織本順吉
54年に新協劇団の同僚だった岡田英次、西村晃、それに木村功、金子信雄らと新たに劇団青俳を旗掲げしている。
(略)
スタニスラフスキーの演技論の本が出版されたんです。『演技でも日常の生活と同じようなことをやれ』ということが書いてあって、今までやってきた演劇とは違うな、と思いました。
当時は舞台俳優も映画に出演するようになっていました。映画だと、シェイクスピアやギリシア劇の方法論を持ち込んでも成り立ちません。非常にリアルな芝居をするしかない。それで、みんな『演技は写実的にやるもんなんだ』という風に意識が変わっていきました。そういう俳優が劇団に戻って、舞台もリアルになってきていたんです。
ところが、村上さんはスタニスラフスキーをあまり認めていなかった。(略)
それで『俺たちで劇団を作ろう』ということになり
(略)
「木村功は一見すると演技の質が論理的に見えるけど、実はそうじゃない。論理で組み立てるんじゃなくて、感性が鋭い人だった。対して岡田英次は理論派でね。どちらかというと理論が先に行っちゃうから、木村がよく『お前、そういう考え方があるなら、それをちゃんとやれよ』と、からかっていました。
西村はナルシストです。立派な、いい顔していますからね。その自分の顔に、惚れているんです。『おい、俺はいい顔してるだろう』とか言ってきて、ウットリしていました。
ネコさん(金子信雄)は一番役者的な資質を持っている人でした。人とすぐ喧嘩するしね。飲み屋の調理場に入って出刃包丁を持ち出すようなこともありました。でも、普段は非常に優しい人で。『仁義なき戦い完結編』でご一緒した時は、深作欣二監督にダメを出されると『あまり深く考えるなよ』と言われました。(略)
加藤武
[『悪い奴ほどよく眠る』]
「監督もびっくりしたろうね。こんな下手な奴とは思わなかったんじゃないかな。セリフを喋ればいつも。駄目なんだ。
(略)
リラックスした動きをしないといけないのに、できないんだ。しかも黒澤さんが怖い目で見ているからね。「顔が強張ってる」って、何べんNGになったか。三十回まで勘定したけど、あとは分からなくなったくらい多かった。
そのシーンでは俺の後に三船さんが出てくるんだけど、その間、一度も嫌な顔をしない。当たり前の顔をしてるんだ。
それで、三十何回目かのNGが出て、喉がカラカラになって喋ることもできなくなったんで、いったん引っ込んだ。溜息を吐いていたら、三船さんが黙ってスッと水を渡してくれた。
三船さんのあの水は何ものにも代えられない黄金の水だった。
凄く思いやりのある人でね。休み時間にセットに突っ立っていたら腰掛けを持ってきてくれたりするんだよ。
僕が一番尊敬しているのは今でも三船さん。だから、新人が何回NGを出しても嫌な顔をしないように心がけています」
(略)
「『用心棒』も大変だった。宿場での対決場面では『お互いの目がギラギラしている』という設定だからレフで強いライトを目に当てられて、そこに枯れ葉を舞い散らすために扇風機を強く回してくる。それで『目を開いてろ』はないよね。しかも、監督は一人一人をちゃんと見てるから、誰かが目をつぶったりすると怒鳴るんだよ。そういう時、いつも加東大介さんが謝る。加東さんが目をつぶったわけではないのにね。そういういい先輩だった」
(略)
[金田一耕助シリーズ]
俺の役は原作にはなくて崑さんが作った。おどろおどろしいばかりだったら、お客がくたびれちゃう。だからコメディ・リリーフって必要なんだ。(略)
しかも、いかつい顔をした俺にその役を振ったのが上手いとこだよね。
宝田明
[『放浪記』。夫婦喧嘩のシーンでOKが出ない。妻役の]
高峰さんに『どうしても分かりません、僕は一体どこが違うんでしょう』と聞いたんです。そしたら高峰さん、『分かっているけど、もったいなくて教えてあげないよ』って。その時、ムカムカきましてね。殴ってやろうと思ったくらいです。(略)
[本番は]この大先輩に対するムカつきだけですよ。それでグッと睨んだら成瀬さん、『宝田君、それでいいんだ』と。僕の眼力が足りないのを高峰さんが引き出そうとしてくれたんだと思うんです。
「お互いに北京語で話せるので、監督の悪口や女優のよからぬことを喋っていましたね。森繁さんは『アドリブが上手い』とよく言われる役者です。たしかに、テストの時は台本に書かれていないことを喋ることがありますが、本番の時にはやりません。実はアドリブ的に台本のセリフを言っているんです。天下一品でした。『宝田君、アドリブはあまり使うもんじゃないよ』とよく言っていました。
山本學
[『白い巨塔』]
「田宮さんは強情の人でした。最初の撮影は薬の投与をめぐって論争をする場面でしたが、彼はもう震えながら激昂して演じていた。僕は『最初からこんなテンションで演じていたら、その先もあるんだから後で大変なことになる。最初はもうちょっと抑えていかないと』と思って、途中で撮影を止めたんです。そういう演技ってテレビはいいと思って使っちゃうんですよ。でも、後で編集で繋ぐとそこが出っ張る。僕はそれで何度も嫌な想いをしてきました。
彼は震えあがって激昂しました。『君、今それわざと言った?』と聞かれたので、『はい。止めた方がいいと思いました』と言ったところ『これだけ一生懸命やっているのに、なんで止めるんだ。不愉快だ!』と怒ってセットの裏に行ってしまいました。それから全く戻ってこないんです。僕には他意はなかったのですが。結局は僕が謝りました。
彼もそれだけ怒るくらい一生懸命でした。それが面白かったんだと思います。田宮さんがああいう風に面白くなければ、ドラマ全体も面白くはなりませんから。ある意味では、僕の役はどうでもいい。
最後に握手するシーンがあるのですが、リハーサルから手が痛くなるくらいに握ってきました。彼が亡くなった時、いかに本気で演じていたかを思いました。あの痛みは今も覚えています。もっとちゃんと付き合えばよかったとも思いましたが、あの時は付き合いようもありませんでした。惜しい役者と思ったなあ。あの人は、あそこでもう一つ越えていたら、仲代さんとも勝さんとも違う、また新しい『いい役者』の見本になったんじゃないでしょうか」
左とん平
「のり平さんは舞台はいいけど、映画はあまりね。顔の印象が強すぎるんだ。舞台だとあの顔が物凄くいいんだけど、映像になると邪魔になる場合がある。
森繁さんは舞台とはまた違う、『映画的な喜劇』をやっていた。本人は喜劇っぽくやっていないのに、見る方からすると喜劇に見えて面白く感じてしまうという。『夫婦善哉』とかね。あれでかなり勉強になりました。
(略)
森繁さんはセリフが分からなくなると、前に出る。プロンプが後ろにいるんだから下がればいいのに。のり平さんは下がる人でした。森繁さんが言うには『のりちゃんは芸人だけど、俺は芝居の教祖だ』と。教祖だから自分が『分からない』という素振りは見せずに、相手が間違えているように見せるんだ。
まあ二人ともセリフの覚えは悪いですよ。でも、それが味になっちゃうんだ。いくらセリフを上手く言ったって、味のない役者はダメだということを教えられました。
(略)
普段は気さくでね。面倒見がよくて、兄貴分みたいな感じだった。僕が博打で捕まって苦労している時、キャバレーで公演してたらゲストで来て歌ってくれたりもした。
(略)
[『寺内貫太郎一家』]
伴[淳三郎]さんはほとんど台本が読めない。目が悪いから。読む時は顔をくっつけるくらいホンに近づけて読む。だから、全部を見られないんで、自分のところしか見てないんだ。
で、僕と由利さんで『あそこはこうですよ』って言うわけ。二人とも『大丈夫かな』という顔で見ているんだけど、本番になるとダアーッと物凄い勢いで芝居してくる。だから、こっちが食われて伴さんしかよく映らないんだ。由利さんと二人で『冗談じゃねえぞ、あのクソジジイ!』ってよく怒ってました。
由利さんはシリアスな芝居をやらせても上手い役者なのに、照れるんだ。だから、あまりやりたがらない。(略)
『ここで泣かせればいいのにな』と思うようなところでサラッと行っちゃう。(略)
顔立ちで損していたと思う。画面に映るとうっとうしくなっちゃうんだよね」
(略)
[ポーカー賭博で]謹慎中は小林桂樹さんが家に来てくれたこともありました。最初はびっくりしたよ。玄関で『小林です』っているから、どこの小林かと思ったら小林桂樹さんだもんね。それで家にあがってもらったら『ああ、ここが犯罪者のウチか』って。そういうジョークがすげえ上手いの」
(略)
悪役は好きなんだよ。人をいじめる役は面白い。
現代劇でもね。『はぐれ刑事純情派』で母親が子供をイジメてるのを見るとカッとなって殺すバス運転手の役をやったけど、ああいう異常な性格の役は自分でも怖いと思えて面白かった。
そういえば、この間WOWOWで『凶悪』という日本映画を観たんだけど、あの悪役は面白い。なんという奴か分からないんだけど(※リリー・フランキー)。もう簡単に人を殺すんだ。あの役者は役者じゃない感じがした。においが、役者じゃないんだ。でも、それが面白い。人を殺す時に笑うのよ。その時の仕草もそうなんだけど、役者じゃあんなとこで自分から笑ったりはしないはずなんだよ。なんだろう、この人はって思った。
上條恒彦
「『紅の豚』は僕の当て書きみたいに見えますが、他に予定していた人が駄目になって回ってきたみたいです。あのアテレコはデジタル録音なので共演者は一緒にいなくて僕一人でやっていました。で、一人で画面に向かって芝居していると、ブースで宮崎さんがすっ転んで笑ってる。『ああ、これでいいんだ』と思ってやりました。
石坂浩二
「権力者を演じる時は、彼らが挫折する場所を探すようにしています。観る方は気付かなくとも、演じながら権力者の孤独みたいなものを味わってみたいんですよ。しかも権力のあり方が違うから、同じ権力者でもそれぞれに別の演じる面白さがあります。
吉保も頼朝も、最後は何一つ思い通りに行っていないように思えます。特に頼朝は、鎌倉に幕府は作ったものの、京都に帰りたいという気持ちが凄くあったんだと思うんです。それを義経に先にやられたことが許せなかった。京都に帰れないまま鎌倉で死んでいくことは、やはり辛いんですよ。だから反転して天皇家と対峙していく気持ちが強くなっていったと思います」
(略)
[金田一耕助]
「監督からは髪を伸ばすように言われていましたが、単に長くするとヒッピーみたいになって面白くないんです。それでパーマをかけることにして、そのパーマを解いて、色を抜いてからまた色をかけて……という風にして髪の毛をギシギシにしました。少し引っ張ったら抜けるどころか、切れるくらいに髪を傷めていきました。
あと、フケをどうするか。これは凄くもめました。当時『おしゃれ』というトーク番組の司会を日本テレビでやっていたのですが、提供が資生堂だったんですよね。それで、資生堂研究所の一番偉い女性の方がいつもスタジオに見えていたので『今度ふけが出る役をやるんですが、ふけになりそうなものってありますかね』って聞いたんです。そうしたら『化粧品屋は綺麗なものしか作らないの!』って。
でも、その時に『雲母の粉が一番いいかもしれない』と教えてくれて。口紅を塗る時に細かくして入れているそうなんです。で、それを髪の毛に仕込んでカメラテストしてみました。でも、頭から落ちていく途中で光るんです。撮影している時は人間の目には見えないんですが、フィルムには映る。監督は『キラキラしているのがダメだ』と。
それで結局、パン粉を使いました。でも普通のパン粉だとダメなんです。ふけにしては粒子が大きい。それで、食パンの耳のところだけを外して乾燥させて手で揉んでやる。そうすると、そんなに細かくならないんです」
(略)
「監督は金田一を神様や天使のような存在だと言っていました。たしかに彼は傍観者だとは思うのですが、僕はそれだけでなく運命論者とも思います。先祖からの血の流れに起因した事件は、あるところまで行かないと片が付かないと思って、金田一はあえて見過ごしている。だから、全てが終わってから解答を出す。
同時に、普通は事件が起きてから探偵が来ますが、金田一の場合は、彼が来てから事件が起きます。それはお客さんの目でもある。ですから、彼は決して物語の中には入れません。
だから、他の探偵と違って未然に防ごうとしない。止められなくて悔しがるけど、その一方で止めちゃいけないとも思っているんです。普通の探偵だと事件が起きてもそんなに苦しまないんですが、彼は苦しむ。その結末はどうなるかを既に知っているのに、何もできないから」
(略)
[ナレーションへの思い]
「劇団四季の演出部にいた時に浅利慶太さんからは『役者は声が大事だ。声には良い声と悪い声がある。特に二枚目の役をやるなら、声は聞きやすくないとダメだ』と言われていました。それで、ボイストレーニングに通うことにしたんです。
もともと声変わり時に失敗しているんですよ。声が出ないなら静かにしていればいいのに、無理して出していたので変な高い声になってしまいました。ですから、音域を下げる練習を二年くらいやりましたね。その時の先生には『普段もその声で喋りなさい』と言われました。それで段々と下がってきました。
そうやってボイストレーニングをしている時に、声にも(略)長調と短調があると知りました。(略)
たとえば宝塚の『ベルサイユのばら』のセリフの音は全て短調なんですよ。そういう違いを意識的に使い分けていけば、声そのものが武器になると思えました。これはナレーションだけでなく、劇のセリフでも使えますから。
発声学の先生には見抜かれましたね。『その声は、作った声でしょう』って。『その顔の形からは、普通はその声は出ない』と言われた時は驚きました。
そういうこともあって発声というのを自分で随分と研究していたので、ナレーションという声だけの仕事はやっていて面白いですね」
(略)
「『シルクロード』の時はマイクロフォンをどれにするかというので、五本くらいテストしました。その時の音声の技師さんがオシロスコープを録ってくださって『あなたは普通の人よりいろんな種類の声が出ている。どれが本当のですか』と聞いてきたんです。それで『実は、これは作った声で……』と説明したら『やはりそうでしたか。それなら、普通のマイクロフォンでは一定の音域しか拾えないから、広く拾えるのにしましょう』と、大きなマイクを用意してくれたんです。だから、あれは生の声に近いと思いますよ。
(略)
「権力者を演じる時は、取り立てて強調することはしません。
(略)
思い出すのは、森雅之さんが舞台の『オセロ』でイアーゴを演じられた時の言葉です。普通は憎々しく演じる役なのですが、森さんは、二枚目でカッコよく演じていた。それでお目にかかってお話をうかがったんです。
すると『ストーリー上はちゃんと残酷な人間になっているじゃないか。それなら、それ以上の残酷さを僕が説明することもないよね。後は、僕が演じているんだから僕なりのやり方でやればいいんだ』と。
(略)
あとは演出家に「こうしてほしい」と言われた時だけ、そうすればいいんだ』とおっしゃっていました。
次回に続く。