フィッシュマンズ全書 その2

前回の続き。  

フィッシュマンズ全書 FISHMANS Chronicle(1988-)

フィッシュマンズ全書 FISHMANS Chronicle(1988-)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2018/12/07
  • メディア: Kindle
 

月刊カドカワ 1996年3月号

[『暴動』が]いちばん好きなアルバム。SLY&THE FAMILY STONE全部。なかでも特に「Family Affair」、この曲が好き。考えられる音楽のよさが全てつまってる。もうほんとに全て。メロディー、リズム、緊張感、静けさ、興奮、繰り返されるハマリ具合、革新性などなど。最近の日本じゃ、メロディーだけがよけりゃそれでいい、サビの歌詞がオモシロきゃそれでいい、そんな感じでつまんない。いつもどっかで聴いた感じ、誰がやってもいい感じで超ダサ。もっともっと全て、歌詞から構成、ギターの音から声の出し方まで全部で曲の世界を作り出す、そのほうが圧倒的に深い。この曲はその感じがすごく伝わってくる。聴くほうに襲いかかってくる、いわゆる「音楽」って感じがする。ボクは静かな興奮を味わうのが好き。ちょっとだけ優しくてすごくきびしい音。あんまり甘いとつまんない。心をちょっと揺さぶる音。腕のあたりがゾクゾクしてくる音。どっかにもっていってくれる音。そんなのが好き。この歌は騒いだりせず静かに包み込むように唄ってる。後半のSAXも同じ。この感じはすごい伝わってくる。そう、伝わってくる、音楽は伝わるのが大事。終わんなきゃいい、この曲がずっと続けばいいって思わせる、ちょっとだけ気合をいれて、目をつぶって聴きたい感じの曲だと思う。

 月刊カドカワ 1996年5月号

佐藤伸治インタビュー

(略)

最初、ヨロシタミュージックって事務所から声がかかって、そのあとりぼんが来て。さすがに悩みましたよ。事務所に入るとプロにならなきゃいけないとか、俺らがプロになっていいんだろうかっていうね(笑)。こんなんでいいの?こんなんでデビューしていいの!?って。

(略)

バンド・ブームってのもあったんでしょうね。それに他のメンバーがすでに乗り気だったからね。特に欣ちゃんとか小嶋がね。アマチュアの頃はその二人がひっぱってたってのはありましたね。

(略)

で、ヨロシタには自由な風が吹いてるっていう印象があったんです。で、りぼんってのはカッチリしてるぞ、でもRCがいたぞっていう(笑)。かなり悩んでね。りぼんに桶田賢一さんって人がいて、その人と話をしてたら、「俺RCのメンバーだったんだよね」って話になって。それで盛り上がってりぼんに入っちゃった気がするな(笑)。(略)その人の影響がデカかったですね、りぼんに入ったのは。でも桶田さんはすぐ辞めちゃうんだよね、フリッパーズ・ギターの事務所設立で(笑)。すごく憎たらしかったもん。

(略)

[1stは]小玉和文さんにプロデュースをお願いしたんです。そのころのアマチュアって、やたらリズムがよわよわだったんですよ。で、自分たちでもいかんともしがたいものがあってね。それで小玉さんに頼んだところはあるんです。だからファーストはけっこうデカかったですね。小玉さんはリズムに異様にうるさくてね。最初全然分からなかったもん、何言ってるか(笑)。「間奏はリズムで押すんだよ」って言われてもその発想が全然分からなかった。僕は間奏にこそギターを入れたいって気持ちがあるのにね。だからそのころはすごくケンカしましたよね。分からないこといっぱいあったし。でも、けっこう後悔してるっていうかね。ああ、あんなこと言わなきゃよかったって今思ってます(笑)。

(略)

 2枚目の窪田晴男さんはギタリストには厳しかったですね、すごく。(略)一旦レコーディングが終わると、小嶋は部屋に呼ばれてずーっと夜中練習してましたからね。

(略)

うまいヘタじゃなくて盛り上がったテイクを選ぶタイプでしたね。だから、このアルバムは……俺たちっぽくないかな、冷静に考えると。でも、そのとき俺たちすごく元気だったんですよ、何でか知らないけど。

(略)

勉強になりましたよ。こうやってレコーディングは進んでいくんだなって。

(略)

[3rd]

このころサンプリングマシーンを買うんですよね。たぶん誰かに言われたんですよ、サンプラーというのがいかにいいものかって。で、もう毎日サンプリングしまくってましたね。あとは、このアルバムでずっとライヴやってたエンジニアの人が参加できるようになったんですよ。これもデカいですよね。エンジニアぐるみでやると、好きなことやっちゃおうぜって感じになりますからね。

(略)

 でも、この後一時ライヴ志向になった時期もあって、4枚目の『ORANG』は完全にそうなんですね。3枚目の後にマキシ・シングル2枚出すんですよ。それでライヴがすごくいい感じだったんです。ライヴでやっててすごく快感があったんですよ。ライヴ・アレンジってのがすごくおもしろくてね。生バンドが打ち込みやってるみたいな感触をやりたかったんですよ。(略)

でね、すごく好きなアルバムになりましたよ。(略)

でも、作ってツアーやって一段落してからは、もっとテンポの遅い曲やりたいなって思ったかな。もっとドローンとしたものをね。このアルバムで小嶋が抜けるんだけど、このバンドではギタリストとしての快感があまりにもなかったんだと思います。
 フィッシュマンズって、絵で例えると点描画みたいで、すべてが点なんですよ。それが理想なんです。その点の集合がカッコいいっていう。絵から遠のいて見てみると雰囲気と立体感が表れるっていうね。だから、最初サポートの人は変なアレンジだなって思うみたい。でも、ちょっとデカめのライヴハウスでやると、「ああ、よーく分かったよ、きみたちの言いたいことは」って言われる。PAを通してると、なぜこのテンポなのか、なぜこんな音の少なさなのか分かるって。実は俺も最初はそう思いましたもん。ちょっと遅いんじゃないって。譲(ベース)がその点、先を行ってたところはありますね。

(略)

[ポリドール移籍]

辞めたんです、突然。HAKASE、曲まで書いたのに(笑)。リハ最終日の帰りぎわに、「明日までにここんところもうちょっと考えておくよ」って言ってたのに、次の日に辞めるって電話がきてさ。分かんねーんだ。HAKASEはよく分からなかったな、最後まで。プレイヤーとしてはすごいと思うけど、人間としては最後までよく分からなかった。なんで辞めるんだろうって本当のところは分からないですね。けっこう話し合ったんですけど。
 そんなんで『空中キャンプ』を作るんだけど、俺たちのプライベート・スタジオができてね。(略)

音楽っていろんな気持ちよさがあるけど、フイッシュマンズは十回聴いてやっとわかる気持ちよさがいいなって思ってたけど、普通のスタジオで作ると余裕なくてそれより攻撃的な感じがして、いざ家に帰って何十回も聴くにはきつすぎるのがすごくイヤだった。家でがっぽりいけるような感じがとにかく欲しかったんです。

(略)

音はどんなにうるさくてもいいんだけど、その中に静かな何かが聴こえるっていうか

(略)

それがこのアルバムではいけてるんですよ。カッコいいなって、我ながら思います。 

ディクショナリー 1996年 no.49

HOW TO MAKE A SONG

「BABY BLUE」

佐藤伸治「歌詞はいつもサラサラッと書くことにしてる。サラッと書いてあんまり見直したりしない。自分がすごくバカでダサくて無力な、社会のクズみたいな気分で、とっても謙虚な気分で書くことにしてる。そうやって誰にも見つからないような歌詞を書くのが好き。もうどうだっていいようなこと、紙クズみたいなもん、それを何年もやるのがいい。この曲もそう、もうずーっとおんなじ感じです。ヨロシク」
「SEASON」
この曲の詞の中にも出てくる「僕ら半分夢の中」、そんな中で、今あったことがもう過去になっていくような、気分を歌にしてみたかったのです。まるで何も見てなかったり、まるで地に足がついてなかったり、過去と未来がなくなったり、フッと逆に感じたり、まるで自分が役立たずに思えたり、そんなことを歌いました。(略)

 『ez』96年12月号

 ●フィッシュマンズはだんだんシリアスになってきているように感じますが……。

佐藤「そうです。やっぱりシリアスにやらないと通じないと思う。そこが音楽がナメられる原因だって気が僕はするんです。音楽はかなりナメられてる。だからマジメにやる。純粋にやればそうなるんだと思う」

●誰がナメてるの?

「(笑)いや、9割5分の国民がナメてるよ。作る人も聴く人もレコード会社のひとも含めて、芸術の歴史というものを軽視してる。本当は、ミュージシャンの“こういうことをやりたい”っていう純粋な気持ちと、リスナーの“こういうのを聴きたい”っていう純粋な気持ちが直接結びつくのが普通じゃないですか。それがあまりになさすぎる。それに対して、誰一人立ち上がろうとはしない」(略)

リズム&ドラムマガジン 1997年8月号

茂木欣一インタビュー

●今回は一曲の中でも生ドラムとMIDIドラムを併用してますよね。生ドラムだけで演奏した曲は?
「WALKING IN THE RHYTHM」と「DAYDREAM」の2曲。ラディックのバスドラにスネア、ハイハットに、20”のライドを1枚!
●「MAGIC LOVE」は生ドラムじゃないんですか?
ハットだけ生で、あとは全部自分のラディックの音をサンプリングしたものなんですよ。「POKKA POKKA」「うしろ姿」「バックビートにのっかって」は全部MIDIドラム。ライブではローランドのMIDIドラムだけど、レコーディングではヤマハのTMXを使ってます。
●「WEATHER REPORT」はリズム・パターンが凝ったものになっていますが、これは?

打ち込みとMIDIドラムですね。打ち込みのデータには、僕だけじゃなくて、ZAKが叩いたデータも入ってるんですよ。それをぐちゃぐちゃに混ぜて“面白い!こんなことになっちゃった”って感じかな。僕、人に叩かせるの大好きなんです(笑)。あとは「IN THE FLIGHT」ですけど、これは佐藤君のデモ・テープに入っていた音をそのまま使っているので、僕は参加していません(笑)。

(略) 

8月の現状

8月の現状

 

ミュージック・ライフ 1998年9月号

 (略)

──今回のアルバム、今まですごい、すごい素晴らしい仕事をしてきたZAKがいないんですけど?

「うん、コンビ解消(笑)。理由は、端的に言うとあまりに頼りすぎたなぁっていう感じかなぁ。『このままいくとだめになっちゃうよ』って感じで、向こうから『さようなら』でした」(略)

篠原ともえのクレクレミラクル大作戦 vol.23

篠原 (略)シノハラ、二十歳になるんです。それまでに何かを成し遂げたいんですよ。おふたりは二十歳の頃、何をしてたんですか?

佐藤 10代の頃は二十歳になれば人生が変わると思ってたね。二十歳の頃…、ウウ、嫌なこと、思い出したよ。(前の)バンドのメンバーに“どうせ就職するのに、バンドなんか続けてもしょうがねぇ”って裏切られてさ、解散したんだ。暗かったね、悩んだね、俺は。

佐藤伸治、急逝以降

remix 2005年6月号 茂木欣一インタビュー

[バンドを象徴するような印象的エピソードは?]

ひとりひとりメンバーが辞めていくたびに、「辞めていってもいいけど、俺たちはバンドとしてどんどんタフになっていくぜ」という感じでバンドが強くなっていったところがある。

ミュージック・マガジン 2006年2月号

ZAKインタビュー

──『ネオ…』を手がけたきっかけは?

「佐藤君が強く推してくれたみたいです。セカンドから推薦してくれてたみたいですが、当時のレコード会社は、実績のない者をいやがって。

(略)

──欣ちゃんが言うには『宇宙…』の時に佐藤君のデモ・テープがソロ色が強くなって、それをバンドにどう落とし込むか苦労したということですが、実際どうだったんでしょう。

「正直に言ってぼくは、それを受け切れないバンドの状況も辛かったんですよね。(略)

デモそこまで完成されてると、その音がぼくは好きだから、これでいいじゃんって思って。でも、バンドだから何かやらなきゃいけない。その時点で、それはそれで受け流せば…バンドも受け入れて、これは必要だから、これは必要ないからってスムーズにやっていければ良かったんですけど、ちょっと迷っちゃった。サトちゃんこういうものを作ってきて、困ったなあと。でも彼の曲が大好きだったし、彼が作るものは素晴らしいと思ってた。

(略)

3人がね、同じ方向に向いてれば、ぼくも行けるんだけど、佐藤君と欣ちゃんと譲がまたちょっと違う方向で。二人が“どうしよう?”ってなって、ぼくがそれを見て、“んん?どうしたらいいんや?”って。みんなどうしたらいいのかわからない。そこまで大人じゃなかった。経験がなかったから。

──そこで割り切って、じゃあデモ・テープ通りにやればいいとはならなかった。

「もちろんそういう曲もあって、それでうまくいってる曲もある。でも、何か知恵を絞って作ったっていうのが問題かなと。

(略)

すごく。できあがったものから苦労が読み取れちゃうんですよ」

(略)

ぼくがいなくなってから〈ゆらめき In The Air〉がありますけど、やってることは〈デイドリーム〉と同じだと思うんです」

──ああ、なるほど…。それがフィッシュマンズから離れるきっかけですか?

「(略)[『宇宙…』を]作っててちょっと辛かったんですよ。別にバンドの状態がひどいとか仲悪いじゃなくて、でもなんかうまくいってない」
──『空中キャンプ』の、すべてがうまくいってる感じとは逆の状況ですね。

(略)

〈デイドリーム〉をやってる時にこれで終わりやって思った。“この曲で終わりや”って、自分でミックスをしながら。やればやるほど終わりに近づいてる気がして

(略)

佐藤君が亡くなっちゃったから

(略)

すべてにおいて何でも予兆ってのは現れるんですよね。音楽ってのはそういうのが出やすいから」
──辞めるのはZAKさんから言いだしたんですか。

「ええ。(略)

[佐藤の家に行ったが留守で]

東北沢の踏み切り前にクルマで止まったら向こうから佐藤君がきて。踏み切り越えて道端で何時間か話して。で、薄々感じてたからわかったと。ライヴは辞めないでくれと言われたけど、俺は切り替えなきゃダメだ、ライヴも辞めるわって。極端だけどその次の野音から辞めた」
──こういう言い方したら失礼ですが、男女の別れみたいな感じでもありますね。
「(笑)。確かに恋愛関係に近いかもしれない。そのバンドをどれだけ愛してたかっていう話。逆に続けていくことで、中途半端になあなあになるのは嫌だったから。

(略)

── やっぱり『宇宙…』って、ひとりぼっちな感じはありますよね。
「ありますね。すごいそれが悲しかった。『空中キャンプ』は、ぼくも他の人も受け入れてくれてその感覚を共有できたっていうのがある。『宇宙…』では共有しきれなかった、そういう意味では。もちろん個人的に届く強い力はあったと思う。音楽的な面では『宇宙…』はすごく高いレベルにあると思うんですけど…俗っぽいかな。欲望が表れているというか。何かしてやろう、何かしないとダメっていう感覚がね」

(略)

──以前、佐藤君が、バンドとソロは違うんだ、バンドの方が娯楽的な部分が多いんだっていうことを言ってて(略)

娯楽を除いた佐藤伸治の本質が出てる曲は何ですか?って聞いたら考え込んじゃったんだけど(笑)

「はははは。ぼくはすごくハッキリしてて、〈シーズン〉なんですよね。

(略)

彼の曲だけども、できた曲はみんなの総意だった。演奏していた人、ミックスしていた人とそれに関わった人たちすべての曲じゃないですか。〈シーズン〉はそれが出てる。あの曲は“未来”だと思うんですよね」

 〈コメント〉植田亜希子(マネージャー)

(略)

──スタジオでの作業はどんな様子だったんですか。

「(略)[スタジオの構造上]一斉に音をだせない。何時から何時までは柏原(略)みたいな。パーツごとに作っているから、完成見取り図がわからない。メンバーはわかってると思うんですけど(略)

それがどうなっていくのか見ていくのが楽しかったですね」

──3人とはどんな会話を交わしてたんですか。
「ワイキキは、2階がスタジオで、1階がリビング的な雰囲気だったんだけど、ずーっとゲームしてたり、TV観てたり、それぞれ好きに過ごして、やる人だけが上に行く。私は1階で暇な人と遊んでることが多かったですね。音楽と関係のない話ばかりしてましたね、クルマの話とか。佐藤とは、洋服の話とか。長袖シャツが欲しいとなると、あとで電話がかかってきて「欲しがってた感じのがあったよ。あの店に大至急行った方がいい」とか連絡網として回ってくる。二人とも珈琲好きなので、地方に行っても喫茶店に行ってボーッとしてたり。ある時から、喋らなくても平気になりましたね。機嫌悪いときはあるけど、そういうときは“構うな!”モードを全開にしてたから、放っておいて」

(略)

[メンバーの離脱について]

「そういうことがあっても、しょうがないって思ってるところがあった気がします。といって淡々としてるわけでもなく、あんまり人に言わないだけで。ZAKさんのときも絶対に痛手は大きかったと思うんですけど、それも同じ。(略)

私に対しても、俺たちの担当になるとみんな辞めるんだよねって言うんです。だから、辞めてくれと言われるまで辞めないっていうのが私の目標でしたね。(略)

“いろんな人が辞めていって辛かった、ある時から諦めるようになった”って言ってました。思った以上にショックだったんじゃないかなと」
──それで内向的になって、人と一線を引いてしまうようなところはあったんですか。
「懐に飛び込んでドンドンってやると、意外にあっさりドアを開けてくれました。逆に女の人の方がいいのかも。女の人ってそういう部分ですうずうしいじゃないですか。私は若かったし、怖いもの知らずだったんで。そういう人が周りにいなかったのかもしれない。身近なところで気楽そうな私がいたんじゃないのかな」
──バンド内の関係性というのはどうだったんですか。

「佐藤は、自分の思ってることを最後まで言わないことで、誰かが何かを言い出して変わる、ってことをすごく期待してました。誰かとやることによる変化というか。『空中キャンプ』以降はすごくライヴの本数が増えたこともあって、HONZIさんと関口さんがいて、5人でフィッシュマンズって意識が強かったと思う。やっぱり女の人が入ると違うなと思いましたね。だいたいご飯はHONZIさんが決めるし(笑)、HONZIさんが入ったことですごく変わったと思います」

(略)

[『宇宙日本世田谷』での状況]

「たぶんみんな悩んでたんでしょうけど、あのときはメンバーの個別作業が増えてしまって。レコーディング期間が長いというのもあったのですが、スタジオに人が集まらないんですよ。前まではあんなに毎日何をするでもなく集まってたのに。『空中キャンプ』のころのような部室感がなくなったというか。佐藤も、みんな来てるの?って怒って。

(略)

[ミックスを]聴いたか聴いてないか、感想があったら書く、っていうチェック表を作った記憶があります(笑)。その後ZAKさんが離れるんですけど、佐藤はそうなることを予感してた気がします。そんなことを匂わしたこともありましたね。
 ただ『8月の現状』のときはまたみんな集まって作業してたし、解散の危機とか全然思わなかったですね。柏原が辞めるときも、今まで3人でやってたわけじゃないし、スタッフもいっぱいいるし、そういう意味で抜けるのはかなりの痛手だけど、みんなでフイッシュマンズをやっていこうよって。だからムードは悪くなかった」
──亡くなる直前はどんな感じだったんですか。
「………やっぱり体調を崩してたんで、しんどそうだった部分はあったんですけど、何かいい休みになればいいなと思ってました。さっき話に出たように、調子悪い時は表に出なくていいんじゃないっていう話もして。……本当に……次のことはみんな楽しみにしてただけに、残念というか。