ブローティガン『東オレゴンの郵便局』翻訳比較

平石貴樹が「アメリカ短編ベスト10」を選んで自身で翻訳してるのだけど、その中の「東オレゴンの郵便局」が藤本和子訳と印象が違うので、比較のために並べてみた。長文なので引用括弧はなし。『東オレゴン~』に関しては平石訳の方が好み。

アメリカ短編ベスト10

アメリカ短編ベスト10

 

平石貴樹訳) 

『東オレゴンの郵便局』ブローティガン

 東オレゴンをドライヴしていく。季節は秋、猟銃は後部座席に、弾はダッシュボードというのかグラブボックスというのか、まあどっちでも好きなほうに入っている。
 山ばかりのこの里へ鹿狩りにやってきた大勢の少年の、ぼくも一人だ。ぼくたちは遠くから来た。きのう暗くなる前に出発して、それから一晩中走って。
 今では陽射しが車の中までギラギラ照って、虫みたいにうるさい。外へ出られなくてフロントガラスにぶんぶんぶつかるハチかなにかみたいだ。
 ぼくはひどい眠気の中で、隣りの運転席に巨体を押しこんだジャーヴ叔父さんに、この地方の動物たちについて質問している。ぼんやりジャーヴ叔父さんを見やる。ハンドルが叔父さんにすごくくっついて見える。叔父さんの体重は、軽く一〇〇キロを超えている。車は叔父さんにはちょっと窮屈だ。
 眠気の薄もやの中で、ジャーヴ叔父さんは噛みタバコのコペンハーゲンを噛んでいる。いつもそうなのだ。むかしコペンハーゲンはだれからも愛されたものだった。至るところに広告の看板が出ていた。今はもうそんな看板も見あたらないけど。

 叔父さんは高校時代、地元で有名なスポーツ選手だったし、そのあとはまた伝説の遊び人だった。一時期はホテルの部屋を同時に四つ借りて、それぞれにウィスキー壜を忍ばせておいたけど、そのときの人たちはみんないなくなってしまった。叔父さんも歳をとった。
 叔父さんは今では落ち着いた、思索的な暮らしをしている。ウェスタン小説を読んだり、毎週土曜の朝にはラジオでオペラを聞いたり。でもコペンハーゲンだけは口から離さない。四つのホテルの部屋と四本のウィスキー壜は消えたけど、コペンハーゲンは叔父さんの運命となり、永遠の符牒となったのだ。
 ぼくはダッシュボードの中の二箱分の三〇口径弾のことを、わくわく思いやる大勢の少年の一人だった。「山ライオンはいるの?」とぼくは尋ねる。
「クーガーのことかい?」とジャーヴ叔父さん。
「うん、クーガー」
「いるさ」と叔父さんは言う。叔父さんは赤ら顔で髪も薄め。美男だったことは一度もないのだけど、それでも女性たちは叔父さんを好きになるのをやめなかった。ぼくたちは同じ小川を何度も何度も渡った。
 少なくとも十回は渡ったのだが、その小川に出くわすのはいつも新鮮だった。長くて暑い乾期のせいで、水かさも低くなったその川が、ところどころ伐採された山あいを縫っていくのは、なんとなく気持ちがよかった。
「オオカミもいるの?」
「すこしはね。もうすぐ町に着くぞ」と叔父さんは言った。一軒の農家が見えた。だれも住んでいなかった。楽器みたいに捨てられている。
 農家の脇には大きな薪の山があった。幽霊たちが薪を燃やすのだろうか。それは幽霊しだいだろうけど、薪は何年もたった色をしていた。
「山ネコは?山ネコには賞金がかかってるんでしょ?」
 ぼくたちは製材所を通りすぎた。小川のむこうに、丸太用の小さな堰き止め池があった。二人の男が丸太の上に立って、一人は手に飯ごうを持っていた。
「二、三ドルな」とジャーヴ叔父さんが言った。
 ぼくたちは町に入った。小さな町だ。家や商店は時代がかって、もうさんざん風雪に耐えたように見える。
「クマはどうなの?」とぼくは言ったが、ちょうどそのとき車は道なりに角を曲がって、目の前には小型トラックが停まり、二人の男がトラックの脇に立ってクマを下ろしていた。
「このあたりはクマがいっぱいさ」と叔父さんは言った。「ほら、そこに二ひきいるだろ」
 本当に、まるで仕組まれたように、男たちはクマを持ちあげて、そろそろと、まるで黒い長い毛のはえた大きなカボチャを扱うみたいに丁寧に、トラックから下ろしていた。ぼくたちはクマのそばに車を停めて降りた。
 周りに集まってクマを見ている人たちがいる。ジャーヴ叔父さんのむかしの仲間だ。みんな一斉に叔父さんにむかって、やあ。どこへ行ってたんだい。
 そんなに大勢の人たちが一斉にやあ、と言うのをぼくは聞いたことがなかった。ジャーヴ叔父さんは何年も前に町を出ていた。「やあ、ジャーヴ。やあ」ぼくはクマたちまでやあ、と言うんじゃないかと思った。
「やあ、むかしの悪ガキのジャーヴ。ベルトみたいに腰に巻いてるのは、そいつはなんだい、グッドイヤーのタイヤかい?」
「はっはっ、クマを見ようじゃないか」
 クマは両方とも子グマで、重さ二、三〇キロといったところだ。ここから北の「サマーズ爺やの川」と呼ばれる川のあたりで仕留められたのだった。母親グマは逃げ延びた。子グマたちが死んでしまうと、母親は藪に駆け込んで、ダニにやられながら隠れて見ていた。
 サマーズ爺やの川だって!そこはぼくたちが狩りに行こうとしている場所ではないか。ぼくは今まで行ったことがなかった。クマがいるのか!
「母グマは荒れてるだろうな」と集まった男の一人が言った。ぼくたちはその人の家でやっかいになる予定だった。クマを撃ったのはその人だった。ジャーヴ叔父さんの親友だ。大恐慌時代に、同じ高校のフットボール・チームで活躍した。
 女の人が一人やってきた。両手で食料品の袋を抱えている。立ち止まってクマたちを見ようと、ぴったり近づいて前かがみになるので、セロリの先端がクマの顔をつんつんと突いた。
 クマは運ばれて、古い二階建ての家の玄関ポーチに置かれた。その家は辺りという辺りに白い板飾りがほどこしてある。まるで前世紀のバースデーケーキだ。ロウソクみたいに、ぼくたちはそこに一晩泊まることになった。
 ポーチの周りの格子の柵には、なんだか変な種類の蔓草が育っていて、そこに咲いた花はさらに変だった。蔓や花は見たことがあったけど、人家の周りではない。それはホップだった。
 家でホップを育てているのを見るのははじめてだった。花の趣味としてなかなか興味深い。でも慣れるのにはしばらくかかる。
 陽射しは前から照りつけ、ホップの影がクマにかかって、クマ(ベア)は二杯の黒ビール(ビア)みたいだった。壁にもたれてクマたちはそこにすわらされている。
──いらっしゃい、みなさん。なにをお飲みになりますか?
──ベアを二杯。
──冷えてるかどうか、冷蔵庫を見てみましょう。しばらく前に入れといたんです。……よし、よく冷えてます。
 クマを撃った男は自分では欲しくないと言ったので、だれかが言うには、「町長さんにあげたらどうだい?あの人はクマが好物だよ」町の人口は、町長もクマも加えて三五二人だった。
「ここにいるクマをさしあげますって、おれが町長に伝えてやろう」とだれかが言って、町長を探しに出ていった。
 ああ、あのクマたちはどんなにおいしいだろう。焼いても、揚げても、茹でても、スパゲティに入れてもいい。イタリア人が作るようなクマのスパゲティだ。
 だれかが保安官のところで町長を見かけたという。一時間ぐらい前のことだ。まだそこにいるかもしれない。ジャーヴ叔父さんとぼくは出かけて、小さなレストランに昼ごはんを食べにいった。網戸のドアがひどく傷んでいて、押すと錆びた自転車のような音がした。ウェイドレスが注文を訊いた。ドアの脇にはスロットマシンがいくつかある。このあたりの郡では、賭け事が許されていた。
 ぼくたちはローストビーフのサンドイッチとグレーヴィをかけたマッシュポテトをとった。ハエが何百ぴきもいた。天井のあちこちからハエ取りの長い紙が、縛り首の縄みたいにぶらさがっている。そこにつかまってゆっくりくつろいでいるハエもたくさんいる。
 老人が一人入ってきた。牛乳をくれと言う。ウェイドレスが持ってきた。老人はそれを飲むと、帰りがけにスロットマシンに五セント硬貨を入れた。それから首を横に振った。
 食事が済むと、ジャーヴ叔父さんは郵便局へ行って葉書を出す用事があった。歩いていってみると郵便局は意外に小さな建物で、掘っ立て小屋というのが一番ぴったりだ。網戸を押して中に入る。
 郵便局らしい物がたくさんある。カウンター、それに古時計。海の中の人のヒゲみたいにだらりと長い振り子が、なんとか時間に遅れないように、ゆっくり左右に揺れている。
 壁にはマリリン・モンローの大きなヌード写真が貼ってあった。郵便局でそんなものを見るのははじめてだ。マリリンは大きな赤い布の上に横たわっている。郵便局の壁に貼るのは変だと思ったけど、考えてみるとぼくのほうが、この土地では変なよそ者なのだった。
 郵便局員は中年の女の人だった。一九二〇年代に流行したような唇の色やかたちをまねている。ジャーヴ叔父さんは葉書を買って、カウンターの上で、コップに水をそそぐような調子で葉書を淡々と埋めていった。
 それには一、二分かかった。半分ぐらい書いたところで、叔父さんは手をとめて、マリリン・モンローを見あげた。見あげる叔父さんの目には、色気めいたものはなにもなかった。マリリンが山と森の写真でも、きっと同じだっただろう。
 叔父さんがだれに葉書を書いたのかは覚えていない。たぶん友達か親戚だったのだろう。ぼくはただそこに立って、マリリンのヌード写真を一生懸命見つめていた。それから叔父さんはその葉書を出した。「おいで」と叔父さんは言った。
 ぼくたちはクマのいる家に戻っていったけど、クマはいなくなっていた。「どこへ行ったんだろう?」とだれかが言った。
 大勢の人たちが集まってきて、みんないなくなったクマのことを話し、そこらあたりをちょっと探したりした。
「もう死んでるんだからさ」とだれかがみんなを安心させるために言ったけど、やがてみんなは家の中も探しだして、女の人はクローゼットの中まで調べるために入ったりした。
 しばらくすると町長がやってきて言った。「腹ぺこだぞ。わしのクマはどこかな?」
 跡形もなく消えちゃったんですよ、とだれかが説明すると、町長は「ありえんことだ」と言い、出ていってポーチの下を覗きこんだ。クマたちはそこにもいなかった。
 一時間ぐらいたつと、みんなクマ探しをあきらめた。陽がかたむいていった。ぼくたちは玄関ポーチにすわっていた。ここはむかしむかしクマさんたちがいました、といった感じになっていた。
 男の人たちは大恐慌時代に高校でフットボールをした話にふけり、自分たちが歳をとって太ったことについて冗談を言いあった。だれかがジャーヴ叔父さんに、あのホテルの部屋四つとウィスキーの壜四本はどうなったんだい、と尋ねた。叔父さんを除いてみんな笑った。叔父さんはほほえんだだけだった。夜になりかけたころ、だれかがクマたちを見つけた。
 かれらは脇道に停めた車の前座席にすわっていた。一ぴきはズボンをはいて、チェック模様のシャツを着ていた。おまけに赤いハンチング帽をかぶり、口にパイプをくわえ、二本の前足をハンドルにかけて、むかしの大レーサーのバーニー・オールドフィールドみたいだった。
 もう一ぴきのほうは、男性雑誌の後ろの広告ページに出ているような白い絹のネグリジェを着て、両足にはフェルトのスリッパがはめられていた。頭にはピンクのボンネット帽が結ばれ、膝にはハンドバッグが置かれている。
 だれかがそのハンドバッグを開けてみたけど、中身はからっぽだった。みんながっかりしていた。でも、なにを見つけるつもりだったのか、ぼくにはわからない。死んだクマがハンドバッグの中になにを入れておくというのだろう?


 不思議なのは、このクマの話をそっくりぼくが思い出したきっかけである。それは新聞で見たマリリン・モンロー、若くて美しく、いわゆる人生の望みのものをすべて手に入れた身の上なのに、睡眠薬自殺をしてしまった彼女の死の写真なのだ。
 写真とか記事とかなんだとか、新聞中がこの事件でいっぱいだ。黒っぽい毛布に包まれて、台車で運ばれていくマリリンの遺体。この写真を壁に貼る東オレゴンの郵便局はあるだろうか。

 写真では、付き添い人が台車を外へ押しだそうとしている。陽射しが台車の下まで伸びている。ブラインドと、それから木の枝々も写っている。

 

芝生の復讐 (新潮文庫)

芝生の復讐 (新潮文庫)

 

  (藤本和子訳)

 東オレゴンを車で走る。秋。後座席には銃、ジョッキー・ボックスあるいはグローヴ・コンパートメントには榴散弾。
 わたしはこの山岳地帯で鹿狩りにでかけて行くひとりの子供にすぎなかった。もうずいぶん遠くまできていた。日暮れ前に出発して、そして夜どおし走って。
 いまではもう、虫のように、暑い陽ざしが車のなかで輝いて、うっかり閉じこめられてしまった蜂かなんかのようにぶんぶん唸ってフロントガラスにあたる。
 わたしはとても睡くて、前座席のわたしの隣に押しこめられていたジャーヴ叔父にその界隈のこと、動物のことを訊ねていた。わたしはジャーヴ叔父のほうを見た。彼は運転していたが、ハンドルが不自然な近さにあった。彼は体重が二百ポンド以上もあったのだ。彼は車からはみだしそうだった。
 睡たさの薄明りにジャーヴ叔父がいて、彼の口にはコペンハーゲンがあった。いつも噛んでいた。昔はみんなコペンハーゲンが奸きだったのだ。買え、買えと、そこらじゅうに広告があったものだ。もうこの頃ではあの広告は見られなくなってしまった。
 ジャーヴ叔父はかつて、高校生のときにはその地方では名の知られた運動選手だったし、その後は伝説的な遊び人になった。ある時期には、同時にホテルの部屋を四室も借りていて、各室にウィスキーが置いてあったものだったが、でも、そいつらはもうなくなってしまった。彼が歳をとってしまったからだ。

 その頃のジャーヴ叔父はウェスタン小説を読み、土曜日の朝にはきまってラジオのオペラを聴いたりして、もう物静かに自省的な暮しを送っていたのだ。いつも口にはコペンハーゲンがあった。四つのホテルの部屋と四本のウイスキーはあとかたもなく消え去った。コペンハーゲンが彼の運命、永劫の状況となったのである。
 わたしはジョッキー・ボックスにしまってある二箱の30/30口径銃用の榴散弾のことを考えて楽しくなっているひとりの子供にすぎなかった。「マウンテン・ライオンはいるの?」とわたしは訊ねた。
「クーガーのことかい?」
「そう、クーガーのこと」
「いるとも」ジャーヴ叔父はいった。彼の顔は赤くて、髪が薄くなっている。彼はもともとハンサムではなかったのだが、女たちにはいつも人気があった。わたしたちは同じクリークを幾度も幾度も渡った。

 すくなくとも十数回は渡ったのだが、それでもそのたびになんだかうれしくてはっとするのだった。川は長い暑さのために水かさが滅っていて、部分的に伐採された土地を流れていた。

「狼はいるの?」
「すこしな。もうすぐ町だ」とジャーヴ叔父がいった。農家が一軒あった。誰も棲んでいない。楽器みたいにうちすてられていた。
 家の脇に、たくさんの薪が積んであった。亡雲たちが薪を焚くのだろうか?そりゃあ、焚いたとしても彼らの勝手だけれど。薪は長い歳月の色をしていた。
「山猫はどうなの?山猫を捕るとほうびがもらえるんだろう?」
 わたしたちは製材所を通りすぎた。クリークの向うは、水を堰きとめて丸太用の貯水池になっていた。丸太の上に、男がふたり立っていた。ひとりは弁当の箱を手に提げていた。

「ニ、三ドルだよ」とジャーヴ叔父がいった。
 もう町だった。小さな町だ。家々も店もチャチなもので、三年の雨風にさらされてきた様子をしていた。
「熊はいるの?」とわたしは角を曲がるときに訊いたのだが、ちょうどその時、わたしたちの目前に一台の小型トラックが見えて、車から熊を降ろそうとしてふたりの男がトラックの傍に立っていたのだ。
「この辺りは熊だらけよ」とジャーヴ叔父がいった。「ほら、そこにも二頭いるぜ」
 なんと、まあ……まるでそれが予定のことだったみたいに、長い黒い毛に覆われた巨大なかぼちゃでもあつかうようなやりかたで、男たちが熊を車から降ろそうとしているところだったのである。
 熊の傍に車を止めて、わたしたちは降りた。
 熊を眺める人々が集っていた。みんなジャーヴ叔父の知り合いだ。みんながジャーヴ叔父にやあやあといった、どうしてた、えっ?と。
 それほど多勢の人たちがいちどきにやあ、やあ、というのを聞いたのははじめてだった。ジャーヴ叔父がその町を去ったのはずいぶん昔のことだった。「やあ、ジャーヴ、やあ」わたしは熊たちもやあというのではないかと思った。
「やあ、ジャーヴ、相変らずのしみったれ。ベルトのかわりに腰に巻いているのはなにかね、えっ?車のタイヤか?」
「へっ、ふざけやがって。どれどれ熊を見せてもらおうか」
 二頭とも、五、六〇ポンドの小熊だった。
「サマーズ爺のクリーク」のところで射たれたのだ。母親熊は逃げた。小熊たちが死んでしまうと、母親熊はやぶに逃げこみ、だにどもとともにじっと身をひそめていたのである。
「サマーズ爺のクリーク」のほう!まだそこへは行ったことがなかった。熊たち!
「母親熊は容赦しないだろうぜ」とそこに集まっていた男たちのうちのひとりがいった。その男の家にわたしたちは泊まることになっていた。彼が熊を射ったのだ。ジャーヴ叔父と仲が良かった。大恐慌のころ、高校フットボールで一緒だったのだ。
 女がひとり通りかかる。腕に食料品の袋を抱えていた。立ち止まって熊を眺める。態たちのほうにずっとからだをかしげるようにしてずいぶん近くまで寄った。セロリーの葉を熊たちの顔にぐいと押しつけるようにして。

 連中は熊たちを運んで行って、二階建ての古い家の正面のポーチに置いた。家のへりにはずうっと木の飾りが菓子のようについている。前世紀のバースデー・ケーキだ。わたしたちはその夜そこに泊る蠟燭だった。
 ポーチをかこむ格子垣には奇妙なつたが絡んでいたが、それにはさらに妙な花が咲いていた。そのつたの葉も花もわたしはそれまでに見たことはあったが、家にそんなふうにして絡まっているのははじめてだった。ホップだった。
 家にホップが絡まっているのを見るのははじめてだった。花はおもしろい味がする。でも、その花の味になれるのにはちょっと時間がかかった。
 家の表側に陽ざしがあたって、ホップの影が熊に落ちかかり、熊たちはまるで二杯の黒ビールみたいだ。彼らは壁にもたれて、そこに坐っていた。
「イラッシャイマセ。呑ミ物ハナニニナサイマス?」
「二頭ノベあヲ」
「冷エテマスカドウデスカ、冷蔵庫ヲシラベマショ。チョット前ニ入レタバカリダモンデ……アア、ダイジョウブ、冷エテマスネ」
 熊を射ち殺した本人は熊は欲しくないというので、「じゃあ、市長にやったらいいや。市長は熊が好きだからね」と誰かがいった。その町の人口は、市長と熊たちをいれて、三五二人だった。
 「熊をあげますよ、と市長に伝えてくるよ」と誰かがいって、彼は市長を探しにでかけた。
 ああ、この熊たちはどんなにうまいことだろう。蒸し焼きにしても油で焼いても茹でてもいいし、スパゲティにしてもいい。そう、イタリア人たちが作る熊スパゲティみたいに。
 保安官のところで市長に会ったよ、という者がいた。一時間前のことだ。まだそこにいるかもしれない。ジャーヴ叔父とわたしは小さなレストランヘ行って昼食をとった。そこの網戸はぜひとも修繕が必要で、開けると錆びついた自転車のような音をたてた。ウェイトレスがなににしますかとわたしたちに訊ねた。扉の傍にスロットマシンが何台か置いてあった。そこらでは博奕は堂々と合法だった。
 わたしたちはローストビーフのサンドイッチとマッシュ・ポテトと肉汁を食べた。店には何百匹も蝿がいた。かなりの大群がそこここにひっこきみたいに吊してあった蝿取り紙を見つけて、そこでくつろいでいろのだった。
 じいさんが入ってきた。牛乳をくれといった。ウェイトレスが彼に牛乳をだした。それを飲むと、彼はでがけに五セント玉をスロットマシンに入れた。そして、首を振った。
 食事がすむと、ジャーヴ叔父が郵便局へ行って葉書を出すのだといった。歩いて行ってみると、郵便局は掘立て小屋というのが相応しいような小さな建物だった。網戸を開けて、なかに入る。
 郵便局らしい物がいっぱいあった。カウンターがあって、海底の髭のようにたれ下がる針をつけた時計が、時代に遅れをとるまいとゆるやかに揺れていた。
 壁に、マリリン・モンローの大きなヌード写真があった。郵便局でそんなのを見るのははじめてだった。彼女に大きな赤い色の上に横たわっていた。郵便局の壁に貼るには変じゃないかと思ったが、でもわたしはそこではよそ者だったのだから。
 郵便局員は中年の女性で、一九二〇年代に流行した例の口の形を彼女の顔の上に描き写していた。 ジャーヴ叔父は葉書を買うと、さながらコップに水を満すような調子で、カウンターの上で葉書を字でうめた。
 あっという間のことだった。半分ほど書いて、ジャーヴ叔父は手を休め、マリリン・モンローをちらりと見上げた。見上げる彼には肉欲的な感じは微塵もない。まるで、彼女が山や木の写真であるみたいだった。
 誰に宛てて葉書を書いていたのか、わたしは憶えていない。きっと友人か親戚の者だっただろう。わたしはわたしなりにマリリン・モンローのヌード写真をじっと見つめて立っていた。ジャーヴ叔父が葉書を投函した。「さあ、おいで」と彼がいった。
 熊のいた家へ戻ってみると、熊の姿がなかった。「どこへ行っちまったんだい?」と誰かがいった。
 多勢の人たちが集ってきて、誰もかれもいなくなった熊のことを話して、あちこち隈なく探しているみたいだった。
「死んでるんだぜ」と励ますようにいった者があって、それから間もなくわたしたちは家のなかを探した。熊を探すのに押入れを全部調べた女のひともいた。
 しばらくすると市長がやってきて、「腹ペコだ。俺の熊はどこかね?」といった。
 誰かが市長に熊は蒸発してしまいましたよと告げると、市長は「そんなことは不可能だ」と答えて、ポーチの下まで行って覗いてみる。でも、熊はいない。
 一時間もすると、もう皆は熊探しを止めてしまい、日も落ちた。わたしたちは、かつては熊がいた正面ポーチに腰を下した。
 男たちは大恐慌の頃の高校フットボールのことを語り合い、いまは年をとって太ってしまったことについて冗談をいい合っていた。誰かがジャーヴ叔父にホテルの四部屋とウィスキー四本について訊ねた。ジャーヴ叔父をのぞいて、みんなが声を上げて笑った。叔父はただ顔に笑みを浮かべただけ。熊が見つかったとき、夜はまだはじまったばかりだった。
 熊たちは脇路で一台の自動車の前座席に坐っていたのだった。一頭はズボンをはいて、格子柄のシャツを着ていた。赤いハンチング帽を被り、目にパイプをくわえて、バーニー・オールドフィールドみたいに両前足をハンドルの上にのせていた。
 もう一頭のほうは白い絹のネグリジェを着ていた。男性雑誌の裏表紙などによく広告されているようなものだ。足にフェルトのスリッパをひっかけていた。頭にはピンクのボンネット帽、そして膝の上にはハンドバッグ。
 ハンドバッグの口を開けてみた者がいたが、なかにはなにもなかった。なにが見つかると思っていたのかはわからないが、連中はとにかく失望した。それにしても、死んだ熊はハンドバッグになにを入れておくものなんだろう?

      *
 このこと、つまり熊のことをわたしに思い出させたのは奇妙なことなのだ。それは若さと美しさにめぐまれていたのに睡眠薬で自殺してしまったマリリン・モンローの新聞にでていた一枚の写真なのだ。

 新聞はもうそのニュースでもちきりだ。記事や写真はそういうもので、荷車で屍体が運びさられる、ありきたりのつまらない毛布にくるまれた遺体。マリリン・モンローのこの写真を飾るのは東オレゴンのどの郵便局だろうか。

 死体置場の職員が扉の外へ荷車を押して行く、荷車の下に陽ざしが輝く。ベネシアン・ブラインドが写真にうつっている、木の枝々もうつっている。

 

 

 ついでに他の『芝生の復讐』収録小説を少し紹介。

「天の鳥たち」

[つけでテレビを買いに来た話が二ページほどあって]

「なにも心配はいりませんよ」と彼女はいった。ほんとにすばらしい声だ。「テレビジョンはあなたのもの。ちょっと入って下さいな」
 と彼女はいい感じのする扉のついた部屋を指した。扉は、じつは、なかなか胸のわくわくするようなものだった。重い木の扉で、すばらしい木目が流れるように見える。砂漠の日の出を横切って走る地震の亀裂のような木目。木目には光があふれて。
 把手は純銀。ヘンリー氏がかねがね開いてみたいと思っていた扉なのである。海で幾百万年が過ぎ去って行く間に、かれの手はその扉の形を夢見ていたのである。
 扉の上に標示があった。
 鍛冶屋
 扉を開けてなかへ入ると、ひとりの男が彼を待っていた。男がいった。「靴を脱いで下さい」
「用紙にサインするだけなのに」とヘンリー氏はいった。「堅い仕事なんだし。期限どおり払いますよ」

「そのことはいいから」と男がいった。「ただ靴を脱げゃいいんですよ」
 ヘンリー氏は靴を脱いだ。
「靴下も」
 彼はいわれたとおりにしたが、それをべつに変だとも思わなかった。なぜなら、いずれにしろ彼にはテレビを買う金はないのだったから。床は冷たくはなかった。
「身長はどのくらい?」と男は訊ねた。
「五フィート一一インチ」
 男はファイル用キャビネットのところへ行って、五フィート一一インチと記された抽斗を開けた。ビニールの袋をとりだして、抽斗を閉じる。ヘンリー氏は男に話してきかせたい笑い話を思いついたが、あっという間に忘れてしまった。
 男は袋を開けて、巨大な鳥の影をとりだした。それがズボンかなにかであるみたいに、男は影をひろげる。
 「なんです?」
 「鳥の影さ」と男は答えて、ヘンリー氏が腰かけているところへやってきて、彼の足のかたわら、床の上に影を置いた。
 それから、男は不思議な形の金槌を手にしてヘンリー氏の影から釘を技いた。影をからだに止めていたその釘をだ。男はていねいに影をたたむ。ヘンリー氏のそばの椅子にそれを置く。
「なにをしてるんです?」ヘンリー氏は訊ねた。怖かったわけじゃない。ただ好奇心から訊ねた。
「影をとりつけてるんですよ」と男は答えて、彼の足に釘で影をうちつけた。すくなくとも、痛みはなかった。
「さあ、これでいい」と男はいった。「テレビの支払いをするには二四か月ありますからね。払いが済んだら、影をとり替えます。なかなか似合うや」

 ヘンリー氏はじぶんのからだから鳥の影がさしているのを見下していた。悪くないや、とヘンリー氏は思った。
 部屋をでると、机のところにいたあの美しい娘がいった、「まあ、お変りになって」
 ヘンリー氏は彼女が話しかけてくれるのがうれしかった。長い結婚生活の間に、性というものがいったいどのようなものであったかを忘れてしまっていたのである。
 ポケットに手をつっこんで煙草を探したが、全部吸ってしまったことがわかった。ひどくうろたえてしまった。娘はなにか悪いことをした子供を眺めるように、じいっとその彼を見つめるのだった。 

アーネスト・ヘミングウェイタイピスト

 もうまるで宗教音楽みたいなんだ。わたしの友人がニューヨークから帰ってきたのだが、彼はそこでアーネスト・ヘミングウェイタイピストにタイプを打ってもらったのだ。
 彼は売れてる作家だから、最高のタイピストを頼んだのだが、それがなんとアーネスト・ヘミングウェイのタイプを打ったという女性なのだ。はっと息をのむような話、沈黙がきみの肺を大理石に変えてしまうような話ではないか。
 アーネスト・ヘミングウェイタイピストだってさ!
 彼女はすべての若き作家たちの正夢だ、ハープシコードのような手、完璧にはりつめた熱情的な視線、そして、それらすべてのあとに彼女のタイプの深遠なる音が続くのだ。
 彼は彼女に時間給一五ドルを払った。これは鉛管工や電気技師の賃金よりも多い。
 一日一二〇ドル!タイピストで!
 彼女はなんでもやってくれるんだ、と彼はいった。原稿を渡すと、まるで奇跡が起ったみたいに、それは見目よくも正しい綴りに直されて、泣けてくるほどにすばらしい句読点をつけられ、ギリシャの神殿のようにも見える段落を持って戻されてくる。彼女は文章を終らせてもくれるのだ。
 彼女はアーネスト・ヘミングウェイ
 彼女はアーネスト・ヘミングウェイタイピストだ。

「庭はなぜ要るのか」

 行ってみたら、またしても連中はライオンを裏庭に埋めていた。例のごとく、大急ぎで掘られた墓で、ライオンを入れるには小さすぎて、無能をきわめた掘りかただ。連中はいい加減な小さな穴にライオンを押しこめようとしているのだった。
 ライオンは例のごとくかなり平然としていた。過去二年間に少なくとも五〇回は埋められてきたので、ライオンは裏庭に埋められることになれてしまったのだ。
 はじめてライオンが埋められた日のことをわたしは思いだす。なにがどうなっているのか、ライオンにはわからなかった。そのとき、彼はいまより若いライオンだったから、恐怖におののき、頭も混乱してしまった。でもいまでは、あのときより年もとっていたし、もう幾度も埋められた後だったから、どういうことなのかちゃんと承知していたのだ。
 連中が彼の前足を胸の上で組んで、それから順に土をかけはじめると、ライオンはなんだか退屈しているような様子だった。
 どだいだめなのだから。その穴はライオンには小さいのだ。裏庭に細られた穴がちゃんとした大きさだったことは以前にも一度もなかったし、先にもそうなることはないだろう。連中はどうしてもそのライオンを埋めるのにじゅうぶんな大きさの穴を掘ることができなかったのである。
「やあ」とわたしはいった。「穴が小さすぎるねえ」
「やあ」と連中はいった。「そんなことないさ」
 わたしはライオンを埋めようと汗だくになっている連中を眺めて一時間ほどそこに立っていたけれど、連中はライオンの1/4を埋めることしかできなくて、ついにすっかり嫌気がさして諦めた。そして、穴がじゅうぶんな大きさに掘られていないということで、互いに貴めあうのだった。
「来年はここを庭園にでもしたら?」とわたしがいった。「この土だったら、いい人参なんかが育つんじゃないかな」
 連中はわたしのことばをとても面白いとは思わなかった。

「一九三九年のある午後のこと」

 四歳になるわたしの娘にわたしがいつもいつも話してやる話がある。娘はその話からなにかを得るらしく、繰り返し繰り返し聞きたがるのだ。
 寝る時間がくると娘はいう、「おとうちゃん、子供のときに、岩のなかに入った話、してちょうだい」
「いいとも」
 娘はあたかもじぶんの意志で自在になる雲でも扱うように、毛布をからだにぴったりと引き寄せ、口に親指をつっこんで、それからじっと聴き入る青い目でわたしを見る。
「むかしむかし、わたしは子供で、ちょうどきみの歳でありました。わたしのおとうさんとおかあさんがレニアー山ヘピクニックに連れて行ってくれたのです。古い自動車に乗って行きましたところ、道路のまんなかに一頭の鹿が立っているのでした。
 やがて、わたしたちは野原へやってきましたが、そこでは木立の蔭に雪があったのです。お陽さまがささないところには雪があったのです。
 野原には野生の花が咲いていて、きれいでした。野原のまんなかには大きなまあるい岩がひとつありましたので、おとうちゃんはその岩のところまで歩いて行ってみました。すると、岩のまんなかに穴が見つかりましたので、なかを覗いてみたのです。岩はまるで小さなお部屋のようにガランドウでした。

 おとうちゃんは岩のなかへ這って入って、そこに坐ると、青い空と野の花々をじっと見ていました。おとうちゃんはその岩がすっかり気に入ってしまいましたので、そこを家だと考えることにして、その日の午後はずっと、その岩のなかで遊びました。
 おとうちゃんは小さな石を拾ってきて、大きな岩のなかへ持ちこみました。小さな石はかまどや家具やなんかだということにして、野の花を使って食事の用意をしたのです」
 それで話はおしまい。
 すると、娘は深い青さをたたえた目でわたしを見上げ、岩のなかで野生の花を挽肉にして、それを小さなかまどのような石ころの上で焼いている子供としてわたしを見るのだ。
 娘はこの話をいくらしてもらってもまだ聞きたりない。もう三、四〇回も聞いているのに、まだまだ話してくれというのだ。
 彼女にはとても大切な話なのだ。
 娘は、まだ子供で彼女の同時代人であった頃の父親を見出すためのクリストファー・コロンバス的な戸口として、この話を聞くのだ、とわたしは思う。 

「伍長」

わたしは栄光の軍歴に終止符を打ち、アメリカの、紙のように空しい幻滅の、影の領域へ踏み入った。アメリカ、そこでは挫折とは不渡り小切手のこと、あるいは悪い通信簿のこと、あるいは恋の終わりを告げる一通の手紙や読む人々を傷つけるすべてのことばのことである。 

「装甲車 ジャニスに」

 わたしはベッドと電話のある部屋に住んでいた。それしかなかった。ある朝のこと、ベッドに横になっていると、電話が鳴った。窓の日除けが下りていて、外はどしゃ降りの雨だった。まだ暗い。
「もしもし」とわたしはいった。
「ピストルを発明したのは誰だ?」と男が訊ねた。
 電話を切るより早く、わたしじしんの声がアナーキストみたいにわかしのからだを脱出して答えてしまった、「サミュエル・コルトだ」
「あっ、薪が当りましたよ」とその男がいう。
「きみは誰?」とわたしは訊ねた。
「これはコンテストでね」と彼はいった。「あなたは薪を当てたんですよ」
「ぼくにはストーブ、がないからね」とわたしはいった。「下宿してるんだ。暖房はない」
「薪のほかになにか欲しいものがありますか?」と男はいった。
「うん、万年筆がいい」
「わかりました、お送りしましょう。住所は?」
 わたしは住所を告げて、コンテストの主催者は誰かと訊ねた。
「そんなことはどうでもいいんですよ」と彼はいった。「明日の朝、万年筆が郵便で届きますよ。あっ、そうそう、とくに好きな色がありますか。忘れるところでした」
「ブルーでいいですよ」
「ブルーのは一本も残ってないんですよね。ほかの色ではどうです?グリーンなんか、どうです?グリーンの万年筆はたくさんありますから」
「そう、じゃあ、グリーンでいいや」
「明日の朝、郵便で届きますよ」と彼はいった。
 それは届かなかった。その後も全然届かなかった。
 わたしがこれまでに当てて、そして実際に受けとったことがあるものはただ一つ、それは一台の装甲車である。(以下略) 

「カリフォルニア1964年において高名であること」

 名声が、きみを圧し潰している岩の下にかなてこを差し入れ、ぐいと持ち上げ、七匹の甲虫の幼虫と一匹のわらじ虫ともども、きみに光をあててくれる、これはなんともすばらしい。

 そうするとどんなことになるか話してあげよう。

(略)

「きみの小説でぼくはなにをするんだい?」とわたしは訊ね、すばらしいことばが聞けるだろうと待った。

「ドアを開けるんだ」と彼はいった。

「ほかにはなにをするんだい?」

「いや、それだけだ」

「そう」とわたしはいった。名声を傷つけられて、わたしはいった。「もうちょっとなんとかできなかったのかい?二つのドアを開ける、とかさ?誰かに接吻するとか?」

「そのドアひとつでじゅうぶんなんだ」と彼はいった。「きみには非の打ち所がなかった」「ドアを開けたときには、なにかいったかい?」わたしはまだ希望を棄てていなかった。

「いわなかったよ」