愛国の構造 将基面貴巳 その2

 前回の続き。

愛国の構造

愛国の構造

 

 

 一八世紀フランスにおけるパトリオティズムは(略)「祖国」というが閉鎖的で排他的な指向性を必ずしも持たなかった。これとは対照的に、同時代のイングランドで「祖国愛」を語るとき、排外的で宿命的な色彩を帯びていた点が特徴的であった。(略)

[カルヴァン主義の影響で]

イングランド人は自分たちを選ばれた民の「新たなイスラエル」であると観念した。

(略)

その一方で、パトリオティズムをめぐる言論状況には同時代のフランスと類似した側面もあった。(略)

 当時のイングランドにおける共和主義的パトリオティズムは、マキアヴェリやハリントンの系譜に属するような、政治腐敗に反対する市民的美徳を意味したが、これに対し、政府側も愛国的主張を展開したために、体制側も反体制側も共に自身が「愛国的」であると主張して譲らなかった。したがって、どちらの主張が真に愛国的かが問われるようになったが、そうした状況は、一八世紀において、反体制派の愛国的主張をいっそう急進化させることとなった。一七九〇年代には、愛国クラブや愛国ソサエティといった名前の結社がイングランド各地で叢生したが、いずれも、急進的反体制結社であった。こうした結社などを通じて、愛国的運動は国際的な広がりをも見せた。すなわち、反動的な政府の暴政に対抗することを共通の闘争目的として、ヨーロッパ諸国の愛国的結社の共闘が一七九〇年代から一九世紀初頭に展開されたのである。

(略)

[フランス革命による混乱で]

伝統的な共和主義的主張への警戒心がイングランド国内で広まったことがある。その結果、暴政の担い手が政府であることは当然視されなくなり、むしろ人民が暴政を引き起こす危険性が指摘されるようになった。こうして、従来、共和主義と手を携えて展開してきた愛国的言説は、共和主義の信用失墜に伴い、退潮することとなった。

 もう一つフランス革命に伴う対仏戦争の影響として指摘すべきは、イングランドにおける愛国的な言説が、国内の体制に批判の眼差しを向けるのではなく、国外の育成から自国を防衛することを目的として展開されるという新しい傾向を生み出したことである。ナポレオンは、イギリスに隷従のくびきをつける可能性のある「暴君」「専制君主」とみなされ、このような自由への脅威からイギリスを守ることが愛国的であると主張されるようになった。

(略)

 このように、パトリオティズムをめぐっては、従来の反体制的なものと対外戦争を背景とする新しい政府・体制側のものとが激しい競合関係になる、新しい事態が発生した。

 近代日本における「愛国」の成立

 一八七一年、廃藩置県とともに、これまで藩に属していた日本人は、日本の「ネイション」へと再編成される第一歩を踏み出した。

(略)

ウィリアム・エリオット・グリフィスは、「パトリオティズムの時代が到来した」と一八七六年の時点で記しているが、これはいささか時期尚早なコメントだったというべきであろう。なぜなら、後年、竹越与三郎が指摘したように、明治初期において「愛国心」は「殆んど芥子粒とも云ふべく、形容すべからざる微小なるもの」でしかなかったからである。事実、一八九〇年頃までの新聞雑誌における「愛国」をめぐる論考は、当時の日本人にはなぜ愛国心が欠如しているのか、愛国心を涵養するにはどうすべきか、という問題と取り組むものが多数を占めていたといってよい。

(略)

 現代では「愛国」「愛国心」が日本語として定着しているが、明治初期においては、いまだ聞きなれない用語であった。そもそも「愛国(心)」は、英語にいうパトリオティズムの翻訳として充てられた漢語表現であるが、もともと漢語としての「愛国」は君主が国を愛することであって、パトリオティズムが人民の国に対する愛を意味するのとは明らかに異なる。しかも「愛国」が翻訳語として定着するまでには紆余曲折があった。

(略)

「愛国」がパトリオティズムの訳語として英和辞典に定着し始めるのは、一八八〇年代中盤以降のことであるように思われる。

 パトリオティズム翻訳語として有力だったものとして「報国」を挙げることができる。パトリオティズムの翻訳・受容史の最初期において注目すべき著作の中に、ルイ=シャルル・ボンヌの倫理書があるが、一八七一年刊行の邦訳書は、国のために自分の財産や命までもなげうつ心を「報国志」と翻訳した。

 「祖国のために死ぬこと」に充てられた「報国」という訳語は歴史が古く、九世紀あたりまで遡ってその用例を見出すことが可能である。徳川時代に広く用いられた語であり、将軍や大名に対して武士が御恩にこたえて奉公することを意味した。つまり、将軍や大名ら特定の個人への忠誠なのであって(略)祖国への忠誠ではなかった。

(略)

明治初期の日本政府もまた「報国」をこうした新しい意味で用いていた。一八七二年の徴兵告論には「人たるもの固より心を尽て、国に報ひすんはあらす」との文言が見られる。さらに続けて「苟も国家あれば則ち兵備有り、兵備あれば則ち人々其役に就かざるを得ず」と述べていることから明らかなように、「皇国の民」には、国防という意味においても「国に報ずる」義務があることを説いている。

 伝統的な用語である「報国」をパトリオティズムの訳語として頻繁に用いた知識人の一人に福沢諭吉がいる。(略)

[1866年『或云随筆』で]真の報国とは、軍事的な技術や経済的繁栄の原則などを外国から学ぶことで「国威を張り」他国に遅れを取らぬようにすることであると主張している。ここには、主君一人への忠誠を脱却し、日本国への忠誠を他国との競争の中で発揮することとして「報国」を構想していたことが読み取れる。(略)『学問のすゝめ』では(略)自国のためには財産も命も捨てる覚悟を抱くことを、福沢は「報国の大義」と呼んだ。日本国の一員であるからには、それなりに生活上の「権義」を持つのであり、したがってそれ相応の「職分」も生じるわけであり、一国の自由独立のためにはかなりの自己犠牲も要求することを強調している。

コミュニタリアンパトリオティズム

ここで注意すべきは、ネイションを「政治的自律性の主張を体現する」ものとしている点である。つまり、ネイションは「主張」であって、すでに「自律性」を獲得しているものとは限らない。

(略)

何らかの集団的な過去の経験から、愛国的な人は自分のアイデンティティを受け取り、それを未来におけるネイションの政治的自律へと結びつけることにコミットするというわけである。(略)あるネイションの政治的自律を一つのプロジェクトとして捉える視点が、アラスデア・マッキンタイアの「祖国」観の核心である。

 その重要な含意の一つは、ネイションが現在進行中のプロジェクトである限り、現に実現しているネイションのあり方に対して無条件に無批判的であるわけではないということである。愛国的であるならば、ネイションというプロジェクトにコミットすることそれ自体については、無条件に承認するが、プロジェクトの内容については、必ずしもそれに追従する必要はない。愛国的であることはネイションの現状維持を図ることではなく、祖国の真の特性や歴史、理想に照らして、その政府を批判することが可能だというのである。したがって、自国政府の政策への批判を認めない極端な愛国的立場とは一線を画していることに注意を要する。

 その一方で、そのプロジェクトとしてのネイションは、また「自分のもの」であることが前提となっている。つまり、コミュニタリアンパトリオティズムにおいては、愛国の対象としてのネイションが何らかの普遍性を体現しているかどうかは考察の対象外であり、むしろその個別性・固有性を重んじる。こうした個別性の強調は、普遍的公正や平等を重視するリベラリズムと決定的に袂を分かつ論点である。

 憲法パトリオティズム

 以上のようなコミュニタリアンパトリオティズムへの応答として位置づけられるのが、憲法パトリオティズム(constitutional patriotism)である。憲法バトリオティズムの主唱者の一人、ユルゲン・ハーバーマスによれば、コミュニタリアンパトリオティズムの論旨は、「立憲デモクラシーの普遍的な原則は、各国の政治文化に何らかの形で錨を下ろさなければならない」という点にあった。つまり、立憲的諸原則は、それ単独では、社会的実践を形作ることもないし、自由で平等な諸個人が共同関係を結ぶというダイナミックなプロジェクトの推進力にもなり得ない。市民たちが形成するネイションの歴史的文脈に、立憲的諸原則が位置づけられてはじめて、市民たちが積極的に共同生活を営む動機づけとなるというわけである。

 これに対し、ハーバーマスはスイスやアメリカ合衆国を例にとって、ある立憲的諸原則が実践的にある政治共同体に根をはるためには、全ての市民が同一の言語や同一の民族的・文化的起源を有する必要はないと主張する。ある立憲的諸原則、あるいは「リベラルな政治文化」だけを共通項として市民が分有すればよいのであって、その同一な諸原則を、各ネイションが各自の伝統や歴史に沿って解釈しさえすればよい、というのである。したがって、ハーバーマスの構想する憲法パトリオティズムにおける愛国の対象とは、「立憲デモクラシーの普遍的な諸原則」であることになる。

 この基本理念は、現在憲法パトリオティズムの主唱者として知られるヤン=ヴェルナー・ミュラーも強調している。(略)

憲法パトリオティズムの愛国の対象とは、リベラル・デモクラシーの政治的制度を支える規範や価値、諸手続きである。ミュラーによる憲法パトリオティズム理論は、ハーバーマスとはやや異なり、コミュニタリアンパトリオティズムというよりはむしろリベラル・ナショナリズムに対抗して構想されている。

 ミュラーは、憲法パトリオティズムを、自由で平等な個人たちが共同生活を営む決断をし、その上で、公正な共同生活を営むための基本原理として構想している。したがって、愛国の対象は、「憲法という考え方」それ自体である。無論、憲法がどのように解釈され、どのような具体的な制度や政策に結びつくのか予見はできないし、政策形成の議論の過程で市民の間で様々な異論もあろう。しかし、それらの見解の対立や主張の多様性にもかかわらず、「自由かつ平等な市民はお互いに正当とみなしうる政治的協働の公正な条件を見出すことができるという考え」に忠実であることが、憲法パトリオティズムを奉ずる者にはどうしても必要だとミュラーは強調する。

(略)

そうした文化とは、そこで具体的になされる決定内容に賛同できるかどうかを問わず、市民が公正に共同生活を営むことそれ自体を、彼らが相互に絶えず正当化するプロセスの中から立ち現れるものである。したがって、憲法パトリオティズムを奉ずる愛国者は、政策的な個別争点に関してどれほど意見が対立しようとも、一定のルールの下、お互いに語り合い、学び合い続けることに信頼を寄せる。換言すれば、憲法パトリオティズムの忠誠の対象は、ある特定の人々の集団でも、ある特定の(たとえば、国民やエスニック・グループの)文化でもない。

(略)

 要約すれば、憲法パトリオティズムは、具体的かつ実体的な政治的価値についての合意に主眼があるのではなく、民主主義的な政治文化を批判的に反省するルールとプロセスを、愛国的忠誠の対象として重視するのである。したがって、そうした語り合いから徐々に生まれる「憲法文化」とは、「常に開かれ、そして未完成のもの」である。

(略)

 このような新しいパトリオティズムは、もっぱら理論的な関心から生まれたのではなく、戦後の西ドイツの復興、そして東西ドイツの統一、さらには欧州連合が成立する歴史的過程に伴って構想されたものである。憲法パトリオティズムとは、ヨーロッパ諸国が一つの新しい政治秩序を作るために構想されたものなのである。したがって、その愛国の対象はすでに存在するものではなく、これから未来に向けて作られるものである。その意味で、憲法パトリオティズムにおける愛国の対象は、旧来のものと一線を画している。

(略)

歴史的には、憲法パトリオティズムは、欧州連合のような多元的な政治体を一つのものとして束ねる連帯の基礎理念として提唱された側面がある。しかし、そうした多元的な政治体の構成員を一様に全て「我々はどのような人民になりたいのか」という問題と取り組むように動機づけるにはどうすればよいのか。欧州連合を構成する人々を、ネイションやエスニシティに関するアイデンティティの差異を超えて包み込む枠組みというものを構想できるとすれば、その枠組みはどこにその包容力の源泉を求めるのか。国民国家でなく欧州連合を究極の忠誠の対象とする根拠として、憲法パトリオティズムのいうリベラル・デモクラシーの価値と諸原則だけで十分だと言い切れるのか。

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