哲学者マクルーハン 知の抗争史としてのメディア論

 

哲学者マクルーハン 知の抗争史としてのメディア論 (講談社選書メチエ)

哲学者マクルーハン 知の抗争史としてのメディア論 (講談社選書メチエ)

  • 作者:中澤 豊
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/10/12
  • メディア: 単行本
 

 竹村健一マクルーハン理解

[竹村健一マクルーハンを誤った解釈で日本に紹介したという解説を読んで、竹村本は価値なしと思い込んでいたが]

マクルハーニズムを通じて「日本文化」を再発見することこそ、マクルーハンを読む意義のはずである。まだ邦訳が一冊も出ていない段階でそれをやった竹村の功績は強調してもし過ぎることはない。日本におけるマクルーハン旋風は、竹村が半分以上吹かしていたことは間違いない。

(略)

 まず、竹村のマクルーハン理解から始めることにしよう。竹村は、本の冒頭マクルーハンの経歴を紹介する中で、マクルーハンカトリック系の学校ばかりで教えていたことに触れ、こう書いている。

 

彼のような斬新な発想をする男が、キリスト教でも古いほうのカソリシズムに改宗しているのはおかしいと思われようが、壮大荘厳な教会の中でのミサを体験した方なら、それがマクルーハンのいう「深いところでのコミュニケーション体験」であることがおわかりだろう。プロテスタント教会には見られぬ祭壇の深い美しさ、香のにおい、着飾った僧の動き、響きわたる声──人間の全感覚をゆり動かす荘厳なミサである。説教にしてもプロテスタントのものと大いに異なる。いわゆるインテリとして、頭で客観視する態度ではまったく理解できない祈禱文が朗読される。そのなかに没入する気持ちになってはじめて全体験が可能となるのである。

(略)

 この一節だけで、竹村がマクルーハン理解の本質を捉えていることが分かるのだが、さらに、「結局マクルーハンは、あらゆる問題をとらえてオールナイトの討論会をやっている男として考えるのがいいのかもしれない。けっして結論は出ないが、興味あるヒントがつぎつぎと飛び出してくる。彼によって私たちは新しい道を開かれ、古くからある問題を新しい方法で見ることができるのである」と、実に的確な指摘が続く。マクルーハン理解は「方法の問題」であることがすでにこの時期に竹村は分かっていた。そしてマクルーハン理解の最重要ワード「インヴォルヴメント」についてこう語る。

 

すなわち、いままでの理論は「論理的であり、分析的で」あったのに、彼は「詩的に、直観的に」理論を展開したのである。日本にはこういうインボルブメントを要求する理論方式──たとえば禅や茶道の本があったのに、西欧型になってしまった現代の知識人は、その中へ入ってゆくことができず、「客観的批評」しかくだせなかった。まったく違ったメディアで語っている男に対して、従来の(別種の)メディアで答えて何になるだろうか。(略)彼らがマクルーハンと対話できないのも理の当然である。

(略)

 マクルーハンは、「共産主義とはサービスである。電話はサービスである。電気世界はすべてサービスであり共産主義である」と言って学生たちをポカーンとさせた。そして「なぜならだれもそれを所有しないからだ」と続けた。こうした次元の違うものを比較して強引に結びつけるのがマクルーハンなのだが、竹村はこのマクルーハン流の隠喩(メタファー)を十分に理解できる思考方法の持ち主だった。竹村は、隠喩を理解するのは活字人間ではなく、むしろ本をあまり読まない人がマクルーハンを理解できる、と言っているがまさにその通りなのである。隠喩を理解するのは知識ではなく経験なのである。

I・A・リチャーズの影響

[1934年、ケンブリッジへ]

その後のマクルーハンの軌跡を決定づけることになるI・A・リチャーズに出会えたことである。

 リチャーズは、意味論の研究者、新批評(ニュー・クリティシズム)の提唱者として知られる著名な文芸批評家である。(略)

[当時]文学研究の分野ではI・A・リチャーズの影響は絶大だった。リチャーズがマクルーハンに与えた影響について、マクルーハンと親交の深かったイギリスの批評家ジョン・ウェインは、「もしマニトバ大学卒業後、ケンブリッジでなくてオックスフォードに行っていたならマクルーハンの仕事の全軌跡は全く違ったものになっていただろう」と言っている。というのも、当時オックスフォードの英文学部には、中世研究のC・S・ルイス、熟達の伝記作家D・セシル、シェイクスピア演劇法の研究者N・コーギルの三人の最高の知性がいて、三人はいずれも読者、聴衆を、基本的に作品の作用が及ぼされる素材として扱っていた。すなわち、偉大な文学作品の豊かさによって彼らが分かる場所へ導かれ、指導され、案内されるべき対象として読者を見ていた。

 オックスフォードの批評家は、作者を歴史上の時代の中に固定し、時の歪曲によって引き起こされた誤謬を正すために研究したが、哲学(倫理学)を学び、その後、読む行為に伴う認知プロセスに興味を抱いて文学に転じたリチャーズ(略)は、何よりもまず読み手の心理状態に関心があった。

(略)

 『意味の意味』には「言語の思考に及ぼす影響と象徴学の研究」という副題がついているが、象徴すなわち暗示的な効果の研究が「意味」の理解には欠かせないとリチャーズは考えていた。学生には、詩や小説の作者の名前を隠して純粋にテクストとして読解させ、批評させる分析的作業をやらせた。そうすることで、読み手は作者の意図や伝記的事実、作品の時代背景から離れ、純粋にテクストが生み出す効果に注意を向けることができる。意味は作品に内在するものではなく、読み手がテクストから再生する経験にあるというのがリチャーズの考えであった。すなわち、「何を」だけではなく、「どのように」受け止めるかの知覚能力、およびその知覚への影響の研究に取り組む環境がそこにあった。リチャーズは、詩の解釈にあたって詩の「形式」がもたらす心理作用についてこう書いている。

 

ほとんどすべての詩において、言葉の音と感じが、つまり詩篇の内容に対してそれの形式としばしば呼ばれるものがまず作用しはじめ、そしてそののちにいっそう明らかに把握される言葉の意味はこの事実によって微妙な影響を受ける。

 

 このリチャーズの、詩の「形式」が読者に及ぼす心理作用への注目が、後の「メディアはメッセージである」につながっていくことを予感させる一文だが、いずれにしてもリチャーズ流のこうした読者の心理状態に重きを置いたテクスト解釈が、もともと作者匿名の広告や大衆文化に向かうと読者、視聴者側の感受性が極端に誇張されて、「ユーザーがコンテンツである」、「米国のテレビ番組もカナダ人が観ればカナダの番組だ」といった、後のマクルーハンの言葉になるのである。

『探求』 、エドマンド・カーペンター

[52年急ぎ応募したフォード財団助成金で二年間四万四〇〇〇ドル獲得、これで雑誌『探求 Explorations』発行]

『探求』の編集の中心になったのは、文化人類学エドマンド・カーペンターである。(略)[トロント大学マクルーハンと]意気投合し、共同研究を始めた。カーペンターは、『探求』の共同編集者として紹介されることが多いが、実際は、一号から六号までの編集長はカーペンター一人であり、マクルーハンは(略)共同編集者の立場であった。

 カーペンターは、活力と才能あふれる編集者だった。(略)デザイン、レイアウト、印刷なども非の打ち所がなく、雑誌が平凡なものにならなかったのはカーペンターがいたからであると評価されている。七号と八号はマクルーハンとの共同編集長になっているが、『探求』の編集は、間違いなくカーペンターが仕切っていた。

(略)

カーペンターの人類学的、社会科学的なアプローチが、メディア論を「論」らしくした。マクルーハンは「論」は嫌いだったので、メディア論を辛うじて学術的な「論」にしたのはカーペンターの功績である。

 カーペンターの「メディア論」への貢献があまり語られることがないのは、マクルーハン理論の中にカーペンターの研究成果がうまく統合されてしまい、カーペンターが言ったこともマクルーハンの言葉として世の中に流布してしまったということがあろう。

ドラッカーとの交流

[1940年頃学会で無名のマクルーハンを知り興味を持ったドラッカーは自宅に招待]

彼は、いつも自分の考えていることだけに夢中になってはいたものの、楽しい客だった。しかし、二〇年以上に及ぶ付き合いの中で、一度たりとも、私が何をしているのかを尋ねたこともなければ、私の説明を聞いたこともなかったと思う。彼もまた、彼自身のことについては一度も話したことはなかった。いつも、彼は考えていることについて話した。いつも、妙なことばかり考えていた。彼は実によくわが家に立ち寄った。ほとんどあるいはまったく予告なしに、訪ねてきた。そして、ある夏の風と雷の真夜中の一時、彼はニュージャージーの私たちの家の呼び鈴を鳴らした。びしょ濡れの彼がにこにこ立っていた。

(略)

すぐに彼は考えていることを話し始めた。朝食まで話し続けた。彼がわが家に立ち寄って彼に見えるものについて話をしたのは、この夜が最後となった。あの一九六〇年代初めの六月の夜、ついに彼は啓示を受けたのだった。あの夜、彼は自分が話し続けてきたものの全貌を目にしたのだった。それを告げたくてわが家に駆けつけたのだった。その夜彼が語ったことは、彼の最も重要にして明晰かつユニークな著作、『グーテンベルクの銀河系』として世に出た。

(略)

あの嵐の夜、マクルーハンは約束の地を見つけたのだった。その後はもう聞き手は必要としなかった。(『傍観者の時代』)

カトリックへの改宗と隠喩

 マクルーハンは、宗教が「隠喩的体験」であることが分かっていた。プロテスタントが排斥した契約、秘跡、宗教的儀式、歌、音楽、教会建築の装飾、聖職者の祭服、そうした宗教的儀式と伝統のすべてが神の存在を語る隠喩なのである。

(略)

プロテスタントは信仰を理論あるいは概念であると考えた。そのプロテスタントの合理精神は、マクルーハンが最も嫌悪する「文学や芸術分野への不寛容」となって現れた。

 カトリック教会はプロテスタントが捨て去った古代文化、即ち「レトリックの知」の保護者・伝達者であった。マクルーハンカトリック教会へのアプローチは、そのまま電子メディア環境を理解する方法となった。それはマクルーハンが好んで使う「インヴォルヴメント」ということである。信仰とは客観的に理性的に理解するものではなく、全人格的な体験、インヴォルヴメントでなければならない。マクルーハン現代社会の理解の方法も同じであると考え、そのことを説明するとき、エドガー・アラン・ポーの『メエルシュトレエム(大渦巻)に呑まれて』をしばしば引用している。(略)

渦巻きにインヴォルヴされたとき、水夫は全感覚を使って、しかも楽しみながら渦巻きを知ろうとした。そうすることで渦巻きから逃れる流れを発見できた。マクルーハンは、信仰体験から学んだ知覚の働かせ方を現代社会の理解に当てはめていた。メディア社会という「自然の書物」と聖書という「書かれた書物」を並置させ、知覚を使って「知る」ことに努めたのである。

写本は「聴触覚メディア」

 宗教世界と世俗社会は、現代先進諸国では完全に分断されている。それを我々は近代と呼んでいる。(略)

中世においては、両者は地続きでもっと渾然一体となって社会の中で共存していた。現代からみれば、中世社会は迷信と宗教的儀式に縛られた不自由な時代に見える。だが、社会が世俗と宗教に今ほど分断されていなかったという意味では統合された社会であった。

 今日の両者の分離を招いたものは、政教分離令のような法律や諸制度ではなく、世俗社会における「隠喩」の喪失である。印刷文化の合理精神が日常から隠喩を奪った。印刷本以前には写本があったが、美しい装飾や図像が施された写本は近代の印刷本とはまったく違うメディアであった。写本の図像は、修辞学や口誦の文化が知識を管理するために必要とする記憶術に結びついていたが、正確に反復できる印刷の視覚的な特性は、知識を管理するために図像に頼ることを減らし、正確な言葉づかいによる科学的な記述を促した。

 マクルーハンは、『グーテンベルクの銀河系』で、写本文化が会話的であったこと、古代・中世を通して「読むこと」は、音読を、ときには誦詠すら意味していたことを、資料を示しながら詳細に説明している。

(略)

『告白』には、師のアンブロシウスの読書生活についての次のような記述がある。

 

彼が読書していたときには、その目はページを追い、心は意味をさぐっていましたが、声と舌とは休んでいました。

 

 アウグスティヌスがこう書くほど、黙読は異例なことで、この不思議な人物の読書風景を一目見ようと見学者すら出る始末だったのである。写本は一人読むものではなく、聴衆を前に声に出して歌うようにして読むものであった。文章にも精密な描写はなく、書かれていないところは読み手が身振り(ジェスチャー)で補う「聴触覚メディア」であった。それゆえ、写本は声の文化に内在する隠喩的な想像力を奪いはしなかった。それが印刷本によって、声から文字への媒体(メディア)の転換が起きた。聴覚的な動的世界は視覚的な静的世界に翻訳され、文学から、日常から、修辞的機能が失われていった。 

プラトン序説

プラトン序説

 

 プラトンが攻撃するロ誦の伝統

 プラトン解釈者たちは、プラトンの詩人に対する主張を額面どおり受け取るのをためらい、プラトンが攻撃したのは本物の詩人ではなく二等、三等の詩人であるとか、批判は本気ではないなど、現代の好みに合わせていろいろと釈明せざるを得なかった。ハヴロックは、このプラトンの詩人への激しい攻撃についてまったく新しい解釈を提示した。すなわち、プラトンの詩人への攻撃は、古代ギリシャの口誦的な精神状態に対する新興のアルファベット・リテラシー教養人プラトンの攻撃であったというのである。

 詩人は声にせよ所作にせよ、誰かに似せてせりふを語る。その時詩人はその人をミメーシス(模倣)し、その人になりきっている。その時、聴衆もまた詩人の朗誦の魔術のとりこになり、詩人と一体化(ミメーシス)する。プラトンが攻撃したのは、そうした理性を失わせるギリシャの口誦の伝統(教育制度)であった。

(略)

ハヴロックは、ギリシャ人の「詩を記憶する並外れた能力は、客観性の完全な喪失を犠牲にしてしか得られなかった」と述べている。

 プラトンはそうしたミメーシスがもたらす心理状態を「劣ったもの」、「イデアを遠ざけるもの」として攻撃しているのである。

(略)

 文化史家のワイリー・サイファーは(略)『文学とテクノロジー』で、プラトンらアルファベット識字人間がミメーシスの心性を失っていく様を次のように説明している。

 

ホメーロス風の詩は元来、聞き手が一個人としての自意識などほとんどもたず、物語られる事件と自分を全く同一化するような儀式的場において語られ、歌われたものであることに疑問の余地はないように思われる。この種のミメシスは舞踏への参加にも似た協同体的経験、「流行病」性のメセクシスであった。しかし、アルファベットを用いたテクストの出現によって、この感情移入的状態は禁じられ、読者はそこから自らを孤立させ、それを距離をおいて見つめるといった文学を与えられることになる。彼は読みながら考える。そこで批評能力が活動しはじめる。読者自身の自我意識が介入してくれば、本来の聴覚的=運動神経的反応は美的判断によって、ある程度封じられる。たとえば読者はこう自問する。この人物の行ないは筋が通っているだろうか、このエピソードはありうべきことであろうかと。こうなれば、読者はもはや自分が読んでいるもの合体することはない。

 

 『国家』が書かれた目的は、ギリシャの教育制度を独占してきた詩人たちから、その支配権をプラトンら「哲学者」が奪いとることにあった。

(略)

 プラトンが攻撃のターゲットにしているのは、詩人が語っている内容ではない。詩人のコミュニケーション様式そのものである。彼が批判しているのは詩人という「メディア形式」による効果(メッセージ)なのである。プラトンイデアとは、ギリシャ社会を脱部族化するために、口誦の伝統のなかに記憶された知恵のエンサイクロペディアを、書かれた言葉によって視覚的に組織化し、カテゴリー分けした知識に配列し直すことであった。

次回に続く。

 

文学とテクノロジー (高山宏セレクション〈異貌の人文学〉)

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