぎしている同僚に、警句や科学の奥深い話を、誰に対しても楽しそうに、滔々と話していた」。二号棟にある研究室には、数学のメモが書きつけてある破れた紙が散らばっており、職場で面倒を見る秘書が代々それを片づけていた。自宅ではマーガレットがそうした。

(略)

その格式ばった話し方も、多くの人にはきざったらしく映った。(略)その現代的な科学思想にかかわらず、ウィーナーは、だんだん歩く時代錯誤に見えるようになった。(略)

ミルドレッド・シーゲルは、ウィーナーが、同僚が担当していた初等微積分の授業を教えようとして失敗したことを憶えている。「先生は教室へ来て、黒板に書きはじめると、ただ書いて書いて書いて書いて、突然、さあどうだという顔をして部屋を出て行って、もう戻ってこないんです」。(略)

私は微積分の問題で困っていたので、『先生、この問題はどう解きます?』と言ったら、それを見て言いました。『答えは5ですな』。私は『先生、私はわからないんですが』。『別のやり方をしてみますかな』と言って、問題を見て少し考えて、『答えは5ですな』。私は二度とウィーナーには訊きませんでした」。

(略)

[ウィーナーが前ぶれなく立ち寄っては自分の最新のアイデアの話をするので]

時間や集中力を奪われたくない人もいた。ある工学者グループは、ウィーナーが入り込んでくるのをいやがって、自分たちで『ウィーナー早期警戒システム』と呼ぶ、極端な対抗策を考案した。(略)「ウィーナーが来るのが見えるところに、誰か一人を配置しておく。この人が他の人に警報を発し、受けた人があらゆる方向へ、トイレにいて見えない人にまで広める」という。フェイギー・レヴィンソンは、ウィーナーが来るのを見たとき机の下に隠れた同僚がいたのを憶えている。

(略)

ウィーナーが有名になると、「MITの他の連中が自分のことをどう思っているか」を知ろうとして、教員仲間にうるさがられた。話が他の研究機関の人のことになると、「ウィーナーの最初の質問は、『その方々は、私の研究のことをどう思っておられますかな』でした」。

(略)

肥満のせいで、年をとるにつれて、仕事のときにも眠ってしまう頻度がますます高くなった。セミナー中のいびきは娯楽の対象になって、ある年、ハーヴァードとMITの数学シンポジウムのとき、講演者が、話している間じゅうウィーナーの目を覚ましておくことができるか、賭けをしたほどだ。

(略)

最前列に座って、講師が話を始めると、葉巻に火をつけて、新聞を読みはじめ、それから居眠りをします。灰がどんどん長くなって、参加者全部が、ウィーナーの葉巻に目が釘付けになって、灰が新聞に落ちて、ウィーナーに火がつくんじゃないかと思っていました」。

(略)

[スライド上映で]明かりが消えた中、スライドの横の暗がりに光がちらちらするのが見えました。ウィーナーの葉巻でした。突然、とんでもない大きな音がして、赤い光が跳ねました。先生が眠ってしまい、椅子から落ちたんです」。

 ウィーナーの奇行の話は、年々大きくなっていった。自宅の食事に招かれた客がやってきても、「自分が十分食べるやいなや立ち上がって、『それでは、私は上へ行ってひと眠りいたしますよ』と言って、いなくなるんです」

 決裂

[夫の生活と職業に支配的地位を確保したい妻のマーガレットが夫にウォーレン・マカロックのあることないことを吹き込み、チームは決裂]

 マカロックは、事件全体で戦争神経症になった。

(略)

いちばんきつい打撃を受けたのはピッツだった。(略)

「ピッツはウィーナーがとても好きでした。ウィーナーは、ピッツにはなかった父親になっていて、ピッツがウィーナーを失ったとき、自分の存在理由を失いました」

(略)

[ひきこもり酒浸りに]

「ピッツはそれまで書いたものすべてを焼いてしまいました。博士論文やら他の何やかやのために書いていた原稿すべてです。そのときから、ピッツは何もしませんでした」

(略)

 分裂がなかったら、たぶん、神経科学を何十年かにわたって支配していた脳モデル、脳の機能と組織の全か無かによる神経ネットワーク理論は、とっくに修正され、ウィーナーが生涯気にしていた、いまわしいアナログ処理を含むようになっていたかもしれない(略)

マカロック=ピッツ・モデルの欠陥が修正されていれば、フォン・ノイマンの自慢の基本設計は、フォン・ノイマン自身が求めていた、もっと真相に近い、もっと生物に似た計算方法を組み込むよう改良されたかもしれない。しかし、その仕事は、協調した共同作業が、計算機など、情報時代のあらゆる技術の、進みつつあった基本設計に影響を与えたかもしれない、まさにちょうどのときに、頓挫した。

(略)

「この件はサイバネティックスを台なしにしました」

ゲーム理論批判

ウィーナーは『サイバネティックス』に、「フォン・ノイマンがプレイヤーを完全に知的で、完全に情け容赦ない人間と描くのは、抽象的で、歪めている」と書いた。人間は、合理的な理由でも不合理な理由でも判断をするということを、ウィーナーは知っていた。人間は感情で動き、しばしば情報がなかったり、誤った情報が与えられたりする。しかも、競争の多くは、何人もの人がからみ、連帯もするが、「裏切り、変節、嘘」に終わる。(略)

 ウィーナーにとって、人間の生存はゲームではなかった。ゲームをするときの技巧的な形態は、「押し売り」や軍の戦略家には影響力があり

(略)

しかし、入り組んだサイバネティックスの系の動き方――そして人間のあり方や目的――の理解から、ウィーナーにとっては、フォン・ノイマンの冷ややかなゲームとしての取り扱いが堕落で、結局は無益であることは明らかだった。「長期的には、どんなに聡明で規律のない押し売りでも、破滅を予想しなければならない……ホメオスタシスの類はまったくない。はやりすたりの商売の循環、独裁と革命の循環、勝者のいない戦争に巻き込まれる。それが現代のあまりに現実の姿である」。ウィーナーは、フォン・ノイマンの、「人は自然法則として利己的で裏切る」という前提を、ぴしゃりと否定する。「誰も全面的に愚かでもないし、全面的に悪党なわけでもない」と、ウィーナーは書く。「平均的な人間は、自分の直接の関心を引くようになる対象についてはそこそこ頭が良いのであるし、自分の目の前にある公共の利益や個人の苦痛の問題については、そこそこ愛他的になるのである」。

カート・ヴォネガット・ジュニア

[ウィーナーは]サイバネティックスを利用しようという人々には、その目的が高邁だろうと低俗だろうと、何の助力もしなかった。「サイバネティックス大義名分にしていた人々にも懐疑的だった」と、ダーク・ストロイクは証言する。「(略)ウィーナーは私に向かってよく、『僕はウィーナー派ではない』と言っていた」。

 一九五二年の夏、その忍耐力が切れた。何人かのファンをしかりつけ、一人の若い作家に、根拠のない怒りをぶつけた。ニューヨークのチャールズ・スクリプナーズ・サンズという出版社が、ウィーナーに、二九歳の退役した元兵士の処女小説について、感想を求める手紙を送ってきた。作家の名は、カート・ヴォネガット・ジュニアといった。ヴォネガットは、スケネクタディにあるゼネラル・エレクトリック研所でのアルバイトを辞めて、自動機械と、技術者や技術官僚による新しいエリート階級に支配される社会を描く未来小説を書いていた――その社会は、GEの工業研究所で形をとりつつあるのを見た、ハックスリーが描くすばらしい新世界によく似たところだった。

(略)

ヴォネガットの小説『プレイヤー・ピアノ』は、自動化がもたらす人間の危機の預言者として、ウィーナーをたたえていた。そこには、フォン・ノイマンという名の架空の人物が出ていて、これをヴォネガットは、現代のラダイット抵抗運動の旗手のように描いていた。それを読んだウィーナーはかっとなった。ヴォネガットの出版社への手紙で、その新人に、「実在の人物の名を使ってでたらめなことを言っていると報いをうけると助言してやるよう」求めていた。(略)

何日か後、ヴォネガットはウィーナーに自ら手紙を書き、ウィーナーが取り上げていた難点について詫びたが、自分の本は、明らかに「今日行なわれている科学を告発するもの」であることは譲らなかった。

 ウィーナー自身、創作の領域に少々首をつっこんでいた。何年かの間、密かに推理小説SF小説を書くことに個人的な熱意を向けていた。(略)

一九五二年といういろいろあった年の間には、映画用に暗い物語のアイデアを考えていて、それを映画界のヒーロー、アルフレッド・ヒッチコックに(略)メキシコの科学研究室を舞台にした物語を売り込んだ。(略)ヒッチコックは返事をしなかったが、ウィーナーもすでに、次の本の企画で忙しかった。

 子ども時代の回想録が売れて、自伝の第二巻にかかっていた。(略)

一九二〇年代から一九五〇年代半ばにかけての、成長してからの人生と仕事に関するものだった。

「蛙の目」論文 

五〇年代の終わり、レットヴィンとその仲間は、神経科学の半世紀の方向を決めるような発見をした。蛙の視覚を研究して、脳の最も基本的な情報処理動作は、それまでにはありえないと考えられていたほどに、アナログの手段で行なわれていることを明らかにした。

(略)

 新しい発見は、ウィーナーに大きなジレンマをつきつけた。「蛙の目」論文は、それまでずっと自分が肩をもってきたアナログの情報処理方式を支持しており、脳と神経系の根本的な水準でアナログ動作していることに、異論の余地のない証拠を提供した。サイバネティックスの生物学的基礎を強化し、脳における生きた情報処理過程の新しい次元を明らかにした。(略)

ウィーナーは、自分が置き去りにした人々によって自分の科学が前に進められるのを、遠くから見ていた。それでも、ウィーナーはマカロックやピッツやレットヴィンに対して何の動きもしなかった。相変わらず、サイバネティックスの大使として世界を回って講演し、新しいテクノロジーの時代の希望と危険についての考えで、聴衆の頭をあふれかえらせていた。

究極の悪夢 

 この時期、ウィーナーのいちばん重大な心配は、他の多くの科学者の心配と同様、軍の自動化された核兵器システムと「フェールセーフ」の機構が、その電子的なスピードと自動応答戦略のおかげで、核戦争をする最終判断について、意志決定を人間の手から奪うのではないかということだった。自動機構と戦略は、フォン・ノイマンが先触れとなったゲーム理論に基づき、アメリカの軍部、政府、経済界、それぞれのシステムに、最高レベルの国の政策から、低次元の官僚的な水準まで、しみ込んでいた。同じ理想化された論理と計算原理は、新世代の、国中のAI研究所からあふれ出しはじめた、新しい人工知能プログラムに詳述された命令に沿って、失敗と成功から学習する能力を備えた高速デジタル計算機に、プログラムとして組み込まれた。

 ウィーナーは、これら戦略的な理論とプログラムは、人間の推論と判断に関するいちばん基礎的な前提のところに根本的な欠陥があり、このような原理の上に立てられている電子装置に信頼を置く人や社会は、自らをとてつもない危険に陥れていると思った。

(略)

 ウィーナーは、フォン・ノイマンの自動機械理論が可能にした別の見通しについても心配していた。AI理論とプログラム方法の前進は、自分でプログラムする自動機械の創造を可能にした。(略)

自分をプログラムし、自分の複製を作り、自動化された機械(略)

 恐ろしい機械が、その人工的に賢いコンピュータ・プログラムを複製し、変更している――これが、新しいテクノロジー時代についてウィーナーが考える、究極の悪夢の筋書きだった。(略)

その講演が一九六〇年春に同じAAASが出す《サイエンス》誌に再録されて、もっと広い社会に向けて、こう述べている「起動してしまうと、動作が高速で後戻りできず、完了してしまう前に介入する手段がないがために、有効な介入ができない動作をする代行機械――われわれの目的を達成するためにそういう機械を使うのであれば、機械に組み込まれてある目的が、本当に望む目的であって、ただ派手なだけの目的もどきではないことを確かめた方がよろしい」。