戦後日本の国家保守主義 その2

前回の続き。 

戦後日本の国家保守主義――内務・自治官僚の軌跡

戦後日本の国家保守主義――内務・自治官僚の軌跡

 

日本躾の会、日本レクリエーション協会

もう一人の大物官僚、石原信雄の経歴を見ると、善行会に類似した社会統制のための準国家機関がほかにも存在することが明らかになる。石原が名誉会長を務める日本躾の会は、一九八〇年ごろ任意団体として活動を始め、一九九五年に社団法人化されたものである。

(略)

善行会同様、躾の会も「ふれあい」の発行費用を日本宝くじ協会からの助成金に頼っており、この補助金が収入の三割を占めている。

(略)

[会の目的]

「私たちは、日本人として日本の文化・習慣を大切に継承し、理念をふまえ、後世に伝えてまいります。また、現代社会に対応した躾(モラル・マナー・秩序・倫理)を提言し、実践してまいります」

(略)

石原が副会長としてかかわりを持つもうひとつは、日本レクリエーション協会である。この協会は戦後再結成されたものであるが、そのルーツは古く、一九三八年に創設された日本厚生協会である。(略)

その事務局も厚生省体力局体育課におかれ、役員も多くが厚生官僚であった。

(略)

厚生省の目的は、日本厚生協会を通じてさまざまなレクリエーション活動を監督下におき、「健全」なレクリエーション活動を促進し、日本国民の余暇を管理することであった。

 こうした発想のモデルとされたのが、ファシスト・イタリアのドーポラヴォーロであり、ナチス・ドイツのクラフト・ドルヒ・フロイデであった。

 大物官僚がパソナ

新自由主義の台頭による国家機構の再編と国家──社会関係の変容をもっとも雄弁に物語るのは、退官後も準国家機関に留まりつづけた林や鈴木と異なり、石原に至って、私企業に雇われの身となる内務・自治系大物官僚が登場したことである。経済官庁ならいざしらず、旧内務省の流れから官房副長官まで上りつめた、国家を体現するような大物官僚が私企業に仕える事態が生じたことは、ひとつの画期と言える。

(略)

[ことは鈴木の後継を狙った東京都知事選で]青島幸男に破れ落選したことに始まる。(略)このこと自体、大物自治官僚が知事へと容易に転身していた時代が、少なくとも都市部において終わりつつあったことを表していたと言えるだろう。落選に終わった石原は、まもなく野村證券に顧問として迎えられるが、その理由は「自治省時代に地方債の制度にたずさわった人なので、地方財政の専門家として証券業務についていろいろアドバイスをしてもらいたい」というものであった。

 さらに石原は、二〇〇六年より人材派遣業の大手、パソナグループのアドバイザリーボード代表に就任し、パソナが公務員の再就職を斡旋する仕組みを構築するに際して助言をおこなうこととなった。さらに翌二〇〇七年に竹中平蔵総務大臣を特別顧問(のちに取締役会長)としたパソナは、首尾よく同年、国家公務員の再就職先を紹介する総務省所管の「人材バンク」の仲介業務を受注したのであった。こうして、国家公務員制度の頂点に君臨した官僚自身が、私企業に天下ったばかりか、その私企業が公務員の天下り斡旋という新しいビジネス・チャンスへと触手を伸ばすことを手助けするに至ったのである。

地方自治体にたかる

 [旧自治省管轄下最古参財団法人、地方財務協会]

平たく言ってしまうと、地方公共団体は地方財務協会への会費と引き換えに、法や政省令改正の解説や総務省の発する通知など、本来ならば行政資料として無償で一般公開されてしかるべき情報を国家から得ているというのが実態である。

(略)

政治団体名簿』の二〇〇九年版に、総務省が全都道府県に指示して集めたものの、一般公開を拒んでいた国会議員の関連政治団体リストが流用されていたことが、朝日新聞によって明らかにされた。総務省政治資金課の官僚が入手した本来は無償で公開すべき情報を、個人の資格で勤務時間外に活動している名目の政治資金制度研究会として同書の出版に用い、地方財務協会から一二万二〇〇〇円の報酬を得ていた(略)

総務官僚が、公開している総務省管轄の行政情報をまとめただけの図書や、自分たちの作った法令の解説本で小遣い稼ぎをすることはさしたる咎めもなく常態化していると見ていい。(略)

二〇〇六年度に地方財務協会が支出した原稿料や監修料計六六〇〇万円のうち、実に半分以上が総務官僚に対してであった(略)

[地方財務協会建設の職員住宅]の一部を、新築当初から自治・総務官僚に提供していたのである。賃料は近隣の民間住宅の半額以下に設定されており(略)

なかには政界に転出したり、出向や退職したりした後も引きつづき居住するケースが明るみになった。いずれにしても国家の権威を貶めるかのような地方財務協会(すなわち地方自治体)へのたかり方である。

宝くじマネー

 自治官僚が長い年月をかけて作り上げた準国家機関といえば、宝くじをめぐる数多の財団法人がおりなすヒト(天下り)とカネ(助成金など)のネットワークの規模に勝るものはない。(略)

[戦争末期軍事費調達手段として「勝札」]

戦後もそのままインフレ対策や戦災復興の目的で宝くじの発売はつづけられた。政府くじが廃止された後は、都道府県ならびに政令指定都市にのみ宝くじの販売が許され、東京オリンピックへと向かう数年間は宝くじ発行額の二%に相当する一億円をオリンピック資金財団に寄付したのであった。すでに見たように、東京オリンピックには鈴木俊一が東京都の担当副知事として、また組織委員会の事務局にも次長として二人の旧内務官僚が関与(略)

この後もオリンピック、万国博覧会、そしてサッカー・ワールドカップなどの国家的イベントに際して、内務・自治官僚が事務局で采配をふるうとともに宝くじ収益金からの資金面での支援もつづけられている。

(略)

[64年]日本宝くじ協会が設立された。当時の宝くじ販売額は五〇億円程度で「役員の人件費が払えなかった」ため、同協会は、地方財務協会の理事長、事務局長、事務次長を兼務として、事務室もまた間借りするというかたちで発足し、それがこんにちまでつづいている。地方財務協会が自治官僚たちによっていかに便利に使われてきたかを示すもうひとつのエピソードと言えるだろう。

 この日本宝くじ協会とともに全国自治宝くじ事務協議会から毎年巨額の委託宣伝費を受け取り、地方公共団体公益法人などに助成金を配分しているのが(略)自治統合センターである。(略)

 二〇〇八年度には、日本宝くじ協会が一八三億円、自治総合センターが九八億円で合計二八一億円に上る宝くじの普及宣伝受託収入を得ている。(略)

億単位の大口助成先としては、日本赤十字社地域活性化センター日本消防協会、消防科学総合センター、全日本交通安全協会など(略)自治総務省管轄ないしは旧内務省系省庁管轄の公益法人が目立つ。むろん日本赤十字社厚生労働省、全日本交通安全協会警察庁地域活性化センター日本消防協会、消防科学総合センターは総務省天下り団体でもある。

(略)

[自治総合センターが一般市町村内「コミュニティ活動」に配分した六〇億円の七割は]

寺社における祭礼・郷土芸能にかかわる神輿、山車、太鼓、獅子頭などへの支出が多く、公金であればその支出の宗教性が問題になるところを「民間」からの助成金ということで回避しつつ、国家保守主義の支配を支える自治会・町内会活動にそれぞれ一五〇~二五〇万円程度のきめ細やかな資金配分をおこなっていることがうかがえる。

(略)

直接宝くじを発売する権限を持たない一般市町村が、石油危機以降の財政難に対応するために働きかけた結果、一九七九年から都道府県が市町村振興宝くじ(サマージャンボ宝くじ)を発売し、その収益金を各都道府県に設立された市町村振興協会(地方協会)に交付し、さらにはそのうちの二〇%を地方協会の連合組織として同時に設置された全国市町村振興協会に配分

(略)

全国市町村振興協会の理事長ポストも自治省事務次官消防庁長官天下り指定席となっている。

(略)

 このように、宝くじ資金が地方自治体や財団法人などの団体に流れる主要なルートは、日本宝くじ協会自治総合センター全国市町村振興協会の三つの財団法人のいずれかを経由している。

(略)

 ところで、国家保守主義の変遷との関連で見落とせないのは、宝くじマネーとそれによって下支えされる国家機関の拡大が本格化するのが、やはり新自由主義転換の進んだ一九八〇年代以降であるということである。(略)

[法改正で]最高当せん金額が大幅に引き上げられた。一等賞金は一九九六年に初めて一億円となり、一九九九年には二億円、二〇〇〇年に四億円に達した。一九九二年に設立された株式会社日本宝くじシステムという自治官僚天下り団体の研究開発によって、一九九四年から初の数字選択式宝くじとしてナンバーズが導入され、その後もミニロトロト6と商品の多様化も進められた。こうして一九八二年の段階で二五〇〇億円程度であった宝くじ年間販売額は、二〇年後の二〇〇二年には四倍に膨れあがり、一兆円を突破した。

(略)

重要なのは(略)宝くじ関連団体が、こうした宝くじマネーの急速な肥大化によって中曽根政権以降のバブル期に次々と設立されたことである。

(略)

民間企業との接点が少なかった自治・総務官僚の「ニーズ」に応えるかのように、潤沢な宝くじマネーと地方自治体から徴収する拠出金や分担金によって、天下り先としての財団法人が次々と設立されていった。

(略)
消防庁関係団体にも宝くじマネーが流れていて、かつ天下り先となっている財団法人は少なくない。(略)

日本消防協会は、明治期に内務省警保局におかれた大日本消防協会に始まる歴史の長い組織で、全国の消防団を束ねることから一定の組織票を有し、歴代会長に自民党の大物政治家(大野伴睦や川島正次郎、近年では片山虎之助など)を数多く含むなど、戦後も国家保守主義のひとつの礎石として機能してきた。

警察官僚の天下り

 「国家のなかの国家」とも言うべき自治省であるからこそ、こうした私企業への天下りはいまだに数が限られている。しかし、同じ内務省の流れを汲む警察庁を比較のために見てみると、自治省に先んじるかたちで国家保守主義新自由主義転換の帰結を指し示していると言えそうである。

 そもそも自前の天下りポストが少ないのは警察庁も同じであり、その代わり、旧内務省系の建設省や厚生省管轄の特殊法人や道路、鉄道、航空の運輸関連、そして原子力関連組織などへの天下りが旋されていたのであった。

(略)

総じて、自治省と比較して中央・地方政界入りの道が早くから閉ざされており、また防衛庁内閣官房以外は他省庁幹部ポストへの食い込みがないこともあり、天下りの幹旋のニーズは高かったものと思われるが、その分、公安・警備ばかりか用地買取、争議対策などのために「用心棒」として再雇用先を見つけることは比較的容易であった様子がうかがえる。

(略)

財団法人として警察庁が独自に構築していった準国家機関ネットワークは、道路交通行政と交通安全啓発にかかわるものにほぼ特化してきた。

(略)

より露骨な利権拡大めいた動きが出てくるのは、やはり新自由主義転換と軌を一にしていた。一九八二年に風俗営業法を梃子にパチンコ業界にかかわる保安電子通信技術協会(現・保安通信協会)を設立し、遊技機(パチンコなど)の型式試験の指定試験機関とし、主として警察庁の技官トップポストにあたる情報通信局長の天下り先としたあたりからそうした動きがはじまった。

 一九八〇年代前半くらいから(略)局長止まりの警察官僚が先行して民間の大企業に願間、監査役、役員として天下りするケースが現れはじめるのである。

(略)

 一九八〇年代後半になると、警視総監経験者[が銀行顧問に](略)一九九〇年代前半に入って警察庁長官[経験者も銀行顧問、カプコン監査役日本製紙監査役に](略)

とりわけ一九九三年の商法改正によって、企業不祥事を防ぐ趣旨で一定規模以上の企業に社外監査役の設置が義務づけられると、警察官僚に限らず法務官僚・検事OBも大挙して監査役として職を得るようになったことが指摘されている。営利企業においても「用心棒」として引っぱりだこになっていくさまがうかがえる。

 こんにちに至るまで、警察官僚の天下り業種は金融・保険・建設・商社、そして製造業(カプコンのほかにもコナミやアルゼなど遊技メーカーを含む)など、実に多岐にわたる。公安・警備の直接的なつながりで言えば、原子力発電関連の東京電力などのほか、JR東海や航空会社なども少なくない。さらには、民間警備会社そのものとしてはセコムの副社長、のちに副会長を務めた椿原正博(略)

治安を守るはずの警察官僚が、治安が悪化する(ないし悪化しているように認識される)と儲かる民間警備会社に再就職している

おわりに

(略)

 戦後の焦土のなかから旧内務官僚たちの目指した国家機構の権威の再建は、一九七〇年代後半までに一定の成果を挙げた。しかし、豊かさのなか、社会の多様化が進展し、保守的な価値秩序への国民統合はかえって困難を極めた。

(略)

[保革伯仲時代に突入し]保守統治エリートの反転攻勢としての新自由主義転換が一九七〇年代末より始まる。彼らが地方政治で革新自治体を切り崩し、中央政界で臨調行革路線による革新陣営の社会的基盤への攻撃を推し進めた

(略)

 国家保守主義には、「国家主義的な保守」として国家の権威の発揚を図る第一の位相と、「保守的な国家」を掲げ、国家に過度な負担をかけることなく前近代的な規範のもとに国民を統合する第二の位相が内在する。新自由主義転換は、実はこの第二の位相を新自由主義的言説にすりかえ(略)国民統合にかかるコストを国家が放棄し、社会に押しつけることにほかならなかった。こうして新自由主義転換が進むにつれ、国民統合、社会統制、人民教化のための「国家の触手」として存在していたはずの準国家機関は、次第に内務官僚の末裔が国家の権威を笠に着て自らの権益を確保するための道具へと変質していったのであった。このことは、国家保守主義の深刻な空洞化を意味していた。

(略)

政治のなかで国家の概念がリアリティを失い、官僚たちまでもが国家の権威や国家へのアクセスを切り売りするような天下り行動をとるようになっていった。

(略)

こんにち保守統治エリートが振りかざす国家保守主義の残骸のようなものは、極めて空疎で観念的な国家しか構想できなくなっている。国家の制度的基盤たる官僚制において、新自由主義転換を受け入れてしまったがため、足腰を欠いた幽霊のような観念的復古主義が席巻するところとなり、国民統合のために何のすべも持たないことをむやみやたらと道徳や教育の問題にすりかえて、国家保守主義のそぶりをするごまかしに堕している。

(略)

その傍らで、保守統治エリート内で相対的にのし上がってきたのが(略)国家に寄生する特権階級としての世襲政治家であった。国家権力を世襲財産であるかのようにみなす彼らは、天下り官僚たちとはまた別の意味で国家の権威と権力を私物化し空洞化する者たちにほかならないが、この現実を覆い隠すためにこそ、観念と情緒に偏る復古的ナショナリズムをもてあそぶのである。

(略) 

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