仲代達矢が語る 日本映画黄金時代 その2

前回の続き。

仲代達矢が語る 日本映画黄金時代 (PHP新書)

仲代達矢が語る 日本映画黄金時代 (PHP新書)

 

『炎上』、市川雷蔵

もともと歌舞伎出身の方なんですが、とてもインテリでした。新劇の役者に近いといいますか、いわゆる京都の活動屋俳優とはちょっと違った感じがありました。とても考え方やたたずまいが近代的というか。

『鍵』中村雁治郎、京マチ子

中村雁治郎さんはまったく凄いと思いました。もちろん関西歌舞伎の大御所なんですけど、実にざっくばらんな方でして。歌舞伎のこの格式とかなんとかってまったく感じさせない人で、『鍵』のあの役、あのまんま。「仲代はん、東京には遊郭ありまっか」とか聞いてきたり。まさに適役でした。
 京マチ子さんは実際会ってみると物静かで、非常に地味な方で、役柄とはまったく違う印象の人でしたね。でもやっぱり、あの外見、肉体から発する何かありました。

沢島忠『股旅 三人やくざ』

 やくざの一生を春夏秋冬になぞらえたオムニバスでして。松方弘樹さんが売り出し中のやくざの「春」をやって、やくざの絶頂期である「夏」を錦之介さんがやって、そろそろもうやくざって世界いやだなっていう「秋」を私がやって、最後の「冬」が志村喬さんの老やくざ。私はすごく好きな映画なんです。

 沢島忠さんの最大の傑作だと思います。その後も飲んだりしたことはあるんですが、あまり監督としてうるさいとか、権威を保とうとかという人ではなかった。本当の映画職人という感じでした。しょっちゅう笑っていてね。だから、ある種のエンターテインメントを撮らせたらとても面白い監督だったんじゃないかと思うんです。

 あと、東映京都撮影所は大部屋俳優たちの迫力が凄かった。俳優会館行くと、玄関に立ち回りの人が牢名主みたくいるわけです。(略)ちょっと怖かったですね、はじめは。

(略)

 私たちみたいな新劇の人間には親切にはしてくれるんですけど、ただ、斬られ役にはチップを払うしきたりがありました。そうじゃないとうまく死んでくれない。そういう、昔ながらの活動屋っていう名残りはありました。

殺陣

 私はもともと新劇の出身で、萬屋さんとか勝新太郎さんみたいに時代劇のチャンバラの中で生きてきた俳優と違います。そういうコンプレックスがすごくあったもんですから、自分で稽古場を作って一生懸命勉強はしました。でも、やっぱり三船さんとか勝さんとか雷蔵さんとかには敵わないんです。私は雷蔵さんの立ち回りと似てるかな。ただ、雷蔵さんはやっぱり一つの舞いみたいに踊るから、それは違うんだけど、刀のスピード感というのが雷蔵さんに似ているかなと思うんです。

 やっぱり華麗に舞うようにチャンバラがうまかったのは萬屋さんです。それで、三船さんは実際、バツン、バツン、バツンと斬っていて、そのスピード感がすごかったのと、勝さんはまあ座頭市で真骨頂を見せましたけど、斬った後の余韻がうまかったですね。彼の場合、斬ったあと、それをスッと鞘に納めるまでが立ち回りなんです。

(略)

[彼らに敵わない分]芝居の「間」というのをチャンバラでも大事にしました。ただ闇雲に斬るのではなく、緩急をつけていくというやり方で。

 それが出来たのは、カラミにうまい人がいたからですね。(略)

 斬られ役っていっぱいいますけど、その中に、どこの撮影所に行っても五人いるんですよ、うまい人が。これはもう牢名主みたいな人でね。その人たちに意地悪されたら絶対に成功しないんですよ。だから……こんなこと言うと申し訳ないんですが、やっぱりチップをはずむんです。そうすると喜んで綺麗に死んでくれる。(略)

今でも下手な役者がチャンバラやってもどうにか見られるのは、周りがうまい具合にカバーしているからなんです。彼らが日本の時代劇を支えたと言っても過言ではないんじゃないですかね。

 それから、チャンバラというのは幾何学的という気がします。たとえば、カメラが真正面にあるとすると、斬られ役が正面や画面の奥にいれば遠近感を利用することで、私との距離が離れたところで斬られても、観客には本当に斬られたように見えます。それが、斜めとか横の位置に来られると、すごいスレスレまで斬りに行かなきゃいけないし、下手すれば当てなきゃいけないしということがあります。ですから、そういったカメラアングルも計算に入れながら、発何学的に殺陣の手というのは決まっていくわけです。それだけに、斬る側と斬られる側の呼吸が大事なんですよね。

(略)

 無名塾では芝居の基礎を三年教えているんですけど、「一週間のうち半分は着物を着ろ」と言っています。(略)「役によって歩き方が違うんだ」ということも。私が映画界で最初に経験した『七人の侍』で武士の歩き方ができなかったことで、「刀はこれだけの重さがあるんだ。そうすると何寸か腰が下がって、歩き方が変わってくる」ということが勉強できましたから。

 それから、いつ敵がかかってくるかわからないから、武士というのはブラブラ歩くはずないんですよね。

岡本喜八

[デビュー二作目、谷口千吉監督『裸足の青春』の]チーフ助監督が岡本喜八・キハっちゃんだったんです。助監督時代から黒ずくめの西部劇みたいな格好でね、カッコいいんですよ、すごく。女優さんたちはずいぶん当時、「キハっちゃん、キハっちゃん」って憧れていた。

 助監督をあの人、十二、三年やったと思うんですよ。優秀なチーフで[仲良くなり]

(略)

[数年後に監督デビュー]「雪村いづみさん主役で 『結婚のすべて』ってのを撮るんだ。あまりいい役じゃないんだけど、出てくれる?」と言うから、「ああ、もちろん出ますよ、キハっちゃんだったら」って。

(略)

 キハっちゃんって、アクション物を撮らせたらば、もう本当にすごいんです。(略)東宝は本当に重宝していました。ただ、だんだんあの人の中に東宝というメジャーの中で(略)御用監督であるのに飽き足りなくなったんですね。(略)
[『人間の条件』を四年かけて撮っているときに喜八から『独立愚連隊』の話が来たが]

同時期に全く違う感じの軍人役をやるわけにはいかないですから[断った](略)

[『大菩薩峠』で岡本映画主演。岡本や脚本の橋本忍は]

仏教的思想じゃなくて、単なる「理由なき殺人者」として扱ったんです。(略)

 それで、日本ではあまり評判がよくなかったんです。どうしてもやっぱり内田吐夢さんが作ったのがイメージに残っていましたしね。

 でも、アメリカでは(略)熱狂的に受けたんです。特に黒人がたにね。「ヤクがあの時代あったのか!」って。

 それから、チャンバラがすごかった。私は撮影で十日間、ずっと人を斬りまくりました。あれだけチャンバラで人を斬ったのは、ギネスブックに載るほどで。とにかく最後の二十分間ぐらいは斬りっぱなしでしたから。それが外国で受けたんだろうと思います。

(略)

ある日キハっちゃんが「黒澤さんとか小林さんじゃないものを俺は撮りたいんだ。普段のモヤの持っているとぼけたユーモア、喜劇的な部分を撮りたい」って言うんです。それで、『殺人狂時代』という映画を作ることになりました。

(略)

ところが、『殺人狂時代』は封切されたら全くの不入りなんですよ。(略)それまで東宝の首脳部は社長をはじめとして「よろしくお願いします!」と私に頭下げていたのが、三日で打ち止め、東宝始まって以来の不入りの作品になったら、もう誰も挨拶もしてくれないです。特に私は専属じゃなくてフリーでしたから、一本外れたら途端に会社は冷たくなるんです。

(略)

[岡本作品の]テンポを生み出しているのは、彼の運動神経にあると思います。すごく運動神経がいい。自分でも映画の一シーンに登場して、走り回っていましたから。ですから、演技指導もはげしくて。「こう襖の向こうから敵の槍がズブッと来るから、モヤはクルッと一回転して、隣の部屋にそのまま来てくれ。それをカメラが狙うから」とか。でも、私は体がでかくて太いから、画面からはみ出しちゃうんですよ。

 それから、カット割りが細かいんです。コンテ見せてもらうとね、もうほとんど「パラパラ漫画」ですよ。(略)

[黒澤のように予算も日程もなく早撮りするしかないのを]

逆利用して、あえてカットを細かくして、それを編集で積み重ねていくという撮り方にしたんです。それであの独特のテンポ、岡本リズムみたいなものが出てくるんです。

高峰秀子

 高峰さんは子役から映画をやっておられましたから、まあ大先輩ですよね。私は高峰さんと共演する前に、『浮雲』とかそういう名作をずいぶん見ていましたから、一ファンとして、初めて共演する時なんて本当に胸がドキドキするぐらいの興奮を覚えました。

 日本の女優には非常に珍しく、人間のニヒリズムってものをやっぱり強烈に出した人ですよ。なんか女の意地みたいなものをね。私たちから見ると、それはまたステキなんだけど、美しいだけじゃない、きれいだけじゃない、それから、かわいらしいとかっていうのを削いだ女優でした。女の本質を演技の上で出していった。それから、気だるさってものを実に見事に表現されて。

 私と高峰さんは『あらくれ』で初めてお会いするんですけど、そしたらまあ、現場でいろいろ教えてくださる。たとえば、私がタバコを吸っているカットで、最初は引きのカットでタバコを吸っていて。「カット」って言われると、次はクローズアップが来る。最初、私はタバコを腰の辺りに持っていたんです。で、次は顔のクローズアップですよ。その時、私が「タバコの位置、どうしたらいいかな」なんて独り言のように言ってると、高峰さん、「何言ってんのよ。もうここまでカメラが寄って来たらタバコなんて要らないんだ。そりゃタバコを持っててもいいけど。そこのとこをちゃんと計算しなきゃダメよ」ってなこと言われてね。

 それから、「あのね、私、芝居の人、嫌いなんだな。なんか気持ち入れ過ぎちゃって」なんて言う。「どうしてですか」って聞くと、「映画ってさ、パズルみたいなもんで、いろんなシーンから撮るからね。芝居の人は幕が開くと序幕から二幕、三幕って順序にやるけれども、映画ってのはもしかするとラストシーンからだって始める。だから、気持ちの入れ方だって、ちゃんとはじめから計算しとかないとね。舞台の人は、映画俳優のことをなんかちょっと低く見るけど、舞台の人より映画俳優のほうがしんどいよ」ってなことを言うんです。

(略)

子役から長いあいだやってきて、映画界に対するニヒリズムがあったように思えます。どこか普通の女優さんとは違うようなね。

五社英雄

五社さんの演出は特撮的とでも言いましょうか。あくまでもケレンを追っかけた監督です。(略)

 そういう意味では、五社さんは黒澤さんと似ています。『椿三十郎』の最後で、三船敏郎さんが私を斬ってブワーッと血を噴き出すのを見て、五社さんは「負けた!」と思ったらしいです。それで、負けじと、いろんな趣向を狙っていったんです。たとえばフジテレビの『三匹の侍』では等身大の人間が写ったフィルムを作って、それを肩からバサッと斬ると、その間から血がビューッと出るとか(略)

 黒澤さんは黒澤さんで、五社さんを意識されていました。ある時、黒澤さんが「仲代君、君は五社組に出てんだな、しょっちゅう」と言うから、「ああ、出てますよ。友達です」と答えたら、黒澤さんは「言っといて。俺の作り方の真似するな」って。「真似してんだよ、あいつは。また堂々と真似するからな」と言うものですから、「尊敬しているから真似してんですよ」って私も返しました。

(略)

 でも、五社さんが一番尊敬していたのは小林正樹さんです。撮影していても、「五社さんにしちゃずいぶん長い間だな」という時はたいてい、小林さんの真似しているんですね。小林さんって人は、あの人の持っている力かな、長い間でも画面が持つんですよ。五社さんは「こんな長い間が要るかな」ということもありましたが。でも、五社さんも、やっぱりああいう映画作りたいなという思いがどこかにあったんじゃないか。私の推測ですけど。それに、二人は非常に仲良かったですから。小林さんとは麻雀の仲間でもあったんで。まったく作風が違うのにね。

 だからたまに想像するんですが、出だし・五社英雄、真ん中・小林正樹、最後・岡本喜八で締めるという、三人で一本の映画を撮ったら面白い映画になるだろうと。出だしのうまさって五社さんすごいですから。真ん中、たとえばドラマ内容というのかな。それは小林さんがじっくりと引っ張る。最後はスピード感を持ってパツーンと終わらせる岡本喜八さん。まあ、岡本さんが最初になってもいいんですけど。そういうことを考えたりしますよ。

『影武者』

[当初、若山富三郎が信玄、影武者が勝新太郎だったが]

若山さん、「何、黒澤明?そんなうるせえ監督に出られねえよ、俺は」と言って降りたんですよ。それで勝さんが二役やることになったんです。

 撮影前に、あるパーティで勝さんとお会いしまして。その時、「俺さあ、これから黒澤さんのとこへ出るんだけどさ、モヤさ、どう、どうしたらいいの、あそこでは?」って聞いてきたんです。その頃、勝さんは『座頭市』を自分で出ながら自分で監督していたんですよね。だから、「同じようなことしたらとんでもないよ。黒澤さんところ行ったらば、俺もそうだけど、もう言うとおりにやったほうがいいよ。そうじゃないと成立しないよ」って言ったんですよ。「そう? じゃ、そうするよ」っていうんでね、それで別れた。「ああ、これでうまくいくんだな」と思っていました。

(略)

出演OKした時、私は黒澤監督に「本を変えてくださいよ。やる役者が違うんだから、キャラクターも変えてくれませんか」と言ったら、「それはできない。もう撮り始めているんだから」と言われてね。この話は信玄より泥棒のほうが面白いんですよ。信玄は威風堂々というか静か、泥棒は非常に喜劇的要素を持っていて動き回ることができる。ただ、これを喜劇的要素でやっては困るというのが黒澤さんの注文でした。勝さんはやっぱりあの泥棒の役をね、あの人は喜劇うまいですからね、きっと喜劇的な芝居をやったんだと思います。それが黒澤さんには気に入らなかった。

 黒澤さんからすると、「これはあくまでも信玄が主役だ」と。泥棒が目立ってはいけないんです。「あの泥棒までが信玄の人徳によって死んでいく、家臣もみんなも死んでいく話だ」と。だから、泥棒が信玄を食っちゃいけないわけです。それで私も抑え目に泥棒の芝居をしました。

 でも、見てる人は、私の泥棒の芝居を観ながら、「勝さんのほうが面白かったろうな」って言ってんですよ。でも、「勝さんの『影武者』見てないだろう、あなたたち」って言いたいです。想像だけで存在しないものと比べられてもね。

(略)

[俳優座の四年後輩の山崎努]には、いろいろと助けてもらいました。(略)私が代役として入り込んだから、全体の出演者の雰囲気が変わったんですよね。(略)だから、最初はあまり雰囲気がよくなかった。その間に立って山崎はいろんなふうに心配してくれました。

(略)

[クライマックス]
馬が三百頭ですからね。これは大変でした。動物愛護団体がうるさいんで、内緒で撮ったんですけど。馬が倒れるためには薬を打つ必要があったんですが、そのために北海道じゅうの獣医を集めて。でも北海道じゅうの獣医を集めても百人ですよ。それが三百頭に安定剤と睡眠薬を打つわけです。阿鼻叫喚というか魑魅魍魎というか。馬って、倒れる時によろよろといくかと思うんですが、それが違うんです。安定剤まず打っといて睡眠薬打つと、バターンと急に倒れるんです。それで何人も下敷きになって怪我しました。あの一週間は今思い出しても身震いします。ま、それだけの迫力はありますけどね。(略)

救急車が十台ぐらい来ていました。馬が倒れる。人間はその下で死んだふりしていてくれって言われる。倒れた馬の脚が来て頭を蹴られたら……危ないですからね。それを黒澤さんは、「馬は動いてもいいけど、死人は動くな。人間は動くな」と言ってね、それで現場は三日間ストライキですよ。そりゃ人間だって怒ります。

 私も最後はその馬が倒れている中に飛び込んでいくんですけど、撃たれて倒れていたら、馬が眠っているそのいびきが、もう地鳴りのように地面から湧き上がってきましたね。(略)

馬はずいぶん亡くなりましたし、腰を骨折した人もずいぶんいるし。まあ、黒澤明だからできたのかなあということはあります。

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