ノーバート・ウィーナー伝 その2

 前回の続き。

新しい二進法の論理  

電子通信という成長中の領域は、科学的に言うと、不毛な辺境だった。ウィーナーによる電子信号の調和分析のための新しい式は、日常的な工学の営みにはまだ応用されていなかった。

(略)

一九二四年にはすでに、ベル社の技術者は、ラジオ番組をAT&Tの電線を通して送信するには、ただの通話の場合に比べると約二倍の「通信文(メッセージ)」を必要とすることに気づいていた。AT&Tの設備を生かしきり、信号の送信速度と会社の利を最大にするには、「メッセージの大きさ」を決めて、「情報伝送」のための最善の符号化方法を決め、「 電話網によって運ばれるもの」を科学的に記述し、測定する、よりよい方法を決めなければならなかった。

 しかし、その曖昧模糊とした「もの(コモディティ)」とは何だろう。

(略)

 その研究の初めから、ウィーナーは、狂乱の二〇年代の光景と音を変えつつあった新しい電子信号は、ほとんど検出できるかできないかの「弱」電流からなることを見てとった。そのかすかな電気的作用は、電力技術の「強」電流の世界とは一線を画していた。

(略)

 全国の電信電話線を流れるおとなしい電流は、あきれるほどわずかな量の起電力で、現代的なメッセージとして、速まる電気通信を動かしていた(略)

この気まぐれな弱電流は、まったく量がわからなかった。(略)その動作は、川にできる波のワルツ、静止した水の中の花粉のぎくしゃくしたポルカ、バイオリンの弦のうなるような振動の方と相性が良くて、ウィーナーは、技術者や数学者の中にあって、それを科学的に征服できる特異な位置にいた。

 (略)

[ギブスの統計力学は電子信号という新しい領域に入るマスターキーであり、電子の動きを]

確実なこととしてではなく、「0と1の間の物差しの上で数学的に表される確率」として記述した。0はまったく不確かで、ありえそうにないことを表し、1は完全に確実で予測できることを表す。

(略)

ウィーナーは、新しい統計学的方法が絶大な利点をもたらすことを知っていた。

(略)

ウィーナーの新しい数学は(略)耳に聞こえる音だろうと、目に見える光だろうと(略)二次元だろうと三次元だろうと(略)ありとあらゆる振動を解剖し分析する、普遍的な道具立てとなった。

(略)
 ウィーナー自身は技術者ではなかったが、その論文では、自分の新しい統計学的方法が、電子回路をくぐる信号の流れを、その不規則な運動がもたらす耳障りな「雑音」から分離するために使えることを示した。

(略)

ウィーナーは、「どちらかを選んだ結果の無限の列」からなる電子データの流れを、新しい「二進数」の体系を用いて、データを二つの等しい確率の選択肢――0か1か――の列として表して、測定し、正確に予想する新しい巧みな方法を考案した。

(略)

間もなく、確率の宇宙全体を包含する二つの小さな数――0と1――と、新しい二進法の論理とそれが表す電子的な過程は、新しい通信技術の領域全体を支配することになる。しかし、当時はほとんど誰も、そのことを認識していなかった。(略)

 ウィーナーの以前の数学の論文と同じく、弱電流についての強力な研究は、MITの本拠地を超えて波紋を呼ぶことはほとんどなかった。

新種の計算機

一九二五年秋、MITの同僚は、初の現代的な計算機を作りにかかっており、ウィーナーはそこからの相談を活発に引き受けていた。(略)

[1642年パスカルは機械式の加算器を作った]

三〇年後、ライプニッツはもっといい計算機を作った。こちらは足し算の繰り返しによって、掛け算を行なうこともできた。(略)

 自動計算は、まったく別の構想だった。夢の機械は、一八一九年には、イギリスで製図盤の上にはあった。トリニティ・カレッジの天才、チャールズ・バベッジが、その最初の「階差機関」という(略)蒸気機関で、天測航法の数表を計算する予定だった。一八三三年には、新しい、改良された「解析機関」の設計図を発表した。これは、あらかじめ、それぞれ五〇桁の数字を含む数を千個まで指定しておいて計算を実行できることになっていた。

(略)

 それから百年後、MIT工学部の売り出し中のスター、ヴァニヴァー・ブッシュは、バベッジの仕掛けを二〇世紀風に焼き直した新しい機械に関する研究を始めた。(略)

ブッシュの「微分解析装置」は、デジタル式ではなく、どこまでもアナログ式だった。その計算は、電卓のような数えることで行なわれる方式ではなく、物理的な力を用いて、それが表す量に比例して変化するのを用いる、相似によるものだった。

(略)

[ブッシュの]電気機械式装置は、「常」微分方程式だけを解剖できた。これは一個の変数が連続的に変化するという、大量の電流が満ち引きを繰り返す、電力工学の問題にはごく普通の状況に関するものだった。ウィーナーは、もっと複雑な「偏」微分方程式を解例できる機械を構想した

(略)

ブッシュの機械は、遅すぎて実用的な値打ちがなかった。代替案として、ウィーナーは、急速に発達しつつあった真空管技術を利用する新種の計算機という、急進的なデザインを思いついた。真空管が最初に商用化されて以来、ウィーナーはその管の非物体的な電子のビームの可能性のとりこになった。何せそれは光の速さで進み、物理的な部品が陥る摩擦や慣性といったものに妨げられることもなかった(略)

ウィーナーはブッシュに、百年も前からある金属の棒や車による機械式の装置はうっちゃって、最先端の弱電流テレビ技術に乗り換え、新しい走査技術を全電子式の光計算機にまとめることを助言した。

(略)

ブッシュの計算機研究者としての成果の最たるものは、一九三四年、アメリカ軍のために設計を始めた、極秘の一〇〇トンもあるアナログ計算機で、一九四二年、アバディーン試験場に納入された。中には長さ三〇〇キロメートル以上の電線があり、一五〇の電動モーターがあった――二千本の真空管もあった。この機械は、以前は人間の計算士が卓上計算機で計算して二〇時間かかっていた射撃表を、一五分で計算できた。

「ウィーナー=ホップ」方程式 

三十代になって、ウィーナーは第三の道――自分の道――を見つけた。(略)自分の技能を補完し、より大きな成果が可態になる新しい展望を開く優れた共同研究者を見つけるという才能を見せはじめていた。(略)

一九三〇年、オーストリアの数学者、エベルトハルト・ホップはハーヴァード大学天文台で天体力学の物理学を勉強しにアメリカへやってきた。ウィーナーと出会い、それから間もなく、ウィーナーの新しい力学を、従来のニュートン的な方法では解けなかった現代天文学の問題に応用する仕事を、独自に始めた。二年後に二人が発表した「ウィーナー=ホップ」方程式は、星の質量を構成する原子による物質と、原子から放出されて星の光をなすエネルギーとの正確な混じり方という、星の物理的な特徴を計算するものだった。(略)

この方程式は、過去の知識に属する物理的な大きさを含む統計的な式を用いて未来を予測するという、予測の理論として最初期に属するものを提示し、ウィーナーの統計的方法の道具立てを、先人も確立した方法もまだない、科学の領域に拡張するものだった。

(略)

 ウィーナーは、自分が指導していた博士課程の学生の一人、中国出身の頭の鋭い若い工学者、リー・ユクウィンとの重要な共同研究も始めた。(略)

ウィーナーは、高周波の電子信号を、ウィーナーの一般調和分析の応用原理を用いてふるいにかけ、特定の周波数帯域幅の望みの周波数のものだけを装置に通す、新種の調節可能電子回路のアイデアについて、リーに概略を伝えた。(略)

リーはウィーナーの構想を、同時に複数の機能を実行できるもっと多機能な電子部品を使って組み立て直し、「とてつもなく大きくなりそうな装置を、うまく設計された、経済的なネットワークに収めた」。

[二人はそれを特許出願]

躁鬱

[娘バーバラ談]
「父は一人の人物ではありませんでした。次々と何人もの人になり、それが矛盾していました(略)目もくらむほど知的創造性がありましたが、暗く、遠い人になることもありました。激しい感情に乱れ、こみあげてくる鬱に陥り、高揚と疲弊の間を大きく揺れて行ったり来たりしていました」。ウィーナーの暗い面は、「リビングに象がいるような」ものだとバーバラは言った。「そこにいることはみんなわかっているけれど、誰もそのことは話さないんです」。

(略)

いくらうまく行っても、ウィーナーは、失敗の方を深刻に受け止めた。「世界は自分に敵対していて、仲間は自分を裏切り、自分は教授やあれやこれやの地位を辞職しそうでした」

(略)

父が何かの詩の暗唱を始め、それからどなりはじめ、それから泣きはじめて、まったくの混乱状態になりました。

(略)

「英語の詩と古典はたいてい大丈夫でしたが、ドイツ語で暗唱すると、この言語の感情の勢いにとらわれて、全然手がつけられなくなりました」

(略)

 その嵐のような時期には、ウィーナーは一再ならず自殺をすると嚇かした。「よく髪の毛をむしっていました。それから荷造りをして、これからホテルへ行って、銃を入れたから、それで自殺すると言いました。自分は『誰にとっても役に立たない』からだって」。

(略)

 ウィーナーの周期は、「頂上からどんぞこまで九か月ほどだった」と、バーバラは回想する。「でも、いつ嵐が来るかはわからないんです。元気なときは本当に創造性にあふれていました。大きな仕事が終わるとだめになり、突然わあっとなりやすくなりました。嵐が続いて何回か来ると、父が墜落してまた長い鬱の時期になるんだとわかりました」

(略)

 ウィーナーには、もうひとつ、重くのしかかる因子があった。一九二〇年代半ば、弟のフリッツが、分裂病と診断され、精神病院に収容された。父レオ・ウィーナーの神童づくり最大の成果としてのノーバートをしのぐと位置づけられていたフリッツの倒壊は(略)ウィーナーの奥底にある恐怖をかき立てた。一九二六年のゲッティンゲンで、自分が神経衰弱に近い目にあった後、フリッツに見舞いの手紙を書き、そこで自分の恐怖を声にしている。「僕たちは実によく似ている……僕たちはどちらも社会的にあまり適応していない……どちらも内省的で気分屋である。どちらも自分の行動でパニック状態になるまで自分を追い込む」。自分の職と生活を確保した後でも、ウィーナーはフリッツが精神病に陥ったことに悩み、いつも自分も同じ運命をたどるのではないかと心配していた。

戦争の影 

 一九三〇年代を通じて、ウィーナーは、新しい通信理論の数学的基礎を広く敷いた。この一〇年の間に、二つの著書とともに、四〇本の論文を発表し、生理学と電子回路の理論の研究を続け、時代と技術が自分に追いつくのを待っていた。

(略)

一九四〇年の夏の初め、ウィーナーは一人で車に乗ってニューハンプシャーを出て、ウィスコンシン州マジソンで行なわれたアメリカ数学会の学会に出席した。途中、ほとんどのアメリカ人が参加することを望んでいなかった戦争が、逃れがたく迫っていることを知った。ドイツはその南と東の隣国を属領にして、北と西へ怒濤のように進攻しようとしていた。「それは奇妙にも、二四年前のひとときが蘇るような経験であった。そのときも旅の途中のことだった。北大西洋のまんなかでドイツ船に乗っており、第一次世界大戦が近づいていたときのことである」

敵機針路予測と対空砲射撃制御

ウィーナーの主な課題は、こんどは予測の仕事だった。高速で移動する戦闘機の未来の位置を、過去と、次々と変化する現在の位置について得られている情報をもとに予測し、狙いをつける決め手となる射程と照準の因子を計算し、最終的に、何分の一秒のタイミングと正確さで対空火器を発射することだ。ウィーナーの言う「人間に特有の機能を奪う」ほどにそのまねができる、電子装置を設計しようというのだ

(略)

亀のような歩みの標的を単純な軌跡で狙えた第一次大戦のときとは違い、新しい第二次大戦のすばしっこい飛行機は、目にもとまらぬ早業を身につけたエースパイロットによって操られている。そのジグザグの進路は、ただまっすぐでないだけでなく、不規則で、飛行機の未来の位置について確かな手がかりを与えない

(略)

敵の飛行機の針路をとらえて予測するという作業は、ウィーナーが以前に出した、ブラウン運動での浮遊する粒子の位置をとらえる数学の研究、ウィーナー= ホップ方程式やベイリー = ウィーナー方程式で切り開いていた濾過と予測の新しい統計的ツール、ブッシュと一緒にしたアナログ計算機に関する研究、後にリーと行なった、電子回路と複合的な修正のネットワークに関する研究を必要としていた。

(略)

[ウィーナーとジュリアン・ビゲロー]は現場の調査を終えると、MITに戻り、射撃制御の問題を、最初から考え直した。

(略)

「飛行機の未来の位置は、観測されている過去の位置から推定、つまり外挿しなければならない。いちばん単純な方法は、飛行機の今の進路を直線上に延ばす外挿である」。(略)

[だが]対空砲の射撃が始まったのを見たら、バイロットはすぐに、「おそらくジグザグに進んだり、曲芸飛行したり、何らかの回避行動をとるだろう」

(略)

飛行機に乗って飛んでいるときに方向を変えようと思っても、当の飛行機の力学が、その変更の速さに制限をかけることをつかみました。瞬間的に判断するのは階段関数ですが、飛行機はある時間差で反応し、飛行機の周囲の空気の流れの力学や、飛行機の操縦に対する制限によって変化の過程がなめらかになります」。

 その結果の飛行経路は、やはり不規則ではあっても、ただの気まぐれではない。

(略)

ウィーナーは、偏微分方程式を解いて二〇年過ごしていた――複数の因子が連続的に変化するという、恐ろしい関数にかかわるものだ。このしっかりした土台のおかげで、ウィーナーは、空間と時間の中で急速に移動する戦闘機の変化する座標をモデルに表すことができた。それから、ブラウン運動というややこしい話に関する特別の専門知識に依拠して、パイロットの回避行動を、急速に変化するブラウン運動の軌跡をたどる粒子の運動のような、無作為の関数としてグラフにした。ここまでくれば、この元神童にとっては、うねうねと進む飛行機と、弧を描いて飛ぶ砲弾とが収束する点を予測するのは、どちらかと言えば児戯に等しい

 しかし、予測の問題を解決するのは、難関の半分にしかならない。このチームの戦時下の課題は、自動式の航空機の位置を予測する照準装置を設計し、組み立てることで、その具体的な仕事はビゲローの手に委ねられた。

(略)

試験用の飛行経路のなめらかな曲線を描く部分を追尾するのに一番良いとなった装置が、実は感度が良すぎて、二号棟二四四号室の部屋の角で「激しい振動」に陥ることがわかった。

(略)

唯一の問題はこういうことだった……不正確さによる誤差と、感度がありすぎることによる誤差は、反対向きになっているように見えるとすれば、この二つの誤差の折り合いを何に基づいてつければいいのであろうか。

 そのような折り合いをつけるには、統計学をもとにするしかない。それが答えであった。

 

(略)[ウィーナーは]厳密に線形的な予測方法の代わりに、自分の道具箱から、古典的な「平均二乗誤差」と呼ばれる、古典的な工具を引っ張り出した。その結果、対空砲手がねらわなければならない遭遇地点を表す、もっと現実的で、ずっと正確な座標群が得られた。

(略)

[ベル研究所との会合]

ベルの技術者は、まだ旧時代の工学の中で考えていた(略)

ウィーナーの統計学的理論を把握しきれなかった。「みんな頭のいい人たちでした」とビゲローは認めるが、「ウィーナーが意図していることは理解しましたが、ありうる飛行経路曲線の全体があって、そこから、最も確率の高い経路を選べるというのは信じませんでした」という。

次回に続く。