ウッドストックへの道 その3

 前回の続き。

リッチー・ヘイヴンス 

 そもそも僕の最初の計画はジミ・ヘンドリックスに予告なしでアコースティック・セットを演ってもらって、それで金曜日からのすべての始まりにしたかったのだ。(略)

[だがまだ到着しておらず]

リッチーの他に一番手としてやってくれそうな可能性があったのはティム・ハーディンだけだった。(略)

「ヘイ、ティム、このフェスの皮切りで演ってみたくないか?」。

「だめさ、ごめんだね!俺はいま出られないよ。俺じゃないよ、最初はごめんさ!そんなのできないよ!」、彼は必死に訴えるようなまなざしで僕を見た。(略)

 僕は彼がもろく傷つきやすいことを知っていた。彼はつい最近ヘロインの習慣を断ち切ろうと、メタドン治療を受けはじめたところなのだ。それだけに彼にもうプッシュしたくはなかった。ティムは友だちだったし、彼の音楽は大好きだったから、彼には最高の状態でステージに立ってほしかったのだ。これは彼にとっても大きな飛躍のチャンスなのだから。

 そうなると、やはり一番の大役はリッチーしかない。僕は彼ならその役目を立派に果たせるとわかっていた。彼のパワフルだが静かな物腰、それこそ、ここから始まるすべてのトーンを決めるために僕らが必要としていたものなのだ。

(略)

リッチー・ヘイヴンス マイケルがゆっくり俺のほうに歩いてきたんだ。彼が何を言うのか、俺にはすっかりわかっていたよ。近づいてくるにつれて、彼の笑顔がどんどん大きくなっていくんだ。それから頭を片側にかたむけて、「リッチー、助けてくれよ、お願いだから、僕らを助けてくれなきゃいけないよ」って言うんだ。(略)

「マイケル、俺は5番目のはずだよ、1番じゃなくて」

「お願いだよ、リッチー、頼む、お願いだから」――ついに折れたよ。

(略)

40分のセットを演奏すると、後はストゥールをおりた。けれど、僕らはまだ次の出演者の見通しがたっていなかった。そこで僕は首を振って、続けるようにうながした。さすがに長いキャリアを持つベテラン、彼は次から次へと歌い続けてくれた。

(略)

あれは6度目、いや7度目のアンコールだったろうか、全身汗まみれになっていた彼は、ついにその目で僕らにサインを送ってきた――“いいかい、これで最後だぜ”、と。

 

リッチー・ヘイヴンス(略)

俺はこれで終わりにして、ステージを降りなくてはいけない。そこでギターをチューニングしながら、歌い忘れた曲はなかったかと頭の中で記憶のファイルをめくっていた。すると、その時またあの言葉が聞こえてきた。(略)フリーダム!そう、それは“自由”って言葉だったんだ。

(略)

 ギターをかき鳴らしはじめると、口から自然にフリーダムって言葉がとびだしてきたよ(略)自然なリズムで、足が勝手に動きだして、どんどん速く、パワフルなリズムをギターにうながすんだ。(略)

気がつくとそれは、あの「時には母のない子のように」って歌、昔おばあちゃんがブルックリンで子供だった俺によく歌ってきかせてくれた古いスピリチュアル・ソングにまじっていたんだ。

ジョン・セバスチャン

 出演の予定はなかったけれど、ジョン・セバスチャンはみんなの顔なじみだったから、バックステージで誰、彼となく挨拶をかわし、一緒にくつろいでいた。彼を有名にしたバンド、ラヴィン・スプーンフルは前の年に解散。それで彼はカリフォルニアへ行き、ファイアサイン・シアターのコミューンで暮らし、最初のソロ・アルバムの曲作りをしていたんだ。たまたま彼は金曜日の朝にアルバニー空港で、インクレダブル・ストリング・バンドの一行と出会い、彼らの誘いに乗って、僕らがさしむけたヘリコプターに同乗して、ウッドストックに現れた、というわけだった。

 

ジョン・セバスチャン(略)

あたりを回っていたら、8×8のワーゲン・バスのテントが(略)いつのまにか倒れて、みんなの足蹴にされていたその哀れなテントをひろいあげ(略)きれいに立て直していると、チップ・モンクが通りかかって「なんだ、うまいんだな」って言う。だから「だって、ここ2、3か月、こんなテントで暮らしているからね」と僕。すると彼は「素晴らしい! じゃあ、このテントはきみが責任者で、頼むぜ!」って言うじゃないか。それで僕はテント管理人になって、インクレダブル・ストリング・バンドの楽器を全部そこにしまってあげた。

(略)

会場内をひとまわりしてみることにした。それは3時間もかかる長い散歩になった。ふと気がつくと木々がはえてるあたりにジャングル・ジムがあり、よく見るとクラフト系のアーティストたちがそこに彼らの小宇宙を作っていた。

雨の中のキャンドル・ライト

 ラヴィ・シャンカールの感動的なパフォーマンスの後、バックステージにアーティ・リップに連れられて、メラニーというフォークシンガーが姿を見せた。(略)

 その時点では、ほぼ無名の存在だったが、そのかすれて不思議にふるえる声で、彼女が「ビューティフル・ピープル」の最初の一節を歌いおえると、奇蹟のような出来事が起こった。彼女の前で闇の中でひとつになっていた何千人の参加者たちはキャンドルやマッチに火をともし、それをかざして揺れはじめたのだ。(略)

彼女は家に戻るとすぐにこの時の体験を「レイ・ダウン (キャンドルズ・イン・ザ・レイン)」という曲に書いた。それは、1970年、彼女、メラニーの最初のビッグ・ヒットになった。

 

メラニー マジカルだったわ。あの時、わたしは初めて幽体離脱というのを体験したの。ステージに出る橋を渡っていると、わたしは体から抜けだして空中に昇っていって、そこからもうひとりのわたしがステージに歩いていき、腰をおろして、最初の数行を歌いだす姿が見えたの。わたしが出る直前に、また雨が降りだしていた。ラヴィ・シャンカールが演奏を終えた時に、チップ・モンクが「ろうそくに火をともせば、雨をとめることができるはず」ってみんなに言っていた。わたしがセットを終えた時には、丘の一面にいっぱい小さな火がまたたいていたわ。あの時、あの場所にいられたのは、ほんとに素晴らしい体験だった。

(略)

 コンサート会場で人々がキャンドル、火をともしたのは、おそらくこの時が最初だったのではないだろうか

サンタナ 

カルロス・サンタナ ヘリコプターで運んでもらって、僕らは朝の11時にウッドストックに到着した。被災地みたいなひどい状況だ、って聞いていた。僕はすぐに大好きなジェリー・ガルシアを見つけて、一緒にわいわいやっていた。出番は夜の8時ぐらいだから、それまでゆっくりしていてくれって言われていたんだ。

そしたら(略)とんでもない七転八倒のドタバタになっちまった(笑)。つまりこうさ。まず、時間があるからっていうので、僕はメスカリンをやりたくなって、いい感じになってた。ところがその効きがちょうどピークになってきた、その時に、進行役らしい奴が「さあ、今、出なかったら、もう、きみたちの演奏のチャンスはないぞ!」って言うじゃないか。それであわててステージに出てみたら、見渡すかぎり、人、人、人の海だ。体と揺れる髪と笑う歯、突き出された手でいっぱいの海。もうパニックなんてものじゃない。神様、時間のキープが狂いませんように、うまく弾けますようにって祈りながら演奏を始めたよ。前にもイッてる状態で演ったことはあったけど、こんな大勢の観衆の前じゃなかった“あの時はみんなのハートに、プラグインだ!それも、いっぺんにプラグインするんだ!”みたいな気持ちだったよ。でも僕らはなんとかやりとげた、それも最高にごきげんに、だ。どんなサウンドだったか、どんな風に人々の体がはねていたか、僕は一生忘れないよ。バンドの仲間全員にとっても、あそこでの時間は最高だったんだよ。

スライ&ザ・ファミリー・ストーン

カルロス・サンタナ フェスティバルのピークを目撃しに出かけたよ。そうさ、スライ・ストーン、彼のステージだ。でも彼は二度とあんな素晴らしいパフォーマンスをしなかったと僕は思うんだ。ほんとに最高だったよ。彼のアフロ・ヘアーから蒸気があがるのが見えたんだ、ほんとだってば。

 

エレン・サンダー グレース・スリックとジャニス・ジョプリンが一緒に踊っていた。彼女たちは目をつぶり、拳を握りあい、体をぶつけあっていた。“ハイヤー!”――もっと高く飛べ!とスライは聴衆に呼びかける。すると5万の聴衆、そのひとりひとりが声のかぎりに叫び返した。“ハイヤー!”

ザ・フー 

[朝の3時30分、ザ・フー登場間近]

アビー・ホフマンは僕の隣で落ち着かず、喋り続けていた。「俺はジョン・シンクレアについて何か言わないといけないんだ!ジョイント1本吸っただけで彼はずっとムショ暮らしなんだぞ!」。シンクレアはデトロイトの急進的ロック・グループMC5のマネージャーで、ホワイト・パンサー党の創立者。おとり捜査にはめられ、わずか2本のジョイント所持で10年の禁固刑で監獄につながれていたのだ。

 「わかったよ、アビー」、僕は彼の理性に語りかけようとした、「後でチャンスがあるさ、セットの間とかにさ」。

 でも彼は聞かなかった、「いや、俺はほんとに言わないといけないんだ!たった今だ!」。

 「アビー、フーが演奏しているんだぜ」僕は彼に思い出させようとした――フーはロック・オペラ『トミー』の半分あたりにさしかかっていた。どうしてそんなことがわからないのか不思議だった。「彼らのセットの真ん中でスピーチなんかできないだろ。彼らに最後まで演らせてやれよ!頭を冷やせよ!」。

 ちょうど「ピンボールの魔術師」が終わった時、アビーは椅子からとびあがった。そして僕がつかまえるよりも早く、タウンゼントのマイクに駆けよった。ピートは後ろを向いてアンプの調整をしているところだった。アビーは誠実な口調で衆にジョン・シンクレアについて考えてみてくれ、と訴えた、彼には僕らの助けがいるのだと。そして、無邪気に楽しんでいる聴衆を責めた。

(略)

バシッ!振り返って客席の方を見ると、自分のマイクの前にアビーを見つけたタウンゼントはギターで彼の頭を殴りつけたのだった。

 アビーはよろめき、それから前のカメラマン席に飛びこみ、一目散でフェンスを乗りこえ、その向こうの群衆の中へと消えていってしまった。それが、その週末、僕がアビーの姿を見た最後だった。

(略)

 その前の演奏中にも、彼の前でかがみこんで撮影カメラをかまえていたマイケル・ワドレー監督の胸をピート・タウンゼントは蹴りつけていた。今度は彼、タウンゼントはカンカンだった。「次にこのステージを横切る奴がいたら、そいつの命はないぜ!」、彼はギブソンSGをチューニングしながら言った。聴衆は彼がジョークを言っているのだと思い、笑い声を上げ、手を叩いた。「笑えばいいぜ」、彼は冷たく言い放った、「だが、俺は本気だぜ!」。

 

ピート・タウンゼント 俺の反応は考えてというより反射的なものだった。アビーの言っていたことはいろんな意味で政治的に正しいんだ。ウッドストックの奴らは本当はただの偽善者どもだ。コズミックな革命だとかぬかしやがって、ただフェンスを壊して、野原を乗っ取っただけじゃないか。それで悪質なアシッドをとって、バンドにギャラも払わずに逃げようとしやがった。その間もジョン・シンクレアはでっちあげ麻薬捜査ではめられてぶちこまれたまま、ブタ箱で腐ってくたばりかけていたんだ。

 

ザ・フーは『トミー』の至福感あふれる演奏を続けた。

(略)

どれも驚くほど素晴らしい演奏だった。後になって彼らが“ウッドストックでの演奏は平均以下のでき”で、また“聴衆が『トミー』にはまってくれなかったみたいだ”と発言しているのを知ったが、とても信じられなかった。

 

ピート・タウンセント 『トミー』は誰にも受けなかった。セットが終わる頃、俺はかろうじて起きていたって状態で、誰か別の奴の演奏を聞いているような気分だった。そして、バーン!と太陽が昇ってきた。すごかったぜ。ある意味じゃ、俺たちはそんな値打ちがないって感じがしたんだ。俺たちは悪いバイブをばらまいてたんだからさ。演奏を終えると、もう昼になっていたよ。俺たちはステージをおり、車に乗って、一目散でホテルに戻ったんだ。クソ嬉しかったぜ。

 

ビル・グラハム ザ・フーは冴えていたな。タウンゼントは蒸気機関車みたいだった。走りだしたらどこまでも止まらない裸の黒い馬って感じだった。奴が演奏を始めたら、“気をつけろ!はね飛ばされるぞ!” だ。

ウォール・ストリートでの苦い時間

 午後3時頃、ウォール街ヘリポートに到着した僕はめざす銀行の重役室へと急いだ。(略)

[仲間の]まわりには弁護士をしているジョンの兄のビリー、さらに何人かの弁護士タイプの人々、そしてずっと年長の老紳士――後で銀行の頭取とわかった――がいた。(略)

僕は部屋に充満する恐れと怒りの匂いに圧倒されそうになった。

(略)

 僕には知らせずに、アーティ・コーンフェルドはこのミーティングに何人かの付き添いを連れてきていた。(略)

[アルバートグロスマンとアーティ・リップは]儲け話の匂いを嗅ぎとったのだろう。ふたりは、ウッドストックベンチャーズのジョンとジョエルの持ち株を買い取る金を出してもいいと持ちかけたのだ。このフェスティバルを撮影したフィルムがこれからどれだけの金を産み出すか、彼らは直感的に理解し、その利益を手にするためにはこの大きな価値を持つ会社名が必要だとふんだのだ。

(略)

 会議はその朝の9時からずっと続いていた。ジョンは週末中ずっと、なんとかテレフォン・ビルに到りついた人間たちに次から次へと小切手を書いて渡していたのだった。そして今、彼と彼のファミリーはそれらの小切手が不渡りにならぬように銀行に百万ドルを超える保証をしなければならなかった。もうひとつの選択肢はウッドストックベンチャーズが破産宣告することだった。

(略)

 だが、僕たちに財産がないわけではなかった。僕らはまずたくさんの善意を産み出していた。そしておそらく歴史的とも呼べるだろうこのイベントのフィルムとそのすべてをレコーディングしたテープを持っていた。しかし、ジョンの兄、ロバーツ・ファミリーを代表するビリーは彼らが実質的にウッドストックベンチャーズを占有していると主張し、ジョンをバックアップしてきたという優位な立場を理由に、これから先はロバーツ一族が僕らを破産地獄から救出してやろうと、お情けモードの救済案をちらつかす。彼らにはこの先僕らのパートナーシップが続くことにはこれっぽっちの興味もないのだと、僕はその時やっと気づいた。僕がヘリポートに到着する前から、すべては決まっていたのだ。

 それでも、この先ジョンがどんな苛酷な立場に立つのか、僕は考えずにはいられなかった。彼とジョエルは、ウッドストックでアーティと僕がしたような素晴らしい体験をなにひとつできなかった……、そのことを思うと、僕の胸は疼いた。どんな理由があったにしても、彼らはあの3日間、ホワイト・レイクのテレフォン・ビルに閉じこもったまま、惨めな思いで過ごし、今は僕らの支払いのために家族に忠誠を誓わなければならないのだ。

 もちろん僕にも、アーティにも、ジョエルにも自分たちの持ち株を買い取るお金はなかった。僕にはまた、ずっと自分の片腕だったジョエルの立場を思うジョンのつらい気持ちが痛いほどにわかった。ロバーツ一族はジョエルをまったくのよそもの、あるいはそれ以下、単なるゴロつきくらいにしか考えていなかった。

 ジョンとジョエルはフェスティバルを無料で人々に開放せざるをえなくなった時点から、激しく落ちこみ、すさんだ気持ちを怒りと憎しみの言葉にして、僕とアーティにぶつけてきたのだ。ジョンのファミリーも同じように僕らに敵意をあらわにしていた。

(略)

リー・マックラー・ブルマー  (セキュリティ・アシスタント) 会議から戻ってきたらジョンとジョエルはふたりとも困惑しきった表情をしていた。ジョンの父親が「保釈金を積んでやる」とでも言ったからだろう。後になってジョンは「もうこの先二度とあのロゴも、何ひとつウッドストックの名を冠して使うことができなくなった」と言っていた。ジョン・ロバーツは父親が生きている間、誰にもあの登録商標は渡さないと誓約したのだ。父親はウッドストックが一族の名前を汚したと考えたんだわ。私が思うに、ジョンの兄さんはずいぶん後になって、やっとあれが偉大な文化的出来事だったこと、そしてジョンがそこで大きな役割を果たしたことに気づいたのよ。けれどジョンの親父さんは死ぬまでウッドストックに関して、ジョンを許そうとはしなかったんだわ。

解散 

 続く数週間の間に、僕ら二人は話し合ってウッドストックベンチャーズの解散を決めた。ベンチャーズ社は1400万ドルの負債を抱えていることがわかった。(略)

僕たちは、払える金ができるまでしばらくふたりに負債を引き受けてもらえないかと提案をした。だがこの提案にジョンは激怒し、たちまち全員がお互いをののしり始め、結局何ひとつ解決しなかった。

(略)

 アーティと僕は、ワーナー・ブラザース社のフレディー・ウェイントラウブに会いに出かけ、将来のフィルムからの取り分はなしという条件で50万ドルの前払いをしてくれるように申し出た。こうすればいくつかの支払い請求に答えて、とりあえずの危機からベンチャーズ社を救い出すことができるだろう。ところがこの申し出にウエイントラウブはノーと言った。映画が当たるか疑わしいというのだ。テッド・アシュリーとワーナーブラザースの重役たちは、彼らが金の卵を持っていることを百パーセント承知していたのだ。そして僕らが苦境にいることをひそかに喜んでいた。となればフィルムを買いたたいても、僕らがシッポを振ってくるだろうと……。

(略)

次のミーティングで僕らは解決策を討議した。今回僕らは残りの負債額を推定して、ジョンとジョエルに5万ドルを支払って彼らにベンチャーズ社から消えてもらうか、あるいは逆に彼らが僕らに7万5000ドルを支払い、プラス僕らの負債分をなしにしてもらえるかと申し出た。(略)

 結局、アーティと僕は持ち株をジョンとジョエルに売らねばならないことになった。突然ロバーツ一党は方針をガラリと変え、8月の初めにはあんなに反対していた破産をちらつかせて僕らを脅したのだ。

(略)

 アーティと僕の持ち株譲渡の買い取り金は一人3万1750ドルに決まった(略)

 僕らがこの取り決めをした直後、ワーナー・ブラザースは100万ドルをジョンとジョエルに支払い、ウッドストックベンチャーズに、わずかな収益からの配当金を支払うという条件で、ベンチャーズが持っていた、映画所有権の残り半分を買い取ってしまった。アーティと僕なら絶対に売りはしなかっただろう。おそらくウエイントラウブとワーナーの幹部たちは、取引相手のふたりが映画の価値をよくわかっていないことに気づいていたのだろう。後になって気づいたことだが、僕らがベンチャーズを離れる前から、彼らはロバーツ一党に接触して買い取りの交渉を、僕らに知らせず、秘密裏に進めていたのだろう。

(略)

[映画『ウッドストック』は大ヒット]

最初の10年間で、ワーナーに5000万ドルを超える収益をもたらした。映画を上映する前の1969年のワーナーはハリウッドの8つのメジャー会社の中で最もランクの低い会社だった。しかし『ウッドストック』を買って、彼らは何年ぶりかの大ヒット作品に恵まれたのだ。

(略)

映画がヒットしても、アルバムがベストセラーになっても、アーティと僕には一銭も入ってこなかった。

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